第14話 Girl's Side(14)

「やっちゃんたち、あんなに急いで帰って、どうしたんだろうなあ」

 パパが首を捻りながら、うちの自動車くるまのトランクに荷物を詰め込んでいる。

「あいつも社長だから、いろいろ大変なんじゃないかな」

 西方のおじさんがキャリーバッグに荷物を詰め直しながら答えた。そのまわりでルリとマリが跳ねまわっている。

 お昼前に、わたしたちは駐車場で帰る支度をしていた。といっても、わたしはデイバッグひとつしか荷物はなかったし、大人たちの作業も手伝う必要もなさそうだったから、手持ち無沙汰でうちの自動車くるまの後部ドアに背中を預けていた。昨日着そびれたポロシャツとジーンズを今日は着ている。

「まあ、またすぐに会えるから、いいか」

 パパがママからスポーツバッグを受け取りながら笑った。楽しい3泊4日だったみたいだ。

 リョウマくんの家族が3人とも朝一番で帰ってしまった、と聞いたときには、全身の血が冷える思いがした。大怪我させちゃったんだ、と心の中だけで震えていたけれど、事情をよく聞いてみると、どうもお父さんの仕事の都合らしくて、息子は関係ないようだった。彼が言っていたように、足をぐねった程度で済んだのだろう。とにかく、あいつのことはもう考えたくなかった。気分は暗くても、それとは関係なしに空は青い。

「ヒカルちゃん」

 知らない間に西方のおじさんが近くに立っていたので飛び上がりそうになる。

「はい」

「今日もかわいいね」

 その言葉も、もう額面通りには受け取れない。

「ありがとうございます」

「どうかな、これからもぼくらと仲良く」

「そうだ。ルリちゃん、これ」

 おじさんの言葉をさえぎって、ジーンズのポケットに突っ込んであったぬいぐるみを出しながら、ルリたちのところまで歩く。

「あー、おしろー」

 ぱーっと花がほころぶように笑顔になったルリがわたしの手から受け取る。

「まあ。それ、どこにありました? いくら探しても見つからなかったのに」

 智世さんが微笑む。昨夜ゆうべの情景を脳裏からなんとか消そうとする。

「コテージの1階にありました」

「じゃあ、ゆうべ落としちゃったのね。ルリちゃん、お姉さんにありがとうは?」

 ルリはわたしの顔をじっと見つめてから

「ありがと」

 と笑った。喜びが身体の中で爆発する。OH YEAH! とアメリカンな喜び方をしたくなったけれど、もう14歳なので我慢した。13才だったらやっていたかも。

「ヒカルちゃん」

 おじさんはまだ話を続けたがっていたけれど、わたしにはその気はなかった。

「お疲れさまでした」

 笑顔であいさつしてから、自動車くるまにさっさと乗りこむ。あの人とはこれからはなるべく接触しないように気をつけなければいけなかった。最悪でも二人きりになってはいけない。自分の身は自分で守らなければ。

 助手席に乗りこんできたママがわたしをじろじろ見ている。

「どうかした?」

「首、虫に刺されているじゃない? 大丈夫?」

 指を差されたのは、ゆうべリョウマくんにキスされたあたりだった。あわてて手で隠す。

「え、いや。大丈夫、大丈夫。痛くもないし、かゆくもないから。おかしいな、いつ刺されたんだろ。全然気づかなかった」

「そう? でも色が変わっているわよ。あとで薬を塗っておきなさいね」

 はーい、と小さく返事をする。やたら口数が多くなって、ごまかしているのは丸出しだったけれど、ママは気づかないでいてくれた。あいつ、強くやりすぎなんだよ、と腹を立てた後で、ママはわたしがそういうことをしていると考えてもいないんだな、と罪悪感をおぼえてしまう。そこで、ママだってやることやっているじゃない、と開き直れないのがわたしのだめなところなのかもしれない。

