2枚目:美しきは情熱的な好奇心

2枚目:美しきは情熱的な好奇心-1

 神戸市電税関線、終着税関前停留所。

 かつてそこはそう呼ばれていた。

 今は港湾関係車両が多く通る、国道2号線と阪神高速3号神戸線の併走地帯になっている。

 三ノ宮駅からフラワーロードを南下して第三突堤へ向けて、高架の下、日本一短い国道、わずか187.1メートル、国道174号線イナヨンをするっと抜けた先。

 どことなく船の形を模したという神戸税関が見えてきた。

 神戸でも特に旧居留地とその近辺あたりは特に古い外観の建物が多く、神戸税関もその一つに数えられる。

 昔からある建物だからか、付近の交差点が二つも税関関係の表記になっている。

 一度見学してみたいと思っているが、なかなか叶わないままになったままだった。

 ついでなので今日こそ実現させようかと一瞬思ったものの、いやいや今は駄目だ。

 課題の最終回答を出さなければ。

 昨日の夜からわくわくして仕方ないのをなんとか抑えて、一般常識からして迷惑ではないだろう時間、朝九時を回るのを待ったのだ。

 さて。

 あの写真は、税関を横面から写すようなアングルだった。

 主の被写体は神戸市電だが、今回のお題はあの写真を撮った場所に行くこと。

 昨日探し当てた元ネタは少し高い位置から撮られたような写真に見えるが、はてどこから撮ったか。

 ひとまず税関の正面玄関に立ってみて、ぐるりと見回して。

 ピンときた。

 税関向かいに位置する生糸検査所……現、KIITO。

 デザイン・クリエイティブセンター神戸。

 ちゃっとスマホで検索して時系列を確かめる。

 税関線廃止が一九六六年、生糸検査所施工は新館でも一九三〇年代のこと。

 あり得る。

 KIITOに入るのも初めてだった。

 このあたり、少し遠く感じるものでなかなか来ないエリアなのだ。

 気になるものはたくさんあるし、面白いということは姉からもよく聞いているが、時間がなかなか取れなくて躊躇してしまう。

 そろりと足を踏み入れたエントランス。

 この時代の建物の特徴なのだろうか、中央に大きな階段があって、二階で左右に分かれて上っていく、ちょっとお洒落な、ドラマに出てくる洋館のような構造。

 古い建物独特の雰囲気を嗅ぎながら見つけた案内板は、ある箇所を二度見せざるをえなかった。

 工房NAGI。

 なんてこった、堂々と書いてあるぞ。

 いやしかし、ちょっと冷静に考えれば分かりそうなものだ。

 あの写真のことを何一つ紐とけなかったとしても、いつ来るともしれないバイト希望者を待ち構えるのに、自分の仕事場以外を指定しても面倒なだけだ。

 まあ、信頼できる第三者とか協力会社とかを指定するのもありかもしれないが、それはそれで、正解の場所を最後に絞り込むところを仕掛けにくいだろう。

 実際、僕もここに来てこの案内板でこの文字を見つけなかったら、しらみつぶしに見ていくしかなかったわけだし。

 ……そんなわけで僕は階段を上り、指定の部屋をノックした。


 なにをどう説明すればいいのか分からず、スマホの中にある課題と元ネタの載っている本を合わせて見せ、バイト希望ですと呟くので精一杯。

 二秒ほどの間の後、拍手が聞こえてきたので少しだけ緊張が解けた。

「素晴らしい、歓迎の感情しかない」

 正解の場所で俺を出迎えてくれたのは、小柄な女性だった。

 室内は撮影用の機材が組まれた一角と、その対角にモニターが複数配置されたパソコン、ちょっとしたミーティングテーブルがあって、全体的にシンプルな様子。

 その中にあって、フリルの多いミニワンピースを着こなしている女性は少しばかり浮いていて、しかし逆に馴染んでいるというか、とにかく。

 可愛かった。 

 その左手には包帯が巻かれており、どうしても目を引いた。指数本分が伸ばした状態で固定されているので、骨でも折ったのだろう。

