拾 変異の魔法


「……」


浴室から上がり、脱衣所にて服を着ていたユウは、ふと目に留まった鏡、そこの映る自分の姿を見ていた。

全身に痛々しく刻まれた、大量の古傷。

それを見て、「醜いな」、と一言呟く。


——ジョフはともかく、これをあいつが見たらなんて思うか…


ハハハ、と続くように内心呟いたその言葉。

その後、すぐにユウはそれに疑問を抱いた。



——なぜ彼女が出てきた?

あくまで彼女とは、ただの協力関係なだけにあるはずだが…?

これを見てあいつが何を思おうと俺の知った事ではない、利用するだけの人間になるつもりはさらさらないが、極端な言い方をすれば、ジョフの存在があるお陰で、おそらく彼女の手助けは必要なくなっただろう。


であれば、なぜ…?



「……」


暫くそれについて考え込むようにしていただが、答えどころかいつまで考えてもそれより前に一歩も進展しないので、ようやく自分は何を馬鹿げた事を考えているんだ、とユウは思考を破棄し、籠の中の服に手をかけたのだった。


「ん…?」


その時、ユウは違和感を覚える。

籠の中に入っていた一組の服。

それが、浴室に入る前と後で変わっていたからだった。

籠は一つしかないので、間違える事はあり得ない。

となればと、ユウはジョフが入れたものなのだと思考した。


肩のあたりを掴んで服の全体像を見てみる。

黒色の、セーターの様な材質のその服は、長袖で、首のすぐ下周りまで布のあるものだった。

そのため前後は関係ない様に見える。


ユウがそれを着込むと、間も無くしてひんやりとした気持ちのいい感覚が冴え渡った。

一瞬季節外れなものに感じた、その素材の一切が不明な服は、どうやら夏服らしい。


そして、ユウは脱衣所を後にする。


扉から出てすぐ、ソファに腰掛け、紙の上でナイフを研ぐジョフの姿があった。

それにユウは口を開く。


「流したはいいが、これからどうする気だ?」


「ん? ああ、ちょっと待ってくれ....」


こちらを一切見ず、ナイフの刃を様々な角度から見て砥石を擦り続ける。

そうして一分も経たないうちにそれを机に置くと、ようやく立ち上がった。


「——よし、ユウ。まずは魔法の特訓だ。」


「特訓?」


「まあ、練習って言った方がいいな。別に、やるのは攻撃魔法じゃない。防御魔法でもないな。大体の奴らなら戦闘には使わん魔法だ。」


「それは....?」


「幻覚魔法、その内の変異魔法だ。」


幻覚魔法。

それはユウにも聞き覚えのある単語だった。

それにまた、眉をひそめる。


「待て待て、そんな高等魔法、ド素人の俺に出来るわけないだろ。」


「いや、お前なら出来るぞ。」


「なに言ってる、あれは魔法学校を卒業する様な人間の使うものだろ。」


「ああ、つまり練習すれば誰でも出来ない事はないんだ。お前は一種だけだが高等魔術師レベルの魔法を扱えてるはずだからな。」


「高等魔術師レベル....? そんなもの.....」


扱えた覚えはない、そう続けようとしたところでユウは一つ思い出した。

上位種に当るはずのクラーケンや、ジェネラルオーク。

その両者をたった一撃で葬ったあの魔法を。


たしかに、あれを全員が扱うことが出来れば、そもそも“冒険者”などと言う職は存在しないだろう、モンスター達が脅威にすらなり得ないからだ。


「——ちょっと待て、なんで知ってる?」


「冒険者カードを、ちょっとだけな。」


「……」


「怒るな怒るな、実力を測るのに態々訓練場へ呼び出されても面倒だろ?」


「…まあいい、それで、どうすれば俺にそれを扱えるんだ?」


「——まあ、変異魔法って言っても、簡単なものだ。髪や瞳の色を変えるくらいか。お前なら三十分もあれば習得できるだろ。」


「そう言うものか....?」


