夜に咲いたアサガオ

Different easy night

夜に咲いたアサガオ

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「あなたのことが好きでした。付き合ってくれませんか?」




紅葉の葉がひらひらと舞い散る秋のある日。日もすっかり落ちた校舎の端。


人通りのないこの場所で俺は人生で初めての告白を受けた。実際俺も相手のことが好きだったし、脈がないと諦めかけていただけに告白されて嬉しかった。


「喜んで。」

必死で言葉を絞り出した彼女に俺は笑いながら答えた。

~~~~~






「ごめんね、私話すのが苦手で・・・すぐにテンパっちゃって・・・。」


全力で告白の言葉をしぼりだしたあと、幾度もどもりながら俺に向かって投げられた彼女の言葉。ふと頭のなかに蘇ったその記憶に懐かしさを覚えながら俺は隣の彩奈あやなに話しかける。


「最初はお前も緊張しまくって全然話せなかったのに今は普通なんだな。」

「急にどうしたの?」

「いや、なんか告白されたときのこと思い出して。」

「ふふっ。懐かしいね。」

誰もいない公園のベンチに彼らは並んで座っていた。


人生初のクリスマスのデートのあと、彼女の、帰りたくないという言葉からふと気がつけば彼らの足はこの公園に向かっていた。



真っ暗な空に冬の乾燥した風が吹いた。


ベンチに置いた冷たくなった手に他人の、少し失われた暖かさが重なる。俺は重ねられたその手をそっと包み込む。数ヶ月前に付き合い始めて、幾度、肩を寄せ合ったかはわからない。こうしていれば寒さも感じなかった。人の温もりよりも心の暖かさによるところが大きいと、自覚はしていた。


「ねぇ、優音ゆうと、今何時?」


静寂を破り、彩奈が声をかける。

俺はつけていた腕時計のライトをつけて時間を見た。


「7時半。あんまり遅くなったらお母さん心配するんじゃない?」

「そうだね、そろそろ帰ろっかな。」

「送っていくよ。」

「ありがとう。」


立ち上がると、公園の入り口に向かって歩き出した。再び触れた手を俺は握った。彩奈の手は、ずっと外にいたからかやはりとても冷たかった。


「優音の手、温いね。」

「俺も十分冷たいけどな。」

「ううん、私のほうが冷たいから。」

彩奈の手がすがるように俺の手を握りしめた。今にも壊れてしまいそうな彼女の手を握り返す。











薄暮の学校で二人は教室に残っていた。

「優音、そろそろ帰ろ!」

「ちょっと待って。これだけ出してくる」

「えー、また提出期限遅れたのー?授業中寝てるからじゃん」

「寝てないよ。というか寝てても寝てなくても提出物云々は関係ないじゃん」

「はいはい、わかったから早く出してくるっ!」


彩奈に押され、俺は苦笑いを浮かべながら職員室に向かった。

クリスマスデートから1ヶ月ほどが経ち、付き合い始めよりは俺と彩奈の関係がぐっと縮まったように感じる。




提出物を先生に出し、少し小言を言われてから俺は職員室を出て彩奈のいる教室に向かっていた。


「あ、立川先輩」

階段を上がろうとしたとき、突然声をかけられ、俺は振り向いた。


職員室を出たところでこちらを見つめる男子生徒が一人。

「おー、三苫みとまじゃん。」

「お久しぶりです。」

彼は近寄ってくると俺の前で軽く頭をさげた。


「今、家帰るとこか?」

「はい、まあ、そうです。先輩もそうですか?」

「ああ。まぁ教室に人待たせてるんだけどな。」

「そうですか・・・。では、また会いましょう。」

「おう、三苫も気をつけて帰れよ。最近物騒だからな。じゃあな!」

「失礼します。」

俺が足を速めても最後の言葉は聞こえていた。


三苫は文化祭の準備で仲良くなった後輩だ。いつも律儀に返答してくれ、礼儀正しい。俺をいじってくる部活の後輩よりは断然いいやつだ。


