第17話 北園冴子の場合 6

「冴ちゃん、山月のYEG入ったんだって?」

 幼馴染の前野洋子が事務所に遊びに来た。

 彼女の家は黒谷に3件ある大きな水産卸会社の内の一つだ。

 黒谷は養殖業が盛んで、洋子の家はそこに巻き網漁で獲れたサバやアジといった青魚を餌として卸している。

 もちろん、人が食べる分の魚も扱うのだが、圧倒的に量が違う。

 洋子の父親が持っている冷凍倉庫には、40㎏入りの大トロ箱が3000箱入る。

 急速冷凍なので、夏場なんかは電気代だけで月に200万円以上掛かるらしい。

 巻き網で魚が獲れた事が分かると、仕入れ先が直接11tトラックで黒谷漁協まで積みに来るが、それでも捌ききれない時はその冷凍倉庫に保管されるのだ。

 洋子も男連中に混じってフォークリフトでトロ箱を運んでいる。

「うん、本当は黒谷の商工会に入らなきゃいけないんだろうけど、誰も誘ってくれなかったし」

「入ってもあんまり意味ないよ。内輪で呑んでるだけだし」洋子も黒谷の商工会に入ってるようだ。

「それに、山月の人たちと交流深めた方が絶対商売には役立つよ」

 それは私もそう思う。特に高速が繋がれば、市内はもっと近くなる。

「いーなー。アタシも山月に入り直そうかなあ」

「それはそれでいろいろと波風立つんじゃない?」

「そうなんだよねえ。黒谷の商工会長、叔父さんだし」

 洋子の一族は、黒谷では名門という事になっている。なんでも、ひいおじいさんがやり手で、ブリをいっぱい獲って財を成したらしい。

 洋子の父親も漁協の理事だ。通常は黒谷漁協の理事は漁師以外はなれないのだが、そういった経緯があるので卸である洋子の父親も特別に認められている。

「でね。今日はお父ちゃんからのお願いを伝えに来たんだけど」

「何? 改まって」少し警戒する。

「今度、高速の出口に物産館出来るでしょ?」

「そうみたいね。この前説明会があったよ」

 ウチもそこに貝類を卸す予定だ。そういった出店者を集めての説明会が行われたので参加してきたばかりだ。

「でさあ、あれって市の土地でしょ? なのにウチが呼ばれてなくてさ。いや、別に魚卸すかどうかはまだわかんないんだけど、声が掛からなかった事でお父ちゃんがむくれててね」

「でもあれって経営は民間だよね?」

 確か、洋子の家とライバル関係にある卸会社が絡んでる新会社のはずだ。

「そうなのよ。なんで、お父ちゃんとしては面白くないみたいでね。そこら辺がどうなってるのか市役所とかで訊けない?」

 なるほど。

 洋子は黒谷で唯一と言って良いほど私にかまってくれる子だし、おじさんも昔から私を可愛がってくれた。ウチの父親とも同級生で仲が良い。

 ここはひと肌脱ぐか。

「わかった。誰かに紹介して貰って訊いておくね」

「ごめんね。助かる!」


「という事なんですよ」私は真柴さんに電話した。

「なるほど。俺もそれはちょっと気になってたんで、一緒に訊きに行きましょうか」

「どなたのところへ行くんですか?」

「観光部長が良いでしょうね。出来れば水産課の人も同席して貰った方が北園さんの後々の事を考えたら良いかもしれませんね」

「そんな偉い人がですか?」びっくりした。

「観光課長は面倒臭がり屋なんですが、部長は有名なワーカホリックでしてね。平日は毎晩10時過ぎまで残業して土日はイベント。しかもイベント終わりで自らモップを持って現場を掃除するような人でして、部下が全員困ってます」

