#10 それぞれの戦争

「……作戦は以上のとおりです」


 15分ほどの説明の後、総合参謀長アールシュは少しだけ唇をなめた。気づけば、画面には首脳だけでなく、各国の軍事部門のトップが映っていた。


 彼の口に広がっていたタール砂漠は、一刻も早く潤いを求めていた。話している間はそのようなことはなかったのだが、話し終わったと同時にそのような状態になったのだ。今までにないほどの緊張から一時的ながらも解放されたがために。


 アールシュは初めて参謀の職についてから20年以上にわたって、インドやS.A.T.Oの軍事活動を裏から支えてきた。幾度となく幾百の命を預かる責任や緊張を味わってきたが、今回のそれはそれらの比ではなかった。今回話した内容が以前から決まっていたことであるにもかかわらず、だ。自分が立案した作戦が(もちろん全てが反映されていたわけではないが)軍人だけでも1000万を越す数の人生を左右する。そして彼らにも家族がいる。航空機こそ無人兵器が多くなってきたとはいえ、陸軍はさほど多くの無人機はない。何百何千万の歩兵を死地に追いやる。勝てば官軍、負ければ賊軍とはよく言えたものだ。戦争の正当化にすぎない。この作戦が成功すれば少なくとも最小の犠牲ですむし、失敗することがあればS.A.T.O陣営に多くの死者が生まれる。どちらにせよ多くの犠牲がアジア圏で生まれるのだ。自分にはただこの戦争が少しでも早く、少しでも犠牲が少なくなるように作戦を立案することしかできない。


 しかし、そんなことを考え続けても自己嫌悪がひどくなるだけというのは分かっている。どうせ自分は合法的な大量殺人の計画を立てた大悪人で、英雄にはなれない。英雄というのは計画した人物にではなく、実行し成功をおさめた者に贈られるべき称号だ。自分はただ勲章を授与されるだけだ。彼らもまた、人殺しなのだが。まあ、大悪人ならそれらしく立ち振る舞うのが良い。


「ありがとう、アールシュ。君は下がっていてくれ。ここからはまた政治の戦争だ」


 この戦争を画策したカービアが薄く焼けた肌に似合う白い歯をのぞかせた笑顔で言った。アールシュは緊張で干からびたような顔のまま一礼し無言のまま退室した。


「水をくれないか」


 外に待機していた副官クリシュナに彼はやや見上げながらそう言った。軍の上位にいる総合参謀長であっても10センチの身長差には敵わない。


 クリシュナが彼の襟元を見ながら水入りのペットボトルを差し出すとアールシュは「ありがとう」と言って彼の視線を気にせずそれを受け取り水を飲んだ。無機的かつ人工的に濾過されさらついた水が、有機的で粘ついた砂漠とかした口の中に広がっていった。口を通り越した水がしっかりと体内へ落ちていくのを感じた。飲み終えると、水が半分ほどにまで減っていた。


「先ほどはいかがでしたか」


「その質問は飽きることが無いようだな。今回はただプレゼンテーションをしただけだ。政治のために人が死ぬような地獄の中で少しでも死人を減らすためのな。それの感想を求めるというのならそれは愚問だ」


 彼らは歩き出した。自らの思想に酔い飲まれ、息を吐くように人の命を軽視するような輩が巣食う、戦場よりも血生臭いであろうその部屋から遠ざかるかのようにやや早足で。参謀長室にクリシュナとともに戻ったアールシュは、椅子に座り一息ついた。いつからだろうか、襟が曲がっていることに気づき、それを正しながら呟いた。


「あの男は、笑っていた」


 身だしなみを整え終わった彼は扉の近くに控えるクリシュナに問いかけた。


「なあ、私は今、笑っているか?」


 クリシュナは椅子に座る上官の目を見据え、後ろに手を組んだままゆっくりと口を開いた。


「……カシミールに展開する北方および西部コマンドとの最終調整があります。その後には、南部および南西部コマンドとの対パキスタン防衛に関する調整、東部コマンドとミャンマー・バングラデシュ連合軍との対中国防衛に関する調整。……と日本、AUアフリカ連合からの後方支援の受理などやることは腐るほどあります。お言葉を返すようですが先ほどの言葉は愚問です。あなたは人命が関わることに関して、特に軍事に関してですが、笑みをこぼしながら先ほどいったような激務をこなすような器用な人ではありません。何かに取り憑かれたかと思うくらい真剣に他者しか考えない不器用な人だと私は思っております。……ですから、あなたは今笑っているわけありません。あなたが笑っているのは家族と会うときと作戦行動が終わったとき、そして生きて帰ってきた兵士を見たとき、それ以外少なくとも私は見たことがありません。今はそのどれでもなく、仕事を多く抱える身です。不恰好にも思えるくらい真面目な顔をしておられます」


 少しの間ののちに、アールシュはふっと笑った。


「……全くお互い不器用な男だな。あと、後半支援の受理は私の仕事じゃないぞ、さりげなく私にやらせようとしたな」


 やっぱりバレましたね、とクリシュナがいたずらっぽい笑みを浮かべて答えた。


 こんなどこか遠回しな性格じゃなければなおさら女性人気があるだろうな、と彼の笑い顔わ見てアールシュは思った。


「不恰好か、私にはそれが似合っているな、うむ」そう呟き、彼は立ち上がった。その顔は年相応の乾燥こそあったが、潤いを取り戻していた。


「私の戦争の信念は戦闘での犠牲者をいかに少なくするかだ。君の中の戦争の信念とは?」


「不器用な上官を支え、少しでも最良の選択をしてもらい、いかに自分も生き残るかです」


「では行くとしようかね。我々の戦争はこれから始まる」


 彼らは部屋を後にした。


 ……個々の信念は合わさって巨大なうねりとなり、対立するものとぶつかり争う。個々の信念が衝突し、闘争となり、国を動かし戦争となる。一方は自由を、一方は束縛を。その中で再び争いは個々に戻り、生と死をかけた争いとなる。


8月27日、インドは中国に対し宣戦布告した。日付が変わってすぐ、夜も深い28日午前1時に、カシミール地方東部ラダックにおいてインド軍は駐屯する中国人民解放軍に対して攻撃を開始した。


 この戦争の始まりは諸説あるが、ここに、後に『勝者なき戦争』とも呼ばれることとなる第三次世界大戦の火蓋が切って落とされた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る