第20話 Amazon版に関する重要なお知らせ

 土曜日の出勤を終え自宅に戻った辺りから、おっぱいが痛くなってきた。見た目が赤くなったり前日までより大きくなっている様子はなかったが、明らかにステロイド服用前までの症状が「ぶり返してきている」感触だった。痛み止めを飲み様子を見るが、段々と痛みが強くなってくる。その日は不安と痛みを抱えながら、睡眠導入剤を飲んで就寝した。翌朝、7時ぐらいに自然に目が覚めるが、ベッドの上で既におっぱいが痛かった。思わず右手で左のおっぱいのキワに爪を立てながら、リビングに駆け込み、朝の分の痛み止めとステロイドを服用する。

 激しい疼痛は、ステロイドと痛み止めが効いてくると多少は収まったが、完全には収まりきらず、脱力感やショックもあって、その日は一日ベッドに横になって過ごした。

 夜、夕食を食べてしばらくすると、一日収まりかけていた痛みがまた激しくぶり返してくる。痛み自体もしんどいが、なにより、それが何度も思いもしないタイミングでゾンビのように蘇ってくるという状況に、泣きそうだった。

 痛みが激しくなってきたのは前日の土曜日夜からである。ステロイドの処方が朝夜服用から朝一回に減ったのが、その土曜日の朝だった。そして今日は、朝、ステロイドを飲んでから半日は多少痛みが落ち着き、夜になると痛みがまた激しくなった。この状況から、素人考えでは、どう考えてもステロイドが減ったせいで病気が悪化した――というか、朝飲んだ分の効果が夜に切れているのでは、としか思えなかった。

 月曜日は病院に行こう、と思った。しかしここで、どの診療科に行くべきなのか、判断しかねた。

 おっぱいの病気なのだから、やはり外科の権威先生のところだろうか。しかし、この病気は初めて見るし治療法もわからないと言われている。私はとにかくステロイドを前の段階に戻して欲しいだけだし、ステロイドを今処方してくれている皮膚科に行くべきか。

 迷った末、皮膚科に行くことにした。


 胸を押さえて中待合室で順番を待っていると、予約外診療にも関わらず案外すぐに名前を呼ばれた。

「先生、なんか、ステロイドを減らした、土曜の夜ぐらいから胸がすごく痛くなってきて……」

「うーん、ちょっと見せてもらえますか」

 上着をまくると、先生は左のおっぱいをぎゅうぎゅう押す。とくに、最初にしこりが出来て、検査用の針を指し、その傷痕から膿が出て来た箇所の周辺が、固く、押すと痛みを感じた。

「うーん。膿が出て来たじゃないですか。その穴から感染した可能性もありますねえ」

「あー」

 確かに、あり得なくもない気がする。なんたって、穴が空いて、それが結構おっぱいの深部まで繋がっているのだから、危険な状況っぽくはあった。

「血液検査をしましょうか」

 まあまあ、いきなり「はいそうですか、やっぱりステロイド増やしましょう!」とはならないでしょうね。血液検査、重要ですよ。と思いながら、もう常連となった血液検査室へ向かう。朝一で来たから大混雑だった。順番を待っていると、携帯が鳴った。課長からだった。

 私は慌てて、電話に出ても良さそうな場所がないか見渡す。ちょっと離れたところに、電話ボックスがあった。公衆電話が置いてあるブースだが、そんなに使う人もいないだろうし、ちょっと入らせてもらおう。

 私はガラス製の扉を押し、密室の中に入ってから通話ボタンを押した。

 内容は、お前それ、急病で休んでるって言ってる部下のプライベートの電話にわざわざかけて今確認しなきゃいけないことなのか? という用事だった。イラッとしながら電話を切り、そろそろ検査の順番が来ているかもしれない、と思いながら急いで扉を開けようとしたが。

「んんっ?! 開かない?!?!」

 扉は、クローゼットとか、多目的トイレとかによくついている、「折れ戸」である。二枚の板が番で組み合わさって、押す(引く)と横にスライドするあれだ。だが、何故か押しても引いても、扉がびくともしない。え、なにこれ? やばい!

