第12話、アホが躍り出る、満月の夜

 店を出て、とりあえず下宿へ戻る。

 群青色になった空に、ぽっかりと満月が浮かんでいた。


 日の暮れた公園脇の歩道を歩きながら、香住が言った。

「 たくあん食べて、縮むなんて・・ 天使って、みんなそうなの? 」

 ハンスが、ゲップをしながら答える。

「 色々さ。 ツレなんざ、牛乳を飲むと巨大化するぜ? ゲップ、ふう・・・ 」

 ・・・巨大化した天使は、さぞかしブキミだろうな。 東京タワーに繭を張って、サナギになったりして・・・

 あと、他の天使たちを『 ツレ 』って言うな。 品格が落ちるわ。

 僕は尋ねた。

「 どうやったら、元に戻るんだ? 」

 爪楊枝で、歯の間をほじりながら、ハンスは答えた。

「 腹が、こなれたら・・ ゲップ・・・ チッ、チッ・・ 段々、戻るさ。 ゴええェップ・・! 」

 その、ゲップと爪楊枝、やめんか・・・!

 昼休みに、会社近くの定食屋で昼メシを食べて来た後の、リーマン・オヤジみたいだぞ? サンダル履きで、横断歩道を歩いている感じだぜ。 幼稚園児くらいの体格と仕草が、えれ~ミスマッチで、ブキミだわ・・・!

「 ほほっ、ほ・ほ・ほっ、ほほうっ? 」

 突然、小猿のような奇声と共に、アホ面の男が歩道脇の植え込みの中から、僕らの前に飛び出して来た。


 ・・・市川んトコの、アホだ。


 昼間、見た時と同じく、下はジャージ、上半身は裸である。

僕は尋ねた。

「 何だ? ナニしに来た? 世俗研究部との宴会は、もう終わったのか?」

「 はいやあぁ~っ! はっ、ほっ? ほほうっ? 」

 僕の問いには答えず、奇声を上げながら、カンフーらしき構えを披露している。

 急速にムカついて来た心情を抑え、僕は言った。

「 完璧に無視か・・? もういいわ、見苦しい。 アッチ行け 」

 しっ、しっ、と追いやる仕草をする、僕。

 どうやらコイツは、完全に酔っているらしい。

「 ほいやあぁ~っ! 」

 ・・・この声は、市川・・!

 声のした方を見ると、ヘボジャージを履き、上半身ハダカの市川が、反対側の歩道から叫びながら、こちらへ走って来る。 往来する数台の車から、けたたましくクラクションが鳴らされた。


 ・・ナニやってんだ? お前ら。


 市川に続き、及川もジーンズに上半身ハダカで、ビデオカメラを片手に走って来る。

 再び、車からクラクション。

 ・・ナンで、お前ら、車にハネられんのだ?

「 アホが、どんどん出て来るな・・・ 」

 呟く僕の前に、奇声を上げながら、市川が踊り出て来た。

「 あほ、あほ、あほっ、あほうぅ~~、う~・・ あっちょうォォ~~! あほォ~うっ! 」


 ・・・アホは、お前らだ。 いちいち言わなくても、ちゃんと分かっとる。


「 いいぞ、市川! 躍る肉体美だっ! いい絵が撮れてるっ・・! 」

 及川が、ハンディーカメラのビュー画面を見ながら言った。

 ・・・撮影してんのか? お前ら。

 予告なしの、街頭飛び込み撮影かよ。 どっかのTV番組みたいだな。 そのうち、警察が来るぞ? 上半身ハダカで、街中走り回ってたらよ・・・! その前に、車にハネられるかもな。 運転手にとっては災難だ。 じゃあな・・・

 僕は、香住の手を引き、さっさとその場を立ち去ろうとした。

 市川が、僕に言った。

「 待ちな、兄ちゃん。 姿を見られたからには、黙って帰すワケにはいかねえな・・! 」


 ・・・ナニ威張っとんじゃ、おのれは。

 おメーが、勝手に踊り出て来たんだろうが? しかも反対側の歩道から、ワザワザな。


 貧弱な腕を振り回し、奇声を上げながら、市川は続けた。

「 我が黒龍団の存在は・・ はっ、ほっ! シンジケートの中では・・ ひょォ~う! 極秘なのだ。 う、あちょ~おぉぉ~~! 」

 だったら、出てくんな、一生。

 だいたい、その黒龍団ってのはナンだ? 新しい、アホ主体の雑技団か?

