第9話 心の高嶺に咲くエーデルワイス

体が芯から冷えるほどに寒い風が突き抜けて行った。


寂しい、とっても寂しいよ・・・


初恋って何だろう?よく解らないな?

初めて心から好きになった人をとても恋しく想う気持ちなんだろうけど。

どうしてこんなにも哀しくて切ないのだろう?


もうあれから40年以上も経っている昔のことなのに。


1年生の時は普通に色んな話をして、からかったり笑い合ったりしてたのに

2年生になってある日突然いきなり、彼女の近くを通っただけで顔が真っ赤

になって恥ずかしさの余り、そこから一目散に逃げ出したりして。


“初恋”って、たぶん急に麻疹に罹ったようなものなのかもしれない。

それがこんなに何十年も心の片隅で想い続けてきたなんて信じられない。


それに麻疹なら直ぐに治るし一度罹れば免疫が付いてもう罹らなくなると

いうのに、可笑しいよな。


普通ならこんなに何十年も想い続けるのって、いつの日か巡り合える期待が

あったり、淡い望みでも待ち続ければ振り向いてくれるとか、そんな場合の

はず、でも初恋のゆうこさんとは決して会う事は無いだろうと解っていても

いつも心のどこか片隅にずっと想い続けてきた、自分でも解らないんだ。


“いつか会いたい”“いつか自分が死ぬ前に一度でいいから会いたい”


歳を取るごとに、そんな気持ちが段々込み上げて募るばかりになってる。


中学時代は2年、3年の時、酷い虐めに遭って、だから中学校の思い出は

暗く嫌な思い出しか無い、そんな中でたった一つだけ燦然と眩しく輝いて

いる想い出が“初恋の人”裕子さんと楽しいお喋りをしている場面なんだ。


過ぎ去った過去の思い出だけど、裕子さんの笑顔だけが強烈にいつまでも、

瞼に焼き付いたまま、不思議な感覚なんだよな。


だって「誰よりも愛しているよ~」なんて言って結婚した愛妻が居ても、

“初恋の人”ってどこか別の次元に居るような気がする。


いつも身の周りに咲いてる菜の花のお花畑が妻だとすれば“初恋の人”は

きっと高嶺に咲いているエーデルワイスのような感じかな・・・


そう、決して手の届かない、心の高嶺にひっそりと咲いている。


いつも自分の身の周りには居てくれないけど、だけどもしエーデルワイス

が消えて無くなったら、銀嶺の峰に輝く雪もきっと融けてしまうだろうな


そうだ!“夢で会えたら”

“初恋の人”って“夢で会えたら”きっとそんな存在なんだ!

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る