「何故だ! 何故だ! こっちか! 違うのか! 力の向きか!」

 独り言がめちゃくちゃ多い私は個室の中でブツブツ呟きながらひたすら折れ戸を押したり引いたりして格闘した。焦りと恐怖で汗が吹き出る。このままここで息絶えたら、第一発見者に「きゃー! 密室で、人がおっぱいを押さえて死んでる!」って 叫ばれてしまう! と、パニックで視界が狭くなっていた私は、どんどん、とガラスを叩く音で我に返った。

「出れなくなったのー?」

 三角巾を被った掃除のおばちゃんだった。

「コツがあんのよ、これ」

 おばちゃんが「よっ」と言いながら押すと、あっけなく扉は開いた。

「いやー、危なかったね、これよく出られなくなってる人いんのよね」

「た、助かりました……」

 親切なおばちゃんにより金田一少年的展開から免れた私は、流れ出た汗を拭き、水飲み場で喉を潤してから再び採血室へ向かった。

 ていうか、私よりも力のない患者やお年寄りなんていっぱいいるだろうし、あの扉修理してくれよ。


 採血から一時間程度経って、診察室から再び名前を呼ばれる。

 血液検査の結果を渡された。白血球とかCRP値とか、「炎症」の検査の結果が並んでいた。

 白血球は高い値だったが、ステロイドを飲んでいることに関係があるらしい。CRP値も正常値ではなかったが、最初に測定したときよりも低くはなっていた。

「細菌感染だとしたら、CRP値って、白血球より後から増加してくることがあるので、今の時点ではなんとも言えないですね……」

 今回の血液検査のメインは、細菌の培養検査だったらしく、それは一週間程度しないと結果が出ないとかで、この時点では、膿が出て来たことによる感染なのかどうかははっきりしなかった。

「とりあえず、一旦抗生物質を飲んでみますか」

 ええー、ステロイドじゃないのか……と思いつつ、処方箋をもらって診察室を後にした。

 処方された抗生物質は、前に、結節性紅斑の疑いの時に処方されたものとは別のもので、なんか違う作用機序だとかなんとかって薬剤師さんに説明されたが、イマイチ覚えていない。


 ところで、寝たきり期間中に始めたぷよぷよクエストは、順調に進んでいた。クエストを進めまくりながら、「バトル」なんてちょっとおっかない響きの物にも手を出し始めた。他のプレイヤーとぷよぷよで対戦し、勝ち数が増えるとリーグの上位へ上がれるのである。コツはすぐに掴んだ。相手の対戦デッキを良く見て、勝てそうな相手を選ぶのである。ぷよぷよの腕は全く上達していない。

 そんな風に、私の病苦や不安を紛らわすのに、ぷよぷよクエストはなくてはならない物になっていた。

 この日も、病院から家に帰って来て、微妙にまだ痛む胸を押さえながら、ベッドに横になり、kindleを立ち上げ、ぷよクエを立ち上げた。一日にだいたい三回畑に水をやってトレーニング用の野菜を育てたり、一日一回引ける無料ガチャを引いたりしないといけないのである。

 微妙に立ち上がりの遅いアプリ画面を辛抱良く見つめていると、右上のお知らせコーナーに「Amazon版に関する重要なお知らせ」という見出しがあった。

 Amazon版。Amazonブランドの電子書籍リーダーであるkindleでプレイしているこのアプリのことである。

 なんだろうと思ってタップすると、衝撃の内容が私を絶望の底にたたき落とした。


「長らくご愛顧いただいておりましたAmazon版「ぷよぷよクエスト!!」ですが、本年十一月を持ってサービスの提供を終了させていただくこととなりました」

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