Blackbird singing in the dead of night ①

 愉しそうな複数の笑い声が程近くで聞こえて、私の意識は現実へと引き戻される。

 アーケードへと戻る道すがら、少し脚を休ませる目的で茂みに埋もれかけたベンチに座った私だったが、どうやらいつの間にか疲労で眠ってしまっていたらしい。顔を上げて声のする方を見遣ってみると、3人のアニマルガール達が談笑しながら目の前の散策路を横切っていくところだった。


 嫌な──夢だった。

 最早数え切れないほど夢に見た例の異変の繰り返しリフレインだったが、このように具体的な、過去の追想に近い夢を見るのは久し振りだった。普段と眠る場所が違ったからだろうか。私は立ち上がって一つ伸びをすると、横に置いていた本を抱え歩き出そうとした。しかし、そこですぐ左隣に一人のアニマルガールが闇に紛れて突っ立っていることに気が付き、私は驚きで後ろにたたらを踏んでしまう。

「あっ、ご、ごめんなさいっ。驚かせるつもりは無くて……」

 暗めの黄赤のショートボブが私の目の前で上下に揺れる。頭を上げた時に現れた彼女の顔には、不安の色が浮かんでいた。そのまま手を自分の前に組み何かもじもじとしている。すぐに立ち去らないところを見ると、私に用事があるということだろうか。

「あの、私に何か」

「ああっ、いや、えっと」

 彼女は再び動揺の声を上げると、何か言いたげに口をぱくぱくさせて、そして暫くの間が空いたのち、おずおずと口を開いた。

「……えっと、泣いて、いたので」

「誰が」

「……あなたが」

 彼女の語を受けて私は空いている方の手で頬を触る。微かに感じる潮の痕。なるほど、これを見られたわけか。

「気にしないで。いつものことだから」

「えっ、でもっ」

「大丈夫だから」

 私は多少語気を強める。詮索されたくないという気持ちがあった。

「そう、ですか……大丈夫なんですって、

 彼女が横の茂みの方を向いてそう声を掛けた。間を置かずに、暗い闇の中から別のアニマルガールが姿を現す。おや、もう一人居たのか。こちらからでは死角になっていたためか、彼女が声を掛けるまでその存在に全く気が付かなかった。

「だから言ったろ、放っておいてやれって」

「うぅ……だってミソっちの方が──」

 その時、ミソっちと呼ばれた彼女は、黄赤のボブの方を僅かな間ではあるがやけに峻厳に睨み付けた。睨め付けられた方の彼女はそれを受けて言葉を切ると、肩を窄めてしゅんとしてしまう。そして茂みから加わったアニマルガールは、そのまま視線を私の方へと移した。

「あんた、ここらに住んでるフレンズじゃないだろう」

 彼女は私の方へ歩み寄りながらそう言う。偽る必要もないので私は素直に頷いた。

「夜目は利くのか」

「まあ、ある程度は」

「帰り道は?」

「えっと」

 私は改めて周囲を見渡した。

 鬱蒼とした森林。殆ど全て葉は落ちているが、ヒトが去ってから定期的な間伐も無くなったことにより無秩序に成長し始めた木立は、今宵の月の光をほぼ完全に遮るほど高い密度の林冠を形成していた。今私たちを照らすのは、断線を免れた街灯のぼんやりとした明かりのみ。視界に移る散策路はベンチの目の前にある一本だけであり、正直、左右どちらから歩いてきたのかについても記憶が曖昧だ。

「覚えていた……はずなんだけれど」

「はず、ってことはちゃんと覚えてねぇわけだ」

 彼女は思った通り、というように口の端を僅かに上げると、先程のアニマルガールの方を振り向き、「夜道のご案内一名様だ」と気取った風に言ってみせた。すっかり気を落としていた黄赤のボブのアニマルガールは、彼女の言葉を聞くや否や打って変わって目を輝かせる。

「ミソっち、わたしがしていいんですか?」

「お前の早とちりの埋め合わせだからな。しっかり案内してやんな」

 彼女は、やった、と小さく歓声を上げると、こちらに近づいてきて、わたしに任せてくださいね、と自信を顔に湛えたまま私の手を握りぶんぶんと振った。

 自分の意志の介在の無いまま道案内が決まったことに当惑していた私だったが、実際この暗い森の中を迷わずに歩いてアーケードまで辿り着ける自信は無い。私は苦笑を浮かべつつ、なかなか握った手を離してくれない彼女に向かって半ば儀礼的に、よろしくお願いするわ、と返したのだった。