「ああ。——意識するのは色。そうだな....青でいいだろ。なんでもいい、青を意識しろ。」


「ああ…」


そう言われて、ユウは一瞬考える。

そうして出てきたのは川のように流れている青いかにかだった。

間も無くして、それが髪であることに気がつく。

長い、青い色の髪が風になびく絵を想像していたようだ。

次に、ではこれはなんなのかという疑問が湧いて出た。

そして、ある名前と共にその顔が浮かんだ。


「スノー…?」


思わず小さく呟いたそれに、ジョフが口角を上げる。


「ほぅ、お前の“青”はあの嬢ちゃんか....」


「ッ! ち、ちがう...! ただ....すぐに出てきて.....あれ? なら....」


自分で否定しながらもジョフの言葉を若干肯定するようなその内容にまた疑問を抱いた。


「ほぅ、青春だねぇ…——だがユウ、今は特訓に集中してくれ。」


「あ、ああ。悪い.....」


ユウは再び青を想像する。

変わらず浮かんだ風になびく青い髪。

先程との差異と言えば、今度は”髪“だけではなく、“スノー”そのものを浮かばせていた事だろう。


それにまたユウは疑問を抱いたが、ジョフの言葉通り、今は魔法の練習時間であって、これについて考える時間では無い。

そう思考しつつ、その疑問を蹴って捨てるのだった。


「よし、もういいぞ。——じゃあ次は体の中の魔力を感じ取れ。」


「魔力....?」


ジョフにそう言われ、ユウはなんとなくで感じてみるが、やはりなにも感じ取る物はない。


「そうだな....川の流れを意識すると良い、お前の全身に血とは別になにか流体が流れているのを意識するんだ。まるで川みたいに、な。」


ユウはその言葉に頷くと、瞳を閉じ、身体を流れる流体。

それを意識し始めた。

すると——


「見えた....」


瞳を閉じているにも関わらず、ユウの視界には明度の違う、様々な緑色の線が、複雑に絡まるようにして象られた自分の手が見えた。


「これが魔力...か....?」


「ん? ほぅ…先に魔視出来るようになったか。」


ジョフがそれに関心の声を上げる。


「魔視…?——ああ...」



聞いたことがある。

魔力を可視化する事ができるだとか、主に魔術師の行う芸当だ。

これで相手の大まかな魔力量を計ったりだとか、暗闇や、隠れている人間、はてにはモンスターを見つけたり出来る行為だったか。



「便利な物を習得した…」


そう呟きながら、ユウは瞳を閉じたままジョフの方を見る。

しかし、一瞬見えた色とりどりの線は、一瞬で消えた。


「?」


「はは、驚いたか? 魔力を抑えればこういうことも出来る。——まあ、今は変異魔法を先に習得して貰いたいからな、今度だ。」


「あ、ああ....」


「じゃあ、今度はその魔力を動かしてみろ。」


それに頷くと、再び瞳を閉じ、両手に視線を落とした。

そのまま念じるようにして力を込める。

すると——


「動いた....」


絡まったいくつもの線が流れるように動いていくのが見える。

ユウはそれを操作していくうち、一分程度で、ある程度には自分で動かせるようになっていた。


「よし、じゃあそいつらを頭に集中させろ。顎に移動させるように意識するとやりやすい。」


それにユウは、言われた通りにしてみる。

すると、ジョフが笑い声を上げた。


「ハハハ! ユウ、お前ほんとに顎に行ってるぞ!」


「?」


「驚いたな、まさかこの短時間でここまで操作できるなんてな!」


「……」


半目で睨みつけていると、ジョフはその顔にも笑った様子で、そして謝罪をしながらその理由を言った。


「いやいや悪い、本当ならこれで頭いっぱいに魔力が移動するはずなんだがな。お前の場合はもう普通に頭に移動させるように意識すれば良い。——そうだ。出来たじゃないか。」


