Reminiscence ②

 事は、約20年前に遡る。


 『異変』の発生は、些か突発的で、破滅的だった。

 と言っても、20年も前の記憶だし、そもそも私の記憶はどういう訳かある一点を境にしてぷつりと途切れてしまっているので、具体的な異変の顛末を詳しく語ることは恐らく出来ない。しかしながら、先に述べた異変の起こり方は少なくとも脳裏に強く焼き付いているので、自信を持って断言できる。


 あの日、あの時。

 私は、島内の主要公共交通機関であったモノレールに揺られてこのキョウシュウ地方へと向かっていた。広大なこの島嶼では公共交通機関が未整備な地域が大半であり、確かその時に乗っていた路線も半年前に開通──と言ってもこの地方の東端に一駅だけ新たに設けただけだが──したばかりであったように思える。

 キョウシュウへと向かっていた理由は全く覚えていない。当時の私は試験解放区にある女学園に通っていたから、相当の距離があるこの地方へと海を越えて渡ってきたのには何か重大な動機があったはずなのだが、それでも思い出せない。

 それは、大体キョウシュウの駅に到着して直ぐだったように記憶している。細かな揺れから始まり、間もなく立つこともままならなくなるような巨大な揺れが私たちを襲った。慌てて車外へと駆け出す者、出口へと逃げ出す者、近くにあったものに捕まり怯える者、様々だったが、私はきっと尻餅を付いたままその騒擾そうじょうを呆然と眺めていたと思う。揺れは3分近く続いた。揺れが収まって我に帰った私が立ち上がるタイミングで、駅の構内に臨時のアナウンスが鳴り響いた。確かその内容は、構内から出て最寄りの避難所に向かって欲しい、というような旨のものであったように思う。自分の平生の性格から言えば、当然言われた通りに避難所へと向かう──はずなのだが、記憶では、アナウンスの内容に逆らう形で何故か島の中心部に向かって走り始めていたように思われる。

 何故かは、やはり分からない。異変当時のことを追想するたびに思うことだが、自分の仔細な行動は記憶しているのに、どういう訳かその行動の理由が完全に欠落しているのだ。


 確か私は、その後に現在暮らしている『地方アーケード』と呼ばれる商業集積エリアに辿り着いたはずだ。大きな地震があった為に、未だに混乱でざわつく群衆の中を私は走り抜ける、まるで誰かを探しているみたいに。──いや、もしかしたら本当に誰かを探していたのだろうか? けれど、女学園に入学した後の私には友達なんていなかった筈だから、きっとそれは無いと思う。

 人並みを掻き分け、誰かが零したポップコーンの山を越え、地面に落ちた団体ツアーの案内フラッグを踏み付け、私はひたすらに走っていた。アーケードの天蓋が途切れる所まで走り通した時、突如として人波の向こう側から叫び声が聞こえた。その声を聞いた群衆が、発生源から一斉に逃げ出してくる。群衆が高速度で私の目の前を必死に走っていく様子がまるで捕食者に襲われた動物の逃避行動みたいで、ヒトもこんなに獣じみた動きをするんだと、緊急時なのに変に可笑しく感じたことを覚えている。

 走り去った群衆の後に残されていたのは、やけに大きな黒い塊だった。整然と並んだレンガの舗装路を突き破り、通りに並んでいた屋台を押し潰し、アーケードのど真ん中に鎮座している。それが巨大な生命体に類するものだと気付いたのは、不気味にてらてらした黒塊の中から現れた血走った複眼が私を突如睨め付けてきた時だった。


 瞬間、全身に走る悪寒。


 これは──不味い。濃い死の匂いを生まれて初めて嗅いだ。

 背を向けて逃げ出そうとした時、黒塊の方から声が聞こえた。怪物の声などでは無く、ヒトかアニマルガールの声だった。

 

