少女のまま死んだ少女

千本松由季/YouTuber

少女のまま死んだ少女

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あれだけ待たされてやっと気が付いた。この男は慎重なんじゃない。気が弱いだけだ。その時、彼は俺の高校の先生だった。田んぼの真ん中で自然豊かに育った俺は、純真の勢いで先生に告ってしまった。彼は、18才になるまで待て、そしたらその話をしよう、と言った。俺は早生まれだから、それから半年も経たないうちに18になってしまった。そしたら彼は、高校を出るまでは、と言い始め、その次には地元はマズイ、と言い始め、元々ファッションの仕事がしたくて、どうしても東京に出たかった俺は、その時まで待つことにした。

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東京に出ると当然出会いも多くて、田舎者の純情が受けて、相手には困らなかった。決まった男はいなかったけど、ちょっとくらい好きになるヤツはいて、そんな風に遊んでるうちに、2,3年は、あっと言う間に過ぎた。いい加減にお盆くらい帰って来い、という母親に負けて、俺は新幹線のチケットを買った。

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新幹線を降りて、ローカル線に乗り換える。田舎の駅に着くと、なにもかもが古ぼけて見える。こんな所だったかな?驚きながら駅を出て、駅前のカフェを覗く。そこもなんだか古ぼけて見える。埃まみれの窓から、コーヒーの染みの付いたレースのカーテンが見える。前はお洒落な場所だと思っていた。そのうちに、駅やカフェが変わったんじゃない、俺が変わってしまったんだ、と気が付いた。

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俺の家は駅から歩いて行ける距離だけど、母には着く時間も知らせてなかったし、その前に母校を訪ねることにした。やはり学校も思ったより小さくて、魅力の薄い建物に見える。俺の働く外資系の大きなブティック。そんなキラキラした環境にいて、俺はいつの間にか変わってしまった。夏休みだから人影はない。俺の憧れだった先生は、美術の先生。窓から美術室を覗いてみる。先生の絵はひと目で分かる。いつも似た様な色合いとモチーフ。

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少女が描いたような絵。色は澄んだパステルで、タッチは古風な印象派みたい。先生はいつか、こんな話をしてくれた。19世紀のヨーロッパでは、まだ写真を撮るには大変なお金がかかったから、庶民が写真店に行くのは、誰かが死んだ時だった。そういう死人の写真がたくさん残っている。老人は少なくて、若くして死んだ人や、子供、赤ちゃんの写真まである。その死を惜しんで、その姿を遺したかったのだろう。

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彼はそういうモノクロの古い写真を見せてくれた。ちょっと見では、死んでるとは分からない様な、リアルな写真も多い。ちゃんと服を着せて、立たせたり、椅子に座らせたり。先生はそういう百年以上前に死んだ人を絵に描いている。いつも少女の絵だった。少女のまま死んだ少女。

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俺はふと、今先生に会ったらどういう気持ちがするだろう?と思った。そして彼のスタジオを訪ねることにした。スタジオと言っても、それは彼が親戚から、昔豆腐を作ってた工場を安く譲り受けただけの物だった。遠くから彼の綺麗な水色のセダンが光って見える。彼はそこにいる。俺は彼がもしかして、駅や、カフェや、学校みたいに古ぼけて見えるんじゃないか?だったら思い出の彼を胸にしまって、会ったりしない方がいいんじゃないか?と思ったりした。

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豆腐工場のトタンのドアを叩く。引き戸がガラガラと開いて、俺の先生が出て来る。俺の顔を見て、すぐビッグなスマイルをしてくれた。前と同じ血気に溢れた笑顔。なんだか前よりもっと情熱に満ちた人に見えた。俺は何も言わずに中へ入って、先生も何も言わずに戸を閉めた。俺はスタジオの中をキョロキョロ見て回る。俺の専門はファッションだけど、絵の良し悪しくらいは分かるつもり。少し変わった?絵の中の少女達は、相変わらず、とても死んでいる。色が変わったのかな?

