第二十三回 陳安は誑かされて南陽王司馬保を攻む

 南陽王なんようおう司馬保しばほは、今は亡き愍帝びんてい司馬業しばぎょう長安ちょうあんに拠って漢に抗った際には右丞相ゆうじょうしょうに任じられた。その後、漢に殺された父の司馬模しばぼの復讐を志し、長安の西の秦州しんしゅうに拠って大司馬だいしばを自称している。

 しかし、疑心暗鬼により驍将ぎょうしょう陳安ちんあんが叛き、粛清をそそのかした張春ちょうしゅんも罪を懼れて逃げ去ったため、兵勢は盛んではない。そのため、胡崧こすうとともに上邽じょうけいに拠ってただ形勢を観望するよりなかった。

 かつて、漢が長安を囲んだ際、江東こうとうにあった瑯邪王ろうやおう司馬睿しばえいは、援軍を出さねば人々が不忠であると謗られるかと懼れ、石氷せきひょうという者の叛乱から降った夏正かせい夏文かぶん、それにその叔父の夏景かけいに五千の兵を与えて長安に差し向けた。

 夏景たちは関中に入ったものの、漢兵の強盛をはばかって長安に向かわず、遮馬橋しゃばきょうに駐屯していた胡崧の軍勢と会した。その後、長安が陥ると兵を江東に返そうとしたものの、遠路を凌ぐには糧秣が足りない。

「吾らは朝廷に投降して数年、何らの官職も与えられておらぬ。今また軍功もなく江東に帰れば、ただ官職を授けられぬのみならず、かえって罪される虞もあろう」

 夏景たちはそう言うと、胡崧とともに上邽に逃れて南陽王に従い、夏景は都尉といに任じられ、夏正と夏文は左右の司馬とされた。これにより、南陽王の兵勢はようやく盛んとなった。

 

 ※

 

 その頃、李矩りくが一郡の兵で度々漢の軍勢を退けたとの噂が流れた。南陽王は李矩の兵勢を借りて長安を恢復せんと図り、太尉たいい河南かなん都督ととくに任じる旨の書状を送る。

 李矩は書状を受けたものの、長安にある劉曜りゅうようが知れば必ずや兵を動かすことを思い、さらに胡崧が私情に拠って事を行うことを嫌い、その職を辞する。自らはただ滎陽けいようの軍勢を練って漢の復讐に備えることとした。

 使者は関中に還ったものの、折から漢主の劉聰りゅうそう始安王しあんおうの劉曜の許に常侍じょうじ劉雅りゅうがを遣わし、河南を制圧する糧秣を得ようとしていた。使者は劉雅に捕らえられ、南陽王の書状を奪い取られる。

 長安に到ると、劉雅は書状を呈して劉曜に言う。

「李矩が三度に渡って太子(劉燦りゅうさん)を破ったため、司馬保はこのような計略を企てたのでしょう。しかし、李矩も無傷ではありません。それゆえに従わなかったと観られます」

「晋人どもはこの長安を侵そうと企てている。そのために趙固ちょうこを唆して洛陽を奪ったのだ。吾らもまた軍勢を発して滎陽を落とし、秦州を平らげて司馬保を捕らえ、禍根を断たねばならぬ」

 劉曜がそう言うと、光祿大夫こうろくたいふ遊子遠ゆうしえんが献策する。

「李矩は一郡守に過ぎず、ただ自らを守って国土を恢復する大望などございますまい。司馬保は数万の軍勢を率いておりますが、陳安はすでに去り、胡崧などの諸将は意に介するにも及びません。禍根を断たれるならば、司馬保より始められるのがよろしいでしょう。一計がございます。金銀を五百両ばかり揃え、能弁の者を隴西ろうせいにある陳安の許に遣わすのです。まいないを贈って上邽を攻めるよう唆し、落とした暁には太尉の職を許すと言えば、司馬保への怨みもあって必ずや従いましょう。陳安が勝てばよし。勝てぬならば援軍を送って陥れればよろしいのです」

