第5話:説明いたします

 中央給電指令所の正面エントランスを抜けた先に広がるコンコースには、巨大なガラスケースが置かれ、中にはグリーン・オルガネラの模型が展示されている。

 細部まで精巧に作られたその模型には、グリーン・オルガネラの中枢であるアデノシン三リン酸ATP産生プラントと生体機能発電システムが格納されている建屋を始め、中央操作室がある制御棟や研究棟まで忠実に再現されている。そのガラスケースの周りには、社会科見学としてこの場所を訪れた地元の小学生、四十人ほどが集まっていた。


「みなさんが普段の生活の中で使っている電気ですけれども、どうやって作られているか、知っている方はいますか?」


 模型が収められたガラスケースの正面で、発電の仕組みについて語っているのは海崎景かいざきけいだ。彼の問いかけに、栗色の瞳をした少女が、前髪を揺らしながら手を上げた。


「はい、そこの君」


「針金で作ったコイルの外側で、磁石を回転させると電気が作れますっ」


 その答えに海崎は、はっと少女の瞳を見つめた。小学校の自由研究で小さな風力発電所を作った宮部彩みやべあや。その瞳は、海崎の目の前にいる少女と同じ輝きを放っていたに違いない。


「はい、正解です。よく御存じですね」


 凛とした答えに、周囲の小学生たちの視線が少女に集まる。彼女は恥ずかしそうに肩をすくめながらも笑みを浮かべた。


「さて、どうやってコイルの回りの磁石を回転させればよいのでしょう。かつては水の力や、熱の力を利用して電気を作っていました」


 海崎が大勢の前で話をするのは久しぶりだ。もともと社交的なタイプではないし、人前で話をするのが得意な方ではなかった。田部淳子たべじゅんこはそんな海崎のために、ひそかに解説用のハンドアウトを渡していた。丸みを帯びた文字で沢山の書き込みがなされているその資料には、解説のポイントが丁寧にまとめられている。


「どちらの方法も、いろいろと問題があるのですけど分かりますか?」


「はいっ」


 今度は水色のセーターを着た少年が手を上げる。


「火力発電は環境に悪いと思います。なぜなら、沢山の煙を外に出してしまうからです」


「ありがとう。その通りだね。他に何か意見はある?」


 海崎は小学生たちを見渡すと、反応がないことを確認してから話を続けた。


「ちなみ水力発電は、先ほどの動画でも見たように、安定的な電力の供給が難しいという弱点がありました。そこで、少し前までは原子力と呼ばれる強い熱エネルギーによって発電する方法が一般的だったのです。ところが、世界各国で原子力発電所の事故が相次ぎました。絶対に安全な発電方法ではなかったのですね」


 原子力発電所は、発電段階において二酸化炭素を全く排出せずに大量の電力を安定して供給することができること、さらには使い終わった燃料を再処理することにより再び利用できることから、エネルギー資源の乏しい日本において大きな注目を集めることとなった。


 しかし、半世紀前に東日本を襲った大地震で、東亜電力とうあでんりょくが保有していた北関東第一原子力発電所が甚大な被害を受け、内部電源を喪失した原子炉が暴走してしまったのだ。炉心融解ろしんゆうかいを起こした原子炉からは核燃料が大量に漏れだし、発電所周囲にも放射線をまき散らしてしまった。


 国際原子力機関は、この事故を国際原子力事象評価尺度の最高ランクであるレベルセブンを超えるものと評価した。この事故以来、社会的圧力も相まって、日本の電力需給にしめる原子力発電の割合は激減、東亜電力では旧式の火力発電所を再稼働させ、必要な電力需要に対処せざるを得なかった。


 稼働可能な原子炉は、東亜電力傘下の南関東原子力開発機構が保有する加圧水型軽水炉、十基だけである。緊急時の給電設備として唯一残された原子炉は、現在その稼働を停止しているものの、いつでも再稼働が可能な状態にある。