***



 夜の道案内は、私が思っていたよりもスムーズに、かつ静かに進んだ。私の前を意気揚々と歩く黄赤のボブのアニマルガール──ヨーロッパコマドリは、この辺りの地理はすっかり頭の中に入っているのか、道中に現れる文字の掠れた広域地図や案内看板には目もくれず、私達をずいずいと前に向かって導いていってくれる。彼女が私に話しかけたのは最初の自己紹介の時くらいで、それ以降は道案内に集中しているのかこちらを振り向きもしない。まぁ、新世代と出来るだけ言葉を交わしたくない自分からすれば大いに喜ばしいことだ。

 そんな彼女の代わりに、私に並んでついてくる深茶の鳥類アニマルガール、ミソサザイが定期的に私に話しかけてくれる。

「悪いな、あいつのお節介に付き合わせちまって」

「いえ、私も困っていたから、助かったわ」

 私は彼女に対して素直に感謝を述べた。ミソサザイは、いやいや、と手を振って謙遜すると、両手を頭の後ろで組んでから小首を傾げて私の方を見上げた。

「あいつはさ、何と言うか──人が良すぎるんだな。困った子がいたらどんな時でも助けちまうし、簡単に誰かに共感して、酷いときには自分の方が泣く始末でさ。本当に手を焼かせる奴で」

 彼女は視線をコマドリの方へと向ける。目尻が下がって、愛おしそうな眼差しをしているのが見てとれた。彼女は少し間を置いて言葉を継ぐ。

「……このどうしようもない俺にさえ手を差し伸べてくれた。生きる意味を教えてくれた。それなのにまだあいつに何も返せずにいる」

 声のトーンを下げて彼女はそう言った。対する私は少し困惑する。これは──ある種の惚気のろけ話なのだろうか? 唐突に始まった独り語りにどう返したものか私が悩んでいると、ミソサザイは出し抜けに私に訊ねてきた。

「あんたには居ないのか」

「えっ」

「あんたにとって大切な奴だよ」

 彼女の方を見ると、今度は至って真剣で、かつ鋭い眼で私を見上げていた。

「……居ないけど」

「本当に?」

「本当にって……どうして嘘を言う必要があるのよ」

「以前は、どうだったんだ」

 私は彼女の追求に困惑する。先程出会ったばかりの他人の交友関係がなぜそんなにも気になるのだろうか。意図の分からない質問に若干の煩わしさを感じていると、不意に前から声が掛けられ私たちの会話は遮られた。

「もーっ、さっきから2人でばっかりお話しててずるいですぅ」

 いつの間にか足を止めてこちらを振り返っていたコマドリが、私達に向かって頬を膨らませている。

「はは、すまんすまん」

「何のお話ししてたんです?」

「お前がドジだから毎日大変だって話をな」

「ええっ、ちょっとミソっち酷いですよぉ!」

 そう言うミソサザイの顔からは先程のような険はすっかり抜けており、代わりに初めの穏やかな目つきでコマドリの方を見つめていた。その様変わりの早さに少しの違和感を覚えたが、一方で先の会話から抜けることも出来たので、それ以上に私は安堵していた。


 コマドリによればアーケードにはもう間も無く到着するとのことだったが、お腹が空いたから””の居る所に寄り道したいと彼女は申し出た。もともと食料調達も兼ねて外出した私だったので、その申し出には快く乗らせてもらう。

 暫く散策路を進んでいくと、小規模な広場に辿り着く。元は園内を走っていた周遊バスの停留所として用いられていた場所らしく、簡易なルーフ付きのベンチと、錆び切って停留所名が読めなくなった看板が設置されていた。ここは周囲で暮らすアニマルガール達にとっては憩いの場なのか、既に何人かの夜行性のアニマルガール達が集い、思い思いの場所に座って談笑している。そして広場の中央には、物も言わずただ頭頂部にアニマルガール達の基本食であるジャパリまんじゅうが一杯に詰まった籠を載せたボス――ラッキービーストが佇んでいた。日々の糧を公平に分配してくれる偉大な取りまとめ的存在であるから、頭領ボス。初めに誰がそう名付け、そして何時からアニマルガール間でそう呼び習わされるようになったかは知らないが、パーク中に腐る程いる彼らは毫も幸運ラッキーな存在ではないし、なんならビーストでもないので、そちらの呼び名の方が合っているかもしれない。

 広場に足を踏み入れると、こちらの存在を認識レコグナイズしたのか、軽くホップしながら籠を載せたラッキービーストがこちらに寄ってくる。そして私たちの手前でぴたりと立ち止ると、少し前屈みになり籠をこちらに向けた。視界に表れる色取り取りの饅頭。頂部にはパーク謹製を表すの特徴的なロゴが焼印で押捺されている。外皮の色によってフィリングが異なるらしいが、ジャパまん(或いは新世代たちの略し方で言うならジャパリまん)をあくまで栄養摂取源としてしか考えていない私はその違いに頓着したことは無い。

