第5話

「さんきゅー」


 デスクの椅子の上でくるくる回りながら、アキは手を伸ばした。


「悪い。ただの水道水だ」

「はあ!?」


 ガラスに非ざる音を立てて、アキはコップをデスクに叩きつけた。


「おい、割れちまうだろ!」

「他に何かあるでしょ!? コーラとかメロンソーダとかジンジャーエールとか!」

「子供かお前は!」

「子供だもん!」


 あ、そうか。いやだから、ない胸を張る必要はないんだって。


「仕方ないわね、じゃあ、買い物に行きましょ!」

「か、買い物?」

「そ。あなた、いかにもネクラですって顔してるし、ちょっとは外の空気を吸ってリラックスしたら?」


 本当に余計なことばかりを言いやがる。


「でももう明るいぜ? 嫌だよ俺、太陽の下に出るなんて……」

「そうやって毎日毎日、逃げてるだけなんでしょ? たまには切り替えないと!」

「何だよお前、俺のお袋でもないくせに……」


 と、まさにその時だった。俺の脳裏に、最後にお袋に会った時の記憶が蘇ったのは。


「何よ、あなたのためを思って言ってるんでしょ?」

「えっ? あ、ああ、そうだ、その通りだ、うん」

「はあ……?」


 チグハグな俺の対応に首を傾げながら、アキはぴょこんと椅子から下りた。


「まあいいわ。じゃ、飲み物と朝ご飯! 二人分!」

「お前も食うのかよ!?」

「その方がいいんだって。人間社会に順応するにはね」


 案の定、出費は俺からだそうだ。俺はまたガクッと体勢を崩しながら、諦め半分に『仕方ねえなあ……』と呟いた。


         ※


 夜行性動物と化した俺に、真夏の陽光は容赦がなかった。

 二階にある俺の部屋のドアを開けると、アキの身体が運送されてきた時よりも鋭い光が俺の目を貫いた。


「眩しっ!」

「そう? 私は別に」

「お前の目、遮光板でもついてるんじゃないか? 目に入ってくる光量に合わせて、光彩の大きさが変わるとか」

「すごーい! どうして分かったの!?」

「ってマジかよ!!」


 以前読んだ科学雑誌の知識を転用しただけなんだが。


「うあー、でもこの光の元じゃ、何にも見えねえぞ……」

「サングラスでも買ってくれば?」

「眼鏡屋さんとかスーパーとかが開く時間には、もうこれだけ眩しくなってるんだよ。だから俺は外出できないし、購入する術がない」

「コンビニは?」

「あ」


 鳩が豆鉄砲を喰らったような顔、ってのは、今の俺みたいな顔のことを言うんだろうな、たぶん。自分では見えないけど。


 かくして、俺たち二人は最寄りのコンビニで清涼飲料水、朝食、そしてサングラスを手に入れた。アパートに帰りつき、我が家の玄関前に立つ。


「あっついわね~、早く鍵開けてくれる?」

「何様のつもりだお前!」


 金属の擦れ合う音をさせて、俺は玄関ドアを開いた。


「うい~、快適快適!」


 俺を押しのけて先に廊下を抜けたアキは、つけっ放しにしておいたエアコンの力の前に、何の抵抗もなく屈服した。


「ほれ。メロンソーダとフライドチキン」

「あいよ!」


 するとアキは、フライドチキンの両端を持って、ちまちまと食べ始めた。豪快にかぶりつくのではないらしい。ふむ、あんな蹴りを繰り出すような奴でも、女の子らしいところはあるんだな。

