第18話

 神崎? 今話題に上がっていた、あの神崎さんのことか?


「ああ、悪い悪い。ちょっと盗聴される恐れがあったんでね」

「公安にでも?」

「ああ。尻尾は掴まれてないけど、尻尾の毛を二、三本採取されたかもしれない」

「公安かあ……。また厄介ですね」


 などなど恐ろしい会話を交わす二人。だが、雰囲気は穏やかだ。

 いやそれでも、内容自体は恐ろしい話なのだ。俺はアキの陰にいようと、そっと顔を引っ込めた。


「ああ、紹介します。こっちのおっさんはショットガン兄貴。このショットガンは空砲ですけど、圧縮空気の威力はなかなかのもんです」

「ほうほう。で、陰にいるのは?」


 ギクッ。


「俊介って奴です。あたいたちを助けに来たらしいんですけど、ほとんど何もしてないですね。正直、何でここにいるのか分かりません」

「へ~え。珍しいことをする人がいたものだね」

「ちょ、ちょっと待ってくれ、何の話だか……」


 焦燥感に駆られた俺を落ち着かせたのは、神崎の落ち着き払った笑みだった。


「それより挨拶が先だね。私は神崎龍美。一応ここのボス、っていうか、時々遊びに来てる。よろしく」


 長身で痩躯の女性。サッパリとまとめられたポニーテール。知性の光を湛えた瞳。


「よ、よろしくお願いします……」


 アキに続いて、俺は手を差し出した。先ほどまで実銃を握っていたとは思えない、柔らかくて温かい手だ。


 近づいてみて、俺は神崎龍美なる女性の醸し出す場違いな雰囲気に気がついた。

 こんなところに来ているというのに、服装は若干フォーマルなのだ。薄手のカッターシャツの上に、肩までで切れた紺のベスト。それに合わせたような、一見地味なスラックス。ガンベルトは腰ではなく、肩から提げるタイプを使っている。

 それにしても、まさか麻耶が敬語を使う相手に出会えるとは。正直、麻耶のキャラが揺らいだ。しかし、


「おら、あんたらも自己紹介しな!」


 との一言に、ああ、やっぱりいつもの麻耶なのだと思い知らされた。

 俺とアキは簡単な自己紹介を済ませ(アキが人工知能であることは伏せたが)、俺より頭一つは背が高い神崎に頭を下げた。


「そんなにかしこまらなくてもいいんだよ、俊介くん。君は麻耶に気に入られているようだからね」

「え? は、はい!?」

「ちょっ、何言ってるんですか神崎さん!!」

「麻耶、素直になりなって。でないと俊介くんの頭の風通しがよくなっちゃうよ?」

「ひぇっ!」


 俺は顔から血の気が引いた。と同時に、麻耶の顔は紅潮した。流石に先ほど抱き合った仲としては、神崎の指摘は否定しきれない。


「神崎さんも、彼氏でも作ればいいんですよ! ちょっと待っててください、美耶を呼んできますから」

「ういーっす」


 ずかずかと麻耶が去っていく後ろ姿を見ながら、神崎はひらひらと手を振った。

 麻耶の姿が消えてから、神崎はソファを元に戻した。


「よいしょっと。俊介くん、君も座りなよ。足元ふらついてるよ?」

「あ、はい、そうですね……」


 別に恐喝されたわけではない。脅しをかけられたわけでもない。ただ、あれだけの銃撃戦をやってのけた神崎なる人物に、逆らってはいけないのだ。そんな本能が、俺の脳内で警鐘を鳴らしていた。


 俺は素直にお言葉に甘えることにした。でも、『足元ふらついてる』って……。先ほどのお二人の銃撃戦がすごすぎて、怖くて震えているんです。

 恐る恐る、神崎の隣(と言ってもソファの端っこ)に腰を下ろす俺。すると神崎は、俺の心を読んだのかのようなことを言い出した。


「そんなに怖がらないでほしいな。さっきのは、私と麻耶の挨拶みたいなものだから」


 って余計怖いわ!!