 ・・あと、上半身ハダカの意味も、よう分からん。 アバラが透けとるぞ、お前。

 及川が、市川の体を舐め回すようにして、ビデオカメラを回す。

 気付いた市川が、精一杯、カメラ目線に切り替え、言った。

「 フッ・・ まずは、オレの1番弟子から、相手してもらおうか・・ ユンファ! お前の出番だ。 軽ぅ~く、もんでやれ! 」

 そう言って、最初に出て来たアホの方を振り向く、市川。


 ・・・ユンファ君とやらは、カラー歩道の上に仰向きになり、寝ゲロを吐きながら、既に泥酔していた。


「 ・・・・・ 」

 無言で、ユンファ君を見つめる、市川。

 ・・・これ、コメディー映画か?

 呼吸と共に、ゆっくりと上下するユンファ君のお腹の上には、タバコが挟まれたままの右手があった。

 市川は、そのタバコを手に取り、おもむろに一服吸う。

 煙を出しながら、僕の方に向き直ると、ウインク( 右目だけのつもりが、左目も微妙に瞑っている )しながら言った。

「 シー・ユー・アゲイン! ・・ネキスト・ウイーク 」

「 カァーット! OK! イイね! キマッたよ、今の! 」

 及川が、カットを入れ、嬉しそうに言った。


 ・・・ナニが、イイの?


 市川と及川は、「 お疲れ、お疲れ 」 とか言いながら、肩を叩き合って歓喜のご様子だ。

 ・・・なあ・・・? 恋愛とか、ロマンポルノ復興の話しとかって、ドコ行ったんだ・・?

 及川が言った。

「 とりあえず、今のキープで、もうワンテイク、撮ろうか? 真一たちは、元の位置に戻ってくれ 」

 ・・おいっ! 勝手に、キャスティングに加えんな! 出演を提携した覚えは、無いぞっ!

『 そこの、上半身ハダカのキミたち、動くんじゃない! 』

 突然、赤色灯を回転させたパトカーが近付いて来て、マイクで呼びかけて来た。

「 撤収ッ! 」

 パトカーのヘッドライトの光を、右手でかざしながら、及川が叫ぶ。 その前に、市川は既に逃走し始めており、歩道に隣接していた公園のフェンスを、よじ登っている。 この辺り、身のこなしはバツグンに良い。 その姿を見た及川は、『 早っ・・! 』と言うような表情をし、早速、自分も『 撤収 』にかかった。

 クラクションを鳴らされながら、反対側の歩道に逃走する、及川。


 ・・・ナンで、ヤツは、ハネられないのだろう・・・?


『 待ちなさい、キミたち! 』

 パトカー助手席のドアが開かれ、警官が1人、降りて来た。 及川の後を追い始める。

 運転席の警官も降りて来て、無線に応対しながら、こちらへ駆け寄って来た。

 ・・・ユンファ君は、そのまま置き去りに( 見殺しに )されている。

 ハンスが、感心しながら言った。

「 手の込んだ撮影だな。 パトカーなんて、どっから持って来たんだ? 色、塗ったのかな 」

「 ホンモノだよ、バカ・・! いいか、絶対、何も喋るなよ? あいつらなら、何とか、逃げ切れるだろうからよ 」

 駆け寄って来た警官が、僕らに尋ねる。

「 キミら、ケガは無いかね? あいつらと面識は? 」

 僕が答えた。

「 全然、ありません。 変質者ですか? あいつら 」

 警官は、及川が逃走した方を見やりながら答えた。

「 どうも、酔っ払いのようだな・・ 付近の住民から、通報があってね。 騒ぎながら、この辺りを徘徊しているらしい。 困ったヤツらだ、全く 」

 路地裏に逃げ込んだ及川を見失った警官が、戻って来た。

「 見失っちまった・・! 肥満体の体型だったが、えらい素早くてな。 ソッチは、どうだ? 」

「 1人、昇天してる 」

 ナニも知らずに、泥酔中のユンファ君・・・ クチャクチャと口を動かし、左手で脇腹の辺りを、ボリボリとかいている。 幸せそうな寝顔だ。 目覚めた時の表情が、目に浮かぶわ。