 劉曜はその策を容れ、劉雅を陳安の許に遣わした。

「公は漢の大臣の身、何ゆえにこのような僻地に来臨されたのでしょう」

 陳安が問うと、劉雅が答える。

「始安王は将軍を蓋世の英雄であると目されています。凡夫の司馬保はそれを知らず、賢愚を見分けられません。それゆえ、張春の讒言を信じて刺客を送り、将軍をして隴西に追いやったのです。しかし、将軍とて孤軍では功業を建てられますまい。これでは、美しい玉を塵の中に埋めるのに変わりません。それゆえ、その英雄を惜しんで下官げかんを遣われされたのです。先ごろ洛陽の趙固が叛いて晋に降り、始安王は平陽へいように還って洛陽の恢復を図ろうとされています。それには二つの問題があります。長安は大都ですが、それに鎮守する者がおりません。また、司馬保が上邽にあって隙を窺っています。それゆえ、まずは司馬保を破って後顧の憂を除こうとお考えなのです。そこで、薄謝を献じてお力添えを頂き、上邽を抜いた暁には将軍のために上奏して太尉の職を求め、關陝の諸軍を統べて長安の鎮守を委ね、始安王は関中かんちゅうを離れて洛陽の恢復を図りたいとお考えです。将軍のお考えはいかがでしょうか」

 陳安は隴城に拠っては志を伸ばせず、劉雅の申し出は渡りに船であった。幣礼の品を受け取ると、拝謝して言う。

「小将は不才の身でありますが、殿下の知遇を得て重職を御許し頂けるとは、これに過ぎる幸いはございません。必ずや上邽を落として御覧に入れましょう。まずは吾が手並みを御覧下さい」

 劉雅はその言葉を聞くと長安に還った。陳安は軍勢を発して上邽に向かう。

 

 ※

 

 陳安が軍勢を率いて向かっていると聞き、司馬保は左司馬さしばの夏正たちを召して言う。

「斥候の報せによると、陳安の軍勢がこちらに向かっているという。胡崧は病床に就いており、戦に出られぬ。蓋濤がいとう和苞わほうでは陳安を防ぎきれまい。が自ら出戦せねば、将兵は懼れて従わぬであろう」

「戦であれば、吾ら兄弟が怖れるはずもございません。しかし、城中の兵は練兵が足らず、大敵に臨むには不安があります。また、かつては陳安に従っていた者たちでもあり、逃亡した経緯もよく知っておりましょう。陳安に同情する者も少なくありません。一戦に退けられれば問題ありませんが、万一にも不利になれば、ほこさかしまにせぬとも限りません」

「それならば、どのように処するべきか」

 夏文が進み出て言う。

「城を堅守するのが上策です。その一方、西涼公せいりょうこう張寔ちょうしょく)の許に人を遣って救援を求めるのです。張士遜ちょうしそん(張寔、士遜は字)は平生より忠義にして晋の臣と自負しております。必ずや援軍を送るでしょう。来援を待って城の内外より一斉に攻めかければ、陳安とて支えきれますまい。これより他に陳安を破る策はございません」

 司馬保はその言をれ、涼州りょうしゅうに人を遣わした。

 使者は州治の姑蔵こぞうに到って張寔に見え、司馬保の書状を呈する。張寔は一読すると諸将を集めて事を諮った。

「亡き南陽王が長安に鎮守されていた折には、涼州には下賜の品を多く賜り、厚遇して頂いたものです。恩はあっても怨みはございません。今、その子が秦州で難にあっているとあれば、救援するのが筋というものです。さらに、晋の宗室でもあります。坐してその敗亡を見るわけには参りません」

 宋配そうはいの言葉に張寔が言う。

「その言は正しい。しかし、北宮純ほくきゅうじゅんは病を患っている。誰を遣わすべきであろうか」

韓璞かんはくであれば諸将を和して陳安を退けられましょう。陰預いんよを副将とすれば間違いはございません」

 張寔は宋配の言葉に従い、二将に二万の軍勢を与えて上邽に遣わしたことであった。

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