第31話 エピローグ 

「もう起きたの? 早いね」

 早川さんがベッドの中から声を掛けてくる。

 私は全裸で冷蔵庫まで行き、ミネラルウォーターを飲む。

 博多駅前にある英国風のロビーがカッコいいホテル。

 早川さんが博多に来た時の定宿だそうだ。

 早川さんの事はひと目見た時から気に入っていた。父親を早くに亡くした私は元々ファザコンで、昔から年上が大好きなのだ。

 福岡で不倫してた上司も一回り上だった。

 早川さんは20歳離れているけど、まったくそれを感じさせないくらい若々しい。

 いろんな事を知ってて、いろんな経験をしている大人の男の人だ。

 若い子は、仕方ない事だけど身体目当てが多い。それがあまりにも露骨だと辟易してしまう。

 でも早川さんは余裕がある。

 どうも、こちらから仕掛けて行くように仕向けられたような気がしないでもない。

 最初は何気なく、早川さんが面倒見てたという私の好きなバンドの博多でのライブのチケットをお願いした。

 そこから毎日のようにFacebookのメッセンジャーでやり取りが始まった。

 でも私は早川さんの大人の包容力のある声も好きだったので、その内電話をするようになった。

 話してくれる内容は、ユーモラスかつ興味深いものが多かった。

 私は福岡と山月でしか暮らした事が無いけれど、早川さんは華やかで妖しくて得体が知れない「東京」そのものだと思った。


 だからそのバンドの博多ライブで再会した時は、もう気持ちが抑えられなくなっていた。

 打ち上げに誘われて、大好きなバンドのメンバーと一緒に呑めたけど、私は早く早川さんと二人きりになりたかった。

 結局、二人で抜け出して早川さんの友達のロックバーへ向かった。

 なんでもオーナーは昔博多では有名なめんたいロックバンドのギタリストで、東京に出て来てレコード会社に入り、有名アーティストのディレクターをやってたが、そのアーティストの不慮の死をきっかけに故郷に帰ってロックバーを開いたそうだ。

「博多に来たら必ず顔出す事にしてるんだよね、昔の戦友だから」

 そういった話にも、なんとも言えない「物語」を感じてしまう。

 オーナーさんから聞く早川さんの昔の話も新鮮だった。

 今までの経験から、意識し出した男性は、周囲の評判を聞くようにしている。

 お互い熱が上がってる時は優しいだろうが、友達の評判を聞くと普段の姿が見えてくる。

 私が高い代償を支払って身に着けた知恵だ。

「こいつは、いつも飄々としてるし、どんな偉い人の前でも態度が変わらないけど、なんか訳の分からない信念は曲げない頑固なところもあるし、約束は必ず守ろうとする律儀なところもあるし、何より面倒見のいい奴だよ」

「それって褒めてるの? 貶してるの?」

「何言ってんだ、援護射撃してるんじゃねえか」

 そういった話を何時間でも聴いていたいと思った。

 でも私には確かめたい事があった。

「早川さんは、なんで私たちに協力してくれるんですか?」

「だって面白そうじゃん」即答だ。

「それだけですか?」

「うーん、まあ冴子ちゃんが絡んでるってのもあるな」そこが一番気になる部分だ。

「早川さん、冴子ちゃんの事どう思ってるんですか?」

「別に恋愛感情は無いよ」

 早川さんは多分、私が訊きたい事は全部分かって言っている。ズルい!

「ついでに言えば滝沢君にも恋愛感情は無いよ」何故か早川さんは真面目顔で答える。

 そう言えばバイ疑惑があるんだった。

「彼は俺の友達の元彼氏だからね」

「え? そうなんですか?」意外な接点だ。

「いや、この言い方は正確じゃないか…」

 早川さんはブツブツ言ってるが、私が訊きたいのはそんな事じゃない!

「じゃあ、私には?」

 言ってしまった!

