柒 選択の刻


「げほッ....けほッけほッ....」


気管に何かが侵入した強い違和感。

それに咳き込みながら、スノーは目を覚ました。

一つ、咳をつく度に地面に水が落ち、また、それとは別に、髪や服より、これまた水が滴り落ちるのを確認できる。


やがて咳もおさまり、肺内の違和感もマシになった頃、スノーは瞬時に、自分がクラーケンに足を引かれ、湖に落ちた事を思い出す。

この様子であれば、ユウに救われたのだろうと言う思考に至るのも容易だっただろう。

すぐに彼を探そうと視線を上げる。


すると——

目の前に、巨大なモンスターが聳え立っていた。

黒い肌に3、4mはあろうかと言う巨体、そして、豚の鼻を持つ醜悪な顔。

このモンスターを、スノーは知っていた。

——ジェネラルオークだ。

その思考に至るなり本能的な危機を覚えるが——



ドォンッ!



突然の轟音と共に現れた黄金色の光線。

それが伴う閃光に、やや目を窄めるが、ジェネラルオークの頭部が一瞬で蒸発するのを見て、驚愕のあまり瞳を開く。


何が起こったのかと、視線を下に下げると、その正体がわかったのだった。


頭部を失ったジェネラルオーク。

その足元に立つ、一人の少年。

纏う衣服は、自分と同じように水気を多く含み、ずぶ濡れで、重そうだ。

しかし、その髪は漆黒に染まり、そして、その瞳は真紅に妖しく輝いていたのだった。


——魔族。


ユウのその姿を見て、スノーの脳裏にその言葉が過る。



ドスンッ



生き絶えたジェネラルオークが倒れた。

それにバランスを崩したか、少年は倒れる。

そうして、そのまま動かなくなったのだった。


「……」


スノーは少年にゆっくりと近づく。

先程までは、青い髪に、常にフードをかぶっていたので、顔は全然見えなかったが、初めて少年の、その顔をじっくりと見ることが出来たのだった。


整った顔立ちに、低めの鼻、左目の目尻の下には特徴的な、連なって並んだ二つのホクロがある。

朴は丸みを帯びており、その顔はまるで女性のようだった。

その顔を見て、スノーの記憶になにかの心当たりを見つける。



——以前、彼とどこかで会った気がする。



そう思ったのだった。


今は、瞳を閉じているので定かでは無い。

遠い昔、それこそ、自分がまだまだ小さかった頃に、彼のような魔族に出会った気がしたのだった。


「——ありえない…か…」


しかし、それはもはや十数年も前に遡る話である。

彼はどう見ても自分と同じ年代。

たしかに魔族は長い寿命を持つ。

しかしそれでも、十数年間変わらず一切の成長がないなどあり得ないだろう。


それよりもだと、スノーは彼の前で剣を抜いた。

その白刃が、鞘から抜き取られると同時に小さく音を立てて、光を反射させる。


「……」


彼の顔を見て、こめかみより滴つ汗。

剣を握る手に力が入った。

スノーは、それを上段で構えると——振りかざしたのだった。



ブシャッ



血飛沫が、宙を舞う。


「ギィッ…」


そして、オークの首が地に転がり落ちた。


「今度は…私がユウさんを守る番だ…!」


スノーのその青い瞳は、彼を守ると言う意思を輝かせると共に、迫り来るモンスター達を真っ直ぐと捉えるのだった。


しかし——


「くっ....!」


オークの振りかざした棍棒をすんでのところで躱したスノーは、眉間にシワを刻む。


「数が…多い…!」


森の中から無限とも思える程に湧き出る大量のモンスター達。

オークだけかと思えばそういう訳でもない。

ゴブリン種に、怪犬も混ざっている。

それに、スノーは表情を歪めた。


すでに彼女の足元には幾数もの死体が横たわっており、かなりの数を斬り伏せた事が伺えるだろう。

しかし、それでも尚と迫り来る“彼等”に対し、スノーは歯を食いしばった。



——このままじゃ埒が明かない!

