第8話

 部屋を出て廊下を忍び足で行くと、リビングからは朝食を作る音がせわしなく途切れることなく聞こえてきた。リビングの前まで着くと一瞬ドアを開けるのをためらった。どういう顔で父と接していいか分からなくなった。でも俺は一歩踏み出した。母との約束だから。


「おはよう」


 俺はなるべく自然にさりげなくリビングに入った。しかし、リビングの奥のキッチンにいた父は味噌汁を作っているようで、俺がリビングにいるのに気づいていないようだ。なので俺はそっと父の近くに行き大きな声でもう一度。


「おはよう」


 今度は気が付いたようで、父は俺の方を向いて目を丸くし、口を大きく開けた。分かりやす過ぎる驚き方だ。


「お、おはよう……そうだ慧介、そろそろ朝ごはんできるからリビングのいすに座っといて」

「いや……、俺も少しは手伝うよ」


 俺はそう言って二人分のご飯をよそい、納豆と卵をかきまぜた。父は最初こそ何が起きているのか分からないといった顔をしていたが、お味噌汁がぶつぶつと沸騰しているのに気付くと、我に返って朝ごはんの用意を再びし始めた。


 朝ごはんの用意が終わると、四人用のダイニングテーブルを斜めにはさみそれぞれが座った。こうやって同じ食卓を囲むのはいつ以来だろうか。とにかくとても久しぶりだ。


「いただきます」


 男二人、同じタイミングでご飯を食べ始めた。


「それでどうしたんだ? こんなに朝早く起きて一緒にご飯を食べるとは?」


 父は沈黙に耐えられず俺に話しかけてきた。


「そっちこそ、どうして二人分の朝ごはんをダイニングテーブルの上に用意してあったのさ?」

「それは……まあ、いつ慧介が一緒にご飯を食べたいと言っても大丈夫なように、いつも一緒に用意してあったんだよ。で、そっちはどうしたのか?」

「母さんに夢の中で会ったんだ……」

 

 そこで俺が今まであったことを事細かに話すと、父はぼそっと呟いた。


「そっか、そうだっんだな」

「……そっかって、自分で言うのもなんだけど、父さんは俺の話を信じるのか」

「ああ、信じるさ、家族を信じられない父がいてどうする」


 父は笑顔で威張る。そしてこう続けた。


「でも、涼香が慧介に別れを言うこが出来たのならばそれは本当によかった」


 と言う。その顔は本当にほっとしたといった表情だった。ここで俺は思い出したように話した。


「でさ、あの《母の一番大切な》本は父さんが俺の部屋に置いたんでしょ?」

「そうだよ。慧介はなんで父さんが置いたって分かったんだ?」

「分かったも何も、この家には俺と父さんの二人しかいないじゃん」

「確かにそうだな」

「でしょ」


 そう俺が話すと父は、


「じゃあさ、一つ聞いてもいいか?」


 と訊いてきた。


「いいよ」

「あの《母の一番大切な》本は最後まで読んだか?」

「小さいときには全部読んだけど、昨日は三分の二ぐらいしか読んで無い。でも、夢では何周もしたから話の内容なら分かるよ」

「ならいい、きちんと最後まで見とけよ、絶対にな」


 父はそう言うと、


「ごちそうさま」


 と、食器を下げ始めた。

 そこで俺はすかさず言った。


「俺が片づけするから大丈夫だよ」 


と。


「そう、なら慧介に任せるわ」


 そう言った父の顔は心の底から笑っているように見えた。

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