第5話 今さら官庁訪問のハナシ

<なろう版「ちっちゃいけど、お国を守ってるつもりです。」に補足ネタ⑤として出しているバージョンのほうが図表入りでより分かりやすいかもしれません。数字データなどの内容はこちらのほうが新しいです(2019年12月18日現在に得られた情報に基づいて書いています)>


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 サブタイトルどおり今更ながらで恐縮ですが、「官庁訪問」とは国家公務員採用試験に特有のイベント(?)で、平たくいうと、受験者が内定を求めて中央官庁をドサ回りすることを意味します。

 このような現象が生じる原因は、国家公務員採用試験の仕組みそのものにあります。


 地方公務員の場合、採用試験は各自治体単位で実施されます。例えば、埼玉県庁の採用試験は同県庁の人事委員会が、入間基地がある狭山市役所の採用試験は同市役所の職員課が、それぞれ主催しています。

 これに対し、国家公務員採用試験は、省庁毎ではなく、人事院が一括して行っています(一部専門職の採用試験は各省庁が独自にやっています)。


 国家公務員採用試験の受験者は、一次(筆記)→二次(面接)と受け、最終合格すれば「採用候補者名簿」に名前が載るのですが、問題は、この「名簿」が全省庁共通という点にあります。

 各省庁は名簿に載っている「候補者」の中から欲しい人間を欲しいだけ選び、それぞれ好き勝手に採用していきます。受験者から見れば、「最終合格の時点では自分の就職先がどの省庁になるか分からない」ということになるのです。


 最終合格後、各省庁はそれぞれ採用面接を行い、採りたい人間を絞り込んでいきます。

 受験者は志望先に連絡を入れて面接のアポを取るわけですが、たった一つの省庁にすべてをかける人はまずいませんので、彼らの大半は採用面接が集中的に行われる時期に複数の省庁を巡ることになります。これがの官庁訪問です。


 官庁訪問で内々定をもらえれば、受験生たちはやっと就活終了となります。しかし、どこからも内定をもらえなかったら、……国家公務員試験に合格していても、基本的に採用はされません。いわゆる「採用漏れ」の状態になります。


 人事院の公務員白書によると、平成30年度の採用状況は、平成31年3月31日現在で次のようになっています。


 総合職(大卒程度):名簿記載者数1389名

           採用者数424名

           辞退・無応答者数685名

           採用候補者数89名


 一般職(大卒程度):名簿記載者数7205名

           採用者数2997名

           辞退・無応答者数3926名

           採用候補者数41名


 一般職(高卒者) :名簿記載者数2690名

           採用者数1127名

           辞退・無応答者数1286名

           採用候補者数2名



 ぱっと見、「なんだ辞退者かなり多いやん、楽勝~♪」という印象を抱くかもしれませんが、そんなことはありません。人気省庁は当然ながら人が集まりますので激戦となります。意中の官庁からお声がかからなければ、志望先に就職することは叶いません。


 それでも、まだ拾ってくれるところがあれば御の字です。最終合格発表直後に行われる採用面接で採用者の大半は決まってしまうので、この時点で内定もしくは内々定がない状態の受験者は、


①公務員になるのを諦めてとっとこ民間に転向する

②内定辞退による空きポストが発生するのをじっと待つ(年度をまたぐ可能性もある)


 の二択を迫られます。


 主要な採用面接が終わるのは、大卒総合職が6月末、大卒一般職が8月下旬、高卒程度が11月中旬、という時期です。就職浪人を確実に避けたければ、迷っている暇はありません。

 そんなわけで、内定をもらえなかった多くの受験者は自ら「採用を希望しない」という道を選び、その旨を「意向届」という書面で人事院に伝え、次々に戦線から離脱していくのです。


 採用を希望し続ける人は、「まだまだ私の名前を採用候補者名簿に載せててくださいね」と、これまた「意向届」で人事院に伝えなければなりません。先の「平成30年度の採用状況」において「採用候補者数」が示す数は、この手続きをしている者、平たく言うと、採用漏れの危機に瀕している人たちということになります(高卒者の欄の2名は実際に採用漏れとなった人数です)。

 ちなみに、採用を希望する旨の「意向届」は定期的に出し続けなければならず、一度でも提出を忘れると自動的に「辞退者」と扱われるそうです。恐ろしや……。



 受験者としては、就職浪人という悲劇はぜひとも避けたいし、できれば内定をゲットして正月を迎えたい。キビシイ競争に勝ち抜き内定を得るためには、最終合格後に行われる採用面接に備えて自分の存在を事前に希望省庁にアピールし、ライバルと差をつけねば!

 しかし、どうやってアピールするんだ! 