それどころか、押し切られちゃう…

でも、ユウさんをこのままにしておくわけにはいかない…


——そもそも、どうしてこんなに沢山のモンスターが…斬っても斬っても襲いかかってくる…しかもゴブリンに怪犬、その上オークの共闘なんて聞いた事もない。

この状況は、絶対に異常だよ…!



「!?」


ゴブリンの生体——ボゴブリンが繰り出した剣撃を、スノーはこれまた紙一重で受けた。

剣を振り切り、距離を取らせる。



余計なこと考えている暇は…ない…!!



スノーは首から下げられていたネックレスに手をかけた。


「緊急事態なら…今使うべきだよね、母さん…!」


スノーは、そのネックレスを首からちぎり取った。





「……」


ゆっくりとその瞳を開いたユウが、初めにその目に入った光景は、ゴブリンの斬り落とされた生首だった。


「ッ…」


何事かと、辺りを見回すと、大量のモンスターの死体がそこには倒れている。

死屍累々——まさにその言葉が合うであろうその地に、ユウは少しの動揺を見せたがすぐさま平常心を取り戻すと、立ち上がった。



——魔力切れによる鎮化気絶…やはり厳しかったか…



自分が気を失った要因を冷静に分析すると、次に、なぜ自分が無事である事かに疑問を覚え、その正体を突き止めようと辺りを見回した。

そこで、ユウは声を掛けられる。


「ああ…気がつきましたか…?」


「ッ…」


木にもたれかかる一人の少女。

彼女は、その青い髪をなびかせながら、返り血に真っ赤に染まった鎧と、そして剣を携えて苦しそうな笑みを浮かべながらユウの事を見上げていたのだった。


「これは…お前が…?」


「大変でした…」


「……」


魔力切れで気を失っている間、自分の命を救ってくれたのは彼女であると、ユウは素早く理解した。

その状況に、自分はなんと返したらいいのかわからなくなり、そわそわと辺りを見回すようにする。


その時——一つの風が吹いた。

その風になびいた髪が、視界の隅で揺れる。

漆黒に染まった髪が。


「ッ!」


それを見て、ユウはあらゆる可能性の一切を破棄し、素早く雷刃を形成すると、彼女を押し倒していた。


「ユ、ユウ…さん…?」


「見られた…か…!」


焦燥の念を露わにするその表情、腕から伸びる雷刃は彼女の喉元で止まっている。



どうする…見られてしまった以上、殺すしかない…

だが、俺は命を救われた。

——恩を仇で返すのか…?

相手を利用するだけ利用する……それじゃあ、あいつらと何も変わらないぞ…!



「くッ.....!」


眉間に深くシワが刻まれ、そして紅い瞳が変わらず妖しく輝いた。

もうじき夕焼けだった。


クラーケンの触手を容易に切断した雷刃。

だが、それを突きつけられて、彼女はこう口にしたのだった。


「——綺麗…」


その一言。

彼女は完全に無意識だった。


——夕焼けに照らされたユウの紅い瞳。

それは、幻想的に美しく、妖しい輝きを放つ。

黄昏眼煇こうこんがんき——魔族の生み出す芸術とも称される現象…その時間だったのだ。


「え....?」


知識はあったが、その言葉が出てこないどころか、今、自身の瞳がそんな輝きを放っている事など露知らず、ユウはそう声をあげたのだった。


「へ…? あ、いや、そ、その、えっと…」


スノーは、全くの意識外で放った言葉に、すかさずこの状況で自分は何を言っているのだと、一種のパニック状態に陥る。


「ああえっと....今のは...その....眼がとても綺麗だったというか、えっと、そうじゃなくて....その....」


「目…——黄昏眼煇....」


スノーの言葉でようやくその単語が出てきたユウが短く呟いた。


「……」


ユウは、雷刃を静かに納めると、ゆらりと立ち上がる。



——今更、人を信用する事なんて無理だ。

彼らはいつも俺の事を裏切り、利用してきた。

まして知り合って間もない人間を信用するなど愚行中の愚行。

でも.....でもだ.....でも、彼女は——彼女なら、信頼してもいいかもしれない....


