第19話

「神崎さん、あなたは麻耶に……!」

「ん? どうしたんだい?」


 俺はダン、と足の裏を叩きつけるようにして立ち上がった。


「あんたが麻耶に拳銃の使い方を教えたんだな!? あんな危険な!」


 と言いかけたところで、ぐいと襟を掴まれた。神崎に、ではなく、後ろで待機していたアキに。


「アキ! 何しやがる!」

「君では彼女には勝てない。致命傷を負うか、下手をすれば殺される」


 俺を後ろに追いやりながら、背中のショットガンに手をかけるアキ。


「おいおい、そんな物騒なこと、私はしないよ」


 カラカラと笑いながら、神崎はガンベルトを外してソファに置いた。


「大丈夫だよ、ショットガンの兄貴。私は丸腰だ」


 両の掌を上に向けてみせる神崎。しかし、ちょうどその時。


「あっ! あんたら何やってんだよ!?」


 麻耶がビルの隙間の暗がりから出てきた。後ろには、二本のおさげが揺れているのが見える。美耶の手を引きながら帰ってきたらしい。


「ほら美耶、神崎の姉御だよ」


 すると美耶は、じりじりと神崎に近づいた。彼女もやはり、拳銃が怖いのだろうか。


「美耶ちゃん! 見ない間に大きくなったなあ!」


 満面の笑みで両腕を広げてみせる神崎。その姿に、ようやく警戒心が解けたらしく、美耶は微笑しながら神崎の胸に飛び込んだ。

 その光景を満足気に見守る麻耶だったが、俺は気づいてしまっていた。

 左足の動きが鈍いのか?

 俺は麻耶に耳打ちするようにして、


「なあ、その足、どうしたんだ?」

「え? 足だって? 何のことだ」

「誤魔化すな。さっき神崎さんに撃たれただろ?」

「なあに、このくらいの傷、いつでも負うさ」


 その言葉に、俺は戦慄した。『いつでもこんな傷を負う』だって?

 俺はまた頭がカーーーッと熱くなって、大声を張り上げた。


「冗談じゃねえよ!」


 零距離で怒声を浴びせられ、麻耶は目を丸くする。


「いっつもこんな怪我してたら、いつか死ぬぞ! なのにどうしてそんなことをするんだ!? 自分の身体だぞ、親にもらったもんだろうが!」


 そう言った直後、俺は『しまった!』と思った。


「何? 『親からもらった』だと?」


 そう。そのフレーズが、麻耶にはたまらなく屈辱的であろうことを、怒りのあまり忘れていたのだ。


「ああそうかい! あんたは大学生、いいところのお坊ちゃんだもんな、そう感じるだろうよ。けどな!」


 麻耶はずんずんと俺に近づき、掌で俺の胸板を押した。


「あたいらはあんたなんかとは違う! 親から大事なものを貰いそびれてる! 『感情』だよ俊介、『感情』だ!!」


 敢えて『愛情』と言わなかったところに、俺は麻耶の意地を見たように思った。一番欲しがっているくせに。


「あたいとしたことが……。迂闊だったよ。少しでもあんたに同情しそうになっちまったことが」

「同情なんかじゃねえ! 俺にだって、俺にだって『感情』を潰された原因がある!」

「じゃあ何だよ、その『原因』って? あたいは話したぞ、あたいらの両親がいかに酷い奴だったか! あんたは自分の話をしない。いや、できねえんだ! 口に出して明確にするのが怖えんだろ! 違うか!? この臆病者!」


 変態の次は臆病者ときたか。こいつはもうどうしようもないな。


「……帰るぞ、アキ。もう十分だ」


 俺はすっと身体を半回転させ、来た道に足を向けた。アキもそれに従う――はずだったが、ズドン、という銃声に、俺は思わず振り返った。

 次の瞬間、俺の足元で火花が散った。跳弾したらしい。いや、そんなことより確かめなければ。


「おっ、おい、誰が撃って――」

「よせ、麻耶!!」


 カシャッ、とオートマチック拳銃のスライド音がした。神崎が拳銃を構えたのは、銃声がしてからのこと。間違いない、撃ったのは麻耶だ。振り返ってみれば、そのリボルバーの銃口から硝煙が立ち上っている。


