第2話 腐っていますか

「だからVTuberは産業革命以来の大革命なんだよ!」


 松本まつもと喜太郞きたろうが五時限目終わりの十分休憩中にやってきた。ふくよかな頬をさらに膨らませて興奮する彼は生粋のアニオタであり、あらゆる日本国のサブカルチャーを愛する誇り高き孤独なオタクだ。

 ことあるごとに最近「VTuber」という謎のローマ字羅列を彼から聞かされるのだが一度も真面に耳に入れたことはなかった。


「アニメと変わらないと思うが」

「じゃあアニメのキャラに話しかけたら言葉は返ってくるのか?」

「……」

「そこだ! VTuberは生きてる! コメントを送れば反応してくれるし、彼らは自在に動くことが出来る!」

「でも中身は人間なんだろ」

「は? 地獄に堕ちろ」


 およそ着ぐるみに中の人がいるかどうかという触れてはならない話なのだろう。であるならば彼の怒りを買うのもしょうがない。


静真しずま。それはそうと裏切ったな」

「何のこと? お前とおれの接点なんてアニメくらいだから裏切るも何もないと思うが」

「魔法使い同盟を破った。おれたちは女子と喋らない、触れない、付き合わないっていう三箇条を破りやがった」

「喋れない、触れられない、付き合えないの間違いだろ」

「言い訳するな裏切り者! 津布楽さんとイチャつきやがって!」


 そもそも「魔法使い同盟」というファンタジー映画に出てきそうな単語自体初耳だ。ちなみに彼曰く魔法使いとは男のプライドを三十年間守り続けた者を指す栄誉ある肩書だそうだ。

 そしてイチャついたというのは全くの誤解である。明らかに彼女から仕掛けてきたことだ。さらに付け加えて言えば彼女はイチャつくということを恐らく理解していない。


「見てたのならおれが被害者ってことも解ってるだろ」

「あーあー青春いいっすねー。はい、じゃあ魔法使い同盟は解散」

「元から同盟を結んだ覚えもないから何も変わらないけどな」

「なーに、魔法使い同盟って」


 再び津布楽紅羽が現れた。すると喜太郞は田舎の地蔵のように無表情になった。彼は魔法使い同盟の三箇条を守り抜くつもりらしい。ぴくりとも動かなくなった。

 津布楽紅羽は膝を折ってしゃがみ、両手をちょこんと机に乗せた。


「おれも知らない。次は何?」

「船倉くん、今日ウチ来ない?」


 彼女の一言におれも固まる。


「自己紹介も兼ねて私が描いてきた作品を紹介したいなって思って」

「……」

「聞いてる? 船倉くんも部活入ってないんでしょ。来てくれるよね?」


 出会って間もない女子の家に訪問とはハイレベルすぎる。女子の家に行くなんて小学生の時以来だ。当時は異性に対する意識というのが浅く、煩悩も少なかった。だからこそ何食わぬ顔でインターホンを鳴らせたわけだが、この歳になるとそうもいかない。

 卑怯だが喜太郞の魔法使い同盟を発動したくなった。


「ねー、来るっしょー。ねー。手伝ってくれるんでしょー」

「……」

「よし! じゃあ放課後一緒に帰ろーね」


 彼女は笑みを見せるとすっと立ち上がった。短いスカートがふわっと浮かんで少し焦る。危なっかしいことこの上ない。

 津布楽さんが自分の席へと戻っていくと硬直していた喜太郞が息を吹き返した。


「船倉。おれはお前に宣戦布告する。魔法使いと人間の全面戦争だ」

「じゃあもうおれたちは話すこともなくなりそうだな」

「それは困る。寂しくて死ぬ。唯一話が合うお前を失ったらおれの高校生活は終わる。いや、もう終わってた」

「やっと気付いたか」


 あまりの急展開に気が疲れる。恋を知らない少女は多感な男子高生にとって暴れ馬だ。何をするにもこちらが振り回される。

 それにしても津布楽紅羽というBL漫画家は本当に自由な女子高生だ。身の振る舞い方は人目を気にせず大胆で、男がどう受け取るかも一切考えずに自分のプロポーションをちらちらと見せつける。先程も膝を揃えてしゃがんでいたが角度的には魔の秘境が見えてしまいそうだった。

 自宅訪問が不安でならない。


 これからおれを襲う数々の煩悩へ打ち勝つための方法を考えているうちに放課後が来てしまった。

 可愛さをこれでもかと詰め込んだ少女――津布楽紅羽さんのご自宅に行く覚悟がまだできていないというのに、彼女は帰る準備をしているおれの傍で直立している。逃がさないという威圧感も伝わってくる。それに距離が近い。身体を横に折って机の中を覗けば、彼女のお腹に頭頂部があたってしまうくらい肉薄している。


