第六回 魯徽の霊は呼延顥を殺す

 陳元達ちんげんたつが世を去り、漢の士民がそれを知ると生業を休んで喪に服する者が多く出た。人里離れた深山しんざん窮谷きゅうこくにあってもみな父母の喪ったかの如く痛哭つうこくする。

 王沈おうちんたちは陳元達の遺した上奏文を手に入れると、漢主の劉聰りゅうそうには呈さず、相国しょうこく劉燦りゅうさんに渡して握り潰した。

 陳元達の死を知った劉聰は、それが月光げっこうの自殺に端を発していると誤解し、葬儀に臨席せずおくりなも加えなかった。

 勲旧の宿将、姜發きょうはつ黄臣こうしん関山かんざんたちは葬儀の席で嘆息する。

「皇太弟(劉義りゅうぎ)は庶人に落とされ、大将軍(劉宏りゅうこう)と河間王かかんおう劉易りゅうえき)、相国(陳元達)はいずれも世を去った。このような政情であっては、遠からず禍に罹ろう」

 姜發が諸人に言う。

「そろそろ潮時というものだ。自ら退かねば陳元達の後につづくことになりかねぬ。すみやかに身を処するべきであろう」

 関山たちはその言に同じ、一同して丞相府じょうしょうふにある諸葛宣于しょかつせんうの許に赴いた。

「吾は病を得ていまだ癒えておらず、古い付き合いの諸公と身を退いて余生を楽しむわけには参りません。今や朝廷では王沈と郭猗かくい、それに靳準きんじゅんが奸悪をなし、劉燦と表裏をなしております。主上は酒色に荒んでいずれ変事が出来しゅったいいたしましょう。諸公はすみやかに職を辞して身を全うされよ」

 諸葛宣于の言葉を聞くと、一同はそれぞれの私邸に引き揚げた。


 ※


 それより、勲旧の諸人が老病を理由に職を辞する旨の上奏を行ったものの、劉聰はいずれも許さない。

 日を置いてふたたび辞表が届けられると、姜發や関山を召し出し、慰留して言う。

「河間王と陳元達は齢を重ねて頑迷になり、朕の命に度々背いた。しかし、罪したわけではなく、いずれも病を得て世を去ったのだ。大将軍は皇太弟と謀議して逆を図り、そのことは王皮おうひ劉惇りゅうとんが証言しておるが、朕は勲功を思って罪を加えるに忍びぬ。卿らは何を疑って朕を見捨てようとするのか」

 劉聰に問われ、姜發が言う。

「陛下を疑っているわけではございません。臣らは先帝に従い、陛下とともに南に征して北を討ち、労を憚ったことはございません。かつ、今や勲功をよみされて重禄を受ける身であります。しかし、すでに髪は白くなって心神にかつての働きはなく、大事を託されたところで負託に背くばかり。それゆえに職を辞して余生を故郷に送りたいと願うものです。御許し頂けるのであれば、吾ら兄弟にとってこれに過ぎる幸甚はございません」

「卿らが老病を理由に辞職を願うとは、朕を捨てるつもりか。存義そんぎ姜飛きょうひ、存義は字)は朝廷に残れ。二人とも朕の許を去るなど許されぬ」

「吾が弟は先の関中かんちゅうの戦で太子をお救いした際に弩を受け、いまだに左肘の傷が癒えておりません。陛下のお側にあっても任を果たせますまい。ご容赦を願わしう存じます」

「それほどまでに願うのであれば、背くわけにもいかぬ。これまでの艱難を労う餞別の宴を設けるゆえ、朕と歓を尽くした後に職を辞することを許そう」

 劉聰がそう言うと、姜發は拝謝して退いた。


 ※


 ついで、関山も辞職を許されるよう願い出るが、劉聰はそれも許さない。

「卿の先君(関防かんぼう関謹かんきん)は先帝(劉淵りゅうえん)と死生を共にした骨肉の間柄、つまり、朕と卿は兄弟のようなものである。二兄はすでに世を去り、ともに安逸を楽しめなんだ。今、朕は太子に位を譲って引退しようと考えておる。さすれば、卿らと安逸を共にして父祖が契った桃園の義を実現できるというものであろう。朕を捨てて去るなど許されぬ」

 関山はさらに言う。

「臣が二人の兄は漢室に尽忠し、相継いで世を去りました。臣のあによめは齢八十五となり、常々死後は伯父夫妻と一所に葬って欲しいと申しております。二兄はすでに亡く、臣は嫂を連れて故郷に帰らなくては、昔日の付託に背くこととなりましょう。それに、臣も白髪の翁となっては生きても楽しみはなく、老いては漢室に尽くすという宿願も果たせそうにございません。親に孝を尽くし得ず、どうして君に忠を尽くせましょうか。臣の母も七十九歳となり、切実に故郷を思っております。そのため、天威を冒して辞職を願うのです。二母を奉じて錦屏山きんへいさんに向かい、願いを叶えてやりたく存じます。万一、その後も天が臣を殺さずふたたび陛下に恩を謝することが叶うならば、これほどの喜びはございません」