 ずばり、志望先に顔を出して自分を売り込むのです。

 しかし、どうやって事前に顔を出すのか。


 実は、大変好都合なことに、一次試験の合格発表後に「業務説明会」というイベントがちゃんと用意されています。一次試験合格者を対象に行われる「業務説明会」は、各省庁がそれぞれに主催するもので、もっぱら志望者への情報提供やPRを目的としています。向きは……。


 ウラがどうなのか、情報は断片的にしか出てはきませんが、「会場で個別面接の予約をした」「二回目の説明会の時はほぼ1対1の面接形式だった」「ぜひウチに採用面接に来て、と言われた」などなどの話はぽろぽろネット上で見かけます。

 省庁によっては、「個別相談会もあります」という微妙な文言をしっかり説明会案内ページに記載している所もあります。


 人手不足といわれる昨今、省庁側としても、早めに受験者を「物色」してと思う人材にこっそりアプローチしたいところでしょう。「業務説明会」が「ウラの官庁訪問」的な展開になるというのは、容易に想像できる話です。



 それでも今は、ウラの官庁訪問……、もとい、「業務説明会」の日程だけは人事院と各省庁のサイトできちんと案内が出ますので、以前よりはずいぶんマシになったと思います。


 実は、かくいう私も、はるか昔の大学四年次に国家Ⅱ種(現在の大卒一般職)採用試験を受けたことがあります。その当時、「業務説明会」なるものはなく、一次試験と二次試験の間の動きについて官公庁側から案内らしきものは一切ありませんでした。

 国家Ⅰ種(現在の総合職)こそ、「一次と二次の間に官庁訪問が行われ(受験者側から面接のアポを取るシステム)、そこで実質的な選考が行われているらしい」という話が闇の常識として知れ渡っていましたが、国家Ⅱ種に関する情報は全くシャバに出回っていない状態……。


 公務員専門学校にでも在籍していればそのテの裏情報も得られたと思うのですが、私は独学で勉強していたので、そういったツテもありません。大学の先輩陣で公務員になった面々の多くは地方上級(県庁などの幹部候補採用試験)の合格者ばかりで、大学の就職課にも国家Ⅱ種に関するナマ情報はなし。

 志望先に電話をかけて聞いてみようかとも思いましたが、「官庁訪問なんて国Ⅰだけだよ。アンダ国Ⅱでしょー。自意識ちと高過ぎじゃね?」なんてハナで笑われたらどうしよう、となんだか気が引けてしまい……。


 そんな時、ネット上で「国家Ⅱ種の官庁訪問はない」と書いてある記事か何かを目にしました。「そっかー。やっぱ、そうだよね」と安心した私めは、どこの省庁にも顔を出さないままのんびりと過ごし……。


 そして迎えた二次の面接試験。着席するや否や、


面接官:「官庁訪問、どこ行ったの?」

自分 :「行ってないです。国家Ⅱ種は官庁訪問はないって聞いたので」

面接官:「そんなことないよっ。みんな来てたよっ!」


 ドン引き顔で見つめ合う面接官とワタクシ……。最後に「もっと早く来てくれれば」というお言葉を賜って、面接は終了しました。その後まもなく国家Ⅱ種試験の最終合格通知が来ましたが、どこからも内々定をもらっていないので、当然ながら採用してくれる省庁はありません。

 幸い私めはとある所に拾ってもらえましたので就職浪人の憂き目には合わずに済みましたが、まー、なんちゅうか、あんまりじゃないすか、これ(怒)。



 本話を書くにあたり、昨今の国家公務員採用試験の現場はどうなっているのだろうと、人事院のサイトから某巨大掲示板の関連スレまでつらつらと調べたのですが、いやあ、すごい。今や、官庁訪問の表もウラもネット上でリアルタイムに語られ放題です。

 中には悪質なガセ情報もあるでしょうが、「今、何が話題になっているか」という流れを掴めるだけでもそれなりに有益というものでせう。


 ……なんて思いながらとある質問サイトを覗きましたら、「官庁訪問というのがあると聞いたのですが、それをしていないと試験に合格しても採用されないのでしょうか」という内容を二次試験直前の時期に質問しているお方を見かけました。

 この情報化社会でも昔の私みたいな奴おるんやなあ。南無阿弥陀仏……。



 何だかあまりにも悲しい話になってしまったので、せめてもと付け加えますと、ウラの官庁訪問に行き損ねても完全に望みが絶たれるわけではありません。


 人事院の採用試験でぶっちぎり上位の成績を修めていれば、官公庁のほうからお誘いがかかる可能性がありますし、そうでない場合も、……事前に官庁訪問に来た受験者のほうが有利なのは確かですが、それだけで採用枠が埋まらない省庁というのも必ず出てきます。これらの省庁は、ひとしきり採用活動が終わった後も引き続き募集をかけるので、この二次募集的なトコロに入り込むチャンスはあります。


 また、現職者の急な退職などでポストに穴が空いたりすると、そのたびに省庁側は「採用候補者名簿」に残っている面々に順次採用のオファーをしていきます。次年度に入ってから「採用面接を受けにきませんか」なんて連絡が来たりすることもあるようですので、ひょっとしたら、忘れた頃にそんな声がかかるかもしれません。