「なぁ、距離感とかあるだろ」

「んー? 逃がさないよー?」

「男の気持ちも考えてくれよ……」

「それが解んないから船倉くんにお願いしてるんじゃん。恋愛映画、ラブコメ映画をいっぱい観てレビューしてきた君の感性を信じてるよー」

「だからそれでどうしてBL描けん――」

「あーあーーあああ! うわあああったたたああー!」


 彼女は悲鳴と共におれをビンタした。

 そうだった。彼女はBLを描いていることを秘密にしているのだった。どうやら人前で彼女とBLが関係しているようなことを仄めかすと物理的に阻止されるようだ。

 

「津布楽さんの自宅って遠いのか?」

「ううん。歩いて三十分」

「微妙な距離だ……」


 荷物をまとめ終わり、遂に帰る準備ができてしまった。

 その様子を確認した津布楽さんはぐいっとおれの腕を掴み上げて立ち上がらせた。あまりにも身を寄せるのでおれは抵抗した。


「はいはいちんたらしてないで帰るよー」

「帰るから帰るから!」

「なに赤くなってんのー? もしやこれが……恋!?」

「恋の前にデリカシーを学べ!」




 津布楽さんの自宅はおれの帰り道と正反対の方角だった。

 彼女には落ち着きというものがなかった。歩道と車道を分けた出っ張りの上を綱渡りのように両手を広げて歩いている。


「危ないぞ」

「だーいじょーぶ」


 一応忠告はしたが彼女のバランス感覚は芸術的なほどブレがなかった。

 彼女の運動神経の良さは体育の授業でいつも存分に発揮していた。男子に全く引けを取らない動きはスポーツマンそのもので、バスケもバレーもバドミントンでもコート内で美しく赤茶髪を乱しながら華麗に舞っていた。

 その強さが我々男子を意固地にさせる。人気があっても告白された噂が全然立たないのはそれが原因だ。女子より身長が低いのが恥ずかしい、というくらいしょうもないことだが。

 学校を出てから三十分後。

 ようやく彼女の自宅に到着した。


「ここが私のマイハウス~」

「立派な一軒家だな」

「うちの両親、共働きだからまだ帰ってないと思う。何でもできるよ?」

「言い方を変えろ」


 警戒心というものを持ち合わせていないらしい。彼女の今後の人生が心配になった。

 津布楽家に入ると廊下にある大きな棚にすぐ目がとまった。トロフィーやらメダルやらが輝いている。


「あ、これ空手で取ったの」

「どうりで運動神経抜群なわけだ」

「ふふー。よく見てみー?」


 全国大会優勝、市大会優勝と優勝の文字ばかりだった。めちゃくちゃお強いらしい。


「私、最強の腐女子だから」


 津布楽さんは大股開いて腕をまくるとドヤ顔になった。もはや格好いいのか可愛いのか解らない。

 てっきりリビングに行くのかと思ったら彼女は二階へと続く階段を上がり始めた。おれは咄嗟に下を向く。周知の通り、津布楽さんのファッションスタイルは常にギリギリを追求している。肉付きの良い長い脚の原点に潜む魔の秘境を見てしまったら人間として一歩後退する気がする。


「こっちだよー。どったの下向いて」

「リ、リビングに行くんじゃないのか?」

「リビングがいいの? でも自己紹介するなら私の部屋が一番なんだけど」

「わ、解った。解ったから」

「んん? 顔あっかー」


 鈍感は罪だ。全国の鈍感系主人公は滅んだ方がいいと思う。頑張るヒロインが不憫だ。

 彼女が階段を上がりきった音を聞いておれも上がった。

 部屋は女の子らしかった。乳白色のカーペット、薄ピンクの毛布が敷かれたベッド、窓辺には小さなペンギンのぬいぐるみが五羽整列していた。


「ここが私のアジトでーす」

「綺麗に整頓され――」


 おれは本棚に目を奪われた。薄い本がぎっしり詰まっているのだ。一瞬アナログレコードかと思ったが、違った。やたらピンクが目立っている。

 そうか、例のアレか。


「ベッドに座っていいよ」


 おれは言われたとおりにベッドに腰を下ろさせてもらった。

 津布楽さんの漫画家らしいところと言えばデスクだった。大きな液晶タブレット、スケッチブック、手袋、資料本などなど置かれていた。足下には出版社名が記述された封筒もある。

