ハッカーの眼

倉田京

ハッカーの眼

 世の中には沢山のがある。ノートパソコン、携帯電話、駅の構内、そして街中の監視カメラ。それらのほとんどはインターネットという糸で繋がっている。ほんの少しの専門知識と管理の甘さを突けば、俺の自宅のパソコンもその眼に繋げることができる。

 この文章を読んでいるあなたの携帯電話やパソコンも例外ではない。使っている最中に少し反応が鈍いと感じたら、それは俺の眼があなたを見ている時だ。



 使い慣れたパソコンのキーボードを叩く。六つ並んだモニターの一つに、繁華街はんかがいを行き交う人々の様子が映し出された。俺は今、自宅のアパートのパソコンから世の中の様々なカメラにハッキングをしている。


 カメラの眼を盗む理由、それは好奇心だ。人は物語ものがたりかたまりだ。高級外車に乗るおっさん、自転車に乗って走るフリーター風の男、仲良さそうに話す二人組の女子高生。それらを眺めながら、彼らの送ってきた人生を想う。

 初めは腕試しのつもりだった。しかし見た人間を一方的に支配しているような優越感が俺を病み付きにさせた。特に街頭に設置された監視カメラをよく見るようになった。高い位置から見下ろしている感覚が味わえるからだ。


 俺は通帳やクレジットカードから金を引き出すようなことはしない。カメラの映像を見る、ただそれだけを行う。それだけなら捕まるリスクは格段に低くなるからだ。ハッカーには臆病な人間が多い。



 最初は中学生ぐらいの女の子だった。

 俺はいつものように街頭の映像をモニターに映していた。すると映像の一つが規則的な動きをし始めた。よく見ると監視カメラに向かって手を振っている人間がいる。セーラー服を着て髪を二つに縛った女の子。モニター越しに目が合った。その子はずっと手を振り続けている。俺もふざけてモニターに向かって手を振ってみた。当然、こちらの姿は向こうには見えていない。しかし俺が手を振ると、それを確認したかのように女の子は手を降ろした。少し気味が悪いと思った。一瞬目を離した隙に女の子は居なくなっていた。


 次の日、また手を振ってくる人間がいた。今度は昨日とは何十キロも離れた別の場所のカメラだった。振っていたのは二十代後半ぐらいのスーツ姿の男。俺は手を振らずに映像を別のカメラに切り替えた。

 偶然にしては出来過ぎていた。監視カメラに向かって手を振るのが流行っている訳ではない。調べても、そういったプレイをする携帯電話のゲームは存在しなかった。

 次の日も、そのまた次の日も、手を振ってくる人間は現れ続けた。年齢や性別、恰好はバラバラだった。場所も全然離れた所だった。だがみな一様いちように無表情のまま顔の横で手を振っていた。



 ついに五日目、俺はカメラのハッキングから足を洗うことを決意した。理論理屈りろんりくつで説明のつかない何かが起こっているのは明白だった。でも長年続けてきた自分の唯一の趣味である覗きを簡単に止めることはできなかった。俺は『これが最後』と思いパソコンの電源をいれた。その瞬間、玄関のドアホンが鳴った。


 ピンポーン……


 ドアの方からは声が一切しない。俺の知らない何かが来た。背筋が凍って身動きが取れなくなった。


 ピンポーン……


 ドアホンは続く。俺は意を決して音を立てないように玄関に近づいた。そしてドアの覗き穴に目を近づけた。


 監視カメラに向かって手を振っていた人間たちが集まっていた。俺にはそれが人間に見えなかった。皆一様に無表情で覗き穴に向かい、顔の横で手を振っていた。全員と目が合った。色つきのプラスチックのような目だった。


 俺はその場に転がって尻餅をついた。


 ガンッ!ガンッ!ガンッ!


 何かが目の前のドアを強引に開けようとした。玄関にけたたましい音が響いた。



 一呼吸置いて、ドアホンがまた静かに鳴った。


 ピンポーン……ピンポーン……


 その後、静寂が訪れた。


 俺は恐怖のあまり、その場で朝まで動けなかった。



 その日以来、俺は監視カメラの眼を盗むことを止めた。

 あれが一体何だったのか。俺には分からない。ただ、この世には軽はずみな好奇心で首を突っ込んではいけない世界がある事を俺は知った。




 あなたはライブカメラというものを見るだろうか。最近は高速道路や観光地などに設置され、パソコンや携帯電話を使い、誰でも気軽に見ることができる。監視カメラに似ただ。今、何かがあなたに向かって手を振っているかもしれない。

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ハッカーの眼 倉田京 @kuratakyou

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