【再掲】祭囃子に誘われて

五月女 十也

祭囃子に誘われて


 ついに、部屋のエアコンが壊れた。

 少し前から変な音を発していたのでもしやとは思っていたが、こうもあっけなく止まってしまうと妙な気分になる。こいつも寿命なのか。リモコンを操作しても動かないエアコンを見上げて、これまでありがとな、と胸の内で呟いてみた。今日からは窓を開けたまま寝るとしよう、きっと少しは涼しいはず。



 ❁



 次の日はいつにも増して暑い日だった。

 家から一歩出ただけで、体中の穴という穴から汗が吹き出てくる。ため息をついた僕の目の前を、虫取り網を背負った小学生が元気に走っていった。あの元気を少し分けて欲しいくらいだ。

 学校についたら、クーラーの効いた教室で読書ができる。そう自分に言い聞かせながら、通学路をゆったりと歩いた。お揃いの制服を着た女子高生たちが、自転車で僕を追い抜いていく。真っ青な空のど真ん中を、トンビが通り過ぎていく。いつもと変わらない町並みが、僕を見下ろしている。


 だんだんと、自分と同じ制服を着た人が周りに増えてきた。少し先でチャイムが鳴る。時計を見れば、針は始業まであと五分のところを指していた。足を早める。


 校門を潜り、階段を上り、自分の教室に入る。教室の空気が生ぬるいことに気を取られて、クラスメイトの違和感に気づくのに少し時間がかかった。

 奇妙な声がすると思ったら、女子が数人、肩を寄せ合うようにして泣いている。普段ならホームルームに来る担任への悪戯を仕掛けている男子たちは、目を伏せて大人しく席についていた。だから女子の声が異様に響いているのか。

 一体何が、と教室を見渡して、そして僕は見つけてしまった。


 ――窓際の席に、花が飾られている。


 今度はすぐに気づいた。彼女だ、あれは彼女の席だ。タチの悪い悪戯かと思いたいが、教室の空気の重さが現実を突きつけているも同然で。誰かに確かめようにも、誰も僕と目を合わせてくれない。

 呆然としていると、担任が来てホームルームが始まった。残念なお知らせ、と切り出した担任が彼女の死を告げる。事故だそうだ。あっという間に教室中に嗚咽が広がり、事態の収拾を諦めた担任はそそくさと教室を出ていった。僕も、鉛のような空気に耐えきれずに教室を飛び出した。



 ❁



 向かったのは立ち入り禁止の屋上。誰も来ないから、じっくりと考え事ができる。僕のお気に入りの場所だ。勢いよく階段を上り、そのまま屋上に飛び出した。途端に熱気が押し寄せてくる。暑い。おかげで気勢を削がれてしまった。

 特にすることもないので、とりあえず仰向けに横たわった。視界に飛び込んでくるのは透き通るような蒼。夏の空といえば入道雲だが、今日みたいに雲ひとつないのも乙なもんだ。


 自然と、死んでしまった彼女のことを考えていた。みんなに死を悼まれるような、できた人だった。きっとクラスの誰もが彼女のことは忘れないだろう。僕もその一人。彼女は、僕の憧れの人だから。

 生前はよく話をした。学級委員長を務める彼女は成績が良くて、落ちこぼれていた僕に勉強を教えてくれたこともある。時に厳しく、時に優しく教えてくれた彼女は、教師になりたいと言っていたっけ。君ならなれるよ、と僕が言った時のあの笑顔は、とても美しくて……


 ……あれ?


 彼女の笑顔を思い浮かべようとするも、何故か上手くいかない。いや待て、笑顔どころか後ろ姿すらも思い出せない。

 サーッと血の気が引いていくのがわかった。忘れないと思った矢先にこれか。彼女はどんな顔だっけ。どうして、どうして思い出せないのだろうか。


 僕の苦悩など知らずに鳴いている蝉の声が、この上なく鬱陶しい。



 ❁



 気がつけば日が暮れ始めていた。蝉の声に混じって、どこからか祭囃子が聞こえる。そういえば今日は、年に一度の地元のお祭りの日だ。小さい頃は、毎年友達と一緒に出かけて、この日のために一年間貯めたお小遣いを使って買い食いをしていた。しばらく行っていないな。

 久々に行ってみようか、という考えを頭を振って打ち消し、よっこらせと立ち上がる。そのまま階段への扉へ向かおうとした時、どこからか声が聞こえた。


『ね、来年は一緒にお祭り行こ?』


 聞きなれた声。辺りを見渡すが、人影はなかった。……今の声は一体誰だろう。知っているはずなのに、記憶を辿ってみても思い出せそうにない。

 けれど、本能は叫んでいた。早く約束の場所に行って、声の主に会え、と。どうやらあの言葉は僕にとって大きな意味を持っているらしい。

 胸騒ぎにいてもたってもいられなくなって、僕は一目散に駆け出した。



 ❁



 立ち並ぶ屋台と溢れかえる人混み。その中をすり抜けながら、必死に記憶を辿り、思考を巡らす。どこだ。いつ、どこで、僕とあの声の主は何をしようとしていたんだ。思い出せ、思い出せ!