 ありがとうございます、と感謝を口にしつつまずコマドリが籠に手を伸ばしジャパまんを二つ手に取ると、その一方をミソサザイへと差し出した。次に私が籠の許に近寄る。ここ最近は気温が低いため比較的足が早いジャパまんでも地下の保存庫においておけばしばらく持つ。従って1週間分(と言っても一日一食計算だが)を一度にラッキービーストから受け取っていた私だったが、それはアニマルガールの数が少ないアーケード周辺だからできた話であり、流石に多くのアニマルガールが暮らすこの森林エリアでその様な独善的な行為をするわけにもいかない。私は三つだけ籠から取ると、ラッキービーストに背を向けようとした。

 しかしその時ラッキービーストから鳴り響いた軽めのビープ音で私は動きを止めた。振り返ってみると、俯き加減だった彼は顔を上げ、腹部に付いた円形のディスプレイを発光させていた。不味い──と思った時には既に遅し、彼から電子音声が流れ始める。


《……長旅お疲れさまでした。こちらは『森林エリア東部・第3ビジターセンター前』バス停です。ビジターセンターに御用の方は、向かって右手前方の散策路をお進みください。その他の施設に御用の方は、背後の案内掲示板をご覧ください。なお、この先のミヤノジン橋は5日に発生した土砂災害の影響で不通となっていますが、振替輸送等は行っておりませんので、予めご了承く――》


 そこで音声が途切れた。それは恐らく、読み上げ中にコマドリが彼に話しかけたからだ。

「ボ、ボスってお話しできたの?! 今まで全然知らなかったですっ」

 ラッキービーストはコマドリの方を見上げて両目を淡い緑に明滅させると、暫くその場で硬直し、そして彼女に背を向けてまた広場の中央へと無言で引き返して行ってしまった。

 ラッキービーストが声を発したことにより広場は騒ついていた。多くのアニマルガール達が彼の周りに輪を作り彼との対話を試みているが、彼はちらとも顔を上げず、仏頂面で初めと同じように佇んでいる。

「急にお喋りするなんてびっくりしました〜。ね、ミソっち」

「ああ──そうだな」

 ミソサザイはやけに神妙な顔でそう返答した。そして彼女は──思った通りに私の方へと目を向けた。目が合ってしまう直前で、私は上手く顔を背けることが出来た。

 ラッキービーストが私に向けて声を発した理由は自分自身がよく分かっていた。そして、疑問に思った彼女達からその理由を聞き出されるであろうことも。迂闊だった──普段周りに他のアニマルガールが居ないアーケードの中で生活している私は、その感覚で彼に話しかけてしまったのだ。横から感じる視線の中で、私は、先程逃れたばかりのミソサザイの詮索の際に感じていた妙な圧迫感や気まずさを再び感じていた。



***



「もうすぐですよ〜」

 再び先頭に立って道案内をしてくれていたコマドリが私たちの方を振り向き、そう声を掛けた。

 あれから元来た道を引き返してきたのだが、先程のラッキービーストの件について道中に問い質されるようなことは無かった。先のこともあったように、特にミソサザイからは質問攻めに遭うものと思っていたため、アーケード周辺に来るまでに彼女が殆ど話しかけてこなかったことには少なからず驚かされた。出会ってからここに来るまでの彼女たちの振舞いには何かちぐはぐさを感じるのだが、何はともあれ、久しぶりの他者との関わりの中において心を乱される場面を極力少なくできたことに私は安堵していた。

 コマドリが声を掛けた場所から暫く進んでいくと、木立の向こう側に月明かりに照らされてぼんやりと浮かび上がる巨大な廃墟が見下ろせた。アーケードだ。目を少し前方へと転じると、麓へと通じる山道を案内する看板が道の脇にぽつんと立っているのが見えた。

「この辺りで大丈夫よ」

 私は彼女らにここまで案内してくれたことへの礼を述べつつ頭を下げると、山道の方へ降りていこうとする――ところで不意に背後から着ていた外套を引っ張られた。反射的に振り返るとミソサザイが外套を掴んだままこちらを睨め付けていた。

「いやいや、絶対大丈夫じゃねぇだろ。な?」

 ミソサザイはそう言って前に居たコマドリの方を一瞥する。コマドリは一瞬きょとんとした顔をしていたが、はっと気付いたように彼女の言葉に急いで左袒さたんした。

「そ、そうそう、そうですよ。夜道のお散歩に慣れていないのなら、絶対、私たちの案内が必要ですっ」

 セルリアンもいるかもしれないですし、と彼女は念を押すように言い加える。彼女たちのやり取りにまたも違和感を覚えた私だったが、その場の微妙な間に耐えられなくなり、結局自分の住処の近くまで付いてきてもらうことになってしまった。


 

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