第14話 最低で最高な告白

 腰掛けやすい大きさの石。その上にヴィラローザを下ろすと、ギルフォードは率先して膝をつき、ひねった足に応急処置を施してくれた。


「……どうして、来たんですか?」


 長身のギルフォードを見下ろす機会など、ほとんどない。ヴィラローザは、不思議な気持ちで彼のつむじを見つめながら呟いた。


「お前が危ないと思った」

「……だからって、一人でなんて……」

「お前の友人から、何が起きたのか聞いた。お前に助けられたという三人からも、同じ臭いがした。……奴らの方が臭いが濃かったから、おそらく粉を持っていて、逃げる際ひっくり返したんだろう。だったら、助けたお前に粉が付いた可能性もある。……そう考えたら、いてもたってもいられなかった」


 無事でよかった。

 吐息のように静かに吐き出された声は、賑やかな騎士団ではかき消されただろうが、二人だけの静かな洞窟では、やけに大きく響いた。


「……お前に何かあったら……――俺は……」

「ギルフォード……それは、間違いです」

「間違い?」


 布を巻いていた男の手が止まった。

 つむじが上に移動し見えなくなる。かわりに、すこし強張った男の顔があらわになる。


「……ルイスから……なにも聞いていないのですか? 私は――」

「――ヴィラローザ・デ・エルメ」


 遮るように名前を呼ばれたヴィラローザは、わずかに眉を寄せる。

 だが、呼びかけた張本人は、何か続けるでもない、一度口を噤んだ。


「……ヴィラローザ・デ・エルメ……」


 そして再び、今度は囁くように、ヴィラローザの名を繰り返し口にする。


「一体、何のつもりですか、ギルフォード。……話がしたい、と言っていたでしょう? ここなら、うるさい邪魔は入りません。今ここで、決着を付けてしまいましょう」


 終わらせるなら、せめて自分で終止符を打ちたい。これは、どこまでも意地っ張りなヴィラローザなりの、失恋前提の初恋に対する、些細な見栄だ。


 けれど、ギルフォードはゆるく首を左右に振ると、また「ヴィラローザ・デ・エルメ」と繰り返し――そして、ヴィラローザの手を握った。

 両手で握りしめ、額に押し当てる。それはまるで、神に祈るような仕草だ。


「――お前の名前はずっと、俺にとっての祈りの言葉だった」


 吐き出された言葉は、とても静かだ。けれども、ひどく優しく柔らかい。

 少しの動きで壊れてしまいそう。

 ヴィラローザが、そんな錯覚を覚えるほど、今のギルフォードは優しく柔らかく――脆いように見えた。


「お前が俺を救ってくれたあの日から……一文字たりとも忘れまいと、毎日毎日口に出すことが癖になっていた。神に祈るためにと教えられた意味の無い言葉より、俺にとってはお前をしめす名前の方がずっと尊くて意味があった」

「待って下さい……! 私と貴方は、騎士団で初めて会ったんですよ? 貴方は、誰かと私を間違えて……」


 ギルフォードの額が離れる。祈るように組まれていた手が、解かれた。


「“ヴィラローザ・デ・エルメ、いずれこの国一番の騎士になる名前だから、忘れないで覚えていてね”……お前は、あの時そう言った。だから、俺は絶対に忘れまいと毎日毎日繰り返し呼び続けた」

「…………っ…………」


 ギルフォードが口にした言葉。それは、ヴィラローザが普段……それこそ、子供の頃から掲げていた夢だ。


「騎士団で再会してからは、本当に毎日が楽しかった。毎日毎日、お前を見ていられる、声が聞ける。それに、これまでずっと大切に暖めていた名前を、堂々と呼べる。……なにより、お前に、名前を呼んでもらえる。……お前が俺を見ていてくれる事が、本当に嬉しかった」


 信じられない幸福のように、ギルフォードは騎士団での日々を語る。


「お前はいつでも真っ直ぐで、正直で、とても綺麗だった。俺はずっと見ていたかった。隣に行きたいと欲も出た」


 国一番の騎士という夢に邁進するヴィラローザを、どんな風に見ていたかを。

 けれど、ヴィラローザはこんなにも熱く語るギルフォードと共有する過去が無い。

 忘れてしまった自分が、なんだかひどくは苦情に思えてしまう。


「……ごめんなさい、ギルフォード。……私は、自分の事ばかりで……、貴方の事も……覚えていなくて……」

 

 しかし、ギルフォードはそんな事かというように、首を振って見せた。


「ヴィラローザ、俺は、かまわないんだ」

「……なにが、ですか?」

「お前が俺を覚えていなくたって、かまわない」


 そのかわり、とギルフォードは続けた。


「俺を、好きになれ」


 忘却を責めないかわりに持ち出されたのは、傲慢な願い事だった。


「俺を好きになってくれ、ヴィラローザ・デ・エルメ。……そして、俺を選んでくれないのなら……頼むから、今すぐ俺と死んでくれ」


 傲慢で、最低な願い事だ。

 愛の告白であるはずなのに、物騒極まりない。

 ――なんて残念な男だろう、とヴィラローザは吹き出した。


「……ヴィラローザ?」

「以前も思ったのですが……貴方の告白は、最低です」

「! そう、か……? そうなの、か……。……嫌だったか?」


 不安そうに、赤い目が揺れた。

 しゅんと項垂れた様は、叱られた犬のようだ。

 その黒髪に、ヴィラローザの手は無意識に伸びて――撫でた。


「……っ……」

「最低な告白です。私から言わせてもらうと、そんな求婚は有り得ません。……やり直しを、要求します」

「……ヴィラローザ・デ・エルメ……」


 自分の頭を撫でていたヴィラローザの手を、ギルフォードは恐る恐る両手で包む。

 そして、きゅっと握りしめると口を開いた。


「今すぐ選べ。俺と結婚するか、俺と死ぬか」

「やっぱり最低です。言い方を変えただけじゃないですか。それで頷いてくれる人なんていません。断言しますよ、ギルフォード」


 握られていた手をそのままに、ヴィラローザはギルフォードに抱きついた。


「この、ヴィラローザ・デ・エルメ以外には」


 ひゅっと息を呑む音がして、ギルフォードの体が強張る。その一瞬後、骨も軋むような強い力で、抱きしめられた。


「ちょ、ちょっと……くるし……!」

「あっ!? ああ、すまない……! 嬉しすぎて、つい……!」


 ぱっと力は緩んだが、それでもまわされた腕は解かれなかった。


「――……今のは、お前も俺を好いてくれていると思って……いいんだろうか?」

「……貴方の好きなように解釈すればいいでしょう。……ただし、めいっぱい都合のいいように、解釈しなさい」

「そうか、わかった」


 ふと笑う気配がした。


「――お前が好きだ、ヴィラローザ。この世の何にもかえられないくらい、お前のことを愛している」

「……ふふ、今のは合格です、ギルフォード」


 外ではまだ雨が降っている。二人だけの静かな洞窟には、小さな笑い声が響いた。

 いつになく、幸せそうで無防備な、ヴィラローザの笑い声だった。

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