2枚目:美しきは情熱的な好奇心-2

 夜、旧居留地のレストランバイトは真砂と一緒のシフトだった。

 僕は大学に入ってからのバイト歴なのに対し、真砂は高校の頃からの古株だ。

 最近はほとんどシフトを入れておらず、どちらかというと急に休みが出たときのピンチヒッター枠として扱われている。

 今日は珍しく元々シフトが嵌まっていたところらしく、久しぶりにインが被った。

 どうも入れるバイトがたまたま少ない日だったために、真砂が引っ張り出されているようだった。

 朝のことを報告するのにちょうどいいと思い、休憩に入るタイミングで切り出す。

「えっ、あんたあのバイト採用されたん?」

「まだ仮らしいけど、一応ね」

「えええ、あの写真、どういうことやったん?」

「あーそれは言うなって言われた。ごめん」

 どうもとっておきの問題だったようで、また使う可能性があるから口外禁止とのことだ。

「あ、じゃあ二十万?」

「それはまだ。とりあえず三日間お試しってことになってるから」

「なるほどねえ……」

 真砂には求人情報を紹介してもらった手前報告しないわけにもいかないというのはそうなのだが、しかも実はもうひとつ、重大な話があった。

 どちらかというとのっぴきならない方の話を切り出す。

「……そういうわけなんで、明日から三日分のシフト、代わってもらえませんか」

 三日間お試しの内容は、なかなかのものだった。

 明日から三日、毎朝七時に指定された場所へ来いと言われたのだ。

 そこから彼女の仕事に同行することになるので、今のバイトはちょっと出れそうにない。

 しかしながらお試しの三日に対して支払われるのは日給二万円。もし実働が八時間を超えるようなら更に上乗せしてくれるらしい。しかも日払い。

 とりあえず明日を乗りきるだけでボーナス上納金を半分以上まかなえる。

 動きやすい服装で、なるべく荷物は少なくして来るようにとは言われたが、特にドレスコード的な注意は受けていないので、そう肩肘張る必要もなさそうだし。

 正直、今のバイトを放り出すようなことはしたくないと思った。

 けど、背に腹は代えられないし、どうかんがえてもあのバイトは魅力的。

 塾講の方は次のシフトが明後日だし代打もいつもすぐ見つかる。

 こっちの代打はなかなか捕まらないのだ。だから真砂みたいなピンチヒッター要員が籍を置いているんだけども。

「ええよ、その代わりまた話聞かせてな」

 持つべきものは親切屋な幼なじみだ。

 

