第2話

いよいよ大会当日。


俺は真っ直ぐ選手控室へと向かった。


気分はすっかり、試合前の格闘家の様の如く、全身に気を張っている。


控室には大きなトーナメント表が張り出されていた。


総勢16名のエントリー者の名前がトーナメント表には印刷されている。


俺の一回戦は第三試合目。気分を盛り上げる為、形だけでもと、


俺が好きなヴァンヘイレンの音楽をイヤホンに流す。


控室のモニターには会場の様子が流れていた。


ただ、試合会場の映像は流れているものの、音は切られている。


控え室は、どことなく重い空気が流れていた。


食い入る様に試合映像を見るヤツ。スマホでゲームか何かをしているヤツ。様々だ。


その様子を横目に、ふと一瞬だけ我に返る。


いや、なんだよこの空気。ただ褒めるだけだぞ。と。


いよいよ、俺の試合が迫ってきた。と、控室にスタッフが入ってきて一言。



「井上さん、対戦相手の方がお見えにならないので不戦勝になります。


なんでも、どうしても外せない恩人の結婚式に呼ばれたそうで」



戦わずして一回戦突破。恐らく、褒め上手は祝いの席には欠かせないのだろう。


俺も結婚式だけでなく、祝い事の席には幾度となく呼ばれたから判る。



「あ、はい。わかりました」



俺の褒めボルテージは今にも大噴火しそうだが、暫し落ち着かせる。


ヴァンヘイレンの曲が一巡しようとしていた頃、漸く2回戦の案内が控室に届く。


期せずしてシードとなった俺の初陣が迫る。


と、またしても大慌てで、スタッフが控室へと飛び込んできた。


「すいません、井上さん。2回戦の対戦相手なのですが、


お子さんの体調が急に悪化した為に、途中棄権となってしまいました。


井上さんの不戦勝です」


「あ、はい。わかりました」



何という強運。戦わずして圧倒的シードを獲得してしまった。


あまりにも暇を持て余している為、大会の小冊子をパラパラとめくる。


俺の2回戦の対戦相手はどうやら主婦の様だった。


主婦のプロフィールの他には、意気込みが書かれていた。


「子供を育てる時、褒めた方が伸びると何かの本で見て、


それから褒める様になりました。主婦仕込みの温かみのある褒め方をしたいです」



是非、是非戦いたかった。


俺には温かみのある褒めが必要だったかもしれない。残念だ。凄く残念だ。


仕方ない、こうなったら3回戦、もはや準決勝だが、それに期待しよう。


いい加減、誰かを褒めたくてウズウズしていた。


当たり前だ、今日この日の為に、


俺は人生を掛けてコンセントレーションを整えたのだから。


2回戦があっという間に終わり、準決勝がいよいよ始まろうとしている。


と、最早お馴染みになりつつある慌てたスタッフが、また控室に飛び込んできた。


「井上さん!3回戦のお相手なのですが、どうも井上さんの元恋人だそうで、


私共も一応説得を試みたのですが、


顔をどうしても合わせたくないとのことで・・・。不戦勝になります」



なんたる豪運。そしてなんたる不運。


元カノが未だに俺の事を嫌っている事を関節的に知ってしまった。


もう冊子をめくる気力すら湧かない。



「あ、はい。わかりました」



厭な気持ちを吹き飛ばすかのようにヴァンヘイレンの曲をガンガンに鳴らす。


いよいよ、決勝戦。ここまで紆余曲折、いや、実際はドストレートで上り詰めたが、


これが俺の本日最初で最後の試合だ。


選手入場口へと案内される。少しだけ身体が震えた。


これが武者震いというやつか。相手は戦い続けて疲弊しているはず。


俺の方が色々と有利に戦えるはずだ。


スタッフに促されるまま、ステージへと上がる。胸の鼓動が高鳴る。


よし、しっかりと相手を見据えよう。



「え」



俺は周りに聞こえるか聞こえないかくらいの微妙な声を漏らした。


俺には自分の対戦相手に見覚えがあったからだ。



「お前、もしかして」



決勝戦の相手は、俺の才能を開花させた、あの中学時代の友人だった。



「お前、なんでこんなとこに。弁護士になったんじゃ」


「あぁ、なったよ。お前のお陰で。


だから、お前を1度で良いから会って褒めたくてさ。


でも、新しいスマホに変えてから連絡先、判らなくなって。


ほら、俺、地元とは大分疎遠だろ?


俺が受け持ってる会社で偶々この大会のチラシ見つけてさ。


それでもしかしたら会えるかもって」


「なんだよ!それなら、控室で声掛けろよ!」


「いや、お前すげぇ形相で居たからさ。何か声掛けづらくって」


「おやおや!どうやらお二人はお知り合いの様で!


これは面白い決勝戦になりそうです!


では、お二人とも準備はよろしいですか?」



正直、その後の試合結果がどうだったか、全く覚えていない。


俺も、そしてあいつもボロボロに泣きじゃくった事だけは確かだ。


俺は今日も誰かを、何かを相変わらず褒めている。


俺のデスクには、グシャグシャになった笑顔の男二人の写真が飾られていた。

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