 劉聰は涙を流して言う。

「卿が孝を全うせんと欲するならば、朕はそれを許すよりあるまい。関継忠かんけいちゅう関心かんしん、継忠は字)と関河かんかは朝廷に残って朕に仕え、故旧を忘れぬ心を明かにせよ」

 言われて関山が応える前に関河が進み出た。

「臣が父の関防、伯父の関謹は相継いで世を去り、臣は関中への出征に従って喪に服しておりません。これは終生の悔いであり、今になっても忘れられません。また、臣の母は父を悼んで病に罹り、飲食が進まずやせ衰えております。願わくば、朝廷を退いて母の傍らに侍り、あわせて喪を終えられれば、これに過ぎる御恩はございません」

 劉聰が何か言おうとする前に、関心も進み出て言う。

「臣の兄の関山は齢六十を超えて筋骨はすでに衰え、二人のあによめに仕えねばなりません。臣がおらねば生活にも事欠きましょう。また、臣だけが朝廷に残って栄誉を貪り、朝夕に嫂に仕える労を忘れられましょうか。ともに職を辞して故郷に帰り、母や兄に仕えることを御許し頂ければ、これに過ぎる幸甚はございません」

 劉聰は嘆じて言う。

「関氏の一族は没した者たちであっても尊ばねばならぬ。朕が卿らの辞職を許さぬわけにはいくまい」

 そう言うと、それぞれに五十斤(約30kg)の黄金を下賜した。黄臣を顧みて言う。

「卿ら兄弟もともに過ごした半生の苦労を思わず、職を捨てて朕の父子を朝廷に置き去りにするのか」

「臣は蜀より逃れて一命を取りとめ、漢室に尽忠して今日に至りました。栄華はすでに極まっており、目も耳も衰える老齢になって何事をなせましょうや。陛下が臣の数代に渡る忠義と半生の艱難を思われるならば、田宅を賜って先朝が老臣を養った恩と勲旧の者を優待した意に倣われるのが願わしく、陛下の御恩も明らかとなりましょう。老朽の身を朝廷に置いて勤労させたところでお役には立ちますまい」

 黄臣の兄弟は辞職を許した関河、関山、関心、姜發らよりも年長であり、劉聰は田宅を授けて閑職に充てることを許した。


 ※


 翌日、劉聰は光極殿こうきょくでんに宴会を催し、詔して関、姜、黄の三家の勲功を宣べ、百官を率いて自ら宮門まで見送りに出た。手を執って涙を流して分かれると、百官は関氏と姜氏の旅立ちを見送りに城門に向かう。

 黄臣と黄命こうめいの兄弟は平陽へいよう城内の私邸に帰り、関山や姜發は隴西ろうせいに旅立った。

 平陽の父老たちは見送って言う。

「漢主は奸邪の者たちの言葉を聞いて忠義の者の言葉をれぬ。それゆえに勲旧の者たちが相継いで職を捨てたのだ。勲旧が去ったからには、遠からず禍に罹るであろう」

 その言葉が劉聰の耳に入ることはなかった。


 ※


 この時、呼延顥こえんこうは体調を崩して朝廷に出仕していなかった。

 人から三家の者たちが職を辞したと聞き及び、勉めて甥の呼延勝こえんしょうとともに餞別に向かった。

 仕える者の一人が先の父老の言を聞いて伝え、聞いた呼延顥は呼延勝に言う。

「吾は引き籠っておったために三家の兄弟が職を辞したとは知らず、ともに職を辞する機を逸した。故旧の者たちが去ったにも関わらず、吾のみが栄禄を貪って世の不評を買えようか」

「仰るとおりです。今や王沈と靳準が権勢をほしいままにしており、禍は測り知れません。上奏して職を辞し、余生を悠々と送るのがよいでしょう」

 呼延顥と呼延勝はともに辞表を認め、その夜はとばりを同じくして休んだ。

 三更さんこう(午前十二時)になる頃、呼延勝は夢に魯徽ろきが髪を振り乱して叫ぶのを見た。

「お前の叔父は出兵にあたって吾が忠言を納れず、戦に敗れればじて吾を殺した。お前はその傍らにあって一言の諌めも述べなかった。吾は陰司いんしに訴えてお前の叔父を冥界に連れていき、お前にも証言させるつもりだ。嘘偽りは通じぬぞ」

▼「陰司」は冥府で生前の罪を測る神と解するのがよい。

 呼延勝は夢から醒めても汗が止まらず、傍らの呼延顥は突然に立ち上がると叫んだ。

「吾は魯徽である。忠言を進めたにも関わらず、どうしてお前は吾を殺したのか。ともに上帝じょうていまみえてお前の罪を定める。逃げ隠れするな」

 そう言うと、呼延勝の腕を掴んで離さない。

「叔父上、お気を確かに」

 呼延勝がそう言うと、呼延顥は手を放したものの仰向けに倒れ伏す。それより一斗いっと(約10.7ℓ)ほども血を吐くと事切れたことであった。

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