第二十二回 李矩は計って再び漢兵を破る

郭誦かくしょうらは寡兵であるため、漢の大軍を畏れて仕損じるやも知れぬ」

 李矩りくはそう考えて張肇ちょうちょうとともに八千の軍勢を率いて後を追った。洛陽らくように到れば、すでに漢兵は奇襲により退けられ、北にある黄河の渡し、孟津もうしんにまで兵を退いている。

 李矩は洛陽城外に駐屯している諸将と会して言う。

「この勝勢に乗じて漢兵を追撃せよ」

 夜闇の中、張皮ちょうひは漢兵の動静を探るべく、五千の軍勢を率いて孟津に向かった。

 漢の斥候を率いる王翼光おうよくこうは張皮の動きを知り、劉暢りゅうちょうに報せる。劉暢は張皮を寡兵と侮り、意に介さない。

 張皮は郭誦の許に人を遣り、郭黙かくもく耿稚こうち駱増らくぞう、張肇、范勝はんしょうらは兵を進めて張皮と合流した。いまだ夜は明けておらず、六将は兵を分けて一斉に攻めかかる。

 洛陽から逃げ出した漢兵たちは、ふたたび襲われて戦うにも及ばず、一万を超える死傷者を出して潰走した。李矩は漢の軍営を奪い、おびただしい糧秣や器械を奪い取る。

 

 ※

 

 夜が白々と明け、四十里(約22.4km)も兵を退けた劉暢は、李矩の軍勢が一万五千に過ぎないと知った。点呼すれば、まだ五万を超える兵がある。留まって戦わなかったことを悔いると、劉暢は反攻に転じた。

 李矩は攻め寄せる漢兵を支えて苦戦すること数日、いずれも決定的な勝利を得られず、数多の兵が戦場に命を落とした。李矩は五千の兵を喪って軍勢は一万を切り、漢兵は一万の戦死者を出して四万ほどが残っている。

 衆寡敵せず、李矩は駱増を遣わして洛陽にある趙固ちょうこに救援を求めた。趙固はすぐさま軍勢を発し、漢兵が李矩に狙いを絞れないよう、水路より孟津に向かう。

 趙固の来援を知ると、劉暢は黄河の河畔に兵を並べて上陸を防ぎ、船を捕らえるべくかぎの付いた竿を揃えた。さらに、草束に油と硫黄を混ぜ、捕らえた船を焼き払う用意を整える。

 漢兵の備えを知って趙固は船を進められず、にらみ合いが二十日ほど続いた。

 

 ※

 

 膠着する戦場にあり、李矩は諸将に言う。

「吾らは決死で漢賊を支えているが、このままでは勝利を得られぬ。こうなっては、九死に一生を得るよりあるまい。漢兵の精鋭は河畔にあって趙固と駱増の水軍に対しているが、河畔には船を火攻めにすべく柴草が貯えられている。夜陰に乗じて攻め込んで焼き払えば、漢賊は戦線を維持できまい。ただ救援を待って傍観しておっては、勝利など覚束おぼつかぬ」

 諸将はその策に従い、夜を待って密かに軍勢を進める。河畔に近づくと火を起こし、一斉に斬り込んで河畔の柴草に火を放った。

 硫黄と油を加えた柴草に火が着くと、河畔に火柱が上がる。劉暢は奇襲の報せを受けたものの、炎上する柴草を鎮火する術はない。

 この時、王彌おうびの死後に平陽へいように逃れていた弟の王邇おうじが劉暢に従っており、大刀を抜いて河畔に攻め寄せる晋兵を迎え撃った。耿稚を相手に戦うところ、飛び散る火の粉がその目に入り、手もなく一鎗を受けて落命する。

 劉燦は王翼光に守られて晋兵の包囲を斬り破り、戦場から逃げ奔った。劉暢は郭黙と戦うところを李矩の軍勢に囲まれて逃れられない。そこに、卜泰ぼくたい劉雅りゅうがが駆けつけて包囲を破る。

 黄河に船を浮かべていた趙固と駱増も船を寄せて上陸し、燃え盛る火の中で漢兵を斬り散らした。劉暢たちはこれを支えられず、ついに戦を捨てて河内かだいおんに逃げ込んだ。

 漢兵を大いに破った李矩は趙固を洛陽に返し、自らも張皮ちょうひ駱増らくぞうたちとともに滎陽けいように軍勢を返す。虎牢関ころうかんの守りは耿稚に委ね、張肇と范勝を河内に遣わす。郭黙は孟津に軍勢を留めて洛陽と連繋し、漢兵の南下を防ぐこととした。