三苫はあんなところで何やってたんだろう、と考えていると、いつのまにか教室に着いていた。


「彩奈、待たせたな。」

いつの間にか暗くなった廊下に落ちる光のもとの教室を開けると彩奈が不貞腐れたように机に腰掛けていた。


「もうっ、遅いよ、優音っ!早く帰ろーよ!」

「わかってるよ。」

俺は机の置いてあったカバンを持ちながらふと思ったことを彩奈にぶつける。


「なぁ、どうせ鍵、職員室に返すんだから彩奈も俺についてこればよかったのに。」

「あ、忘れてたー。じゃあ、一緒に行こっ!」

「また行くのかよ、二度手間じゃん」

「いーじゃんいーじゃん、このかわいい彩奈様と一緒に行けるんだから!」

「仕方ねぇな。」

教室にあるなにかを締め切るように扉を閉じて鍵をかける。静かな廊下にその鍵の音と二人分の足音だけが響いた。





「立川先輩いますか?」

朝、友達とだべっていると教室の入り口から呼ばれた。声の主は大体わかる。


「三苫かー。どうした?」

「あ、立川先輩!」

近づき、壁によりかかりながら話かける。


「今日の放課後って空いてます?」

「放課後?少しくらいなら空いてるけど。どした?文化祭とかか?」

「まあそんなところです。ただちょっとあまり公言したくない話なので、終礼終わったら1階の一番東まで来ていただけますか?」

「1階の一番東な、わかった。行くよ。」

「ありがとうございます。」

三苫はそのまま軽く頭を下げると帰っていった。


席に戻ろうとすると目の前に彩奈が立っていた。驚き、思わず発した言葉になぜか彩奈が頬を膨らませて怒ってしまったため、朝礼までの時間はすべて彩奈をなだめるのに費やすことになってしまった。


「で、あの後輩、なんて言ってたの?」

「いや、文化祭のことがあるから放課後に校舎の1階の一番東側に来てくれって。なんかあまり公言したくないからだって。」

「ふうーん、なんか怪しくない?」

「そうか?」

「うん、いくら公言したくないからって校舎の1階の一番東っていう人がほとんど通らないような場所に呼び出す?」

「まあ、あいつのことだから。」

俺はそのままその場を終わらせた。彩奈はイマイチ納得できてないようだったが俺は彼女の頭を撫でると笑ってみせた。





放課後、俺は言われたとおりの場所に行った。

彩奈が言ったとおり、ここはほとんど人も通らず、たまにこっそりトイレで禁止されているスマホをいじるやつが通るくらいだった。そのせいかまだ日も登っているというのに暗く、薄気味悪かった。


「立川先輩。」

後ろから突然声がかかり、俺は驚いた。後ろを振り返ると遠くの窓から差し込んだ光を背に、三苫が立っていた。


「急に呼び出してすいません。」

「いいよ、一応暇だし。」


  (彼女が待ってるけど・・・)


「ありがとうございます。」

「で、なんの話だ?」

「えっとですね、ちょっと引かれるかもしれないですけど。」

「そんなレベルの話か?」

「人によって、ですかね。」

「そうか。」



「先輩。」

三苫の口調が急に改まったものになる。しばらく二人の間に静寂が流れる。話してはいけないような空気を感じ、俺は黙っていた。下を向いていた彼が顔を上げ、じっとこちらを見つめた。


「あの、僕、先輩が好きです。」

数ヶ月前、同じ場所で言われた同じ言葉。だが、彼は戸惑った。


「え、冗談だよな・・・?」

「いえ、本気です。先輩と出会って会話をしたあの日からずっと、先輩の姿が心のどこかにいました。」

溢れんばかりの熱い思いを無理やり区切るようにして言葉を切って続ける。


「先輩に彼女がいるのは知ってます。別にあの人に取って代わろうとかそういうことは思ってないです。でも、もしいつか本命になれるときが来たら、その時はお願いします。」

