26.5 報復

次の日の朝、差し込む陽の光で目を覚ましたイシュタルはベッドから起き上がろうとする。


「 ゔっ!!! 」


が、今まで味わった事がない程の筋肉痛に体が全く言うことを聞かない。呻き声を聞いてセレネが寝室へと向かうと、そこには天井を青ざめた顔で見つめるイシュタルの姿があった。


「おはようございます、イシュタル様。昨日、大変無理をされたようですね…」


セレネはイシュタルの背中を支えてゆっくりと座らせると、髪をといて緩く纏める。そして、あまり体を動かさないように着替えさせると、イシュタルをひょいと持ち上げ寝室を出る。


「セレネさん、本当にすいません。これは一体、私はどうなっているのでしょうか?」


「酷い筋肉痛です、昨日無茶をなさるから。

元はと言えばムタ様が悪いのです。無理矢理にイシュタル様の身体を動かしたばっかりに。セオ様も大層怒っておられるでしょうね」


ぴしゃりと冷たく言い切ったセレネには怒りの感情が伺えた。どうやら心配してくれているようで、セレネの眼差しはどこか母のような暖かさを感じる。

丁寧にソファーへと下ろされたイシュタルが礼を言うと、セレネはなにかに気付いて扉を開けた。するとそこには曇った顔のシンと、しょぼくれたムタとバステトの姿があった。


「おはよう、ございます。昨日はすみませんでした、わざわざ剣術を教えて下さったのに、お礼も言わず帰ってしまって。」


「いや俺も昨日の事を詫びに来た。改めて昨日は怖い思いをさせて、すまなかった。体は大丈夫、そうではないよな」


頭をさげるシンは、手に持っていた物をイシュタルの前に置いた。包んでいた布が解かれると、中から銀色の剣が現れる。グリップには花のような模様が細かく細工してあって、中心に赤い石が埋め込まれていた。


「わぁ!とても綺麗な剣ですね 」


「そうか。これはその…そうだな、お詫びの品というやつだ。アンタでも振れるぐらい軽くしてある。ただ持ってるだけでも脅し位にはなるだろうし、もし剣を学びたいなら俺でよければ教える。だから良ければ貰ってくれないか」


イシュタルは遠慮をしたが、シンが全く聞き入れそうになかったので素直に貰う事にした。持つと本当に軽くて、長さも丁度よく感じる。


「ありがとうございます! 大切にします」


「気にするな。

おいバステト、ムタ、お前達も謝れ」


シンに怒られた二人はばつの悪そうな顔をしていて、これ以上事態を悪化させないためにもイシュタルが止める。


「私は大丈夫です!あの昨日は私もよい経験が出来ました、ありがとうございました。良ければまた教えて欲しいです」


「な、なんだよ。 も、元はと言えば鈍くさいお前が悪いんだからな!」

「そ、そうにゃそうにゃ!」


「 二人共、いい加減にしろよ。…セオ様に伝えておく」


"セオ"というワードに反応して、ムタとバステトの顔が青ざめる。あからさまに怯える二人を無視してシンはイシュタルを抱き抱えた。

所謂、お姫様抱っこというやつだ。


「身体中筋肉痛なんだろう?少し恥ずかしいだろうが我慢してくれ。ちなみに俺達はセオ様からアンタを朝食に連れてくるよう言われているんだ」


「ええっと、 あ、その……すいません、ありがとうございます」


廊下を歩くシンに、使用人達が挨拶をして頭を下げる。やはりこの姿を見られるのは恥ずかしいものでイシュタルは終始手で顔を覆っていた。


「セオ様、連れて参りました 」


「シンすまなかったな、 …ん?バステトとムタはどうした?」


セオの隣へおろされたイシュタルは、シンの背に隠れて怯える二人を見る。セオも分かって言ったようで、それを見て笑った。


「そんなに怯えるなよ、仲間じゃないか。 よし、じゃあ朝食にしよう 」


奥からぞろぞろとメイド達が現れて、目の前に食器を置いていく。


「あれ、皿がないにゃ。ムタは? 」


「俺ちんはスプーンだけだ。シンは、」


「メニューが違うのか?俺はフォークだ。」


並んで座る三人が交互に見合せ不思議そうに言った。同時に違う食事が出るのは初めてで首をかしげている様子だ。

だが、それは三人だけではない。そのメイドはセオの前にだけ食器を置くと、イシュタルには見向きもせずに奥へと入っていった。

すると奥からティーワゴンに食事をのせて戻ってきて、セオの前へ並べる。はしたないとは思いつつも、横目でちらりと見たイシュタルはいつもより量が多く豪華な朝食に目を輝かせていた。

そして全員の食事が揃った瞬間、目の前の朝食にセオ以外は言葉を失った。


「どうしたお前達?さあ、早く食え。

……それとも俺がお前たちにと選んだ朝食は食えないか?」


笑っているのに冷めた表情のセオが、有無を言わさない口振りで言った。食べるという選択肢しか生きるためには残っていないシン・バステト・ムタは、血の気のひいた顔で震えながら朝食を口に運ぶ。


「ゔっ、あ、甘い…胃が、 」

「にゃんんっ!!口が…生臭いにゃ、く」

「 むぐっ!!くっそ辛ぇ!!みみみみみみずッ!!」


まるで地獄絵図のように三人が悶え苦しむ。それを見て心底楽しそうに口角を上げたセオがメイドに朝食の説明をさせた。


「まずはシン様は"甘味なもの"とのことでしたので、ローズベリーをふんだんに使ったパンケーキとババロアでございます。

バステト様は"鮮魚"と伺いましたから、虹色魚ヴィヴィットフィッシュをあえて手を加えずに深い皿に水を入れて生きたまま出させていただきました。

ムタ様は"激辛"とセオ様が仰いましたので、火吹草レッドペッパーを惜しげもなく使ったスープでございます。中の具材にも丁寧に練り込んであるので、料理長自慢の逸品と言えるでしょう」


メイドは言い終えると頭を下げて裏へと戻っていった。全く食事が進まない三人を見て、セオは追い撃ちをかける。


「さて、ちゃんと食べないとこの部屋からは出さないぞ。それにこの命令に背けばメニューが永遠に続くことになる。

これは昨日の罰だ、味わって食え」


すると三人はひどく震える手で朝食を口に運んでいく。時折呻き声が響いて、イシュタルは背筋を凍らせ耳を塞いだ。


「さぁイシュタル。待たせたな、食事にしようか。

ただし、お前にも罰は受けてもらう。じゃないと不公平だろ、なんだと思う?」


「な、なんでしょうか。というか私の朝食はまだ運ばれてない…」


「ははは、面白いなイシュタルは。

なにやら、ひどい筋肉痛らしいじゃないか。それではナイフも握れぬだろう?だから今日は俺が直々に食わせてやろう。人間は我が子によくするらしいじゃないか。ほら、さっさと口を開けろ。」


大勢に見られるなか、恐怖よりも恥ずかしさが勝って顔を紅潮させたイシュタルに、セオはスープをすくって上唇へあてる。小さく開いたそこに流し込むと、飲み込んだイシュタルを見て言った。


「これは、なかなか面白い罰だ…毎日でもいいぐらいだな」


朝食をきっちり食べ終わるまで、誰一人席を立つ事さえ許されなかったのは言うまでもない。


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