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 彼のことはよく知っていた。同じ学科の同級生。いつもみんなを笑わせているひょうきん者だが、マイペースな変わり者としても有名だった。場と一体となって騒ぐノリの軽い男というよりは、どこにも帰属しない流しの芸人とでも言おうか、少女漫画から抜け出てきたような容姿とあいまって他人と一線を画した雰囲気があった。


「おかげで助かったよ。あの女連中ときたらしつこくつきまとってくるもんだからね」


「いや、僕は何もしてないからな。お前が強引に振り切ったんだろう」


 僕が松方に歩み寄ったとき、女の子二人は値踏みするような目を向けてきた。一方の僕はというとツンと鼻をつくような香水の匂いにむせそうになるのをこらえながら、笑みを浮かべた。鏡の前で何度も練習した、自分の中で最大限に印象がいい笑顔だ。女の子たちは、お互いの顔を見合わせる。その目配せの間に飛び交った無言の言葉を拾うとたぶんこうなる。


 ――誰、こいつ。イケメンの友達?


 ――友達なのに顔面格差広すぎてマジウける。


 ――でも、このちんちくりんを引っ張り込んだらイケメンもセットでついてくるっしょ。


 ――ひろみ、まじ冴えてる。こいつ童貞っぽいしうちらなら楽勝っしょ。


 ――言えてる。


 百パーセント憶測とはいえ、事実はそう遠くはあるまい。いつの間にか、女の子二人は僕を引き込もうとし、松方がそれを阻止するという流れになっていた。僕としては女の子たちについていってもよかったのだけれど、本命である松方がセットでない以上渋い顔をされるだけだろう。それで相手の顔色を気にせず飛び込めるのは僕の知るかぎりだと村上くらいのものだろう。


「でも、なんであの子たちと行かなかったんだよ」


「こっちだって予定があるからね。まあ、どのみち女なんてわずらわしいだけだ」松方はコートの布地を引っ張って示した。「ほら、まだ匂うだろ。勘弁してほしいね。さっきの連中があんまりしつこく付きまとうもんだから匂いが移ってしまった」


 実際、こいつにはわずらわしいことなのだろう。僕も女の子との付き合いでは建前で我慢することだってたくさんある。自分の趣味ではない服装や髪型を褒めることもあれば、きつい香水の匂いに耐えることもある。でも、こいつにはそんなものを耐える理由はない。それはさぞ気が楽だろうと思った。


「お前、クリスマスだぞ? そういうことに興味ないのか?」


「おや、小路君。もしかして行きたかったのかい?」松方が驚いたように言った。「俺はてっきり……それは悪いことをした」


 松方はきっと特別馬鹿にするような意味で言ったわけではないのだろう。これはこいつが誰に対しても口にするちょっとしたからかい文句。お互い笑って済ませば誰も傷つくことのない他愛ないジョークにすぎなかった。


 だからきっと僕が「ああ、行きたかったよ」と認めたところで軽蔑するようなことはなかったはずだ。けれど、この黙っても女が寄ってくるような男に、女の残り香を漂わせた男に対して女に飢えていることを認めるのは僕のプライドが許さなかった。


