エピローグ

エピローグ

 開店当初は混雑していた店内だったが、ここ最近は昼時でも行列ができるほど混む日は少ない。

 使い古されたカウンター席に三人ほどが腰掛け、みな黙々とラーメンをすすっていた。テーブル席に座っているのは、海崎景かいざきけい田部純子たべじゅんこの二人だけだ。


 海崎は運ばれてきたグラスに口をつけながらメニューをめくる。相変わらず派手なメニュー表には、ピンク色の文字で書かれたがひときわ目立っていた。


「海崎さん、今日こそはあれですっ。例のやつ、いきましょうっ」


「えっと……。マジ?」


「マジです! 映えです!」


 向かい座る田部は、満面の笑みを浮かべながら、メニュー表のウメワサビラーメンを指さしている。そんな様子に観念したのか、海崎は小さくため息をつくと、左手をあげて店員を呼んだ。


「ウメワサビラーメン二つ。それと餃子。六個入りのやつをお願いします」


「あいよ。ウメワサ二丁、餃子一丁」


 店員は厨房に向かってそう叫ぶと、空いた海崎のグラスに水を注いでくれた。


「ウメワサって、なんだかお通しみたいですねっ」


「それタコワサな……」


 海崎は、メニューをテーブルの隅に片づけ、壁に掛けられた液晶テレビに視線を向ける。お昼のワイドショーは、先日の大停電の話題で持ちきりだった。

 結局、再稼働した南関東の原子力発電設備によって、首都圏エリアの電力は復旧したものの、東亜電力に対する社会の風当たりは強まる一方だった。


『はい。ここで、南関東原子力施設廃炉を目指す会の会長を務めていらっしゃる柏崎さんと電話がつながっているようです。柏崎さん?』


「また、あの人ですよ。もういい加減にせぇっての。結局、原子炉が動かなかったら、停電したまんまだったわけですからねぇ。ねえ、海崎さん? 聞いてます?」


「あ、ああ。そうねぇ。まあ、いろいろあるけれど、再生可能なクリーンなエネルギーと原子力の安全な運用技術、その両方大事なのかもしれないね」


 テレビのスピーカーから流れる柏崎なる人物は、延々と原子炉再稼働に異を唱え続けていた。もちろん、安全性が高く、環境にも影響を与えないエネルギー産生技術の開発は重要だ。しかし、一方でエネルギーの供給が当たり前であるというその前提にこそ目を向ける時なのかもしれない。

 電力は空気と同じように、あって当たり前の存在ではないのだ。世界を見渡してみれば、満足に電力が供給されない地域で暮らしを余儀なくされている人たちはたくさん存在する。もちろん、生活は豊かな方が良いのかもしれない。しかし、豊かさと利便性は根本的に異なるものだ。不便さに寛容になる心づもり。真に豊かな生活とは、ほんの些細な出来事にも感謝をすることができる、そういうことなのかもしれない。


「あ、海崎さん来ましたよっ」


 二人の前に湯気立つラーメンのどんぶりと、餃子が並べられた。


「これですね、お酢をこうやって、サラーっとやると、いい味出るんです。使います?」


 そう言って、田部は酢の入った小瓶を差し出す。


「い、いや遠慮しておくよ」


「そうですか、残念です」


 酢をテーブルの隅に戻した田部は、割りばしを手に取りウメワサビラーメンをすすった。その様子を見ていた海崎だったが、恐る恐る箸を手に取ると、ラーメンを一口すする。


「どうです?」


 相変わらず満面の笑みを浮かべている彼女を前に、海崎はゆっくり箸を置くと、グラスの水を飲みほした。


「……微妙です」

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グリーン・ウィル 星崎ゆうき @syuichiao

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