「麻耶、お前!!」


『俺を殺そうとしたのか?』と尋ねようとした時、


「伏せろ!」

「ぐえっ!」


 今日一番の勢いでアキが俺を突き飛ばし、うつ伏せにしてからショットガンを構えた。

 ここにいるのは五人。殺傷武器を持っているのは三人。殺気だっているのは一人。

 麻耶はアキを、アキは麻耶を狙っている。神崎はそっと銃口を下げ、麻耶の足元を狙っているようだ。致命傷を避け、後遺症も残さずに麻耶を止めるにはいい狙いだが、足を掠めるように撃つのは至難の業だ。


 しかし、アキが撃たないのはどういうわけか。ショットガンから発射されるのは飽くまで空気砲。一番殺傷性が低く、汎用性は高い。


「アキ、早く麻耶を……」


 しかしアキは、無言でショットガンを構えたままだ。何故撃とうとしないんだ?


「落ち着け、麻耶。銃を仕舞って、アジトに戻れ」


 淡々と命令口調で麻耶に語りかける神崎。だが麻耶は、アキの足の間で横たわる俺に視線を突き刺している。これではアスファルトに縫いつけられそうだ。


「もう日の出も近い。シャワーで頭を冷やして、ゆっくり眠れ」

「そこでへばってる奴の脳天をぶち抜いたら、家出前みたいにスヤスヤ眠るよ」


 俺はようやく気づいた。自分の全身が汗だくであることに。シャツが肌に張りつき、呼吸も荒く、吐き気がする。頭痛も多少。一部の隙間もなく、あらゆる方向から槍や銃剣を突きつけられてるような気分だ。肌全体がヒリヒリし、手先や足先が震えだす。


「くっ……」


 俺は目をぎゅっと閉じ、拳を握りしめた。

 その直後、銃声が響き渡る。かと思いきや、銃声はしなかった。美耶の、悲鳴によって。


「皆、もう喧嘩は止めてよ!」


 その声に、アキ以外の全員が固まった。

 しばし沈黙する俺たち。聞こえるのは、嗚咽混じりの美耶の呼吸音だ。


「あっ」


 神崎の手を振り払い、美耶は麻耶に抱きついた。


「お姉ちゃん、もう止めよう? 皆が喧嘩したら、私は誰を頼ればいいの? パパとママみたいな、変な大人たちのところに行くことになっちゃうよ?」


 それから思いっきり、


「だから皆、止めてよッ!!」


 その悲鳴にも似た叫びは、どんな弾丸よりも鋭く俺たちの胸を貫通した。俺は馬鹿みたいに顎を外し、麻耶は拳銃の狙いを大きく外した。アキと神崎の二人は、狙いこそ外さなかったものの、引き金を引くに引けない状態になってしまったように見える。


「み、美耶……」

「もう、もう止めて、もう……」


 おさげをゆらしながら、美耶は自分の顔を麻耶の肩に押しつけた。

 麻耶は俺を一瞥し、ギリッ、と短い歯ぎしりをしたが、すぐに銃口を下に向け、ホルスターに収めた。神崎も、それを見届けたようにするりと拳銃を引っ込める。アキはぐるん、とショットガンの銃身を回し、背負い込んだ。


「俊介くん、アキくん、今日のところは引き揚げてもらえるかい? どうにも雲行きが怪しいのでね」


 神崎の言葉は柔らかだったが、その目はまだ警戒を解いていないものだったと思う。『思う』というのは、俺にはその時の神崎を見返すだけの勇気がなかったからだ。


「俊介、帰るぞ」


 相変わらず重苦しい声音でアキはそう告げ、俺の片腕を引いて立たせた。その間、ずっと美耶の嗚咽が続いていたのは言うまでもない。

 神崎に対する俺の返答を待っていたのだろう、俺は


「……はい」


 と告げた。

 俺は踵を返し、アキもそれに続く。

 全く、なんでこんなことになっちまったんだ……?

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