「それじゃ、行くよ」

 パパが自動車くるまを発進させる。わたしが窓から手を振ると、ルリとマリも小さな手を振り返してくれた。それだけで、ここまで来てよかった、と素直に思えた。


 行きとは違って、帰りの高速はそれほど混んでいなくて、東京へと順調に向かっていた。

「ここに来るのも、今年が最後かな」

 そう呟くと、パパとママが同時にわたしのほうを見た。

「何か嫌なことでもあった?」

「パパと一緒に遊べなくて寂しかったのか?」

 一緒にいたらどうしてもを思い出すに決まっていたから、もうパパと遊べるわけなんかなかったけれど、とりあえず今はしっかり前を見て運転してほしい。そうじゃないんだけど、と笑って話を続ける。

「ほら、わたしも来年は中3だから。先のことも考えないといけないと思って」

 わたしたちの学校では、中等部から高等部まではストレートで行けるので、落とされるということはない。ただ、高校受験の代わりに、2月中に能力判定テストが実施されて、それが高等部でのクラス分けに反映されるのだという。今はわりとのんきにやっているけれど、高等部からは実力主義になるので、しっかり勉強していないとついていけない、と先生からよく脅されていた。だから、そのテストでいい点を取らないと、みんなと別のクラスに、はなればなれになってしまうのだ。学年が200人いる中で、ガッキーはいつもベスト10に入っていて、チーちゃんも50位以内をキープしていた。わたしとエノは80位くらいで、ナギが150位くらい。わたしとエノとナギはかなり頑張らないとダメなのはわかっていて、テストが返ってくるたびに、「わたしたち、やばいね」と3人だけで暗い顔で集まっていた。

「だから、来年の夏休みは勉強しておかないと」

「ヒカルちゃん、やっとわかってくれたのね」

 ママの顔が一気に明るくなった。

「あなたがやる気になってくれるのをずっと待ってたのよ。わかった。それなら、来年はひとりでおうちでがんばってね。ママも応援する」

「そうだな。ヒカルとはまた別の機会に遊べばいいもんな」

 どうしてパパがわたしとそんなに遊びたがるのか謎だったけれど、その後、パパとママはわたしの教育方針について熱心に話し出して、正直それはあまり聞きたい話ではなかった。夏休みに旅行しないための言い訳のつもりだったのに、何かに火をつけてしまったらしい。でも、あそこにはもう行きたくはなかったから、行かないのを認めてくれるのなら理由は何でもよかった。

 それにしても、今回はいろいろありすぎたな、とぼんやり窓の外を見ていると、スマホにメールが届いた。パパとママ、それに友達とは通話アプリでやりとりしているので、自分から最後にメールを送ったのがいつだったか覚えていない。レンタルショップからかな、と思いながら確認してみると、リョウマくんからだった。げ、と言ってしまいそうになったけれど、そういえば彼はアプリのグループには入れてなかった。だから、しかたなくメールで連絡を取ろうとしたのだろう。なんなの、と思いながら見てみると、

「ごめんね」

 たったそれだけ書いてあった。あまりに単純すぎてどう受け取っていいものか判断に困る。わたしがあんなことをしたのは自分のせいだとわかってはいるのだろう。でも、なぜわたしが怒ったのかはたぶんわかっていない。彼はそういう人なのだ。ばかなのだ。

 ただ、悪気はなかったのだろうな、と今になって思う。あのとき、「ちゃんとしたい」と言っていたのは本心なのだろう。それで、ちゃんとしようとして、わざわざ自分の部屋に戻って調べに行ったのだ。ちゃんとしようとしたのは、それほど悪くはないのだろう。問題はそれをわたしに見せたことだ。そんなことをしないで、しれっと最初からセックスなんて知りつくしていたかのようにすればよかったのだ。悪い人ではないけれど、ばかなのは明らかだった。そんなばかは、突き落とされたってしかたないに決まっている。