 真っ赤になってしまったが、お酒の所為にしてしまおう。

 早川さんは、少し照れながらこう言った。

「俺、いくらなんでももう手を離れたバンドの博多のライブにわざわざ来るなんて事は、普通しないよ」

「おめでとう!」どうやらカウンター越しにずっと話を聞いてたらしいオーナーが新しいお酒を注いでくれる。

 私は幸せいっぱいでお酒が身体中に回ってくるのが分かる。

「ま、お前おっぱい星人だしな」

「余計で無粋で引くような事を言うんじゃないよ!」

 それでも良い。逆に興味が無かったらそれはそれで困るし。


 結局、私はそのまま早川さんの部屋に泊まった。

 おっぱい星人というのは本当だった。


 そして冒頭の場面に戻る。

「まだ寝てて良いですよ」

「君たちはまだわからないだろうけど、この年になるとどんなに遅く寝ても朝は決まった時間に目が覚めちゃうんだよ」伸びをしながら言う。

「いつも目覚ましに勝っちゃうんだよなあ」

 そんなのと勝負をしているところが可愛い。

 私はもう夢中だった。

 再びベッドに潜り込み、いちゃいちゃする。

「ホントにこんなおっさんで良いの?」

「早川さんだから良いんです!」

 周りから見たら、完全にバカップルだろう。


 二時間後。

「さ、素面になったところで、市長室での詳しい話をピロートークで聞こうか!」

 早川さんは賢者タイムに突入したようだ。

 私はつい先週あった事なのに、まるで遠い昔の出来事だったように思える日の事を思い出す。


 決行日の前日、滝沢先生がお店に現れた。

「北園さんのお父さんに聞いたんですが、大河内さんって黒谷に住んでたんですか?」

 やはりバレていたか。お父さんが私を見た時に少し考え込んでたような気はしたのだ。

「住んでた訳じゃありません。山月から通ってました。まだ小学生の頃ですが」

 化粧では誤魔化し切れない面影があったのだろう。

「どうしてそれを黙ってたんですか?」

「訊かれてませんから」

「何か言いたくない事でも?」

 私はためらう。言った方が良いんだろうか?

