第42話 今際の刻

 階段を降りた先で、私は兵士達の叫び声を聞いた。そしてそれからすぐに近くの扉が開き、血まみれの兵士が逃げ込んできた。


「勇者様……逃げ……」


 彼はそう言った後に事切れてしまった。扉の奥に見えたのは寸断されたいくつもの死体だった。その中には革命軍のものも帝国軍のものもあった。


「うっ……」

「くそっ……誰がやりやがったんだ?メイジ―。お前はゾフィーを連れて街の外まで行ってくれ。」

「……そうですね。分かりました。」


 死体がある方向に進んでいくと、二階の奥で何者かが戦っている音が聞こえた。


「この扉の奥か。俺が先に行く。」

「分かりました。」


 勇者は部屋の扉を吹き飛ばした。そこにいたのはお兄ちゃんとエリーゼだった。エリーゼは体中が血塗れで既に倒れる寸前だった。


「嘘……なんで……」

「縛獄……伊邪那美命イザナミノミコト!!」


 お兄ちゃんは蜘蛛の糸を張り巡らせてオリヴィエの動きを封じた。


「しまったッ……!!亜燐ッ!!」


 お兄ちゃんは背中に裸で構えていた数メートル程の長刀である神刀・大和を天井を切り裂きながら構えて私に向かって突撃してきた。これは彼が父から譲り受けたもので、その前はかつての東国一の人斬りであった父が幕府より賜ったものだ。すかさず私はその刀をしのぎで受け止め、涙交じりに彼に叫んだ。


「お兄ちゃん私だよ!!目を覚ましてよ!!ねぇ!!」

「俺を拐かすつもりか。」


 刀をかわされたかと思えば、回し蹴りで私を窓から外に吹き飛ばした。地面に背中から叩きつけられ、口の中は鉄の味が埋め尽くす。立ち上がる事も出来ず私は完全に戦意を失って腕で目を押さえた。そんな私の傍にお兄ちゃんは飛び降りてきた。


「戦うなんて無理だよぉ……お兄ちゃぁん……!!」

「何を泣いている?まぁいい、首を落としてやる。」


 彼は刀を振り上げたが、中々刀を振り下ろそうとはしなかった。


「……逃げろ……!!」


 一瞬正気を取り戻した彼にそう言われてようやく自分を取り戻した私は、彼のそばから離れた。しかしその直後にお兄ちゃんは再び私に向けて鋭い斬りを繰り出す。


「やっぱり……戦わなきゃダメなの……?」


 私はなんとか攻撃をかわしていたが、このままではいずれ負けるのは明白だった。そもそもの力の差が違い過ぎるのだ。私の二本の剣での攻めは即座に崩されてしまい、逆に向こうが放つ剣を受け続けるだけの体力はない。爬行する蛇の尾のようにしなやかな剣技でどんどん私を追い詰めていく。


「その程度か?」


 刀で空気の刃を生み、私を斬りつける。それが私の体を痛めつけ、ますます戦意を失わせる。


「痛い……痛いよぉ……」


 私はひるんだ直後に繰り出された突きをかわそうとしたが左肩に受け、その瞬間に両方の刀を手放してしまった。彼はとどめを刺そうとしたが、その瞬間に銃声が鳴り響いた。彼は即座に体を翻してかわした為、銃弾は命中していないようだ。


「ハンナ……!!」

「アリンちゃん。遅くなってごめん。」

「邪魔をするな!!」


 お兄ちゃんはハンナに向けて突撃した。彼にこのまま距離を詰められたら、ハンナは確実に殺されてしまう。私は少し遅れて彼を止めようと追いかける。


「リン、君だって妹を殺したくないでしょ。頼むから目を覚ましてくれるかな。アレスト……」

「そんな小細工で……俺を止められると思うな!!」


 彼はハンナに斬りかかる。それを止めるべく私はお兄ちゃんとハンナの間に割って入った。


「やめてっ!!!」

「お前たちをまとめて……なぁッ……」


 私は彼の剣を受け止める為に刀を振ったつもりだった。しかし、彼は刀を体の軸からあからさまに外したのだ。まるで、わざと私の攻撃を受けるかのように。そして、私の振るった刀はお兄ちゃんの体を引き裂いた。私は彼の体を受け止める。血が私の服を染めていくのが分かった。


