黒くて黒い、不幸福論

星陰 ツキト

不幸福



ぬくぬくとした、あまり心地よくない部屋でお湯を飲む。

暖房は、好きではない。

この、人工的な風と暖かさが好きになれないのだ。

だからと言って、寒いのはもっと嫌いなものだから暖房をつけないわけにいかない。

外出先でつけられるエアコンとかいらないから、太陽にあたっているような暖かさを得られる暖房を開発して欲しい。切実に。


テレビをつける気にも、読みかけの本を読む気にも、風呂に入る気にも、寝る気にもなれない。

なにもしたくない。

なにもしたくない。

なにもしたくない。



ランプがほんのりついただけの、薄暗い部屋で俺はひとり、縮こまっていた。

そんな自分に鞭を入れるようにして立ち上がり、お湯を飲み干し、台所にカップを置く。

窓辺に立ち、そっとカーテンをほんの少しだけ開けて外を見る。

そこにあるのは、街灯がぽつんぽつんとついて、家々の明かりが薄くついているだけのいつも通りの夜の風景だった。


あの家のなかの人たちは、何を考え、どう生きているのだろうか。

近所付き合いなんてものはほとんどなく、向かいの家にさえどんな人が住んでいるのかわからない。

そっとカーテンを閉め、再びソファーにどかっと座る。

先程まで座っていたせいで、自分の体温の熱がまだ残っていた。


ああ、生きている。

俺は、生きている。


しかし、本当に、生きているのだろうか。

生きている、とは?

なんて疑問が脳裏をかすめるけれど、すぐに追い払って無視をする。

考えたって答えのでないことは、いつからか考えないことにした。



目の前にかけてあるカレンダーが目にはいる。

今日は、12月24日。

俗に言う、クリスマスイブ。

小学生の頃は、サンタさんが来るのが楽しみだった。

クリスマスは、美味しい料理を食べて、サンタさんが来る日だと思っていた。

ただ、サンタさんのための日だと思っていた。

それから数年して、キリスト教に関する行事だと知った。

それからまた数年して、くりぼっちという言葉を知った。

そのとき、クリスマスは、日本では、恋人と過ごすのが習慣だということを知った。



今年の俺は、いわゆるくりぼっちという奴だ。

いや、今年も、と言った方が良いか。



恋人がいたことなら、1度だけある。

でも、3ヶ月しか続かなかった。

告白は俺がした。

OKされて付き合った。

そして、3ヶ月後に振られた。

理由は、"わたしといても、あまり楽しくなさそうだから"だそうだ。

わかった、とだけ伝えてあっさり俺らは別れた。


本当に、好きだった。

いや、二年たった今でも好きだ。

しかし、彼女の言い分は至極真っ当なのだ。

たしかに、俺は彼女といるとき、どこか彼女に対して壁を作っていた。



俺は、わからないのだ。

自分がこんなにも幸せになっていいのだろうか、と。

俺は、容姿に恵まれているわけでも、金持ちというわけでもない。

ただ、両親の愛情を受けて育ち、不自由なく成長した。

それは今の日本では、"当たり前"、に入ると思う。

もちろん、苦しんでいる人も多くいるが、俺みたいな人が、日本では"当たり前"と言っていいだろう。


ただ、世界で見たらどうか?

極めて特異なことだ。

このときを、この瞬間を、同じ"今"を、同じ"地球"で生きているのに、どうしてこんなにも違うのだ?

どうしてこんなにも、幸せの数が違うのだ?

