3.水再生センター

 私たちは『最初沈殿池さいしょちんでんち』でしばらく大人しくし、浮かび上がってきた軽い汚濁物おだくぶつを取り除かれた。次いで『生物反応槽せいぶつはんのうそう』に移された。ここからが下水処理の本番だ。


 生物反応槽は、ぶくぶくと泡立っていた。私たち下水の中に、空気が吹き込まれているからだ。何故なぜ空気を? 反応槽の住人たちが、必要としているからだ。

 私たちの中に、いつの間にか、1ミリほどの小さな塊が大量に発生していた。泡立つ下水の中を、ふわふわと漂っている。それは、下水に含まれた有機質ゆうきしつの汚物を食べるためにやって来た、微生物びせいぶつの塊『活性汚泥かっせいおでい』だった。

 かたまりの表面には、様々な細菌、原生げんせい動物、微小後生びしょうこうせい動物らがしがみ付き、い回っている。活性汚泥は、微生物の集団が下水の中を泳ぎ渡るための小船こぶねであり、その乗客たちは、いずれも変わり者ばかりだった。


 まずは細菌たち。彼らのほとんどには名前がなかった。人間の科学者たちが研究をなまけていたわけではない。細菌たちが、複雑高度な共生関係きょうせいかんけいで結ばれているため、一匹一匹を解きほぐして分類し、命名めいめいすることが出来ないのだ。彼らはひとしなみに『ズーグレア』と呼ばれていた。

 凝集性ぎょうしゅうせい細菌は、くもの糸のような粘着性物質を分泌ぶんぴつし、ほかの細菌をくっつけて塊を作っていた。彼らは、活性汚泥という小船の船体だった。

 好気性こうきせい細菌は、有機物を食べ、酸素を呼吸し、体内で組み合わせてエネルギーに変えていた。そのさい、二酸化炭素と水を吐き出す。亜硝酸あしょうさん菌のニトロソモナスは、アンモニアを食べ、酸素と組み合わせてエネルギーを得る。そして亜硝酸と水素イオンと水を吐き出す。彼らの旺盛おうせいな食欲によって、新しい水分子が次々と生まれてくる。

 「ひさしぶりに水になったよ。何か変わったことは?」

 「かぜは熱く、雨は強くなったよ」

 次に原生動物。彼らは、細菌より何十倍も大柄おおがらだ。細菌の口に合わない大粒の有機物を食べる。杯型さかずきがたの大口を開き、繊毛せんもうを波打たせて手当たり次第……いや、毛当たり次第にかき込む。私は有機物と一緒に何度も彼らの口に入り、そしてし出された。やあ、ボルティケラ、やあ、ズータニウム、やあ、エピスティリス、やあ、オペルクラリア、やあ、アスピディスカ……。

 原生動物たちは、有機物と一緒に細菌まで食べてしまうことも、お構いなしだった。そんな原生動物も、微小後生動物に食べられた。ぼうふらのようなロタリアは、極小ごくしょうの楽園に襲い掛かる1ミリの巨人だった。どこにでもいるミジンコは、ここにもいた。不死身で名をはせたクマムシもいた。

 微小後生動物は、仕事の邪魔をしているのだろうか? おそらくそうではあるまい。彼らがいなければ、活性汚泥は無制限に増殖ぞうしょくし、下水中の有機物を食い尽くし、果ては自己分解してしまうだろう。微小後生動物は、活性汚泥というミクロの生態系せいたいけい調整者ちょうせいしゃなのだ。

 活性汚泥の状態は良好だった。私たちは、見る見るうちに浄化されていった。

 人類は、自らが汚した大量の水の後始末あとしまつを、このように小さな生き物たちに頼りきっているのだった。活性汚泥は、人類の知られざる、そして忠実な友人であった。


 私たちは『最終沈殿池さいしゅうちんでんち』に移された。活性汚泥たちは満腹し、静かに、沈殿池の底に沈んでいった。

 いよいよ最後の仕上げだった。私たち処理水しょりすいは『消毒槽しょうどくそう』で塩素と接触し、消毒された。こうして私たちは、澄み切った川の流れにも劣らない水質に到達とうたうした。

 私たちは、人間たちが琵琶湖びわこと呼ぶみずうみに放流され、湖水となった。



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