『花火さ、毎年人混みでよく見れないんだよね』


 さっきの声が響く。つられて、頭が回り出した。花火はこのお祭りのメインイベントだ。そして僕は、花火をゆっくり見られる特等席を知っている。町の裏山の、少し切り立った崖の上。


 ――そこだ。誰かと、そこに案内するって約束した。


 あと5分で花火が始まるというアナウンスが会場をざわめかす。やっと目的が定まった僕は、沸き立つ人々を傍目に再び駆け出した。


 行った先に相手がいるかなんて知らない。そもそも、確か詳しい場所は教えてないから、いるはずないのだ、声の主は、そこに。

 無駄足になるかもしれない。そうと分かっていても、走らずにはいられなかった。


 走って、走って、背後で花火特有の音が聞こえ始めた頃に、やっと裏山の麓に着いた。しばらく来ていなかったからか、道が草木に覆われている。薄れた記憶と打ち上がる花火の光を頼りに草をかき分けて山を登って……。


「あ」


 空に花が咲く。

 いつの間にか、目的地に辿り着いていた。昔と変わらない景色。なんだか気が抜けてしまって、次々と打ち上げられる花火を見上げたままその場に座り込んだ。


 やっぱり、あの人はいなかった。顔も思い出せず、覚えているのは声だけの、あの人。

 嗚呼、無性に会いたい。どうしたら会えるのだろう。声以外に手がかりがあれば、少しは捜索が捗るだろうに。


 どうしたものかと夜空を見上げたその時、真後ろで声がした。


「ごめんね」

「え?」


 後ろから伸びてきた手が、僕の目を塞ぐ。途端に強烈な眠気が襲ってきた。ここで寝てはいけないと頭は理解しているが、どうにも抑えられそうにない。

 抵抗虚しく、僕は意識を手放した。



 ❁



 目を開けると、知らない場所にいた。風が涼しくて、透き通るように蒼い空がとても近く感じる。手を伸ばせば雲だって触れそうだ。誰に言われずとも、ここがどこか分かる気がした。

 ふと、気配を感じて振り返った。振り返ってから後悔した。時間が止まったかのように、耳にこびりついていた蝉の声が消える。


「久しぶり。また会えたね」


 聞きなれたその声に、自分の顔が歪んでいくのがわかった。口の中が乾ききって、上手く声が出せない。それでも僕の言わんとすることを理解したのか、彼女は寂しそうな顔をした。


「これもまた運命なのよ。君が死んでしまったように、私も死ななきゃいけなかった。命あるものは必ず死ぬって言うでしょ? 私たちは、それがほかの人より少し早かったってだけ。ただ、それだけなの」

「……いや、いいや、それは違う。例え僕が他人より早く死ぬ運命にあったとしても、君はまだ生きていなきゃいけなかった! 明るくて聡明な君には未来がある、僕にはない未来がある! 誰もが欲しがるような、そんな輝かしい未来が!」


 僕が叫ぶと、彼女は泣きそうな顔で笑った。


「残念ながら、その未来はもう、とっくに透けてしまったわ。もう誰にも、私にだってみえないのよ」

「それでも僕がみるよ。君の素敵な未来は僕が代わりにみて、君に伝えてあげるから! だから、だから君はまだ……」


 彼女は静かに、唇に人差し指を当てた。


「ねぇ、聞こえるでしょ?」


 なんのことだ。僕には何も聞こえない。ぼやけはじめた彼女の顔をしっかり見ようと目を凝らしながら、僕は彼女の指示に従って口を噤んだ。


「今日も蝉が泣いているわ」


 刹那、此岸の音が頭のなかで爆発した。


 彼女の言葉がどんな意味を持っているのか、僕にはわからない。ただ、その一言で、世界が一瞬で白に染まった。僕と彼女の二人きりのこの世界が、消滅へのカウントダウンを始めている。

 もう二度と聞くことのない音の波が僕達を襲う。どおっと風が吹いて、たなびいた彼女の髪の隙間からお祭りの提灯が見える。その光が膨らんだかと思うと、僕達のいる空間を包み込んだ。

 懐かしい景色が浮かんでは消える。研ぎ澄まされた五感が、その一つ一つを惜しむようになぞっていく。ぼんやりとする頭で、これが走馬灯かと思った。ということは今度こそ、僕は。

 隣にいる彼女も同じことを考えていたらしく、宙をみつめたまま呟いた。


「案外、あっけなく終わるのね」

「怖い?」

「ううん。君がいてくれるから怖くない」

「……そっか」


 彼女の体が透けていく。見下ろせば、僕にも同じことが起こっていた。もう一度だけ彼女と目が合って、どちらからともなく微笑みを交わす。

 風が気持ちいい。何故か、少し前まで感じていた暑さを懐かしく感じた。


「……ねぇ、また会えるかな」

「君が望めば。僕は、生まれ変わっても君に会いたいよ。それで今度は、君の未来を色付ける手伝いをさせてくれ」

「君、そんなキザなこと言うんだ。なんか意外」

「悪いか」

「かっこいいよ」


 いたずらっ子のように笑った彼女の瞳から、虹色の雫が落ちる。世界がこんな美しい終わり方をするなら、もう一度生きてみることも悪くないかもしれない。そう思った。


 夏が終わる。

 僕達のいた世界が幕を閉じる。

 次に幕が開いたとき、そこに僕達はいない。


 心地よくすら感じる此岸の蝉の声が、僕の意識を奪っていく。僕は抗うことをやめて、静かに目を閉じた。



 ❀



 部屋のエアコンが壊れる半年前。

 僕は、交通事故で死んだ。

 雪の降る朝だった。






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