 初日の集合場所として指定されたのはなぜか市役所だった。

 バイト終わりにスマホを見たらLINEが入っていたのでその場で分かりましたと返してしまって、それからよく読み直して困ったことに気づく。

 神戸市役所の、しかも二号館の正面玄関だという。

 ちょっとどこのことか分からなくて姉に聞いたら、若干面倒くさそうに教えてくれた。

「三宮駅からフラワーロード歩いていったら一号館あるやろ。あのでかいやつ。あれの手前の背の低いのが二号館」

「花時計のとこ?」

「そうそう。さんちかからでも繋がっとうよ。海岸線の改札横ずっと海側進んでいって、途中のエレベーター使ったらええわ」

 さすがに自分の勤務先、詳しい。

 姉は父の背中を追って神戸市役所に入った。

 最初は区役所に配属されたけど、次の異動で本庁に移り、そこから二つ異動して係長昇任。技術職だった父とは違い、事務職の姉は父と同じような仕事はしていない。

 神戸のまちを格好良くするんやと嬉しそうにしていた父のことも、神戸のみんなに愛されるまちにするんやと気合いを入れる姉のことも、どっちも僕は好きだ。

 そういう情熱的なのはとても美しいと思う。

「エレベーターって、朝七時でも使えるん?」

「あー、七時ならいけるんちゃうかな……。ごめん、ちょっと確信ない」

「大丈夫、ありがとう」

「にしても、そんな朝早くにどうするん?」

「あー……」

 そりゃそうだよなという質問をされて、一瞬迷う。

 このマニアックな求人に応募したことを言っていいものか。

 しかしその迷いが既にミスだった。この姉の前では逡巡さえも穴になる。

「なんや、言うてみ。世帯主様に言うてみ」

「言います、言います」

 かいつまんで話すと、結構怒られた。

「あんた、お母さんに無断でバイト先変えるんはあかんやろ」

 あー、そうか、それはそうだ、うん。

「……ごめん」

「まあでも確かにお金のことは今のバイトじゃ難しいの分かったし、条件合うなら新しいバイトもいいと思う。けど、その雑用バイト、怪しくないの?」

「だから三日間お試し。向こうもこっちを試すけど、こっちも向こうを試す」

 フェアな関係でいこう。

 そういう風に彼女は言った。僕も応じた。

「変な人じゃないんよね?」

「うん。アーティストやからかな、ちょっと独特やけど。まあ、真砂的な感じの」

「ああ、分かる。そういう感じね。ま、KIITOにオフィス借りれるならそれなりの事業してる人やし、大丈夫やろ。なんかあったらすぐ言うてよ。ほんで、実際にそっちのバイトするならお母さんにも説明して」

「うん、分かってる」

「よしよし」

 頭を雑に撫でるのは、姉が僕を心配しているときの癖だ。


 翌朝、七時ちょうどに彼女は神戸市役所二号館前に現れた。

 見事なまでのランニングスタイルで。

「おはよう」

 足下は結構に本格的なシューズ。

 僕も今日は割にスポーツタイプのを選んだつもりだったけど、それでもさすがにそこまでのじゃない。

「……もしかして、今から走る感じですか」

「そ。ていうかここまでも走ってきたけどね」

「はあ」

 左手は昨日と変わらず負傷したまま。タフかこの人。

「布引まで往復コース、チャリでもええよ」

 指差す先にはずらっと並んだ赤い自転車がある。

 コベリンだ。

 コンパクトタイプの電動アシスト付き自転車で、赤いカラーリングに在阪球団や携帯電話キャリアの広告がついており、神戸の市街地ではよく使われているシェアサイクルだ。

 僕も何度か使ったことがあるが、中央区内の主要な駅と観光地の付近には大体ポートがあるので、けっこう便利。

 ただ、これを今勧められるということはつまり、なめられているということだ。

 このためにここを待ち合わせ場所にしたのか。くそ。

 しかし、僕も伊達に鍛えてはいないのだ。

「布引往復程度、ついていけないと思ってはるんですか?」

「まあ、初日やしねえ」

「見くびらないでください。あんなとこ、ほとんど校区内ですよ」

 正確には隣の校区だがまあいいだろう、似たようなもんだ。

 神戸市役所の東側を通る南北道路は、フラワーロードと名付けられている。

 新神戸駅付近から最大駅である各線三宮を経て浜手へ下り、神戸税関および中突堤まで至るその道は、六甲山より南の神戸につきものの坂道で構成される。

 三宮から布引まで向かうには最短かつ王道のルートといって差し支えないだろう。

 いや、実際には一本西の道の方が楽しみは多いんだけど。

 神戸は坂のまちだ。

 海と山の距離がこんなに近い土地を選んだ以上、平坦なルートはほとんどない。

 東灘・灘・中央の東側三区は山手に六甲摩耶山系の雄大な自然を抱き、浜手は人工島。ここに住むということは、坂と付き合うということ。

 そこで育った僕にとって、傾斜のあるまちは日常だ。

 足の筋肉を伸ばし、少しずつ心拍を上げていく。

 幸い今日も過ごしやすい天気、まだ気温は上がりきらず、心地よい風も感じられる。

 片道三キロちょいだと思う。楽勝だ。

 行きは確かに苦しいかもしれない。神戸の坂は容赦なく山だし。

 でも帰りは絶対に爽快だ。

 神戸港は朝も美しく、神戸の風は優しい。

 それが最初から楽しみでたまらなくて、そのために登りも頑張れる。

「さあ、行きますか」

「準備はええの?」

「いつでもどうぞ」

 さて、なにが出るかな?


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