「は、はぁ・・・。引かれるかもっていうのはこのことだったのか。」

「はい。先輩、男子に告白されたことあります?」

「いや、さすがにないけど。」

「ですよね。ええ。はい。お時間取らせてすみませんでした。」

「いや、いいんだけど・・。」

戸惑ったまま中途半端な返事をしているうちに彼は走り去っていってしまった。


俺は近くにあったトイレに入ると、冷たい水で顔を洗った。そのまま軽く深呼吸し、落ち着かせる。


彼には酷だが、もちろんのこと彼の告白を受けるつもりはない。彩奈がいるから。彼女もおそらくそこまで驚きはしないだろう。だが、誰かに聞かれていたことを俺は気にしていた。

いくら人が通らないとは言え、学校内である上にこっそりスマホをする者からすればいつも通る場所。誰かが聞いていたとしても不思議ではない。現にトイレにこもってる人間が聞いてないとも限らない。


(大丈夫だろうか・・・。)




その日、俺は彩奈とともに帰りながら今日の出来事を1から話した。少し驚かそうと告白されたことを先に伝えたため、彩奈の口調が一瞬きつくなったが、すぐに男子であることを伝えると、笑いだした。彼女曰く、男子が男子に告白されることなど珍しく、そして面白かったらしい。


「笑い事じゃないんだけどな。」

「でも面白いじゃん。優音くん男子にもモテるってことが。」

「これ誰かに聞かれていたらめんどくさいんだよな。いろいろと。」

「大丈夫じゃない?あそこほとんど人通らないし。」

「なんだけどあるじゃん。たまたま通ったら見つけちゃった、みたいなのが。」

「うーん、確かにそれはあるかもね・・・。でも優音と私が付き合ってることなんて同じ学年の中では結構知れ渡ってるし大丈夫じゃない?」

「根拠のない『大丈夫』、ありがとうございまーす。」

「どういたしましてー。」

俺のボケに彼女は親指を立てながらながら片目をつぶる。能天気な彼女を見ながら俺は胸の片隅にあるもやもやした不安のようなものが気になっていた。




そのもやもやが具現化することなく平和に過ぎていた日々。だが、そんな平和な日々をかき乱すかのように一つの知らせが入ってきた。


その夜もいつもと同じように彩奈と電話をしていた。その日の学校での笑い話や次のデートの予定などを話し終わり、そろそろ切るか、という時に彩奈はそういえば、と口を開いた。


「そういえば、今日の昼、校舎1階の一番端の方の女子トイレ使ったんだけど、隣の方から押し殺したような怒鳴り声が聞こえてきてね。で、隣ってことは男子トイレなのよ。」

「何て怒鳴ってたの?いじめかな?」

「それが・・・『!』だったのよ。で、この前優音から聞いてた三苫くんかな、と思ってずっと聞いてたんだけど、その男子から三苫っていう名前が全く出てこなかったから諦めたのよ。」

「やっぱりあの告白を誰か耳にした人がいたのかな。」


心の中に巣食っていたもやもやが、心臓を締め付けてくる。だが、あくまで三苫の話だと決まったわけではない。

今のところ彼の告白に関する噂が出回っているわけではないしまだ希望はあるだろう。そう心に言い聞かせたが、その日から俺の頭の中はそのことでいっぱいだった。

実際彼のことはそこまで悪くは思っていない分、余計に心配だった。





三苫の告白劇は俺の知らないところで少しずつ拡大を続けていた。


最初は気にならなかったが、校内ですれ違う人々の目線が少しずつ強くなってきたことで俺は何かの異変を感じた。だが、出来る限り周りとかかわらないようにしている俺にとって目線の変化などほんの小さなことであり、気にしていなかった。


それでも三苫の告白に関しても触れることは避け続けた。それどころかひとつ下のフロアに行くこともなく、校内で三苫の姿を見かけると見つかる前に逃げ出した。


その生活を続けて1週間が経った頃、校内で三苫の姿をめっきり見なくなった。彩奈から、三苫が体調不良で学校に来ていないことを知って俺はなぜか安堵した。


