第25話 北園冴子の場合 9

「冴子ちゃん、久しぶり! 元気そうでなにより」

 驚いた事に車でウチまでやってきたその人は、相変わらずニコニコしていた。

「なんか、凄い車に乗ってません?」

 後ろにVOLVO XC60と書いてある。

 今流行のSUVだ。

「昔、お情けでCD作ってあげたバンドがメジャーに行って、ウチで出したインディーズ盤がバカ売れしてね。あぶく銭が入ったもんで、税理士が高い車買えって言うんだよ」

 うらやましい話だ。

「だから、調子に乗って東京から福岡までロング・ドライブとしゃれこんでね。ついでだからここまで来た」

「どのくらいかかりました?」

「さすがに途中京都で一泊したけど、福岡までは実質16時間くらいかな。前に博多から毎月機材車で東京まで来てたバンドがいたけど、ありゃ若くないと出来ないよなあ」

 それはそうだ。機材車だとハイエースとかだろうし。ただ、運転を交替出来るのは楽かもしれないが。

「これスウェーデンの車なんだけど、さすがにシートは長距離でも疲れにくいね」

 確かに内装も豪華でカッコ良い。スカンジナビアンデザインって呼ばれてるらしい。

「それでも16時間はキツかったですよね? 福岡からウチまでも6時間くらい掛かったんじゃありません?」

「そのくらいかな? もうすぐ高速が繋がるんでしょ?」

「はい、そうしたら半分の時間で着きますよ」

「実は4月にまた来る用事が出来てね」

「ホントですか! また来てくださいよ」

「そうだね。今回は昔からの友人が去年亡くなったんでそいつの田舎にお墓参りに来たんだよ」

「そうだったんですね」

「で、夜はレコード会社時代の友達がやってるロック居酒屋で旧交を温めてきた」

「相変わらず顔が広いですね」

「それで食ってるようなもんだからね」

 やはりこの人と話すのは楽しい。「リズムが合う」のだ。

「いつくらいまでこっちにいらっしゃるんですか?」

「特に期限は決めてないよ。大きい仕事が一段落したから休養も兼ねてるし。あぶく銭もあるしね」誘い笑いについ引き込まれてしまう。

「ただ、実はここの県知事に会う予定もあってね」

「なんですかそれは!」びっくりだ。どこまで顔が広いんだろう?