「別に言いたくなければ良いですよ。作戦には影響しませんから。ただ、仲間として隠し事をするのは大河内さんが辛いんじゃないかと思ったので」

 滝沢先生らしい言い方だ。「友達」よりも「仲間」の方が私たちには相応しい。

 なんだかその言い方で気持ちが軽くなったような気がした。

 私の話を聞いた先生はこう言った。

「それは私の胸に仕舞っておきましょう。当日、大河内さんが言いたくなったら言っても構いませんよ。言いたくないんだったらそれはそれでどうにかなりますから」

 ああ、この人は悪魔かもしれないけど、仲間だ。私は確信した。

 少なくとも同じ作戦を遂行してる時に、こんなに頼りになる人はいない。

 私は告発する事を決心した。


「なるほどね」早川さんは私が飲んでいたミネラルウォーターを一口飲む。

「滝沢先生、本気で私の事を心配しての発言だったと思います? それとも演技だったんでしょうか?」

「まあ、半々だろうね」早川さんは笑う。

「どっちに転んでも大勢に影響はないけど、君が告発した方がインパクトがあると踏んで、賭けに出たんだろうね」

 早川さんには私の秘密は打ち明けている。


「私からも一言、良いですか?」

 私は手を挙げた。

「石渕さん、私に見覚えはありませんか?」

 ずっとうつむいてた石渕室長が顔を上げる。

 覚えていないのも無理はない。

 あの時私はまだ小学生。12歳だった。

「大河内美香と言います。村山光男の奥さんは私の叔母になります」

「む、村山というと、あの…」

 石渕室長は今までで一番狼狽している。

「はい、貴方の罪を被って首吊り自殺した黒谷役場の水道課長と、後を追った奥さんです」


 叔母はやさしかった。

 幼い頃に父が亡くなった私は、母の妹である叔母が嫁いだ黒谷に小学校に上がる前からよく遊びに連れて行って貰った。

 夏休みはずっと泊り込んで毎日海に行っていた。

 子どものいない叔父と叔母は私を可愛がってくれた。

 そんな叔父が横領で逮捕され、保釈中に首吊り自殺をしたのは私が小学6年生、12歳の時だった。

 何が何だか分からなかった。

 葬式と言うものにも初めて出た。

 いや、父が亡くなった時に出てるのかもしれないが、小さ過ぎて記憶が無い。

 子どもだった私は叔母に何度も「なんで? なんで!」と訊いた。

  その時、叔母さんは葬儀場の中を見て私にこう言った。

「あそこにいる人がおじちゃんを殺したんだよ!」と。

 叔母の話だと、叔父の汚職は全てその人の指図だった。長年水道料金を少しずつ誤魔化してふところに入れていたようだ。

 黒谷役場が山月市役所に合併され、書類を精査されて発覚したのだ。黒谷役場のままだったらずっと見過ごされていたのかもしれない。

 もちろん、叔父にも分け前はあったようだから逮捕されるのは当然だが、その人には警察の追及は無かった。

 私はその人を凝視した。絶対忘れないように。

 叔母の訃報を聞いたのは、その翌週の事だった。


「人が死ぬのは辛いよねえ」

 早川さんは私の髪を撫でながら呟く。

「特に自殺はさ。残された方は『なんであの時相談してくれなかったんだろう』って一生悩むんだよね」

 早川さんも長く生きてる分、私よりもそういう経験をいっぱい積んでるんだろう。

 私の場合、幼過ぎてそこまで思い至らなかった。


 叔母は警察の取り調べの後、橋の欄干から身を投げた。

 警察は「取り調べに問題は無かった」と発表した。それはそうだろう。でも誰にもそんな事は分からない。

 続けての葬儀。私はどうしたら良いか分からなかった。精神的に不安定になっていた。

 叔母が名指しした人がまた来ていた。

 気付いたら私はその人に向かって「あんたが殺したんだ!」と叫んでいた。

 叔母が乗り移ったのかもしれない。

 

 そういった事件の影響で私と母はしばらく山月を離れる事にした。

 中学から福岡の学校に行く事になった。

 山月に戻ろうと思ったのは、母が他界したからだ。母は最期まで山月を懐かしんでいた。

 こっちのお墓に入れて、それを守ろうと思ったのだ。


 そして、こっちでの居場所をなんとか見つけた時に出会ったのが滝沢先生、真柴さん、冴子ちゃんだった。

 

 この人たちと一緒なら、長年思い詰めてた事が解決するかもしれないと思った。

 そしてそれが叶った後、こんな幸せも手に入れた。

 私は幸せだ。

 

 石渕室長は早速辞表を書いたようだ。

 不正の証拠はまだ見つかってないが、市長が「懲戒免職にしたら退職金が全て無くなる。さすがにそれは忍びないから」と辞職を薦めたのだ。

 意気消沈した石渕室長はそれを受け入れた。

 私もそれで満足だった。今更叔父や叔母が生き返る訳でもないし。

 何よりも、みんなと新しい一歩を踏み出して、勝利した喜びが大きかった。

 滝沢先生は、この石渕室長が駅前再開発の件で暗躍してる人だったので、それを追い落とす事が出来て満足そうだった。


「滝沢君もやるねえ」早川さんは私に腕枕してくれながらニコニコしてる。

「全部彼の思惑通りに進んでるんじゃない?」

 確かにそうだ。

 あれから「報道の扉」が放送され、冴子ちゃんは全国的な有名人になった。

「山月のジャンヌ・ダルク」というあだ名までついた。

 私も一部ネットの有名人になったようだ。

 それはあんまり嬉しくないが、ネットの噂なんて次が出てくればすぐに消えるものだと思って気楽に構えている。

 滝沢先生と真柴さんは、次は駅前再開発で何か企んでるようだ。

 別に悪い事をする訳じゃないのに「企む」という表現が一番しっくり来るのは滝沢先生のキャラクターからかもしれない。


「ただまあ、彼が幸せなのかどうかはまた別問題だね」

 前に私が冴子ちゃんに似たような事を言ったような気がする。

「それって恋愛もですか?」


「彼はゲイだよ」


 一瞬、頭が真っ白になった。

「ウチの税理士の前の彼氏というか彼女というか、パートナーだったみたいでね」

 知り合いというのは男性だったのか!

「ま、俺は友達にゲイが多いんで、雰囲気でもなんとなく分かってたけどね」

 まったく気付かなかった! 周りにゲイがいないので雰囲気と言われても想像出来ない。

「まあ、これはピロートークだから話すんだからね。真柴君や冴子ちゃんには、滝沢君がカミングアウトするまで言っちゃダメだよ」

 …言える訳がない。特に冴子ちゃんには。

「彼みたいな美形は、一部の女性たちの願望とは違って、結構自分とは真逆の熊系とか好んだりするんだよね。ウチの税理士がそうだし」

 想像がつかない。

「怪しいと思うのはさ、なんか同級生でそういう体型の子がいるらしいじゃない」

 もしかしてオタクの人だろうか? 私も会った事はないが。

「どうも滝沢君、東京いる時に目覚めたみたいだからさ。高校の時に全く接点がなかったのに急接近したって真柴君が言ってたし」

 …冴子ちゃんが知ったらどう思うだろう?

「いや、確証があって言ってる訳じゃないからね。あくまで俺の勘で」

 早川さんは再びおっぱい星人に戻ってこう言った。


「でも俺のこういう勘ってほとんど外れないんだよね」

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決戦!「まちづくり」 宗崎佳太 @igyou

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