 だからこんな強がりを言う。


「そんなわけないだろ。だいたい僕は彼女持ちだ」


「ふうん。しかし、せっかくのクリスマスだというのにその彼女さんはどうしたんだい?」


「これから会うんだよ」


「そんな大荷物で?」松方は僕が提げた袋を指差した。


「これからって言ってもまだ時間があるんだよ。一度うちに帰る余裕くらいある」


 僕はあわてて言った。


「なるほど。しかし、デートに出かけるならそのケーキはどうするんだい」


「友達に差し入れするんだよ」とっさに嘘が口を突いて出た。僕は急いで続ける。

「今日はもともと友達と騒ぐ予定だったからな。それが僕一人彼女ができて抜けるっていうもんだから、裏切り者の謗りを受けてね。こいつで機嫌をとっておこうってわけ」


 ばれただろうか。そんな不安で脈が乱れる。嘘の露見は僕にとって最も恐れるべきことのひとつだった。


「なるほどね」


 言葉とは裏腹に、含みのある口調が僕をますます不安にさせた。チキンな僕は話の舳先を変えることにする。


「お前こそ付き合いとかないのか」


「付き合い!」松方はアメリカの芸人のようにオーバーなリアクションをした。「その素晴らしき付き合いってやつに裏切られたわけさ」


「どういうこと?」


「君も俺が漫才をやってることくらいは知ってるだろ?」


「いや、初耳だけど」


「気のないツッコミだな」


「あいにくと僕は漫才をやってないもんで」


「それもそうだ」松方は言った。「今日はクリスマスだろう? 老人ホームでもレクリエーション会が開かれるんだ。俺はここ数年ツテのある老人ホームで漫談を披露してるんだが、今年は相方を見つけて漫才に挑戦することになったんだ。一ヶ月前から準備して、完璧な脚本と、技量的に完璧とは言いがたいがとにかく当日に付き合ってくれるという相方も見つけた。練習も、何かと言い訳をつけてサボりたがる相方の態度を除けばとりあえずは順調だった。それが今日になってみたら! は! 相方の奴、少し前に別れた彼女とよりを戻したらしくてね。今日はそっちと過ごしたいんだそうだ。不誠実なやつだと思わないか?」


 なるほど。こいつもパートナーに見捨てられたわけだ。


「確かに約束を破るのはどうかと思うけどさ」僕は言った。「でも、僕でも彼女と過ごす方を選ぶと思うな」


「やれやれ。呆れたものだな。君たち男ときたら四六時中、女、女、女なんだからな」


「お前も男だろ」


「俺は一匹のオスである前に一人の漫才師なのさ」


 松方が全オスがうらやむような顔を微笑ませて言った。僕は思った。神様とはなんと悪戯な存在なのだろう。オスとしてこの上ない武器を、よりにもよってこの漫才狂いに授けるとは豚に真珠もいいとこだ。


「まあ、気の毒だったな。で、今日はけっきょく一人で漫談でもするのか?」


「ノンノン。その相方をこれから捕まえるのさ」


「は?」


「相方から彼女との待ち合わせ場所はそれとなく聞き出しておいたからね。現場でとっ捕まえて老人ホームに連行するのさ」


「そりゃまた無体な」


「しょうがないだろう。こっちの方が先約なんだ。たとえ、彼女と相方の身体を争うことになっても連れて行くつもりだよ」


「いやいや、そこは快く送り出してやれよ」


 僕はなんとなくその相方とやらを応援する気になっていた。


「老人ホームのおじいさんおばあさんたちはどうなる」


「二人いた素人が一人減ったところで誰も気にしねーよ」


「俺が気にするんだ。まったく、漫才の脚本をどうやったら漫談に書き換えられると……あっ、来たぞ。相方だ」


 松方が指差す先を見ると、ややうつむき加減でこちらに歩いてくる男の姿が目に入った。これが松方に引けをとらないイケメンだったらば、僕も松方に嬉々と協力しこの相方を老人ホームへと送り出したことだろう。しかし、噂に聞きし相方君はどうという特徴もない地味な男だった。松方に引けを取らない点があるとすれば、恵まれた背丈くらいのものだろう。正直言って、それだけのことでも僕にはうらやましい。けれど、そのささやかな羨望も、さっき芽生えたばかりの気持ちをかき消すほどのものでもなかった。


 相方君よ、がんばって松方を振り切ってくれ。


「よしロープでふんじばってでも老人ホームに――」


 僕が相方に送ったエールを踏みにじるようにして、松方が言った。目を爛々と輝かせ、どこから取り出したのか、その手にはマジシャンが使うような白いロープが握られていた。


「お前、ちょっと来い」


 僕は今にも飛び出そうとしていた松方の腕をつかんだ。


「何を――」


 らしくもなく困惑した声を上げる松方。僕は無視して、そのまま強引に連れ去った。

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