それに戸惑い、すぐに心の中で打ち消したものの心の隅にはやはりほっとしたような自分がいた。




後輩と廊下で会うことも喋ることもなくなったある日。

俺は数学の補習にかかってしまい、終わる頃には校歌が流れる完全下校時刻となっていた。彩奈は補習にかかった俺とは違い優秀で俺を待たずに先に帰ってしまっていた。


「はあー、今日も疲れたなー。」

誰もいない真っ暗な廊下でそんな言葉が口をついて出てしまう。


教室の前のロッカーに教科書をしまい、階段を降りて靴を履く。下足室にはちょうど部活が終わったのか運動部の喧騒がやかましく響いている。


俺は騒がしさを気にしないように下足室を出る。校門までの道を歩き、トイレの前においてあるゴミ箱の中に飲み終わったペットボトルを入れようとしてゴミ箱の中を見た。

すると、その中には誰かの上靴が雑多に入っていた。そこまで汚れておらず、どちらかと言えば新品に近い状態だった。名前を見ようと上靴を少しどけると下にも何か入ってるのが見えた。


「これは・・・服か。体操服だな。」

口をついて声に出てしまう。酷いことをするものだ。一体誰のものだろう。


ズボンよりも奥の方の上着を取り出す前に、生臭いゴミ箱の中の匂いが嫌で新鮮な空気を吸いたくて顔を上げ、ついでに伸びもする。


周りを見渡してみると、ゴミ箱の中に顔を突っ込んでる俺を見る人はおらず、思い思いの人と喋りながら素通りしていく。


もう一度深く息を吸い込んで口に溜め、ゴミ箱に顔を近づけて上着の胸の部分を目に近づけるように服を持ち上げた。


「さん・・・三苫・・・!!」

そこには思いがけない、でも冷静に考えると当たり前な名前が記されていた。


暗闇の中、ゴミ箱の中も闇に染まっていた。

気持ちを整理するためにそのゴミ箱から少し離れるが、ゴミ箱からは目を離さないようにする。



俺がそこから離れて数分後、ゴミ箱の前に一人の男子生徒が現れた。


いじめてる奴にしては一人で来るのはおかしい。

そう考えていると、不意にその男子の横顔が見えた。


三苫だった。


彼はゴミ箱の中にある私物を取り出す。体操服や上履きを見る彼の目はどこか虚ろで、吸い込まれてしまいそうになった。


まだ俺がここにいることはバレていない。頭の中でそう思った瞬間、俺は校門まで全速力で走っていた。その日のことはもう思い出すことはなかった。





三苫が学校に来なくなってから1ヶ月がすぎる頃には告白されたことも、学校に来ていないことも頭の中から抜け落ち、以前となんら代わりのない生活を送っていた。だが、昼休みに担任に呼び出されたその先ですべてを壊すような出来事が起きた。



「君が立川優音くんか。三苫凛空みとまりくの父親です、よろしく。」

「え、まあ、はい。よろしくお願いします?」

通された職員室内の面談室。そこには久しぶりに見る三苫と、彼の父親を名乗る男、そして疲れた顔をした担任ともう一人見覚えのある教師がいた。


「えっと・・・何の用でしょうか?」

「まあ座ってくれ。立ち話で済むほど軽い話ではないんだ。」

完全に場の空気は三苫の父親が握っていた。

なぜ自分が呼ばれたか一瞬わからなくなり、そして思い出す。だが、父親が乗り込んできていることに戸惑う。


「さて、立川くん、私の息子が学校でいじめられているらしいが、君がそれに一枚噛んでいるという話を聞いてね。どういうことか話を聞こうと思ってだな。」

「三苫、いじめられてるのか?」

初耳の話に俺はうつむいている後輩に確認を取る。彼は顔をあげずに小さく頷く。


「知りませんでした。僕が一枚噛んでいる、という話はどこで?」

凛空りくのクラスの担任の先生に許可を取って親しくしてたクラスメイト達に聞いたんだ。そしたら皆口を揃えて君の名前を出したよ。私の息子に何をしたのかね?」


