旅の終わり②

「……!」


 身体の芯をブチ抜かれたような衝撃が、クラウスを襲った。千々に乱れた思考が纏まらず、僅かに湿った唇は硬直して、クラウスはマトモに喋る事さえ出来なかった。


「別に応えてくれなくてもいい。好きな相手を選べば良いと思う。でも少なくとも、私は兄ちゃんを身限ったりは絶対にしない」


 何でそこまで、という疑問はあるにはあった。


 クラウスは別に何もしていない。相手は別に何でもない、路地裏で出会った拗ねた少女だったのだ。偶々クラウスは彼女の話を聞いて、自分なりの解釈を伝えただけだ。それをきっかけに交流が始まり、気付けばクラウスにとって大きな存在になったいたけれど、別にクラウスはカッコいい所を見せた事もなければ、頼れる存在だった訳でも無い。


 たった一言だけ。努力も苦労も無い、只の一言だけ。


 それでも、気付けば彼女は今、クラウスが考えてもいなかった存在になって、クラウスを圧倒していた。


「私は此処に居るよ」


 彼女が言葉を繰り返す。


 その決意に何か答えなくてはいけないような気がして、クラウスは震えて硬直していた唇を無理矢理開く。


 意外な事に、声は直ぐに出た。


「お――」


 声というか、嗚咽だったけれど。


「ぉおぁ――」


 感情が爆発して、思考を、身体を、制御出来ない。


 腕が勝手に動いて、目の前の彼女を掻き抱く。頭が勝手に動いて、彼女の胸に自らの額を押し付ける。


 彼女は逃げない。嫌がらない。代わりに吃驚するほど華奢で柔らかい両腕が、力強く抱き留めてくれるのをクラウスは感じた。


「よしよし」


 情けない。


 クラウスは男で、年上だ。彼女を守り、助けるような存在になりたいと常々思っていたのに、これでは何もかもが逆である。


 けれどは、クラウスがずっと探していた"自分の居場所"で。求めていた形ではなかったけれど、確かに"息が出来る"場所で。


 先が見えない長い長い旅路に絶望していたクラウスには、漸く手に入れたこの安堵を放り捨てる事は出来なかった。


「これからの事は、ちゃんと二人で考えよう? 何か商売をしたっていいし、他に別の道を考えたって良い。大丈夫。何とかなるよ」


「……」


 但しそれは、クラウスがずっと目指していた理想を完全に捨てるという事でもあるのだ。


 後悔は無い。クラウスは納得してそれを捨てるのだ。元々は誰かにとっての何者かになりたくて、冒険者になる事はその手段だった。


 でも、ずっとずっと、目指していたのだ。クラウスはクラウスなりに本気だったのだ。薄れ、消えかけていたその夢に今、止めを刺したのは、他ならぬクラウス自身である。


「……お疲れ様」


「!」


 何かを察したらしいマリオンが、そんな事を言った。


「ずっと、"カッコ良かった"よ」


「――ぅあぁぁあああああ……ッ!!」


 漸く居場所を見付けられた事に安堵して。


 それから、そっと息絶えた自らの夢を少しだけ想って。


 クラウスは暫く、声を上げて泣いた。























 泣いている者は、此処にも一人。


「そんな……」


 アネモネである。彼女は"巨像の間"の入口から身を乗り出して、クラウスとマリオンの様子を覗いていたのである。


「そんなのって、ないよ……!」


 会話の内容は分からずとも、雰囲気やクラウスの泣き声から、彼等が出した結論は伝わったのだろう。陰に身を置いて彼等の姿を切っているホムラでさえも、何となく分かるくらいなのだ。彼等の様子を直接目にしているアネモネには、もっとハッキリ伝わったのだろう。


 まるで自分が夢破れたみたいに、アネモネはぼろぼろと涙を溢していた。


「お前が泣く事無いだろう」


「だって……」


 諦めたら、それで終わりなのに。


 涙声で良く聞き取れなかったが、多分彼女はそんな事を言ったのだと思う。彼女もまた冒険者を目指す者で、同じ目標を持つクラウスには人並み以上に感情移入していたのかも知れない。


「確かにそれも真理だな」


 組んでいた腕を解き、片腕を伸ばして、直ぐ傍らに居るアネモネの頭に掌を置く。ホムラは通路の壁に背を預けていて、アネモネはその直ぐ脇、"巨像の間"から僅かに身を乗り出してクラウス達の様子を眺めている状況だ。リオルは大して興味無いのか、ホムラを挟んでアネモネの反対側で黙っている。何を考えているのかは、無表情の横顔からは判別付かなかった。