貧困が、不幸だとは思わない。

しかし、世界には、大勢いるじゃないか、不本意なことばかりやらされて生涯を終えるような人が。



日本にだって、いる。

たくさん、これ以上ないくらいに苦労している人が。



いいのか、俺はこんなにも幸せで。

幸せだと実感するような生き方はしていない。

しかし、生きにくいとも感じていない。

大きな苦しみがないことが、すなわちもう、幸福を意味するだろう。

特に、日本という進んだ国に住んでいる人の場合は。



俺だって、好きな人と幸せになりたい。

まわりがそうしているように、そうなりたい。


でも、出来ないのだ。

体が拒否してしまうのだ。

より幸福になろうとする自分を止める自分がいるのだ。

自分が少しでも不幸になることが、俺にとっての幸福なのだ。

彼女に振られたこともそうだ。

とても悲しかったのに、その不幸にほっとしている俺がいた。

その苦しい矛盾のなかでもがく自分を見て、またもほっとしている俺がいた。



罪の意識からの逃げなのだ。

ただの、逃避。

俺が勝手に不幸になったからと言って、誰かが幸福になるわけではない。

遠い異国の地で、または日本のどこかでもがき苦しむ人をあわれみ嘆きながらも、自分がのうのうと暮らしている罪からの、逃避。

偽善しゃ。

卑怯もの。

たとえこの考え方が偽善でも、考えないよりはマシだと俺は思うから、考える。



彼女に告白したときは、まさか恋愛においても自分のこの思考回路がひょっこり顔を出すとは思っていなかったのだ。

テレビにうつる恋人たちや、SNSに溢れているカップルや、流行を追い、自分を取り繕うだけの人々に、常に嫌悪感を抱いている自分を都合よくそのときだけ忘れて、彼女に告白してしまった。

気持ちが抑えられなかったのだ。


俺の不幸は幸福なのに、幸せを望む自分がいる。

愛する人を求める自分がいる。

温もりを求める自分がいる。



彼女になにかプレゼントをしようとしても、体がとまる。

彼女の喜ぶ顔を想像して、体がとまる。

俺はこれ以上幸福になるのか?

彼女にプレゼントするよりも、もっと切実に、食糧などを欲している人にプレゼントする方が良いのではないか?



ここで彼女と美味しい料理を食べて、俺は幸福になる。

それでいいのか?



自分が幸福になりかけるたび、頭をよぎるのは、発展途上国で実際に見た惨状。

同じ世界で、こんなことが起こっているなんてと、驚愕し絶句した。

今でもあの光景は目に焼き付いて離れない。



どうしてこんなにも不公平なのか。

いや、不公平とか公平とかいう概念がまずおかしいと思うのだが。

不公平も公平も、この世の中にあるわけがない。

みんな、同じように幸せだったら逆に気持ちが悪い。

不公平だとか公平とかいう言葉は、この世の中から浮いているようにしか俺には思えない。



まあ、それはいい。


人の幸福を食べて自分が幸福になるような、そんな気もしてきてしまうのだ。

だから、俺の不幸は、俺の幸福。

俺の幸福は、俺の不幸。




しかし、ひとたびあの、決して美人とは言えないけれど俺のなかでは1番の彼女の笑顔を思い出すと、熱烈に彼女を欲する自分がいる。

だめだ、お前は不幸になるのだ、俺は不幸になるのだ。

それに、俺といたら彼女までも不幸になるだろ?

よせ、自分。



幸福な人を見ていると、嫌悪感しか抱けない。

幸福への嫉妬ではない。

断じて違う。

ただ、ただ。

自分の幸福だけを追い求めている人が、非常に嫌なのだ。

ひどく幸福が足りていない人を見ようとせず、さらに悪いと目をそらし、幸福をその人のために作り出そうとしないことが。



俺は、今はそれができないが、学生の頃はよくボランティアで途上国へ行っていた。

しかし、全く足りてないだろう。



もちろん、誰しも、日々、誰かしらに幸福は与えていると思う。

しかし、もっともっと、切実に、幸福以前のもの―日本では、当たり前とされるようなもの―を求めている人がいるではないか。


とは言え、自分の人生は自分で決めるものだ。

まわりがとやかく言うことではない。


だから俺は、嫌悪感を感じるだけだ。

なにも、言わない。

ひとりで、この考えをずっと、腹のなかで温めたままだ。

彼女にさえ言ったことがない。




俺の不幸は、幸福。

俺の幸福は、不幸。




頭のなかで何度そう唱えても、ちらちらと俺の中に現れるのは、彼女。

彼女には幸せになってほしい。

そう思う時点で、俺は実に利己的な男だ。


目を閉じれば、闇。

黒くて、どこまでも黒い。


俺は人知れず、ふう、と息をついた。

そのかすかな音は、誰にも聞かれることなく虚空に消えた。


"君も、幸せになってもいいんだよ。"