 感心していると彼女もベッドにぼすっと座った。


「いやお前も座るんかい!!」

「え? 私のベッドだけど」

「ラブコメ的にこれはヤバいの! ダメなの! おれは床で正座するから!」

「よくわかんなぁい」

「解れ! 学べ!」

「じゃあいいよ。私は椅子に座るから。ベッドに座ってよ」


 おれは床で正座し続けたがまた強引に腕を持ち上げられ、ベッドに投げられた。

 そして事件が起こった。バランス感覚最強の腐女子であるはずの津布楽紅羽さんはバランスを崩し、ベッドに仰向けになっていたおれに「あっ」という声とともに倒れ込んできた。

 身の危険を感じ取ったおれの脳は回転速度を上げ、時の流れを遅くした。

 スローモーションで津布楽さんが落ちてくる。おれは咄嗟に身体を横に捻って衝突を免れようとしたが、運悪く、彼女の両膝がおれの股下をついて身動きが取れなくなった。

 このままでは正面衝突する。おれは胃袋がねじ切れる勢いで上半身だけで捻ろうとしたが、あろうことか両肩を掴まれた。そこでようやく停止した。


 一秒ほど時が止まった。


 腹から下がお互い密着している。彼女は腕立て伏せの途中のように肘を曲げ、おれの鼻先すれすれには顔があった。髪がカーテンのように垂れ、視界は彼女の瞳と紅の世界で占められた。

 心臓の音が強く高鳴る。蝉の声がかき消されるほどの鼓動が耳奥で響き、世界にはおれと彼女しかいないんじゃないかって思うくらい意識が全て彼女に向いた。


「あ、今どくんって鳴ったね。動いてるー」


 彼女は意地悪に微笑むだけで取り乱すようなことはなかった。鈍感はやっぱり罪だ。今でも心臓が痛いくらい高鳴っている。

 

「そ、そりゃ生きてるからな……」

「ふふ。ごめんね、痛かった?」

「大丈夫」


 今ならおれにもラブコメが描けそうな気がする。

 ハプニングなんて初めからなかったかのように彼女は「よいしょー!」と立ち、椅子に座った。

 もうおれは限界だ。心身共にヘトヘトだ。正式に魔法使い同盟を結んだ方が長生きできそうだ。


「じゃあ仕切り直して。まず私の自己紹介でも始めましょっか」


 両手を合わせてそう言うと、一冊の単行本をおれに手渡した。学校で見せた表紙画像と同じだった。


「くれは、ってペンネームで活動してる。元々イラスト投稿サイトで描いてたBLなんだけど、人気が出て書籍化したの。それがデビュー作」

「そんなルートがあるのか」

「うん。この液タブは最初の印税で買ったんだー。あっ、そうだ。使わなくなった板タブいる?」

「おれは描けないからいいよ」


 素直に凄いと思った。素人目に見ても軽く十万は超えてそうなものだからどうやって手に入れたのだろうと思っていたが自分で手に入れたのか。

 彼女は得意げになって足を組む。やめろ、見えるだろ。


「ラブコメなんだけど、これは出版社さん用ではないのね。Webで無料掲載する趣味程度の試みだからそんなに意気込まなくていいからね。お勉強だから」

「そうだったのか。てっきりお金が関わってくると思って身構えていた」

「安心してちょうだいねー。まぁ挨拶代わりに読んでみてよ」


 彼女はまた足を組み直す。もう読むしかない。彼女を見るだけでハラハラする。

 というわけでおれは彼女の処女作を読み始めた。それは地獄の始まりだった。

 序盤は読めた。完璧主義のイケメン上司がやたらボディタッチしてきたり、普段は厳しいのに飲みの場では妙に優しくなるというギャップ萌えみたいなシーンが続いた。もちろん主人公は男である。

 こういうほのぼのとしたBL漫画なのだろうと思っていたが中盤からはおれの知らない世界だった。イケメン上司と主人公が乱れ始めやがった。男の身体構造上可能なのかとこちらが心配するほどお乱れになられた。終盤ではイケメン上司は主人公の奴隷になっていた。主人公無しでは生きられない身体になってしまったらしい。

 人はこれを成人漫画と呼ぶのだろう。どんな心境で彼女が男のおれに読ませたのか問いただしたかった。おれは読書中、無意識に何度も眼鏡をくいっと上げては気を落ち着かせようとした。

 当の本人はおれの様子を見て大層ご満悦らしく、腕を組んでにっこりしていた。


「どうよ、私の作品!」

「すごいっす」


 これはセクハラなのではなかろうか。そう思ったが彼女はそんな気は一切無かったようで、本棚の薄い本を何冊か選び始めた。

 地獄はまだ終わりそうにない。


 

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