 ──大丈夫だよ。

 ──もう少しで助かるからね。


 振り返ってみると、巨大な黒塊の下の方で、それに飲み込まれかけた子供を必死で引き摺り出そうとしているアニマルガールが居た。黒塊に刺激を与えぬよう、ゆっくり、ゆっくりと、捕らわれた子供の周りの塊を掻き出している。

 それを見た私は、どういう訳か──その黒塊の気を引くように振る舞ったのだ。落ちていたを必死で振った。転がっていたレンガで近くの標識を叩いて音を立てた。そんなことをする義理の無い私が、何故そうしたのか。これも分からない。

 そうしているうちに、彼女は順調に子供を引き摺り出し、遂に助け出すことに成功した。良かった──私がそう思ったのも束の間、何を思ったか、そのアニマルガールは黒塊を執拗に、激しく攻撃し始めたのだ。同時に子供に何か言い、そしてその子供がこちらへと走って逃げてきた。恐らく、自分が気を引いているうちに逃げろ、と伝えたのだろう。彼女の狙いを汲み取った私はこちらに駆けてきたその子を引き受けると、黒塊の攻撃が及ばない範囲まで連れて行き、避難所へ行くように告げる。その子が正しい方向へ走り去っていったのを見届けて、私は元の場所へと急いで戻った。

 戻った──そう、戻ったはずなのだが、その後自分が何を見たのか、どうしたのか、今では全く思い出すことが出来ない。


 記憶はそこですっぱり切れていた。再び目を覚ましたのは、キョウシュウ地方のシェルターの中だった。私をシェルターへと運んでくれた特殊動物飼育員の話によると、異変の収束後に状況確認のためパーク内を巡回していた際に、アーケード内で倒れていた私を発見したらしい。異変が発生してから1週間弱が経過しており、君が助かったのは奇跡だった、とその飼育員はそう私に伝えた。

 その時、私はあのアニマルガールのことを思い出し、あの黒塊は何だったのか、そして彼女は近くにいなかったのか、とその飼育員に訊ねた。黒塊の正体は恐らく『セルリアン』と呼ばれる存在であるということを飼育員は教えてくれたが、彼女の行方は分からないとのことだった。彼が言うには、それ程までに巨大なセルリアンの近くにいたアニマルガールが無事助かる確率は、極めて低いとのことだった。

 飼育員が去った後、貰った非常用レーションに水という簡素な救援物資を手に私はあたりを見回した。シェルターの中にいるアニマルガールは、私を含めても10人に満たない。誰もが申し訳程度のプライバシーを守るために設置された簡易な段ボール製パーテーションに囲まれながら、ブランケットの中でうずくまるか、失意の中で身を力なく横たえているかしていた。

 自らのスペースに身を寄せ、冷たい床に座り込むと、微かな空腹を覚える。レーションを開封しようと思って手元を見ると、包みの上には何故か数滴の雫が載っていた。そこで、私は初めて、自分の頬に幾筋もの涙が伝っていることに気付く。拭いても拭いても止まることのないそれは、私の頭を酷く混乱させた。


 この涙の訳は、今になっても分からないままである。



***



 数週間後、パークからの人間の完全退去が決定した。

 もともと島嶼の周囲はサンドスターの高濃度層がベールのように覆っていたのだが、簡単に言えば、異変後にその層の濃さが増しつつあることが退去の主な理由らしい。今までは看過出来るくらいの濃度であったが、現時点において既に通過時に船舶や航空機の計器及び動力系に異常を来すくらいの濃度となっており、加えてもともと厚い地層により濾過され地上に殆ど露見することのなかった『セルリウム』と呼ばれる物質が周辺海域において大量に漏出したことで、結果としてそれを主な源とする海洋でも活動が可能なセルリアンが跳梁跋扈しているとのことだった。つまり、この島は既に、外界と隔絶されつつあったのだ。

