11 きっと、また会えるから

 二つの世界をつなぐ扉――大きな池まで戻ってきた。


「こっちの世界からは、水面の上でジャンプすれば戻れるはずだよ」


「水面の上って、こっちは暖かいから溶けちゃってるよ?」


 猫は、ふふーんという顔で、池の水面に足を踏み入れた。


 そのまま水に濡れてしまうと思いきや、まるで凍っているかのように、池の水面の上をひょこひょこ歩いていた。


 わたしは驚きながら、こわごわとしながらも水面に足をおくと、同じように水面の上を歩くことができた。水面に映る景色は、鏡のように青空を映し出している。


「あとはジャンプするだけ」


「え、そんな簡単でいいの?」


「きみたちは、向こうの世界の住人だからね」


「ゴルビーは?」


「彼は小さいから、そのままいけると思う」


「えー」


 あ、けど、もとの世界に戻るってことは――


「白猫くん、きみは戻るの?」


「ううん。ぼくはそっちの住人じゃないから。今回は扉がつながったから探検たんけんしにきただけだし。あと、」


「ん?」


「ぼくには、ちゃんとした名前があるんだよ」


「え? そうなの?」


「そりゃあ、あるよ。ぼくの名前はね、ベック。ベック・ガーシュヴィッツ」


「ガーシュヴィッツ?」


「うん。むかしお世話になった靴屋くつやさんの苗字みょうじだよ。そこの息子につけてもらったんだ」


「わたしは、わたしは霧島千葉」


 わたしはそう言って、すでにリュックから出していた猫缶とちゅーるの残りの一本を手渡した。


「ありがとう」


契約けいやくだからね。当然だよ。けど、こちらこそありがとう」


 ベックは、前足で袋ごと受け取った。


「ねえ、ベック」


「なーに?」


「また会える?」


 白猫は一瞬、空を見上げたあと、わたしの顔を見て、言った。


「もしかしたら、いつかまた、会えるかも」


「もしかしたら?」


「うん。もしかしたら」


 それって、もしかしなかったら、二度と会えないってこと?


 わたしは、お別れなんてしたくない。ベックもいっしょにこっちの世界に来てほしかった。


 けど、その言葉が言い出せないまま、


「もうそろそろ戻らないと、戻れなくなるよ」


 わたしは、うなずいた。


 いつのまにか、涙があふれていた。


 せっかく友達が出来たのに、ベックのあの言い方だと、やっぱり――


「……ねえ、ベック」


「きっと、また会えるから」


 さえぎるように、ベックはそう言うと、


「じゃあ、ジャンプして、千葉」


 わたしは、

 足もとの水面を見て、

 もう一度、ベックを見て、

 うなずいて、

 ジャンプした。


 世界が、真っ白になった。



 暖かな陽射しが、部屋に差し込んでくる。


 箪笥たんすの上に置いた、長方形の水槽のなかで二匹のゼニガメがすいすい泳いでいた。


 わたしの部屋にいる二匹は、とても満足そうだった。


 ゼニガメとゴルビー。去年の夏にすくった二匹目に、どうしてゴルビーと名付けたのかは覚えていない。けれど、二匹の名前は、いまとなっては、とてもなじみ深い。


 ここ数日、なにかがあったような気がする。


 二匹のカメを見ていると、かすかに、白い友達がいたような、そんな記憶があった気がした。それは、わたしにとって、とても大切なことなのはわかる。だけど、なにがあったのかは思い出せない。


 そんなことを考えているうちに、なにを思い出そうとしていたのかさえ思い出せなくなってしまった。まるで、目覚めてから、消えゆく夢の記憶を、なぞろうとするかのように。



 その日はとてもいい天気で、青空で、あいかわらず寒い日だった。


 居間から、お父さんのレコードが聴こえてくる。スピーカーから流れてくるその曲は、フランク・シナトラ版の「ハウ・アバウト・ユー」(7)だった。


 もうすこししたら、カメたちにエサをあげて、日光浴にっこうよくができるように窓際まどぎわに水槽を移してあげよう。いつのまにかリュックに入っていた、一輪いちりんの、可愛らしいライラックといっしょに。




(7)アメリカの作曲家、バートン・レーンによる楽曲。 ミッキー・ルーニーとジュディ・ガーランドが共演した1941年の映画「ベイブス・オン・ブロードウェイ」や、1991年のジェフ・ブリッジス、ロビン・ウィリアムズ共演の映画「フィッシャー・キング」の挿入歌として有名。

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わたしと、猫と、時どきペンギン。 七ツ海星空 @butterneko2017

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