「いやいや、知っての通りここの県知事って元タレントさんでしょ? 彼も昔の知り合いなんだよ」

 知事は元お笑い芸人だ。抜群の知名度を活かして県知事選に勝利した。

「大学に入り直したりして、かなり熱心に政治について勉強したみたいだね。マニフェストとか読んだけど、立派なものだったよ」

 そうなのか。私は政治についてはとんと無知なのだ。

「でさ、せっかくだから冴子ちゃんも一緒に行ってみない?」

「へ?」我ながら間抜けな声を出してしまった。

「彼、病的な女好きだからさ。綺麗な女性には目が無いんだよね。冴子ちゃんも知り合いになってて損は無いだろうし」

 しばし考える。言われてみれば確かにそうだ。県知事とじっくり話す機会なんてなかなかないし。

 それにここは県有地だ。知事にお願いすれば今のゴタゴタも少しは解決するかもしれない。

「それに、ここから県庁まで2時間くらい掛かるんでしょ? さすがに一人でドライブするのに飽きちゃってさ」

「20時間以上も一人でドライブしてきたのが既に凄いですよ」

「Apple MusicとApple CarPlayのお蔭だね。この二つを使うと音楽聴き放題だし、この車のカーステとスピーカー、凄く音が良いんだよ」

 この人は本当に音楽が好きなんだろうな。


 その日の夜は、父親が腕によりをかけてご馳走を作ってくれた。

 オープン前のお店に急遽テーブルを運ぶ。

 父親は活き造りも出来るし、魚の事を知り尽くしている。ただ、ここら辺で獲れる魚の事しか知らないが。

 父も母も社交的な彼の事を気に入ってくれたようだ。

 昔から、人に取り入るのが天才的に上手い人なのだ。

「何食べても美味いねえ。珍しいもの多いし。こんなエビやカニ、東京じゃ見た事ないよ!」

 ゾウリエビ、ウチワエビ、トラガニ、アサヒガニといった甲殻類は暖かい海でしか獲れない。

 流通量も少ないので、ほとんどが地元で消費されてしまうのだ。

「牡蠣も大きいねえ。こんなの初めて見たよ」

 ウチで採れるイワガキは一個が1kg以上あるものも少なくない。これは普通の人は開けられないので市場に出しても突き返される。

 もちろん、流通していない。

「この赤や黄色や紫色の色鮮やかなホタテみたいな貝は何?」

「緋扇貝ですね。美しいし、美味しいですよ」

「この表が深紫で、裏が象牙色の貝もエナメル質っぽくて綺麗な貝殻だね」

「月日貝って言います」

「あ、なんかそれカムイのアニメで観たような気がする!」

 それはよく分からない。

「なによりも海藻が美味しいねえ」

ワカメにトサカ、フノリ、クロメ、それにひじきを揃えてある。

「面白いメニューを教えてあげようか?」

「なんですか?」

「これは大塚のジャズバーの名物メニューなんだけど、味付けしたひじきでホットサンド作ると美味しいよ」

 それは意表を突かれた。初めて聞くメニューだ。

「リハの時にマスターがひじきを煮る匂いが充満してさ。演者がみんな頼んじゃうんだよね」

 それは話を聴くだけでも美味しそうだ。

「コツは、パンにバターをたっぷり塗る事だって。バターと醤油は相性良いからね」

「大阪でひじきピラフを食べた事があったな」父親が思い出したように言う。

「あれも、バターがたっぷり入ってたな」

 それも美味しそうだ。

「アオリイカのエンペラを冷凍してるから、それを入れたら良いかもな。一番柔らかいイカの一番柔らかい部分だから美味しいだろうな」

「ひじきをかき揚げの天ぷらにしても美味しいですよ。ひじきに味が付いてるから付けダレもいらないし、スナック感覚で食べられます」母親も参加してきた。

「何よりも、黒谷のひじきは長ひじきですからね。一本10cm以上ありますから、他とは歯応えが全然違います」

 確かにそうだ。こっちの長ひじきに慣れてしまうと、普通の短いひじきは物足りなく感じてしまう。

 戻して味付けしたひじきがあればいろんなメニューが出来そうだ。醤油に漬けこんでいるので結構日持ちするし。

「ホント、食には恵まれてるねえ」

「明日はちょっと高級なお店にご招待します」

 満漁を予約したのだ。

「そんな、気を使わなくて良いよ」

「いえ、会って頂きたい人たちもいますから」

「うん、冴子ちゃんの友達には興味があるな」

 焼酎のお湯割りを呑み干しながら言う。

「この焼酎もヤバいね。呑みやすいからグビグビ行っちゃうね」

「アルコール度数が20度ですからね」

「東京でも売って欲しいなあ」

「山月の地ビールもありますし、ちょっと離れたところでワインも造ってますから、明日の二次会はそこら辺の呑み比べでもしましょうか?」

「いやあ、なんかバチが当たりそうだなあ」

「ここから歩いていけるところに道の駅のログハウスがありますから、今日はそこにお泊りください。4人部屋なんでちょっと広すぎますけど」

「なんか悪いね」

 楽しい宴は夜中まで続いた。


 翌日、早速私はVOLVOの助手席に乗り込んだ。

 知事のスケジュールがその日しか空いてないとの事だった。

「昨日はご馳走様! 夢に出るくらい美味しかったよ」

「いえいえ、こちらこそ美味しそうなメニューを教えて頂きまして」

「まあ、少し早めに出発して、途中美味しいもんでも食べてのんびり行こうかね。今日は俺が奢るから」

「あ、じゃあ途中で美味しい豚肉が食べられるところがありますよ」

「それはまた楽しみだね」

 VOLVOのシートは本当に快適だった。

 包み込まれるような感じで全然疲れない。

 SUVなので車高も高く、乗りやすいし景色も良い。