「だが、それくらいアイツも分かっていただろう。その上でどうするかはアイツの選択だ。俺達がどうこう言える問題じゃない」


「でも……ッ!」


 アネモネは、何か言い返そうとしたのだろう。けれどどうやら、感情の昂りが臨界を超える方が早かったらしい。泣き声が喉に詰まったように彼女は口を閉ざし、それきり黙り込んでしまった。


 そんな彼女の感情を宥めるべく、軽く叩くように頭を撫でてやりながら、ホムラは言葉を紡いだ。


「人生は大きなモノを失いながらも、小さな喜びを一歩一歩刻んでいく旅路だ。積み上げたモノがかつて目指していたモノに繋がったり、別の大きな何かになったり。案外棄てたもんじゃないのさ」


「……良く分かんないよ」


「む。そうか」


 自分の人生観を語ったつもりだったので、あっさり切り捨てられるとちょっと寂しい。が、それこそ押し付けるものではないと思うので、大人しく引き下がる。代わりに、彼女の頭をグリグリと撫でて宥める事に専念していると、やがて彼女はホムラに身を寄せて来て、着物に顔を埋めた。壁に掛けられた手拭いと同じような扱いだが、それで彼女の気が済むならそれで良いだろう。


 ふと視線を感じてそちらを見ると、いつの間にかリオルがホムラを見上げていた。


「積み上げれば、何時かは繋がりますか?」


「ん?」


「小さなモノでも、積み上げれば何時かは届きますか?」


 いつもの透明な視線とは、少しだけ違う。


 縋るような。或いは、祈るような。


 そんな、ほんの少しだけ、熱を帯びた視線だった。


「そいつ次第だろう」


 意外なモノを見た気分だった。それを表には出さないようにしつつ、ホムラは自分なりの答えを言葉に変換する。


 砂塵も集めれば、いずれを天を支えるような山となる。それは確かだ。但しそれには、無限にも等しい時間と、絶対に折れない根性が必要である。突風が吹いて砂塵を吹き飛ばしてしまうかも知れない。目が霞み、手足の自由が利かなくなって、断念してしまう者も多いだろう。或いはもっと単純に別のモノに夢中になってしまうかもしれないし、そもそも最初からそんなは持たないという者だって居なくはない。


 夢を叶える事は難しい。モノを斬る事なんて、目じゃない。


 だからこそ、夢を叶えた者は周囲に眩しく映るのかも知れない。


「時間と労力を惜しまないならな」


「……肯定」


 一言に総括すると、当たり障りの無い使い古されたフレーズになってしまった。様々な根拠と、意味が込められたホムラの答えを、リオルがどう受け取ったのかは分からない。 


 微かな熱を帯びた目が閉じられる。その目が再び開かれた時、彼女はいつものリオルに戻っていた。


言葉です。何処かの偉人の言葉ですか?」


「いや。多分俺の言葉だ」


「肯定。ホムラらしいと思います」


「何だ、それ」


 彼女もお世辞とか社交辞令とか言うのか。


 益々珍しいモノを見た気分になったが、リオルとしてはそれ以上は興味を維持できなかったらしい。それきりホムラから視線を逸らしてしまって、会話も終わってしまう。難しい。


「……」


 難しい、と言えば。


 どうやら、少し気が抜けてしまっているらしい。大きな戦いを終えた後、周囲に自分達以外の気配を感じられないと来れば、常に張っている気も多少は緩むと言うものだ。


 お陰で、思考がふわふわと軽い。風に煽られる雲のように、ちょっとしたきっかけで二転三転と形を変えていく。


 難しいと、言えば。


 魔物化したクラウスとの戦い。あれも難しかった。


「……」


 間違った事をしたとは思っていない。魔物化したクラウスの想いの発露と正面から打ち合ったのも、その勝負において手を抜かず、打ち負かした事も。自身に出来る最善であったと自負している。


 自負している、けれど。


「諦める、か」


 "遠いなぁ"。


 最後の一撃の瞬間、ホムラは確かにクラウスの声を聞いた。


 可能性を考えなかった訳じゃないし、彼が下した決断にとやかく口を挟む積もりは無いけれど。


 そうか。


 アイツ、諦めるのか。


「……勿体ねぇな」


 未だ聞こえてくるクラウスの嗚咽に、紛れ込ませるように。


 ホムラは、複雑な想いを一言に纏めて、呟いたのだった。


 


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

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