 君達の島を守れなくてすまない、と最後に退去の旨を伝えに来たパークの職員が、涙を特殊な防護服の向こうで流しながら嘆いていた。その際に、これから実質的に”無人”となるパーク内の保守管理及びアニマルガールの福利厚生の維持に従事するという自律型AI搭載のロボット、『ラッキービースト』の紹介を受けたが、その時に愛嬌のあるデモ音声が流れたきり、このパークでは彼らの音声を聞くことは無くなってしまった──私を除いては。今では無愛想にアニマルガール達に『ジャパリまんじゅう』と呼ばれる饅頭型の完全栄養食を配るのみであり、直接アニマルガール達に干渉することはないのだが、前述したようにどういう訳か私に対しては音声を発する。と言っても、アーケード内の案内に関する定型文しか話してはくれないが。


 放棄されたパークで生活を始めてから数年後、再び活発に噴火を始めた、頂上にサンドスターの大結晶を湛えるキョウシュウ地方の雄峰の下で多くのアニマルガールが生まれ始めた。

 その頃の私は未だにシェルターの中で暮らしていた。最初は良かった──元々人付き合いはそれほど得意としないが、それでも生き残った他のアニマルガールたちとの交流を通して、私たちは異変後の変わり果てた世界でひっそりとした安寧の地を築いていたからだ。しかしながら、天候に左右されない遊び場に最適だとして、異変から数年後には噂を聞きつけた新生アニマルガール達が段々とシェルター内に出入りするようになった。別に彼女達が悪いという訳ではない。知識の差はあれど話は通じるし、実際初めは彼女達との交流を変わり映えのない生活における一種の清涼剤のようなものだと感じていた。

 それでも──段々と、辛くなってきた。同じアニマルガールなのに、異変前に目にしたことのある者もいるのに、私たちと何もかもが違う。異変で負った深い心の傷を、共有出来ない。笑顔で毎日を過ごす彼女達と違って、地下のじめついた陰気臭い場所で身を寄せている私たち。増してゆく疎外感と劣等感に耐えられなくなったのか、数夜ごとに、一人、また一人とシェルターから生き残ったアニマルガール達は消えていった。踏ん切りがつかなかった私は最後の一人としてさながら床の染みのようにシェルターの隅にへばりついていたが、ある日のこと、何を思ったか、ふらりと数年ぶりにシェルターの外へと足を踏み出した。


 私を刺す久々の日光。噎せ返るような草木の臭い。あちこちで聞こえるアニマルガール達の黄色い声。私は愕然とする。既に多くのアニマルガールでパークは満たされていた。異変のことを何も知らない彼女達は、存在も知らないヒトの遺した遺構で、歓声を上げながら遊ぶ。

 嘔気さえ覚えた。ああ、そうか──私は本当にもう──独りなんだ。

 シェルターには、戻れなかった。戻りたくなかった。帰る場所なんかなかった。だってもうあそこは、新世代の、あの子達のものなんだから。

 きらきらとした輝きに再び満たされていく、素晴らしき、麗しきジャパリパーク。そこを亡霊のように歩き回る私。いっそ、亡霊の方がどれだけ良かったか。確かにそこに存在しているせいで、多くの優しいアニマルガールから、私は声を掛けられた。その度、諂笑を浮かべ、中身のない話題を振り、当惑と失意のなかで逃げるようにその場を去った。

 雨の日は洞穴の中で、晴れの日は木立の下で。時に新世代達に混ざりながらラッキービーストから饅頭の配給を得て、再び路頭に弾き出される。どうでも良かった。生きる意味なんて、もう見出す意欲も何もなかったのだ。私は──私は、命の残滓を生きている。

 そしてある日、私は打ち捨てられたあのアーケードに辿り着いた。地面に大穴が開き、屋台が吹き飛ばされ、見ず知らずのアニマルガールがセルリアンに喰われ、そして今では火山灰が固着し見る影も無くなったアーケードに。


 ここなら、きっと私を慰めてくれる。新しい時代の波になんて乗らずに、ゆっくりと、いつか何かで死にゆくまで、安らかに沈んで行けるはず。私は埃に塗れた旧世代の階段を降り、あの軋むドアを開けたのだ。

 

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