 ユンファ君は、そのままパトカーに乗せられ、ドコかへと連行されて行った・・・


 アパートに着く。

 僕は、腕時計を見ながら、香住に言った。

「 まだ早いだろ? コーヒーでも飲んでいくか? 」

「 うん! 」

 嬉しそうに答える、香住。 ハンスも言った。

「 オレ、アメリカンね! 」


 ・・・お前は、○ラギノールだ。 遠慮せずに、飲んでくれ。 アメリカンなんて言わず、○リザSとのブレンド、なんてのはどうだ?


 カサの付いた裸電球が薄暗く灯る玄関を入ると、丁度、一番手前の部屋の住人が『 登校 』する所だった。

 僕らの姿を見ると慌ててドアを開け、部屋の中に隠れるようにして入って行く。


 ・・・突付いたら、殻の中に引っ込んだヤドカリみたいだ。


 ドアにある小窓の、割れたガラスの隙間からこちらをうかがう、目・・・ 視線を合わすと慌てて、部屋の奥へと移動した。

 ひたすら、ブキミである・・・


 階段を登り、2階へ。

 僕らの足音を聞きつけたのか、隣の部屋の住人が、ドアを開けて廊下に出て来た。

「 センパ~イ、鍋、あります? 」

 薬品化学科3年の、梶田だ。

 なで肩の体型で、身長が低い。 見ようによっては中学生くらいに見える。 大学に入ってから1度も散髪をした事がなく、トレードマークは、背中まである長い髪だ。 いつも、後で束ねて縛っている。 時々、満員電車の中で、女性と間違えられ、痴漢に遭うらしい。

「 鍋? なんだ、取っ手が、壊れでもしたのか? 」

「 いえ、違うんスよ。 薬品を調合してるんですけど、器が無くて・・・ 」

 そう答えた梶田の部屋の中を見ると、何十個というビーカーやフラスコ、コップから陶器茶碗に至るまで、器という器が部屋中を埋め尽くしていた。


 ・・・ワケの分からない、色とりどりの薬品が入っている。

 一体、ナニをやっているのか・・・?


 僕は言った。

「 こんなトコで、実験なんかやるなよ! 大学の研究室で、やればいいだろ? 」

「 いやあ~、大学では、人目があるし・・ ちょっと、マンガンを調合しているだけッスよ 」

 頭をかきながら答える、梶田。


 ・・・人目に付きたくない調合って、ナニ・・・?


 僕は答えた。

「 鍋は、昨日の肉ジャガが残ってるから、ダメだ。 コップじゃ、イカンのか? 」

 せっかく、香住がキレイに洗ってくれたのに、ヘンなモン入れて汚されてたまるか。 僕は、テキトーかました。

 梶田が言った。

「 コップではね~・・ ちい~と、熱したいんスよ 」

 ・・・爆発するぞ、お前。 マンガンに熱を加えて、ナニすんだ?

 これから俺は、香住と、楽しいコーヒータイムを過ごすんだ。 吹き飛ぶなら、お前の部屋だけにしてくれ。

 僕は言った。

「 悪いな、梶田。 今、お前の自主研究に協力出来る機材は、俺の部屋には無い。 他をあたってくれ 」

「 そうですか~・・ 分かりました 」

 部屋のドアを後ろ手で閉めながら、梶田が呟くように言った。

「 仕方ない。 新品をオロすか・・ 」

 ・・・あるなら、最初からソレを使わんか・・・!