誰かにそう言ってもらいたいと願う自分が、またひとつ嫌になった。



―ブー、ブー、ブー―


突如、テーブルに無造作に置かれたスマートフォンが振動した。

機械的にそれを手に取り、ロックを解除した。

発信者は、彼女だった。いや、元彼女と言った方が良いか。

突然のことに高鳴る鼓動。

不思議に思いながらも、おそるおそる応答ボタンを押すと懐かしい声が聞こえた。

つとめて冷静に、声が震えないように喉をふりしぼった。




―もしもし―

―もしもし? あの、ごめんね、急に―

―いや、かまわないけど。何?―

―い、今、どうしてる? 仕事、慣れてきた?―

―まあ、普通。2年目だからね。―

―そっか。結婚とかって、してるの?―

―してない。―

―……―

―……―

―あのさ、―

―うん―

―今でもわたし、その、君のこと好きなの―

―……―

―だから、もういっかい、わたしと―

―いいのかな?―

―……え?―

―俺。不安なんだよ。こんなに幸せでいいのかって。―

―……どういうこと?―

―付き合ってたときも、幸せになるのが怖かった。嫌だった。だから、付き合ってたときぶっきらぼうに接した。ごめん。―

―なんで君は幸せが嫌なの?―

―……―

―言いたくないならいいけど。話なら聞くよ?―

―ただ、俺なんかよりよっぽど苦しんでいる人は溢れてるのに、俺なんかがもっと幸せになってもいいのかなって。

俺の幸福は、不幸なんだよ。

幸福に、なりたくない。それなのに、幸福を求める自分が嫌。―

―……君は、優しいんだね。―

―え?―

―何て言えばいいかよくわからないけど。

いっぱいいっぱい幸せを知って、それを苦しんでいる人に分ければいいんじゃないかな。

幸せを知らないと、人を幸せにすることは、難しいんじゃない?

だから、幸せになるべきなんじゃないかなあ。―

―……―

―ふたりなら、ひとりよりもいっぱいいっぱい幸せ作れるんじゃないかな。

って、ごめん。君と付き合いたいからこう言ってるんじゃなくて、純粋にそう思ってるよ。―

―……大学のときみたいに、俺はまた、途上国を飛び回りたい。―

―うん。いいと思うよ。―

―それで、少しでも幸せをわける。俺に、それができると思う?―

―うん。絶対できる。だって、君といて私は幸せだったもの。―

―ほんとう?―

―うん。本当だよ。―

―そうか。ありがとう。―

―うん。ねえ、いつか、君の幸福が幸福になるといいね。―

―……俺の幸福が幸福、か。―

―うん。

……じゃ、じゃあ、はやいけど、そろそろ寝なきゃいけないから切るね。突然電話しちゃってごめん。―

―そうか。おやすみ。―

―おやすみ。―



ツー、ツー、ツー。


電話が切れて、機械音が残る。

俺の心を、幸福感が支配していた。

こんな幸せなことって、あるのか。

風のように一瞬にして終わってしまった彼女との電話。

"幸せを知らないと、人を幸せにすることは、難しいんじゃないかな"

その言葉が、俺の心を支配していた。



彼女からまた連絡してくることは、もうないだろう。

俺から連絡することは……。




俺の幸福は、不幸。

いつか、俺の幸福が、幸福になりますように。

そしてそれが、だれかの幸福にもなりますように。


ぬくぬくとした暖房の暖かさが、不思議と嫌ではなかった。


今度はお湯ではなくて、ココアでも飲むか。

そう思って立ち上がった俺には、新たななにかがほんの少しだけ芽生え始めていた。



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