 ただ、シャープなイメージの神崎が柔らかい笑顔を浮かべていたので、俺はジリジリと少しずつ、神崎との距離を詰めた。すると、神崎はとんでもないことを何ともないような顔で行い始めた。どこに仕舞ってあったのか、注射器を取り出したのだ。


「!?」


 慣れた手つきで、自分の腕に針を突き刺す。普通なら止めに入るべきところだろう。が、相手は立派なガンスリンガーなのだ。とても『止めた方がいいですよ』とは言い出せない。


「俊介くん」

「はぁあぁい!」


 何とか恐怖の念を抑え込もうと、奇声を上げる俺。


「質問が二つあるんだけど、いいかい?」


 その物腰の柔らかさに、俺は再び落ち着きを取り戻そうと試みた。


「なっ、何でしょう?」

「君は、酒や煙草やクスリの経験はあるかい?」

「酒は時々飲みますけど……。煙草とクスリはやりません」

「そうかそうか」


 納得した様子で頷く神崎。その手には、いつの間にか注射器ではなく煙草が握られており、もう一方の手には百円ライターがある。これまた慣れた所作で一服した神崎は、俺に煙がかからないように注意しながら、ふうーーーっと灰色の息を吐いた。


「えっと……もう一つの質問って?」

「君、麻耶に気はあるかい?」

「ぶはっ!?」


 突然何を言い出すんだ、この人は。唐突にもほどがある。『んなことあるわけないでしょう!?』と反論しかけて、しかし俺は、今日の麻耶との遣り取りを思い返してみた。

 恋愛感情か否かは別として、この僅か二日間のうちに、麻耶と俺の間に何らかの絆が生まれたのは事実だ。その――麻耶の境遇を聞いたり、抱きしめられてみたり。


「俊介くん? 俊介くーん」

「はっ、はいッ!」


 今度は運動部のノリの返事になってしまった。俺の顔を覗き込んだ神崎は、美人の部類に入るであろうその顔を俺に近づけてくる。と思うとぱっと顔を離し、


「ああ、ごめんごめん。こういうことはよく考えてから答える必要があるよね。失敬!」


 と言って俺に軽く手を合わせた。

 そのいかにも気遣わしげな、それでいてひょうきんな神崎の挙動に、先ほどまでの恐怖感はどこかへ行ってしまった。気づけば、俺は自分から神崎に声をかけていた。


「あの、神崎さん」

「ああ、『龍美』でいいよ。君は麻耶の恋人、でなくとも友達だろう? もっと馴れ馴れしくしてくれて構わない」

「いえ、な、何となく……」


 すると神崎はふふっ、と笑って一言。


「君は真面目だなあ」


 いえ、呼び捨てにする度胸がないだけです。


「で、何だい? 質問があるんだろう?」

「あっ、はい」


 俺は神崎と目を合わせた。


「あなたがここのボスだって聞きましたけど、どうなってるんです? ここの序列関係というか」

「いや、そんなものはないよ」


 笑みを深めながら、


「皆が好きなことを好きなようにやる。それだけさ」

「でも、クスリは危ないんじゃ……」

「オランダでは、危険なクスリの使用を防ぐために、あまり刺激のないクスリの使用は許されているんだ。ここの皆が使っているのはそれに準拠している。安上がりだし、麻耶の両親のくれるお金も多額だし。まあ、大丈夫なんじゃないかな」


 それから俺は、ずっと聞きたかったことを神崎に投げかけた。


「どうして月野姉妹を助けたんです? 住めるところを探してあげたんでしょう?」

「うん。両親との確執、っていうのは誰しもあるからね。それがあまりにも酷かったんだ、麻耶たちは。だから仲間に入れてあげたんだ。ここなら警察もなかなか入ってこられないしね。ああ、言っておくけど――」


 煙草の灰をトントンと叩いて落としながら、こう続けた。


「拾ったとか、そんな言葉は使わないでくれよ。嫌いなんだ、同情臭くて」


 ああよかった、危うく『拾った』って言葉、使いそうだったぜ。


「銃の使い方もあなたが?」

「うん。飽くまで護身用にね」


 その言葉に、俺は違和感を覚えた。

『護身用』だって? バンバン撃ち合っていたじゃないか。そんな危険な道に、麻耶を誘ったというのか? 

 神崎に親しみを覚えかけていた俺は、しかし、ここに至って真逆の感情を抱いた。

 怒りだ。先ほどまでの恐怖感はどこへやら。俺の体内の血という血が沸きたつようだった。

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