ユウの魔力が頭に移動したのを見てジョフはそう言った。


「よし、最後だ。——最初に想像した青。それをもう一度想像してみろ。」


ユウはそれにまた、小さく頷くと、青——いや、スノーを想像した。

雪背景に髪をなびかせながら立つ彼女の姿だった。

当然こんな光景は見たことが無い。

そして、一瞬。

本当に一瞬だった。

一瞬だけ、雪のように真白な髪を静かに靡かせ、和服に身を包む、ひとりの少女の姿が映った。

頭には、黒い髪飾りの様なものを付けている。

そして、手には、鍔の拵えられていない、彼女の髪と同じ、雪色に輝く一本の刀が握られている。

会った事はおろか、見た事もないその光景だったが、確かにその顔は、スノーと同じものだった。


「——目を開けてみろ。」


ジョフのその言葉で、ユウはゆっくりと瞼を開く。

すると、目の前に手鏡をこちらに向けて立つジョフの姿があった。

そして——その手鏡には、薄暗い青色の髪に、紫がかった青の瞳を持つ少年が映っていたのだった。


「ッ…」


「どうだ? 驚いたろ? これが変異魔法だ。つっても、こいつは人間の反射を利用した物だから、魔法と呼んで良いのかは怪しいんだがな。まあ低位の魔法だと思ってくれれば良い。もう一度、今度は自分自身を思い浮かべて同じ事をするか、こういうのを解く魔法を受けて、お前が抵抗しなければ元に戻る。」


「.....感謝する。」


「まだ早いぞ。やる事はもっとある。」


「…? まだ何かあるのか?」


「ああ。着替えろユウ、出るぞ。」


そう言い、ジョフはユウに白色のコートを投げ渡した。





「フードは被っておけ。」


「ああ。」


そう言われ、肩から覆うようにしてつけられた布の先端。

フードになっている部分を被る。


「でも、髪も瞳も大丈夫だろうし、なんでだ?」


「お前は少なからずも紅い瞳を持つと知られてるからな。まあ面倒ごとを避けるためだ。」


「……」


ユウはそのままジョフの背について行く。

そうして歩く事数分、ジョフがその足を止めた。


「ここだ。」


そう言ったのは一つの建物の前。

吊り下げられた看板には『戦闘訓練場』の表記が。

あたりを見回すと、ここはギルド支部から近い、冒険者達の多く集う広場だった。


「なんでこんな遠回りしたんだ?」


「正面から行くと俺だとバレるからな。帰りも同じとこ通るぞ。」


「あ、ああ....」


そう言うと、ジョフはその建物の扉を開き、入って行く。

それを見て、ユウもそれに続いた。


「二人だ。」


ジョフが先日のユウのように、マントについたフード。

それを目深に被って端をつまみながら受付でそう言い、金を渡した。


「毎度。32番だ。」


受付がそう言うと、二人は中に入る。

そこには何十人もの冒険者達が木製の練習用武器を片手に、練習台の前に立っていた。

その奥では、模擬戦だろう。

試合形式のように2名の男達が木刀で鍔迫り合いを繰り広げていた。


「こっちだ。」


その言葉にジョフについて行くと、今度は何本もの練習用武器の並んだ場所に出た。


「そうだな…これと…これ…それと——」


ジョフが小さく呟きながらいくつも武器を取って行く。

そして、また「ついてこい」と一言。

”32“の看板が下げられた練習台の前まで来た。

ジョフが武器を側のテーブルに置く。


「よし、ユウ。この武器全部を試してみろ。」


「?」


「練習だ。お前に一番あった武器種がなにか、お前自身もわかってないだろ?」


「ああ、そうだが....なぜそれを?」


「奴隷上がりってのは大体そんなだ。」


「……」


その言葉に、ユウはまずは直剣と、一本の木剣を取ると、練習台にそれを向けたのだった。





「ぅ...ん....?」


その頃___ギルドの宿泊施設。

その寝室の地べたでスノーは目を覚ました。


「……」


しばらく何も考えずにボーッとしていた彼女だったが——


「うわああああああッ!?」


突然、昨晩の自分の行為を思い出す。

あろうことかあの冒険者序列第一位、ジョフ・ディデイラ・ヨネルに対し極めて馴れ馴れしい態度を取った上に、代金は彼持ちに、ここへ泊まった事。

果てにはユウと同じ部屋にユウと同じベッドで寝ていた事すらも思い出したのだった。


「うぅ…ッ」


羞恥心に顔を真っ赤に染めた彼女は、ベッドを背もたれに小さくうずくまるのみだった。

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