 逆に、内定をもらえなかった受験者の中には、空きポストを求めて自ら省庁に「営業」をかけるツワモノもいるようです。



 ただし、この名簿には有効期限があります。総合職と大卒一般職の場合は三年間、高卒一般職では一年間です。

 この期間内に採用のお話がなかったら、ホントのホントに「ただ採用候補者名簿に名前が載って終わり」となります。賞味期限を過ぎて廃棄される食品のごとく、名簿から名前が削除されてジ・エンド。省庁からお声がかかる可能性はゼロになり、受験者側から「営業」をかける権利もなくなります。


 採用漏れの憂き目にあっても、それでもやっぱり国家公務員になりたい、という人は、もう一度一次試験から受けなければなりません(ただし高卒者試験の受験資格は卒業から二年以内)。

 うう、やっぱり悲しい話になってしまった。



 拙作「ちっちゃい…」の主人公である佳奈さんは、大学二年次に高卒一般職を受験したという設定なのですが、官庁訪問関連のエピソードは、初投稿時(2017年4月)の前の年度の状況を調べつつ書いたものです。

 2016年度の高卒一般職採用試験の一次と二次の間のイベントについて、各省庁は「業務説明会を行います。個人面談もやりますよ~」といった感じの非常にぼかした案内を出していました。なので、本編の官庁訪問に関する部分もそれに沿ってフィクション部分を書き込んでいます。


 ところが、本話を書くにあたり、昨年度と今年度(2018年、19年)の状況を改めて調べましたら、なんと多くの省庁が、最終合格発表前に行われるイベントを堂々と「官庁訪問」と表現しているではないかっ!

 本編の当該部分を書いていた時は、サブタイトルを「官庁訪問」にして大丈夫かなとちょっと心配だったのですが、ちょうど良くなってしまっているではないかっ!


 大卒の採用試験と違い、高卒者試験の場合は一次の合否発表が十月一日(民間の就職ルールで正式な内定日とされている日)より後なので、何をやっても無問題ってことになったのかもしれません。


 ひとつ問題に思うのは、人事院の高卒者試験案内のページには官庁訪問に関する記述が一切ないことです。

 「合格=採用ではありません」という但し書きこそあるものの、「最終合格後に志望官庁の採用面接を受けて採用の内定を得る必要があります。希望する官庁には積極的に自己PRしてください」という文面になっているので、採用選考は最終合格後にあると解釈できます。


 ところが、佳奈さんが受験した某A省の今年度(2019年度)の官庁訪問ご案内ページを見ましたら、二次試験と最終試験の間にばっちり官庁訪問のご案内が載ってます。人事院のサイトに書いてあることを真に受けて最終合格後の採用面接で「初めまして」の状態だったら、内定のチャンスあるのでしょうか。


 ちなみに、昨年度(2018年度)のご案内では、オソロシイことに、


 一次試験合格発表後に官庁訪問受付開始

  ↓

 二次試験直後の土日で官庁訪問受付終了

  ↓

 当方からご連絡する方のみ、最終合格を前提として採用面接の日程をご案内いたします。


 となっていました。最終合格発表が行われる前に採用選考が終わっていたのは明らかです。


 今年はこのテのご案内は出ていないので、もしかしたら某A省さん前年度のやり方について人事院から怒られたのかもしれません。もっとも、表に出していないだけで、今年も実質的に同じような流れで動いた可能性は否定できないですけれども……。

 

 官庁訪問は予約制なので、出遅れれば終わりです。人気省庁になると官庁訪問の日程が二日しかないというような所もありますので、状況はよりシビアです。

 某A省の場合、訪問日のオプションは六つありますが(それが何を意味するかは、まあその、ゲフンゲフン……)、志望者側の熱意を見せるには初日に申し込むのが鉄則。第一印象が違いますので、やはり出遅れると不利になります。


 最終合格発表の前に官庁訪問があることを事前に知っていれば、志望省庁がそのテの案内をサイトに掲載するのをスマホ片手に待ち構えていることもできるでしょう。しかし、そうでなければ、人より遅れて官庁訪問の日時を知り人より遅れて申し込みをするハメになります。知らずに終わってしまったら話にもなりません。

 そして、わずかなデジタルデバイドがその後のすべてを決定してしまう可能性もなきにしもあらず……。



 高卒者試験を受けるのは、高校三年生から二十歳までのごくごく若い者ばかりです。社会経験のない彼らにこういう不親切なやり方ってどうなのよ、と、悲しい過去を持つ私めはブツクサ思ってしまいますです。


 本作を読んでくだすってる方々の中に国家公務員採用試験を受けてみようと考えておられるお方がいらっしゃるかは分かりませんが、もしおられましたら、「情報不足」などというカナシイ要因で涙をのむことだけはありませんよう、ネットの片隅で心から願っております。



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「じ」で始まる業界の小ネタ集②-「ちっちゃいけど、お国を守ってるつもりです。」編 弦巻耀 @TsurumakiYou

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