 ブルック○ンドの紙製ドリップが、ポコポコと泡立つ。

 香り立つ、香ばしいロースト・・・

 う~ん・・ 最高だ。 値段も手頃だし、インスタントよりウマイ。 まあ、ちょっと面倒くさいが、香住が来た時には、必ずコイツを作る。 今日は、余分な1人が同席しているが・・・

「 いい香りね、真一 」

 座布団にちょこんと座り、制服のスカートの太ももの間に、両手を入れて言う香住。

 ・・ああ、なんて可愛い仕草なんだ。

「 早く、飲ませろよ、真一~! 」

 ・・本来、お前は、○ラギノールだ。 仕方ないから、特別に作ってはやるが・・ くそう・・!


 とりあえず、3杯を作り、コタツの上のテーブルに運ぶ。

 僕は、ブラック。 香住は、ミルク少々と砂糖を1つ、入れる。

 ハンスは、ミルクをドボドボ入れ、カフェオレ状態にして飲んだ。

「 ・・ん~、ウマイ! コレが、コーヒーかぁ~・・・! 」

 ハンスが、満足気に言う。

 突然、ハンスの体が、少し大きくなった。

「 うわ、ハンス・・! 今、お前・・ 大きくなったぞ? 」

 ダブダブだった洋服が、大きめの状態にまでなっている。

「 ん? そうか? それにしてもウマイな、コレ 」


 ・・・てめえ、もうち~と緊迫感、持ちやがれ。


 香住が言った。

「 もしかしたら・・ ハンスも、牛乳で大きくなるんじゃないかしら・・・! 」

 コーヒーを飲む、ハンス。

 ・・・やはり、少し大きくなった。

 僕は言った。

「 ちょっ・・ 飲む量を制限しろ、ハンス! どこまで、デカくなるのか分からん・・・! 」

 コジラみたいになったら、たまったモンじゃない。 関取くらいでも、このボロっちいアパートじゃ、床が抜けるかもしれん。

 少し、コーヒーを飲む、ハンス。

 大きさは、変わらない。

 ぐびっと、飲む。

 ・・少し、大きくなった。

「 もうちょい・・ もうちょっと・・! 」

 僕は、ハンスの大きさを確認しながら、指示を出した。

 やがて、カップの中のコーヒーがなくなり、ハンスは、嬉しそうに僕に言った。

「 おかわりっ! 」

「 480円、頂きます 」

「 高っ! しかも、ビニョーに端数付き。 コレ・・ 原価、いくらなんだよ。 暴利だな 」

「 腹がこなれたら、自然に戻るんだろ? 今くらいで、いいじゃないか。 中学生くらいの体格だな 」

 これなら、コタツカバーで寝れそうだ。 昨日の夜みたいに、予備の布団を出さなくても良さそうである。

 僕は言った。

「 お前も、どうやら乳製品で、デカくなるらしいな・・・! 知らなかったのか? 」

 ハンスが答えた。

「 だって、飲んだコト、ねえもん 」

『 ドンッ! パリーン、カラカラカラ・・・ 』

 突然、隣の部屋から、爆発音のような物音がした。


 ・・・やりやがったな? 梶田。


 まあ、ドアも吹き飛んでいないし、火の手が上がっているようなフンイキは無さそうだ。 放っておこう。 壁越しに『 熱ち、熱ち 』という声が聞こえる。 生きとるし。

 香住が言った。

「 ・・大丈夫かしら? あの人 」

 何となく、きな臭いニオイがして来る。 僕は、鼻をヒクヒクさせながら答えた。

「 心配無い。 ホントにヤバイ時は、壁を叩いてくるハズだ 」

 まあ、そうなった時は、このアパート自体、崩落の危機がある。 悠長に、コーヒーなんぞ飲んでる場合ではないだろう。

 ハンスが言った。

「 コーヒー、おかわり! 」

「 デカくなるから、ヤメだっつ~の! 」

「 じゃあ・・ コーヒーだけ、くれ! 」

「 580円、頂きます 」

「 おいっ、ナンで、値上げしてんだよ! 」

 脅すような口調と表情で、僕は言った。

「 お客様・・ 当店は、最初から580円ですが? 」

「 ・・・・・ 」

 コレが、ぼったくりの常套手段ってんだ。 覚えとけ。


 ビミョーに煙臭い夜は、更けていった・・・

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る