 極度に人口密度が低下した旧神奈川県以南の南関東エリアは、原子力発電設備の他、貯水槽、さらには広大な関東平野を利用した大規模な穀倉地となっており、首都圏以北に住まう住民の生活を支える巨大な生産地帯を形成していた。


「東亜電力では、原子力に変わる安全で安心できる発電方法を研究し続けてきました。そこで開発されたのが、このグリーン・オルガネラです」


 生物を構成している細胞内には、染色体が格納されている核を始め、小胞体やゴルジ体、ミトコンドリアなど、細胞の内部で分化した形態や機能を持つ、様々な細胞内小器官が存在しており、これらをオルガネラと呼ぶ。


「皆さんの体を構築している無数の細胞、その内部には様々な形態や機能を持つ小さな構造体があります。その構造体をオルガネラと呼びます」


 海崎はハンドアウトに視線を落としながら呼吸を整え、ゆっくりと説明を続ける。


「この発電システムは、その構造体を動かしている分子モーターという細胞内の小さなモーターからヒントを得て開発されたのです。クリーンなエネルギー、そしてオルガネラの代表的な構造体、ミトコンドリアがヤヌスグリーンという染色液で鮮やかな緑色に染まることから、グリーン・オルガネラと名付けられました」


「その小さなモーターはどうやって電気を作っているのですか?」


 先ほどの水色のセーターを着た少年が再び海崎に問いかける。


「残念ながら分子モーターそのものが電気を生み出しているわけではありません。核燃量が熱エネルギーを生み出し、その熱を利用してタービンを回転させて電気を作っているように、分子モーターが生み出したアデノシン三リン酸という物質が、電気の元となるのです」


「電気を作るための材料を作るってこと?」


「そういうことです。このアデノシン三リン酸、実は皆さんの体の中でもたくさん作られているんですよ。皆さんが景色を見て、いろいろな事を考えたり感じたり、その考えを声に出したり、体を動かしたりできるのも、このアデノシン三リン酸が作られているからです。そして、生物の中には、景色を見たり、動いたりするだけでなく電気を作ってしまう生き物もいます」


「電気うなぎっ」


「そう、電気ウナギもいますよね。グリーン・オルガネラでは、ゴマフシビレエイという魚の発電器官をモデルにした装置で発電しているんです。ゴマフシビレエイの発電器官はアデノシン三リン酸を使って、四十五ボルト程度の電気を放出することができるんですよ」


 海崎のちょうど真後ろの壁に設置された大型モニターには、深海を泳ぐゴマフシビレエイの映像が流れる。暗灰色から褐色で、背中に暗い斑点があるその体は、幅広い楕円形の体盤であり、そこから延びる一本の太い尾が特徴だ。見た目は温厚そうな生物ではあるが、その発電器官から放電された電気ショックは、成人を気絶させるほどの威力がある。


「四十五ボルトってどれくらい?」


「乾電池一本が通常一.五ボルトですから、三十本分ですね。ちなみに家庭用コンセントが百ボルトなので、皆さんがお家で使う電気の半分ぐらいの電圧になります」


 モニターの映像が切り替わり、ゴマフシビレエイの解剖図が表示される。その画面のスクロールに合わせて海崎は説明を加えていく。


「ゴマフシビレエイの背面にはこんな感じで、長さ十センチ、幅三センチほどの電気器官が左右に並んでいるんです。そこに六角形の発電細胞が千層近く積み重なっています。一つ一つの細胞が生み出す電気は弱いのですが、積み重なった細胞は直列につなげた電池のようになり、強い電気を作り出します。この構造を応用したのがグリーン・オルガネラのなかでもATP発電系とよばれる装置です。この模型でいうと、この施設ですね」


 小学生たちの視線が、海崎が指差したガラスケース内の模型に集中する。


「こうして作られた電気は、皆さんの住んでるお家や、学校、病院、会社など、東日本全域に給電されていきます。そして、電気は水のように貯めておくことができませんよね。電気が必要な時に必要な分だけ作られ、そして間違いなく供給できているか、それを確認しているのが、皆さんがいるこの場所、中央給電指令所なのです」

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