先程よりも強くなった眼光に俺は真実を話していいものかと悩んだ。


部屋の外の喧騒が少し収まり、授業のチャイムが鳴る。どうやら授業よりもこの話のほうが優先らしい。


俺は真実を言うことを決意し、顔をあげて父親の顔を見つめた。


「俺が一枚噛んでいるという話はあながち間違いではありません。でもいじめに加担しているわけではありません。」

「どういうことだ?」

「いや、でも・・・、三苫、言っていいのか?」


父親から再び目線を外し、後輩に確認を取る。数秒後、彼は俺からも視線を外し下を向いたまま小さくあごを上下に動かした。肯定と取って俺は話しだす。


「先週、俺は校舎の端で彼に告白されました。俺には彼女がいるので無理だと返答したのですが。そのあとは知りません。」

そこで一旦話を切った。部屋の中の空気が少しずつ張っていく。大方原因は父親だろう。


「なので三苫がいじめられていたのも知りませんでした。」

「では凛空が学校に行っていなかったという話は知っていたのか?」

「それは知っていましたけど体調不良として聞いていました。」

「そうか。今日はこれで帰らせてもらう。ありがとう。」

一方的に話を終わらせて父親は三苫を連れて帰っていった。


後に残された俺と担任は気まずい空気の中しばらくそこを動かなかった。


結局その後の話などで5限目には出られずに終わった。彩奈には心配されたが例の後輩の父親が押しかけて来たといえば納得した。


父親が学校に乗り込んできてもなお、三苫が学校に来ることはなかった。学校にまで怒鳴り込んできたくらいだからおそらくいじめ自体はましになったのかもしれないが、未だに学校に来にくいのだろう。




ある日の夜、三苫家は混乱に包まれた。


父親は学校に乗り込んだ頃から酒に溺れて暴力をふるうようになり、母親はそんな息子を殴る父と殴られる息子を側で庇っていた。



とうとうその生活に終わりを迎えるのがその日だった。父親はいつものように会社から帰り家で酒を飲んで2階に上がった。

その日はたまたま母がおらず、三苫は一方的に暴力を受けた。今まで母親に守ってもらってた精神の崩壊が突如として訪れ、父親が部屋を出た後三苫は側に放り投げられていた白い紐で首を吊り自殺したのだった。



翌日の朝、息子を起こしに行った母親がその遺体を発見したそうだ。街中に鳴り響くパトカーのサイレンが住民とマスコミの好奇心を燃やした。


三苫が自殺したことは担任から聞かされた。新聞にも載っていた。父親も逮捕されたそうだ。



俺は他に何かすることができなかったのだろうか。本当に自分だけで精一杯だったのだろうか。




彼の足元に残されていた文章には、いじめられていた三苫の心のほぼ全てを占めていた言葉が書かれていた。



『自分が好きな人に好きと伝えたのにどうして僕の心は殺されないといけないんだ?男の人を好きになることがそんなにおかしいか?なんで?』



葬式に参列した知り合いに母親は泣きながら対応していた。母親の座る席の隣にはぽかりと空いた椅子が一つ置いてあった。その椅子が三苫家に訪れた悲劇のすべてを物語っていた。





指からこぼれ落ちていく儚い命を俺は救うことはできなかったのだろうか。

葬式には出なかった。彩奈は出たそうだが、俺は流石に無理だった。


自室の布団にくるまって部屋を暗くしてこもっていた。俺一人の存在で1人の人生を変えた。自分を殺してしまう方向に変えてしまった。心の中で、頭の中でぐるぐると回っていく。自問が続く。




ピンポーン、家のチャイムが鳴った。この家には今俺しかいなかったので仕方なく1階に降りてドアを開けた。


訪問客は葬式に行った帰りであろう彩奈だった。

「優音、入っていい?」

「うん、まあ、いいよ。」

リビングに彩奈を促し、俺は彩奈の前に座る。制服を着ている彩奈は真剣な顔で口を開いた。


