第6話 駆け出しの仕事・後編



 二人はゴブリンの内臓や脳味噌をぶちまける仕事の合間に食べる昼食として不適切だった美味しい肉料理の弁当を平らげた。

 十分に休憩を済ませ、メルは捕らえたゴブリンを離れた場所に放置した。その際、彼女はゴブリンに掛かった睡眠魔法を解除しておく。

 暫く待っていると、ゴブリンは起き上がって大きな欠伸をする。そして周囲を見渡し、なぜ自分が眠っていたのか、それすら分からず仲間を呼んでいた。しかし、一向に仲間が見当たらないのに気付き、何事も無かったかのように森へ入って行った。


「じゃあ、あのゴブリンを尾行しましょう。あれが巣まで私達を導いてくれる」


「えっ、仲間が殺されたのに、警戒すらせずに巣に帰っちゃうんですか?」


「それだけの知能が無いのよ」


 正確には仲間が殺されて警戒はしても、なぜ自分一人だけ見逃されて、その上で尾行されていると気付く発想と想像力が著しく欠けているのがゴブリンだそうだ。

 その証拠に森に入ってから二人が尾行していても、見逃したゴブリンは後ろを振り返りもせず、一目散に自分の巣へと向かっていた。

 ほどなく洞穴が視界に入る。入口にはゴブリン二体が歩哨として立っていた。見逃されたゴブリンは彼等に何か訴えている。ここが巣で間違いないらしい。

 メルは三体のゴブリンから少し離れた場所の木に石を投げて、わざと音を出す。その反対側からレーベは切り込んだ。音に気を取られていた憐れなゴブリンは反撃する間もなく瞬く間にレーベに斬り殺された。


「さあ、これからが本番。連中の家の中は暗くて入り組んでいるから常に警戒が必要よ」


 レーベを先頭に、最後尾を竜牙兵が固め、二人は敵の本拠地へと入った。

 当然、洞穴は暗くて悪臭が酷い。ゴブリンがそこかしこで排泄するので、内部はとにかく臭いのだ。そして連中は夜目が利くので光源が要らない。普通は松明を用意するが、代わりとしてメルが魔法を使って光源を作り出してくれた。それがこちらに優位に働く。暗い場所に居続けると強い光に溺れて目が眩む。ゴブリン達がまさにそれだ。おかげでレーベは難なくそこら中に居るゴブリンを倒せた。

 ゴブリンは殆どが雌か子供ばかりだ。中には子供を庇って背を向けた母親のゴブリンもいる。その姿にレーベは躊躇ったが、後ろのメルから叱咤が飛ぶ。


「戦いの場で躊躇っては駄目ッ!こいつらは時として人を襲って食料にするのよ。駆除する害獣でしかないわ。そんな生き物に情けを掛けて見逃した後、人を襲ったら貴方は後悔するわ!」


「!くっそ!」


 師の言葉に従い、子を抱いた母ゴブリンを後ろから刺殺した。貫いたミスリル銀の剣先は勢いを殺さず、子ゴブリンも貫き、母子は同時に絶命した。

 レーベは嘔吐したい気持ちで一杯だった。瞳には涙も浮かべて、視界がぼやけている。だが、それでも彼は感情に流されず、ひたすら無心を貫いて碌に抵抗出来ないゴブリンを殺し尽した。


 隅々まで洞穴を探索して、残っているゴブリンを鏖殺したレーベと共にメルは洞穴から出てきた。

 メルはいつも通りだったがレーベの方はそうはいかない。彼は虚ろな目をして木にもたれかかる。そしてどす黒い血に塗れた手をじっと見つける。手だけではない、彼の身体は余すところなくゴブリンの返り血で黒く変色していた。自慢のオリハルコンの鎧も、ミスリルの剣も、全てが血に染まった。

 よくよく考えれば、昨日もオークの血で剣を染めたのだ。同じ事をしているに過ぎないと思い込んでも、どうしても子供のゴブリンを殺した時の断末魔と絶望に染まる顔が頭から離れない。余裕を持って殺すのと、無我夢中で殺すのはこうも違うのか。

