第4話 ありきたりな思い出の話

 次の日の朝、けたたましい目覚ましの音で目が覚めた。

 寝る前に、朝起きたら元の世界に戻っていたりして、なんて考えたけれど、そんなことは起きなかったようだ。

 正直なところ、いくら奏汰がいるとはいえ、学校に行くのは気が重かった。

 疲れるし、学校のあの空気感が好きではない。

 皆グループを作って、その中から外されないように、追い出されないように必死になっている。笑っているけれど、どこか重い空気。そんなところにいると何もしていなくたって疲れてしまうに決まっている。

 本田さんだってその中の一人だ。クラスに中心グループに属して、本物なのかわからない笑顔を浮かべている。

 でも、僕は本田さんのこと小学校の時から見ているから分かる。あの子はきっといい子だと思う。

 今日は、僕が本田さんのことを好きになった理由を話そうと思う。


 あれは、小学校二年生の時だった。

 僕が通っていた小学校は児童数が少なく、各学年二クラスずつしかなかったから、僕が本田さんと同じクラスになる確率はとても高い。しかし、一年生の時は違うクラスだった。もっとも、本田さんはとてもかわいいから、かわいい子が隣のクラスにいるという噂自体は耳にしていた。しかし僕はその噂にあまり興味がなかったので、同じクラスになった時、皆が騒いでいる中、あれが噂の本田さんか、程度にしか思っていなかったと思う。

 転機は、夏休みに入る直前に訪れた。

 夏休みまであと一週間という時だった。その日はちょうどお弁当の日で、好きな子と一緒にお弁当を食べましょうという今考えると恐ろしい時間だった。一人になったらどうするんだ。

 しかし当時僕は仲のいい友達がいた。だから、その友達のところへ行こうと思ってお弁当を持って歩いていた。

 さあ、ここまで来たら何が起こるかわかるだろう。

 そう、想像の通り、僕は盛大に転んで、お弁当を床にぶちまけてしまったのだ。

 幼い子供というのは、素直で正直である。それは時に残酷とイコールになる。

「慧斗君、だいじょーぶ?」

 そう言って心配してくる子もいれば、

「ちぇっ、めんどくさいなあ。早くお弁当食べたいのに」

 そういって渋々ながらこぼしたものを片付けてくれる子もいれば、

「うわー。みてみて、変なのー」

 そう言って馬鹿にしてくる子もいる。

 そして僕の時、最後のものがダントツで多かった。おかげで、心配してくれる子がかけた言葉も、すべてみじめに感じられた。

 泣きそうになるのをこらえながら頑張っていた時、本田さんが現れた。

「これ、あげる」

 本田さんが、それだけ言って、自分が持ってきていたおにぎりを一つ差し出してきたのだ。

「え、別にいいよ」

「いいから。私こんなに食べられないし。人助けと思ってもらって?」

「じゃ、じゃあ……」

 そうして僕は、本田さんからおにぎりをもらった。

 本田さんはそのあと、何も言わずに友達のもとへ帰っていた。皆はぽかんとした感じで、どこかばつが悪そうな感じになった。そのあとは、しんとした教室の中、皆はお弁当を食べていた。

 一方僕はというと、いつの間にか数名の子供たちと先生の手によりきれいになっていた床を見つめ、しばらくして自分の席に戻った後、手早くおにぎりを片付けた。

 それだけなら、別に本田さんのことを好きになってはいなかっただろう。いい人だなぁ、で終わっていたはずだ。

 その次の日。朝学校へ行くと、いきなり僕はガキ大将的男子たちに取り囲まれ、こんなことを言われた。

「おい、けーと。お前昨日カッコ悪かったなあ」

「お弁当持ってびたーんだぞ、面白かった」

「つうか、何本田さんからおにぎりもらっちゃってんだよ? 俺らが悪いみたいじゃん」

「えっと……」

 皆に比べて体格が貧弱な僕にとって、そいつらは目の前に立っているだけで恐ろしい存在だった。

 返事に困っていると先生が教室に入ってきて、そいつらは「やべ」「早く逃げろ」など口々にそういいながら僕から離れていった。

 僕がほっとできたのもつかの間、そのあとも僕はみんなから白い目で見られた。仲の良かった子たちでさえ、少し僕を避けているようだった。

 放課後、しょんぼりしながら僕がとぼとぼ帰っていると、後ろから本田さんが追い付いてきた。

「ねえ、石橋君。一緒に帰ろ」

「え、本田さん?」

「ん、何?」

「え、いや、何で僕と?」

「友達と一緒に帰るのにりゆうなんている?」

「いや、別に……」

「ねぇねぇ石橋君。もしかして、昨日のこと、気にしてる?」

「気にしてないよ。ただ、皆にからかわれたのが嫌っていうか」

「ふーん? まあ別に、そんな気にすることないでしょ。どうせもうすぐ夏休みなんだから、二学期にはみんな忘れてる。それに、君が今気にしていることは、一生のうちの、ほんの一瞬」

「でも、夏休み中のプールとか……」

「一人ぼっちになったら、私が一緒にいてあげるよ」

「……ありがとう」

「じゃあ、私こっちだから。また明日」

「うん、また明日」

 今思うと、本田さんは年齢の割にいろいろ達観していたように感じる。それと、とても大人っぽかった。

 それから夏休みに入るまで、本田さんは何かと僕を気にかけてくれた。

 そして迎えた新学期。僕は、本田さんが言っていた通り、今までと変わらない毎日を迎えることができた。

 本田さんは僕に近づくと、

「もう、大丈夫だよね」

 そう言って、どこかに行っていった。それ以来、僕が吞田さんと話すことはなくなった。

 しかし僕は、自然と本田さんを目で追うようになった。はきはきしていて、優しくて、かわいくて、皆の人気者で、その頃は好きというより、あこがれの存在だった。

 それから何度か同じクラスになり、年齢を重ねるにつれて、あこがれの感情は、恋愛感情に代わっていった。

 中学校に入って、本田さんは少し変わった。優しかったり、人気者なのは変わっていない。が、何かにおびえるようになっていた。前は自分の意見をしっかり話していたのに、今はほかの人に合わせることがとても多くなった。

 それでも僕は、本田さんのことが好きなのだ。


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