「優音、今自分のこと責めてるでしょ。自分はもっと何かできなかったのかって思ってるでしょ。」

「え、うん。なんで?」

「わかるよー。でもね、優音は自分ができる精一杯のことをしたんだよ。」

「なんでそんなこと、お前にわかるんだよっ!」

思わず声を荒げた俺のことを彩奈は驚きもせずに続けた。


「側で見てきたからね。出来る限りのことをしてこの結果になったんだから優音は自分を責めなくていいんだよ。」

彩奈は俺の世界に遠慮なく入り、俺を助ける。


「疲れてるでしょ。ほら、膝枕。」

「悪い。ありがとう。」

床に正座した彩奈の膝の上に頭を置くと寝転がる。


見慣れた天井と彼女の顔を確認すると目を閉じる。頭を撫でられているうちに俺はいつの間にか寝ていた。




「おはよ。」

目を開けるなり英語の参考書のタイトルが飛び込んできた。

どうやら俺が寝ている間、彩奈はちゃっかり受験勉強をしていたらしい。スキマ時間を無駄にしないとは、中々やるな。


起き上がると、頭に少し痛みが走る。片手で耳の上を抑えながら目をこすって彩奈と目を合わせた。


「優音、うなされてたよ。」

「まじか。自覚全然ない。」

「ほんとは疲れてるんでしょ?なんでも聞くから言ってみて。」

そう言って微笑みながら彩奈は俺の頭をもう一度そっと撫でた。




それで今まで張っていたなにかが切れた気がした。




「もういいや」と心の中のどこかで言う声がした。我慢しなくていい、と。



俺は彩奈に抱きついた。彼女の肩に顔を埋めると、今まで溜め込んできた思いを吐き出していく。

彼女は、俺が泣きながら話している間中子供をあやすように俺の背中を撫で続けた。


「もう無理。なんでこうなったんだよって。なにか悪いことしたのかよ、俺。」

「優音はなにも悪いことはしてないよ。周りの人たちが理解がないだけ。だから優音は誰かを恨んだりしちゃだめ。もちろん自分を追い詰めるのもダメ。私の好きな優音はそんな人じゃないから。ね?」

先程から彩奈の口調が子供をあやすそれになっているのは薄々気がついてはいたが俺はそこには言及せずに彩奈に体を預けていた。




結局その日、俺は夕食時になり、家族が帰ってくるまで彩奈にもたれかかっていた。


「ごめん。ありがとう、スッキリしたよ。」

別れ際、俺の発した言葉に彼女は後ろ手でピースして帰っていった。


部屋に戻ってから改めて自分の心の整理をつける。

彩奈のお陰で立ち直り、癒やされた心は俺を追い詰めることもなく平穏になっていた。



そうだ。別に俺が悪いわけではない。彩奈の言うとおり、やれるだけのことをやって生きていた。

その結果俺に慕っていた後輩が死んでしまったのだ。

誰にも彼を止めることはできなかった。俺も彼を救えなかった。それでいいんだと思った。













「今日でお前が亡くなってから7年か」

珍しく雪が降る中、優音は彩奈とともに三苫の墓参りに来ていた。


雪の積もる墓石を掃除し、花を手向け、線香を供えた。優音が掃除している間、彩奈はずっと黙ったままだった。



7年前、俺は彼の死を受けてショックに陥り、自分を責め続けるという泥沼から抜け出せなくなっていた。彩奈の言葉で目が覚めた俺はあれから毎日をきちんと生きてきた。一日も無駄にせずに歩いてきた。



「よし、終わった。」

立ち上がった優音の隣に彩奈が並び、手を合わせる。あの遺書に書かれた、たった3文の言葉は優音の心に刻まれていく。



「また来るよ。元気でな。」

優音は足元においた桶や柄杓を持ち上げると、墓石に背を向けた。




雲の隙間から太陽が顔を出したらしく、彼らの指につけた真新しい指輪が小さく光った。

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