 欝々とした気が収まらないレーベだったが、不意に頭に大量の水が降って来て、血を全て洗い流してしまった。


「感傷に浸るのは止めないけど、血を洗い流さないと汚れが取れないわよ。それに臭いが酷くなるのよね」


 水を掛けた犯人はメルだった。彼女は布を取り出して濡れたレーベの頭を優しく拭いた。そして落ち着いたレーベに小瓶を差し出し、飲むように促す。

 言われるままに小瓶を飲み干したレーベは頭がすっきりして、身体の奥からじんわりと熱が込み上げてくるのを感じた。


「私が調合した栄養剤よ。ついでにリラックス効果も追加しておいたから、少しは気分が落ち着いたでしょ?」


「――――はい。お世話を掛けました」


「教え子の世話を焼くのが師の務めよ。そんな小さな事なんて気にしてないわ。―――で、冒険者続ける?」


 レーベは無言で頷いた。メルにはそれで十分だった。



 濡れた服を乾かした後、二人はマイスの街に戻り、冒険者ギルドに報告した。

 受付嬢が二人の認識証の討伐数を確認した。


「第十級レーベさん、第二級メルさんのゴブリン討伐数は六十五体です。ゴブリン一体につき銅貨三枚ですから、合計で銅貨百九十五枚。それと依頼達成の成功報酬銀貨五枚を合わせて、銀貨二十四枚と銅貨五枚が支払われます。次回も依頼達成するよう一層の努力をお願いします」


 支払われた報酬を受け取ったレーベ。昨日のオーク討伐より報酬は多いが、割に合うかは微妙な金額だ。冒険者でなくとも街の日雇い労働者なら、一日働けば銀貨五枚の報酬を貰える。今日の報酬を二人で分けても倍以上の稼ぎだが、命懸けの報酬と考えれば割に合わないような気がする。これがゴブリンの人気の無さの要因だ。臭くて危険な仕事の割に安い討伐報酬、装備の乏しい駆け出しぐらいしかやりたがらないのは当然と言える。

 実際、レーベぐらい装備が整っていて、そこそこ腕が立てばオークを討伐する方がずっと稼ぎが良い。流石に十体以上の群れにソロで突撃するような馬鹿は居ないが、魔導師を含めて三~四人のパーティなら余裕で倒せて金を稼げた。


 金の話はともかく、今日の依頼は既に無い。同じように依頼をこなした冒険者達とすれ違いながら二人はギルドを後にした。


「ところで、坊やはその報酬を何に使うつもり?」


 帰り道、ふとメルはレーベに問いかける。

 金の使い道は色々ある。衣食住に使うのが最たる例だが、それ以外にも娯楽や気晴らしに使ったり、今後の仕事の為に良い道具を揃えようと貯蓄に回す事もある。

 ただ、レーベは今の所金が必要な状況にはない。宿屋に泊まっていれば毎日金を払うが、今は弟子としてメルの屋敷に居候しているので、食と住には金は要らない。精液の提供との引き換えとも言える。

 その上、装備は上品を家から持ち出したので、暫く買い替える予定はない。メンテナンス用にある程度貯蓄は必要だが、買うよりはかなり安い。

 酒も飲む事は無く、それこそ屋敷であの愉悦メイドに頼めば何かしら出してくれるだろう。趣味なども取り立てて無いわけで、娯楽用の本ならやはり屋敷にそこそこ揃っている。よくよく考えると金を使う機会が無いのだ。

 何も思いつかないと素直に告げるも、メルは特に気にせず『無駄遣いしないならそれで構わない』とだけ呟いた。そしてレーベが師に同じ事を尋ねた。


「小麦とか肉なんかの食料を手に入れるぐらいね。昔は機材を揃えたりするのに何かと使ったけど、一旦揃えてしまえば後は時間と腕さえあれば幾らでも薬でも道具でも作って金を稼げる。それが生産職の良い所。と言うより大抵の物は自前で作れるから、人にお金を払ってやってもらう事なんて殆ど無いのよ」


 確かにあの屋敷には何でも揃っているので、余所から何かを調達する機会は少ないかもしれない。それに薬の調合材料も大半は自分で採集している。彼女はほぼ一人で完結した生活を送っていた。レーベはそれを少し寂しいと思った。



 屋敷への帰路、空の上でレーベは気を紛らわすために師匠と話をしていた。話題は今日のゴブリン退治。今回はレーベの修行という事でメルは殆ど手を出さなかったが、彼女なら一体どうやってゴブリンを討伐するのか尋ねた。


「餌を使ってゴブリンをおびき寄せてから倒すのは一緒よ。巣の方は大体二通りかしら。入口から魔法で水を大量に流し込んで巣ごと水没させるか、毒煙を巣の中に充満させて皆殺し。いちいち中に入って殺すなんて時間の浪費ね」


 彼女にとって討伐報酬など興味が無いのだから、ギルドの認識証にカウントされない殺し方でも構わないのだそうだ。これが貴重な素材になるモンスターならもう少し丁寧に殺すらしいが、ゴブリンは素材として何の役にも立たないと愚痴っている。

 師はモンスターなど単なる素材としか価値を認めていない。あるいはレーベ自身も単なる精液供給源としてしか見ていないのでないのか。


『人とモンスターの区別がつかない価値観を有している』


 そんな異質な思考を師は持っているのではないのか。レーベは彼女が少し恐ろしくなった。


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