 確かにそれは迷惑だ。上がそんなだと、部下がいつまで経っても家に帰れない。

「ま、良い人は良い人ですよ」

 なんとなく含みを持たせた言い方が気になる。


 翌週。私と真柴さんは市役所3階の観光課に来ていた。

 応接室に通され、しばらくすると年配の方と若い方が入って来た。

「若宮部長、わざわざすみません」

「真柴君、久しぶりだねえ」

 立ち上がった私を見て、若宮部長は笑いかける。

「やあ、こちらが噂の北園さんかあ。確かに別嬪さんだなあ」

 全く嫌味の無い言い方なので好感が持てた。

「北園さん、こちらが若宮部長、で、こちらが水産課の新城君ね」

 真面目そうな若い人は両手で名刺を差し出してきた。

「黒谷地区は私が担当しております。近いうちに事務所にもお伺いさせて頂きます」


 一通り名刺交換が済むと、真柴さんが話し出した。

「水産課はこことは別棟なんで、北園さんは馴染みが無いですよね?」

「ここにも馴染みが無いですよ」

「あ、そりゃそうですね」

「いつでもお越しください」新城さんが気を使ってくれる。

「こんな別嬪さんだったら水産課の連中も大歓迎だよな」

 若宮部長は明るく笑いかける。確かに悪い人では無さそうだ。

「ま、ここが新しくなったら農林水産課、全部一緒の場所になるだろうけどな」若宮部長がニコニコしたまま言う。

「どうせ真柴君も移転の話は聴いてるんだろ?」

「はあ、まあ、なんとなくは」

 真柴さんも、まさか部長さんの方からその話を持ち出すとは思ってなかったみたいで少しへどもどしている。

「話せる範囲ならいろいろ教えてあげられるよ」

 裏を返せば、言えない事は一切喋る気はないって事だ。

「来年から工事に入って、完成は再来年予定だね。しばらくは今の駐車場のところに仮庁舎を作って、そこと市民交流ビルの3階までで業務をやる事になりそうだね」

「観光課は市民交流ビルの方ですね」

「うん、他の課に嫌われてるから」

「そりゃあ、若宮部長がいつまで経っても帰らないからですよ」

「守衛の人にもそう言われるんだよね」

 若宮部長はずっとニコニコしている。東京でお世話になった人の事を思い出す。

 つまり、この部長さんも食えない人だと確信した。

「で、今日の本題は黒谷の物産館の事だっけ?」

「はい。私も先日説明会に行かせて貰ったんですが、どうもその連絡が来た人と来なかった人がいるみたいで」

「最初に、あそこの権利関係とかを説明した方が良さそうだね」

 部長さんは新城さんに目で合図をする。

「あそこの土地は市有地です。駐車場、トイレ、観光案内所は市の管理下で運営される予定です」

「物産館はどうなってるんですか?」

「あれは民間企業ですね。市の補助金も出ていません。国からの補助金が交付されたみたいですが」

「という事は、市は物産館に関してはノータッチって事ですか?」

「もちろん、市有地を使用するにあたって使用料は徴収しますからノータッチって事はありませんが、そこら辺、特別な優遇も無い代わりに、仕入れ先なんかの選定でこちらからどうのこうの口を挟む事は出来ません」

 それはそうだ。

「市の管轄だったら『地元のところ優先で』とか『一社に偏らないように』とか配慮しないといけないんだけどねえ」部長さんが補足説明をする。

「今回の物産館に関しては、我々もあまり口を挟めないんだよ。あくまでも民間企業のやってる事だし」そこで部長さんの笑い方が少し変わった。

「黒谷の道の駅と違ってね」

 何か引っかかる言い方だ。

 ウチの父親も黒谷の道の駅の役員の一人なのだ。他人事ではない。

「道の駅に何かあるんですか?」

「道の駅を運営してる会社は第三セクターで、社長が山月市長でね。出資比率は山月市が95%近くあるんだよ」

「他は黒谷の漁協とか農協、後は地元企業ですね」新城さんが補足説明する。

「あそこもいろいろと問題が多くてねえ」

「どういった事ですか?」

「北園さんのお父さんも役員なんでしょ? 帰ったら訊いてみると良いよ」

 知ってたのか!

「まあ、ウチとしては一番困るのが、もし密漁で獲った魚介類を仕入れてたら、社長である市長が逮捕されちゃうからねえ」


 私は絶句した。

 思い当たる節があるからだ。

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