 どうしたらいいのかなあ、と迷った。できれば無視したかったけれど、無視すればそれはそれで別の意味を持ってしまいそうなので、何か書いておくべきだった。しばらく考えてから、

「ばーか」

 とだけ書いて送った。わたしだけ長文を書くのも妙だし、実際それがわたしの本心に一番近い言葉だった。「ばか」ではなく「ばーか」だ。

 ゆうべ、どうしてあんなことをしてしまったのか、朝からずっと考えていた。自分のことが自分で一番わからなかった。最後までいかなかったのが、よかったのか悪かったのかもわからない。ただ、わたしはああいうことを好きにはなれない、そんな気がしていた。初めてだから、とか、慣れていないから、とかではなしに、基本的に向いていない気がした。暗い部屋の中のリョウマくんも、コテージの窓から見えたパパたちも、それに夢中に見えたけれど、わたしはそうはならなかった。孵化しかけのアヒルのひなを食べるよりはまだまし、というくらいの感想しか持てなかった。ただ、これからもずっと、未来永劫ずっとそうなのか、というと、そうだ、と言い切れる自信もなかった。いずれは避けては通れない話のはずだけれど、しばらくは避けて通りたい。

 またスマホが鳴った。リョウマくん、考え事をしているのに返事なんか送らないでよ、と理不尽なことを思いながら見てみると、メールではなく通話アプリのほうだった。誰だろう、と思っていると、エノからだった。

「みんなごめんね。今まで勇気がなくて話できなかった」

 それを見たわたしの涙腺はあっけなく決壊した。ばか。心配させて。エノのばか。そう書くと、チーちゃんもガッキーもナギもすぐに書いてきた。

「おまえなあ。1か月もなにやってたんだよ」

「エノちゃん、元気? 大丈夫?」

「おせーよ」

 みんなもわたしみたいに泣いている。文面を見るだけでそれがわかって、余計に涙が出てきて、我慢できずに身体を折り曲げてしまう。ゆうべからすごい泣き虫になってしまっている。

「どうしたの? どこか痛いの?」

 いきなり泣き出してしまったので、ママに心配される。手を振って大丈夫だとアピールしておく。息を整えてから、メッセージを続ける。明日みんなでエノの家に行く、というのは予定通りにやることにした。たぶん、エノの顔を見るとまた泣いてしまうはずだけれど、それでも会いたくてしかたなかった。それに他のみんなの顔も見たい。

 チーちゃん。

「みんなを心配させたんだから、何かおごってもらわないと」

 エノ。

「うーん、安いのならいいけど。500円以内で」

 ナギ。

「せめて1000円にしろよな」

 ガッキー。

「わたしは自販の飲み物でいいよ」

 こうしていると夏休み前と何も変わらない。いい気分になったところで、ひとつ思いついた。

「ねえ。明日、エノの家に行った後でチーちゃんの家にも寄りたいんだけど」

 ナギとガッキーが「お、いいね」「行きたーい」と同意してくれたけれど、当のチーちゃんは、

「ヒカル、おまえ、ふざけんなよ。嫌だ。絶対に嫌だからな」

 全力で嫌がっていた。それにエノが反応する。

「チーちゃんの家、すごくかわいいおうちだから全然恥ずかしくないと思うけどなあ。それにお兄さん、今夏休みで家にいるんだよね?」

「だから絶対に嫌なんだよ!」

 チーちゃんがこんなに動揺するのも珍しいのでおかしくなってしまう。あー、と小さく声を出してから窓の外を見上げる。いろいろな気持ちが入り混じった涙をそっと拭うと、暮れかけた空が晴れ渡っているのが、はっきりと見えた。多くのものを見て、多くのことを考えても、それでもまだわからないことがわたしには多すぎた。でも、今はただみんなに会って話をしたい、という気持ちしかなかった。話したいことがたくさんあった。早くみんなに会いたかった。


(Girl's Side 終)

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