 郭黙は河畔の火を消し止めると、漢軍の糧秣を収めてその軍営に兵を置いた。

 

 ※

 

 劉暢は晋兵に敗戦を喫した経緯とともに、王邇の戦死を平陽にある漢主の劉聰りゅうそうに報せる。

王飛豹おうひひょう(王彌、飛豹は綽名あだな)の兄弟は漢のために尽力したが、栄華を得ることもなく世を去った。今また王邇が戦死するとは、傷ましいことだ」

 劉聰はそう言って慟哭し、百官を召した。

「李矩らは趙固を籠絡ろうらくして従わせ、洛陽の軍勢と結んで吾らの南下を阻んでおる。その罪は決して赦せぬ。軍勢を発して罪を正さねば、晋人どもは吾が大漢を軽んじることとなろう」

 尚書しょうしょ范隆はんりゅう鎮北ちんほく将軍の劉勲りゅうくん中軍ちゅうぐん将軍の王騰おうとうに三万の軍勢を与え、劉燦とともに李矩を滅ぼすよう命じた。

 

 ※

 

 孟津にある郭黙は漢の救援が平陽を発したと知ると、僚属を集めて言う。

「漢賊は二度の敗戦を喫して報復の軍勢を差し向けた。必ずや大軍を投入するであろう。吾らはここにあって身を寄せる城もなく、兵数も限られる。思うに、漢の援軍を阻めまい。まずは虎牢関に退いて耿稚と兵を合わせるのがよかろう。虎牢関は滎陽に近く、連繋して漢賊を退けるにも都合がよい」

▼「虎牢関」は別に汜水関しすいかんとも呼ばれ、その地を指して成皋せいこうとも言う。洛陽の北にある孟津から黄河南岸を東に向かった地点にあたる。ここは黄河と山が迫って狭隘な地形となっており、敵を防ぐに適している。滎陽は虎牢関を越えた東に位置し、西から攻め寄せる漢兵を迎えるにあたっては後詰のような位置関係となる。

 その策に駁する者はなく、郭黙は虎牢関に軍勢を引き揚げた。

 

 ※

 

 平陽を発した范隆は劉燦と会するべく温に入った。劉燦に見えると、劉暢が李矩の軍勢の強弱を論じて言う。

「李矩の軍勢は三万ほどであったが、これまでの戦でその半数以上を喪っておる。兵数を言えば論じるに足りぬ。ただ、洛陽に拠る趙固が水軍を出して脅かし、備えの柴草を郭黙が焼いたために敗戦を喫したのだ」

 それを聞いた范隆が言う。

「聖上は二度の敗戦に加えて王邇の戦死を怒られ、吾らを遣わされたのです。まずは孟津にある郭黙をとりことし、李矩が拠る滎陽を囲めば打つ手はありますまい。必ずや、先の敗戦の恥を雪がねばなりません」

 漢の諸将はその見解に同じると、すぐさま孟津に向けて軍勢を発する準備に入った。そこに斥候が駆け戻って言う。

「郭黙は孟津を捨てて虎牢関に軍勢を入れたとのことです。吾らの大軍を怖れたものと見られます」

「それならば、孟津は無視してよかろう。虎牢関を陥れれば、滎陽は指呼しこのうちにある。容易く平らげられよう」

 劉暢がそう言うと、范隆は諌めて言う。

「そうではありません。虎牢関は古より『一夫が関を守れば万夫であっても破られぬ』と謳われ、堅牢窮まりない。また、郭黙は知識に優れており、軽んじてはなりません。さらに、背後には滎陽が控えており、連繋して守るにも都合がよい。にわかには陥れられますまい。ここは平陽に兵を返して策を練り、まずは洛陽の趙固から攻め滅ぼすのが上策です。洛陽さえ陥れれば、滎陽など孤城に過ぎません。虎牢関を破るにも、背後にある洛陽に動かれては面倒です。ただ郭黙を擒とするために兵馬を喪うわけには参りません」

 劉燦はその言葉に従い、軍勢を平陽に返したことであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る