 俺は自分のおにぎりと烏龍茶をテーブルに置きながら、少しの間、アキの食事風景を眺めていた。さて、俺も食うか。

 こうして久々の朝食を終え、一息ついた時、俺はアキに質問してみた。


「なあ、お前って本当に人工知能なのか?」

「さっきの変身、見たでしょ? あれで十分証拠になったと思うけど?」

「なってねえよ。大体、最初パソコンの画面に出てきたんだから、パソコンを使って何かやってみせてくれよ」


 おしぼりで手を拭ったアキは、ふむ、と上目遣いに考えた。


「じゃあ、こんなのはどうかしら?」


 綺麗になった手で、アキはノートパソコンの画面の端に触れた。すると、


「うわ、すげえ……」


 俺は思わず驚嘆の声を上げた。

 アキの身体ができてから、デスクトップはいつも通りの状態に戻っていた。しかし今、その画面は碁盤の目のように区分けされ、その一つ一つにカラー映像を映し出していた。


「これって……」

「この街の監視カメラの映像の一部。ハッキングしてるの」


 っておいおいおい、こいつとんでもないことを言い出したぞ。


「これって犯罪じゃねえのか?」

「何言ってるのよ!」


 アキは椅子から跳び下りて、ずいっと顔を近づけてきた。


「これでこの街の人たちの動向をチェックして、皆が健康かどうか確かめてるんじゃない!」

「こんな映像だけで分かるかよ!」

「映像はこれだけじゃないもん! この街の防犯カメラ、全部網羅してるんだから!」

「そういう問題じゃねえ!」

「むー……」


 アキは俺と顔の距離を維持しながら、しばらく睨み合った。

 カメラに映った時だけ腹痛だったとか、その日だけ一日中頭痛がしていたとか、誰しも何かあるだろうよ。

 沈黙を続ける気にはなれない。俺はどうしたものかと思いながら、


「他にも何か、心理的弱者を見分ける方法はあるのか?」


 すると、アキの目がキラリ、と光った。と思ったら、俯いてしまう。


「ど、どうした?」

「仕方ないわね……」


 アキはもうお手上げ、という口調で、再びパソコンの画面端をコツコツと叩いた。そこには、


「ん? 何だこれ?」

「戸籍と住民票よ。この街の人の」

「はあ!?」


 そんなものまでチェックできるのか? なんて奴だ!


「普通、このくらい発展した街で生活していれば、ある程度の頻度でカメラに映る。その時の様子だけじゃなくて、その人が今この街にいるのか、もしいるなら、ちゃんと生活しているのか、分かるわけ。戸籍やパスポートの有無と照らし合わせればね」


 例えば、と言いながら、アキは画面のうちの一つを指差した。すぐにその画面だけが最大化される。

 

「まあ、この人は心身ともに健康だから問題ないのよ。でも、この人があんまりカメラに映らなければ引きこもりになってる可能性があるし、逆に挙動不審でなければ私たちが注目する必要はない。そういう判断なわけ」

「なるほど。お前が有能だってことは分かったよ」

「じゃあ、早速協力を……!」

「とはいかないな」

「ぶ!」


 アキは前のめりに倒れた。


「だって、さっきまで協力的だったじゃない!」

「少し気が変わった」

「ええ!?」


 俺は思うところをアキに言葉で叩きつけた。

 こんなの、プライバシーの侵害も甚だしいじゃないか。それでお節介を焼くのは、それこそ余計なお世話というものだ。堕落した生活を送ることがその人にとってベストな判断だったとすれば、後悔も何もないじゃないか。


「ふうーーーーーーーっ……」


 俺が喋り終えると、アキはその格好からは想像できない、大人びたため息をついた。もの言いたげな目で、俺を見つめてくる。同時に、テーブルを回り込んできた。


「な、何だよ?」

「これを見て」


 俺が素直に頷きかけた、次の瞬間だった。


「!?」


 うなじを掴まれた。ものすごい力だ。俺は頭部から、思いっきりディスプレイに叩きつけられた。

 ミシリ、といって額に激痛が走る……かと思いきや、そんなことは起こらなかった。


《ちょっと! ちゃんと周りを見て! 暴れないでよ!》

「は、はあ!? 周りって……」


 やっと俺は気がついた。ここは、現実世界じゃない。

 虹色の筒の中を、猛スピードで飛んでいるような感じだ。これもアキの力なのか。

 四方を見回してみると、様々な映像が流れている。様々な国の言語で、世界情勢が語られている。

 スポーツや株価変動、ドラマなどの映像が流れているが、だんだん日本語の、それも不吉な言葉が多くなってきた。


《これ。これを見て》


 俺は、自分の脳内で感知された方向に目を遣った。そこに映されていたのは、日本のニュース映像だった。


「なになに……? 自殺統計?」


 すると、ニュースの音声が聞こえ始めた。


《日本の今年度の自殺者数は、三万人を割ったものの、未だに高い割合で推移しており――》

《他国と比較した場合の自殺者は遥かに多く、主に四十代・五十代の男性が――》


「これが、どうかしたのか?」


 顔をしかめながらアキに問うと、


《次よ。よく聞いて》


 視界をニュース画面に戻す。


《――厳密には、十代の青少年の死因の第一位は、自殺という調査結果が提示されており――》

「何だって!?」

《どう? 分かってもらえた? その上で、市民の自殺を防ぐ手伝いをしてもらいたいの》


 すると、視界がぐるぐると回り、捻じれ、真っ暗になった。


「ぶはっ!」


 うなじを先ほどとは逆に引っ張られ、俺の頭はディスプレイから放り出された。ディスプレイはスリープモードで真っ暗になっている。


「この街、学校が多いでしょう? だから若い人も多いし、だからこそ若くして自分の命を絶つ人が多いのよ。助ける相手が十代だとは限らないけど、出来る限り優先してる」

「ふーん……」

「大丈夫? ほら、ウーロン茶でも飲んで」


 アキに促されて、俺はウーロン茶を一気飲みした。同時に、頭がすっきりさせて考えをまとめていく。


「いくつか、訊いてもいいか?」

「ええ」


 真剣そうに目を細めるアキに向かい、俺は連続して、しかししっかりと訊きたいことを述べ連ねた。

 アキはどうして人助けを始めたのか? どうやって最先端研究所を逃げ出してきたのか? 名前は誰がつけたのか? そして、作戦はいつから始め、その成功率は?


「そうね……」


 アキは再びデスク前の椅子の上に座り直り、淡々と回答を述べ始めた。片足でくるり、と椅子を回転させながら、人差し指を顎に当てる。

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