 そしてやはり話の通り、カーステの音が良い。なんでもスピーカーが20個以上あるらしい。

「一応、オプションで一番良いのをつけたから」

 拘ってるんだろうなあ。

「しかし凄い道だね。国道なのに片道一車線がほとんどなんだね」

「来年、高速が繋がれば少しは楽になりそうなんですが、どうも高速代が高いみたいなんですよね」

「それは困るね」

「片道2500円払って30分しか違いませんからね」

「君んちの方はどうなの?」

「山月からウチの方は国の直轄事業なんでタダなんですよ」

「ああ、そりゃあラッキーだね」


 途中、美味しい豚肉料理を食べられるお店に寄る。ここはテイクアウトのお肉や加工品もいっぱいある。

「凄いな、このアイスヴァイン、伊勢丹辺りだとこの倍はするぜ!」

「そんな値段じゃ、ここら辺では誰も買いませんよ」

「帰り、ちょっと買い込もうかな」

 気に入って貰ったようで何よりだ。


 県庁に来るのも久しぶりだ。

 正確には県庁前の並木道でよく物産展が開かれるから売出しに来ているだけで、建物の中には入った事が無いのだが。

 受付に来訪を告げると、知事室の隣の応接室に通される。

 しばらく待っていると、テレビで良く見る顔が現れた。

「やあやあ、久しぶり! 元気?」

 二人は握手を交わした。

「君も元気そうだね。あ、知事って呼ばないとね」

「いいよ、くすぐったいから」

 本当に仲が良いようだ。

「で、この美しい人は?」

「紹介するよ。黒谷で魚介類の販売をしてて、今度飲食店を立ち上げる北園さん」

 私は知事に名刺を渡す。

「北園と申します。まだこちらに戻ってきたばかりで右も左もわかりません。よろしくお願いします」

「そうですか、じゃあこの人は東京時代の知り合い?」

「はい、お世話になってました」

「俺は何にもしてないよ」

 知事は目を細める。

「この人はね、私が後輩芸人が事務所のお金に手を付けてるのを咎めて、つい手を出しちゃって芸能界を干されてた時に親身になってくれてね」

 そう言う人なのだ。

「調子が良い時に寄ってくる奴はいくらでもいるけど、自分がどん底の時に助けてくれた人の事は忘れられませんし、恩義を感じています」

「昔の事だよ。俺だって君の師匠にはお世話になったし」

 知事の師匠は芸能界の大御所だ。今更ながら、この人の顔の広さに驚く。

「師匠から『アイツの事をよろしく頼むよ』って言われちゃあ、断れないよ」

「なので北園さん、私はこの人に受けた恩はいつか返さなきゃと常々思ってるんですよ」

 知事は私の方に向き直る。

「何かお困りの事がありましたら、何でもご相談ください。もちろん、私もこういった立場ですからコンプライアンス的にマズい事は出来ませんが、正当な陳情でしたら親身になって動きますから」

「あ、ありがとうございます」私は少し戸惑いながらお礼を言った。

「冴子ちゃん、せっかくだからお願いしてみれば?」

「なんでもどうぞ。出来ない事は出来ないとハッキリ申し上げますから」

 私は覚悟を決めた。

「わかりました。実はウチの事務所は県有地でして、港湾事務所が管理してます。で、4月くらいに飲食店営業をしたいと思ってるんですが、どうも県有地ですと飲食店営業をやるのが難しいとお聞きしたんですが…」

「ああ、去年ヤクザが海の家を開いて暴れましたからね」知事も知っているようだ。

「ただまあ、全部が全部飲食店を開けないって訳じゃないんですよ。去年のケースだと、県有地を借りてた人間がヤクザに又貸しをしてたのが問題でして」

「じゃあ、問題ないんですか?」

「おそらく、港湾事務所がややこしくなるのを面倒臭がったんでしょうね。わかりました。それは私から直接言って、すぐに許可が出るようにします」

「それは知事にご迷惑は掛かりませんか?」

「大丈夫ですよ。本来すぐに許可を与えるべきものを港湾が止めてただけですから」

「ありがとうございます! 助かります」

「他はどうですか? 飲食店をやるんでしたら、保健所とかにも困ってらっしゃるんでは?」

「え?」まさか知事の方からその話題を振ってくるとは!

「びっくりなされたようですね。いえ、これは北園さんだけじゃなくて他のところからも言われてましてね」

「他のところ?」

「黒谷だと、満漁はご存知ですか?」

 まさかその名前がここで出るとは!

「はい、良く知っています」

「あそこのお父さん、私の後援会のお偉いさんでして。非常にお世話になってるんですよ」

 そう言えばあそこのお父さんは巻き網船の親方で大金持ちだ。いくつもビルを持っている。

「満漁を造ってる時にも『どうにかならんか?』と相談されました。どうも山月の保健所に一人凄く融通の利かない人がいるみたいですね」

 すぐに顔が思い浮かんだ。衛生管理に物凄くうるさいのに口の臭い人だ。

「その他にも、民泊を考えてる団体からもクレームが来ています。井戸水の使用許可が下りないみたいで」

「でも保健所って厚生労働省の管轄なんで市役所や県庁じゃどうにもならないんじゃないんですか?」

「冴子ちゃん、知事は職員の人事権を持ってるんだよ」知事に代わって答えてくれる。

 今まで私と知事のやり取りを黙って見守ってたが、補足説明をする必要があると考えたみたいだ。

「どういう事ですか?」

「問題のある職員を他の部署に飛ばせる権限を持ってるって事だよ」

「そんな、極悪人の権力者みたいに言わないでよ、人聞きの悪い!」


 二人は大笑いしている。

 私にはまだ出来ない、大人の笑い方だ。

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