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「色が明るくなった?」

これが俺が、あの古ぼけた駅を出てから初めて発した言葉だった。

「やっぱりそう感じるか?俺は嫌なんだけどな。俺のエージェントが。」

「エージェント?」

「そう。俺の絵を売ってくれる人。色々注文がうるさくって。」

俺達は見詰め合った。俺は彼の目にどう映っているんだろう?彼は相変わらず、美術の教師にしては体格が良くて胸板が厚くて、それは俺の好みの体型で。俺の髪はパーマがかかって、肩まである。身体は高校時代と同じくひょろ長い。服はこれでも気を付けたつもりなんだけど、やっぱり東京でブティックで働いてます、って言ってるようなカッコ。

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俺は少し恥ずかしくなって、目を逸らした。彼はコーヒーをいれて、器用に氷の上に注いでアイスコーヒーを作ってくれる。

「お前、なにしに来たんだ?」

「なにしに来たって、お盆じゃないですか?」

「へー、お前みたいなもんがお盆に帰って来るとはな。」

俺はなんか言い返したいけど、言葉が出て来ない。だからまた絵の話しに戻る。

「先生、エージェントが付くなんて、凄いじゃないですか。」

「凄腕で、こないだ俺の絵をニューヨークのギャラリーに送ってくれた。」

こんな死人の絵を見て、ニューヨークの人達はどう思うんだろう?先生は俺に近付いて囁く。

「ここだけの話しだけど、そのエージェントが、俺に早く学校を辞めて東京に出て来るようにって。」

「あんな騒がしい所で絵なんて描けるんですか?」

「それはやってみないと分からない。」

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彼は突然俺の手を取る。俺はビックリする。なんだろう?って思ったら、彼は俺の爪に残っていたマニュキュアを見ている。週末、仲間と遊びに行った時、冗談半分に塗ったんだけど。

「このグリーン、いいな。この色にしよう。さっきから決まらなくて困ってた。」

母ちゃんが見たらなにか言われるな、っと思ったから、爪で擦り落とそうとする。

「あ、ダメ、ダメ!」

先生はそう叫んで、また俺の手を取る。

「その色、忘れないように画用紙に作っておくから。」

彼は数色の絵の具を混ぜ合わせて、見事にその色を作り出す。

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先生はいつも俺をじらして、俺達まだキスもしたことないんだよな。さっきのは手を握ったうちに入るのかな?それとも入らないのかな?先生の前に出ると、やっぱり高校生の俺に戻ってしまいそうになる。だから色々言いたいんだけど、なかなか言えない。でも今、言わないといつ言うの?

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「先生覚えてますか?」

「覚えてる。」

全然予想してなかった素早い返事。こうなると俺はなんて言っていいか分からない。俺は黙って、向こうがどう出るかみる作戦。

「お前が東京に行って、俺のことなんて忘れてると思ってた。」

彼はもう1度俺の手を取るけど、今度のは俺の爪の色を見てるんじゃなくて、ほんとに手を握ってる感じ。よかった。ひとつ前進。


「先生ね。これでね、キスが来年で、セックスが再来年じゃ、嫌ですよ。」

彼は大笑いしながら俺の肩を叩く。そしてゆっくり近付いて、俺の長い髪を邪魔そうにどけて、軽くキスしてくれる。先生の唇のスマイルのままのキス。

「実は俺のエージェントが1度東京に来い、って言ってて。だから夏休みのうちに行こうと思って。」


俺のポケットの中から電話の鳴る音がする。

「母ちゃん。」

「どこにいるの、お前?」

「どこって。」

「いつ来んの?」

「もうすぐ。」

適当にごまかして、電話を切る。


先生がさっきの話を続ける。

「だからな、ホテル代は出るんだけど、その金をお前にやるから、泊めてくれ。」

「いいですけど、狭いですよ。」

「狭い方がいいんだろう?」

俺はクスクス笑う。先生は俺の身体をしっかり抱いてくれる。少女達の死んだ目が、俺達のことを不思議そうに眺める。

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