18 犬猿

「あーりゃま、顔真っ青にして帰っちゃった。ちょーっと遊んだだけだってのに、また俺ちんセオ様に怒られちゃうじゃん」


ムタはイシュタルの出ていった扉へ、つまらなそうに呟くと、肉にフォークを突き刺して口にはこんだ。ちなみに今日の夕食は、“ 子鹿フォーンのスープ “、“ 華蝙蝠フラワーバッド鳴鼠クライラットのサラダ “、メインが“ 海牛シーフォックのステーキ “。どれも高価な食材が使われてる。


「あー、もっとお姉ちゃんと話したかったなー」

「ぼ、僕も!美味しそ… 、優しそうだったもんね」


アンラとマンユが残念そうに言えば、アフロディーテが優しく二人の肩を抱いた。


「きっと、明日もお話しできるわぁ。でも、絶対に、食べてはダメよ あの人間はセオ様の大事な物なの」


二人は元気に頷いて、残りの料理を勢いよくたいらげてゆく。そのやり取りを見ていたバステトが、馬鹿にするように笑ってアフロディーテに言った。


「なーにが“大切な物“だにゃ。ただの人間ごときに随分と優しいねぇ~さすが“媚売りオバサン“には敵わないにゃ」


広間へと響いた言葉に、皆が動きを止めた。対面に座るムタやシンだけではなく、メイド達でさえ誰一人として動いているものはいなかった。

数秒の間を置いて、アフロディーテが小さく笑い始める。その声に恐怖を覚えたメイド達は急いで片付けを始めて、瞬く間に裏方へと隠れていった。


「ふふふっ♪バステトは本当に面白い事を言うのねぇ~セオ様の意図がわからないなんて… さすが“珍獣“ですわねぇ!こんなに頭の悪い低能な生き物、私見るの初めてですわぁ~」


「っ!!なんだと!」


「あらあら、でも感情的になるといつも忘れてますわよ? …ほらぁ~、語尾の馬鹿みたいな“猫語“にゃん♪それ必要ないんじゃなくってぇ? さぁ、二人とも食べたなら部屋へ戻りますわよ。長居して馬鹿がうつると大変ですわ」


歯を剥いて威嚇するように睨むバステトを他所に、アフロディーテはアンラとマンユの手を引いて優雅に広間を後にする。扉が閉まる寸前、隙間からバステトを見下すようにアフロディーテが見て口角を上げた。掴みかかろうとしたバステトをシンが止める頃には、扉は閉まった後であった。


「なぁー、お前って毎回毎回、飽きないわけ?」


ムタが呆れたように言うと、シンが頷いた。捕まれていた腕を、払うようにして解いたバステトが二人を睨む。それを諭すように、シンが言った。


「今回はお前が悪いぞ。もっと普通に話が出来ないのか?俺とムタは一度も言い争いなんてしたことがないぞ。」


「アンタらとウチらじゃ関係性がちがうにゃ!」


バステトは苛立ったように大股で歩いて広間を出ていった。扉がけたたましい音を立てて閉まった上に、反動でもう一度開いた。裏方に避難していたメイドが急いで出てきて、音をたてずに扉をしめる。


「どっちもガキつーか、なんつーか…」

「全くだ」


静まり返った広間に響いたムタの呟きに、シンは同意すると喧嘩のせいで温くなった紅茶を音をたてて啜った。






その頃、先に自室へと戻ったイシュタルは、心身的にも体力的にも疲れてソファーへ倒れ込むように座った。しばらくそうしていると、幾分か胸のむかつきはマシになり、ぼーっと部屋の入り口をなにも考えずに眺めていた。30分ほど経った頃、ノックの音が聞こえてイシュタルは急いで座り直す。イシュタルが扉へ向かって返事を返すと、現れたのはティーワゴンを押すセレネであった。


「お一人の方が落ち着くと思い、勝手ながらお茶の時間を遅らせていただきました。御気分いかがでしょうか?」


「セレネさんのお陰でだいぶ楽になりました。ありがとうございます」


「いえ、とんでもございません」


そう言ったセレネは嬉しそうにティーカップに紅茶を注ぐ。昨日とは違い、すっきりとしたハーブの香りが鼻を抜ける。イシュタルは御礼を言って一口飲むと、胸のむかつきが流されるように消えていった。


「お口にあって良かったです。それと、」


「あの、これは?」


目の前に置かれたのは赤い木の実を使い、色とりどりの花びらを散らしたタルトであった。


「ローズベリーのタルトでございます。あまりお食事をとられていませんでしたので、宜しければ」


イシュタルは目を輝かせてフォークを握った。かつてこんなに綺麗なお菓子を食べた事があるだろうか。最初で最後に食べたのは、一年前雇い主が床に落としたクッキーだった。


「っ!! 美味しい…!!」


口の中にいれた瞬間、ローズベリーの甘酸っぱいジャムが口中に広がる。夕食の時の気持ち悪さは嘘のように、二口、三口とすすんでいった。

あっという間に食べ終えたイシュタルがセレネにお礼を言う。


「こんなに美味しい食べ物を食べたのは初めてです、ありがとうございます」


「喜んで頂けたようで私も嬉しいですよ 」


セレネが微笑んで言って、イシュタルが恥ずかしそうにうつむいた。もう少し味わって食べれば良かったなんて考えていると、机に不自然な影が落ちているのに気付く。驚いて顔を上げようとしたイシュタルの頭に、何かが乗った。


「やはり女というのは艶やかなものが好きなのだな。いや、甘味なものか?…さっぱり わからん」

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