ユウは、今から自分がしようとしている事に、呆れの笑みを見せると、口を開いた。


「——俺が黒髪と、紅い瞳を持つこと…それを知ってるのは今の所俺、そしてお前のたった二人だけだ。——先に言っておく、信じてもらえないかもしれないが、俺は魔族ではない。」


「……」


暫くしてから、スノーもその口を開く。


「あなたは....何者なんですか.....?」


「——自分にもよくわからない。まるで、記憶が壊れているみたいな感じだ....よく発狂せずにいられると自分でも思う。」


「——ユウさんが、黒い髪に紅い眼を持つのは私達だけしか知りませんよね.....?」


「……」


ユウは無言で頷く。

それにスノーは小さく微笑むと、口を開いた。


「では、私からも秘密を一つ。」


スノーは立ち上がると、ユウに近寄った。

そして、耳元でなにかを囁く。


「——どうです?」


「それは....驚いたな....」


ユウは目を丸くしていた。


「これで、お互い秘密を共有したわけですね。なんだか不思議、小さい頃から誰にも言っちゃダメって言われてたのに、こんな簡単に....」


アハハ、とスノーは笑う。

そして、手を出すのだった。


「改めて、よろしくお願いします。ユウさん。」


「——ユウでいい。」


「え....?」


「敬語もやめてくれ、俺達は対等でいたい。」


「——うん、わかった。」


勇 咲渡ユウ・サキトだ。改めて、よろしく頼む。スノー。」


ユウは、その手を握り返す。


こうして、世界に絶望する少年と、世界に希望を抱く少女、対比する二人は出逢ったのだった。





「ぷは〜っ!」


コップに一杯、注がれたぶどう酒。

それを豪快に飲み干したスノーは歓喜とも取れるそう言った声を漏らしたのだった。


「——飲みすぎだ、初めてなんだろ? それに未成年だし....」


ユウが呆れ顔でそう言う。

その髪は、再び着色料で青く染め上げられていた。


「初めてじゃないよ!それに今日はいいの!折角二人とも昇格したんだから〜!」


——ここは冒険者ギルド支部。

その酒場であった。

あの後、無事最後の一体を討伐したユウ達は、その成果を報告しに街へと戻ったのだった。


彼女が一通りに狩り尽くしてしまったせいで、ゴブリンの捜査は困難を極めた他、街へと入る際にまずスノーに着色料を買いに行って貰ったりと、さまざまな事もあってか、外はもう既に真っ暗だった。


彼女がこれほどにご機嫌であるのは、酔っているせいもあるかもしれないが、その成果報告結果が一番の理由であろう。

Nランクの冒険者二人が、たった1日でクラーケン、ジェネラルオークを討伐、さらに一通りのゴブリン系やオーク系までもを大量に討伐した結果、異例の成績を残すとになったのだった。


勿論これは異常の一言に尽き、さらに冒険者カードが偽りなくそれを証明している事もあってか、彼等は大型新人冒険者としてその名を馳せることとなる。


その好成績によって、二人は晴れてCランクまで昇格、本来ならばこれ以上の昇格を行ないたいところなのだが、NランクからではどうやってもCランクまでしか昇格させることができず、流石に規則を破るにまでは至らなかったようだ。


だが、それでも二人——いや、スノーだけではあるのだが、ユウも多少なりとも嬉しそうにしているのだった。





宿屋にて、完全に酔いつぶれてしまったスノーをベッドへと横たわらせ、雷で作った球を明かりにユウは一冊の本に目を落としているのだった。


その表紙には、“魔法学”の文字。

本来であれば冒険者が手に取るようなものではなく、魔法学校と呼ばれる施設に通う魔術師達が、その課題を達成する為、知識を有す為に開くような書物であった。


「秘薬に.....余剰魔力.....それに応用....か。」


ユウがそう呟く。


パタンッ


そして、その本を閉じた。


「魔法の理解を深めないとな....」


そう小さく呟くと、ベッドの方を見る。

そこでは凄まじい体勢でスノーが横たわっていた。

どう見ても自分の入るスペースなんてものはない。


ユウは、一つ溜息を吐くと、背もたれにもたれかかり、その瞳を閉じるのだった——

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