 期間限定の雑用係が欲しいというのはこれが理由かもしれない。

「まあ、こちらへ来て座るといい。紅茶は飲めるかな?」

「はい」

「砂糖とミルクは?」

「どちらもいらないです」

「そう」

 本人とよく似て華奢なカップに注がれた紅茶はとてもいい香りがして、逆に空気に飲み込まれそうになる。

 取り落としそうで手を出せない僕の正面で優雅に一口飲んでみせた彼女は、ゆっくりと笑った。

「ようこそ、工房NAGIへ。代表の凪汐緯だ」

 なにも調べずに来た僕もどうかしているなとやっと気づいたが、この人があの問題の出題者だったらしい。

 まだ二十代だと思うけど、服装と体格のせいで同級生と言われても信じてしまいそうだ。

「新屋旭です、はじめまして」

「はじめまして。……その本は借りてきた?」

「ええと、父の本で、家にありました」

「そう。それは運がいい」

 芝居がかった口調は、その高く響く声に妙にマッチして、ものの少ない室内に染み渡るような気さえした。

 それで、ともう一口紅茶を含んで。

「学科と学年は? 環境デザイン? 映像かな?」

 ちょっとだけ戸惑って、すぐに理解した。 

 ああ、芸工大生だと思ってるのか。

 そもそも求人貼り紙からして芸工大にあったんだし、当然といえば当然である。

「国際関係学科一回生です」

「……うん?」

「僕、芸工大じゃなくて。外大なんですけど、いいですか」

 すると、なんてこったと言いたげな顔と仕草で僕を見た。

 ……あれ、まずかったかな。

 どうしようもない沈黙の後、彼女が急に口調を転じさせた。

「……あれ、芸工大生限定の求人やってんけど、なんでそれを外大のあんたが見つけたん?」

 丸っこい神戸弁。

 声はそう変わっていないはずなのに、急にちょっと低くなったように思う。

 別に怖い感じじゃなくて、人なつっこい感じの。

 ……だからといって安心できる感じでもないんだけど。

 やべえとは思いつつ、ここで気の利いた嘘を捻り出せるほど生き上手でもない。

 仕方なく、事実をありのままに話す。

「ええと。幼なじみが芸工大のファッション系のとこに行ってて、金に困ってる僕を見かねて問題を転送してくれました」

 ここで落ちるわけにはいかない。

 こんなおいしいバイト、他にはない。

 とりあえず苦し紛れでも何でもいいから前向きなアピールを全力でこなす。

「僕は使えますよ! 夜中でも呼び出されればすぐに駆けつけますし、暑いのも寒いのも平気です! 危ないところも嫌いじゃないし、山岳部出身で、体力には自信があります!」

 なにかそれっぽいジェスチャーでもと思い、右の上腕二頭筋をむきっとさせてみた。

 ああ、最近サボってるからいまいち。

「……そのくらい、結構おるよ」

 ぐうの音も出ない。

 しかしもう掘り下げるところはここしかない。

 Tシャツをめくり上げて、少し気合いを入れて。

「腹も、割れてます!」

 ややウケ。

 まあそんなもんよ。

 ややウケでも十分健闘したと言えるでしょう。

 あのね、腹筋はね、鍛えやすいんですよ、僕的に。

 だから二頭筋より出来がいいでしょう?

 なんて軽口を叩けるくらいの度胸があれば、腹出したまま帰りたい気持ちになんてなってないのだ。

 どうしたもんかと逆に達観し始めたあたりで、急に名前を呼ばれた。

「新屋旭、旭って呼んでもええ?」

「えっと、はい、あの」

 これは一体どういう意味だろうか。

 この先、名前を呼ぶ必要が生じるという意味だろうか。

 そんな問いかけは見透かされてしまったようで。

「ええよ、まずは三日間のお試しってことで」


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