「あ……あああぁ……」

「亜燐……すまない。お前より先に死ぬなんて本当に……本当に不甲斐ない兄だよ。そして殺さなくて、最後に話せてよかった……ハンナ、お前が呪いを解いてくれたおかげだ。」

「そんな事言わないでくれ。アリンちゃんは君の為に生きてきたんだ。君も生きてなきゃダメなんだ!」

「そうだよ……ねえお兄ちゃん!!」

「……良い妹を持ったものだな、俺は……」

「嫌ぁ……!!そんな……待ってよぉ……!!」

「亜燐……残りの人生、悔いを……残すなよ……俺は……待ってる……から……」


 握っていた手に力が入らなくなり、私は彼の死を悟った。



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 リンを看取った後に、僕はアリンちゃんの背に抱き着きながら彼女に話しかけた。


「もう少し一緒にいたい?」

「……」

「そっか……そうだよね。」


 何も話さなかった彼女だが、ショックを受け入れるのに時間がかかるのだろう。僕は涙をこらえながら一人で彼女の傍に座る。しばらくして、建物から誰かが出てくる足音がした。僕は銃を向けてその方向を見る。


「誰だ!」

「俺だよハンナ、オリヴィエだ。まずは、来てくれてありがとう。」

「良かった。こっちはアリンちゃんがリンに止めを刺した後だよ。」

「……そうか。こっちは、エリーゼが倫にやられた……今処置を終えて運ばれてくるところだ。」


 その言葉の通り、エリーゼが担架に乗せられて運ばれてきた。体中から血が出ていて、意識は無い様子だった。


「それと、彼女が逃がしていたカインとローシャは無事だった。これで作戦は粗方完了と言っていい。」

「……この犠牲を、僕は許すつもりはありません。」

「許してくれなくて結構だ。」


 オリヴィエは数人の兵を連れて街の外へ出て行った。それからもしばらく僕は彼女の肩を撫でてやりながらそばに居続けた。するとそこに、ローシャ達がやってきた。


「……そろそろ、リンを連れて行ってあげよう。いつまでもそこに置いておくわけにもいかないだろう。」

「そうだねカイン……アリンちゃん、これからリンの体を運ばせてくれるかな?」

「ぁ……!!!!」


 彼女はリンの死体から離れようとしない。


「でもね、そこにいつまでも居るわけにはいかないでしょ?」

「だめ……!!いや……!!」


 反抗期の子どものように、アリンちゃんは遺体を運ぼうとするのを拒む。僕はそんな彼女を抱きしめてあげた。


「大丈夫、僕だってついてるから。」


 そう耳元で囁くと彼女は顔を赤らめて涙を流した。その間に、兵士達が腕にタグをつけてリンの遺体を運んで行く。泣き続けるアリンちゃんをなだめながら、僕達も街の外に出た。


 本陣の撤収を始める頃にはアリンちゃんは泣き止んではいたが、何も考えられないというような様子でしゃがみ込んでいた。そんな彼女の隣に、僕も座る事にした。


「はんな……」

「どうしたの?」

「はんな……」

「……えっ?」


 アリンちゃんは名前を呼びながら隣に座った僕の脚に手を置いて撫でるばかりで、何も話そうとはしなかった。少し前から限界が近かった彼女の心を、今日の事件が壊す引き金を引くには十分過ぎるだろう。だとすると今の彼女は完全に精神を病んでしまったのだろうか。


「……おにいちゃん……」


 突然、彼女は思い出したようにそう呟いて目から大粒の涙をこぼした。


「……ッアアアアアアァァァッ…アアアアアアアアッ!!!!!!」


 そして金切り声を上げて地面を叩き始めた。周りの兵士達の驚きと冷ややかな同情を帯びた顔が、僕の懸念を確信に変えた。


「……そっか。辛かったね。」


 僕はそう語り掛け、彼女の手を握って涙を流した。


 






 




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