06 「守らなきゃならん奴」の括り

「うわ……はあ」

 ようやく水中から顔を出して息をしたような奇妙な声を発したのは、炎の壁から解放された青年学者だった。

「シュナード、さん」

「おう、その、何だ」

 彼はそちらを見なかった。

「何つったらいいのか判らんが、大変だったな」

「あの……」

「すまんが、少し時間をくれ」

 彼はぴくりとも動かなくなった少年を見つめながら言った。カチエがそっとライノンのところへ行き、何か耳打ちした。青年は目をぱちくりとさせながら、彼女の話を聞いていた。

「なあ、レイヴァスよ」

 彼はこと切れた少年に向かって呼びかけた。

「何でこんなことになった?」

 答えはない。レイヴァスからも。エレスタンからも。

「本当に、俺は楽しかったんだぞ? たとえ英雄にはなれなくても……ああ、これはミラッサが言ったんだが」

 彼はぼそぼそと話した。

「英雄や英雄にはなれなくても、その師となればたいそうな名誉だろうというようなことをな。そのときは一蹴したんだが、お前さんと歩きながら思ったんだ」

 深く息を吐く。

「英雄の護衛も悪くない、ってな。俺はお前さんが本当に英雄なのかもしれないと思ったんだ」

 たとえアストールの血は引いていなくとも、その心根が英雄だと『岩が認め』、封印の剣を抜くことができるのではないかと。

「記憶を取り戻すまでのお前は、アルディルムの名を持つ者としての責任を果たそうとしてたのに……何でだろうなあ」

 彼はその場にしゃがみ込むと、不思議に血糊のついていない剣を置いた。

 それから躊躇いがちに、少年の黒髪を撫でる。

「あれは演技だったのか? そうじゃないだろ? 演技だったなら、お前は魔術書より脚本を読んで役者になるべきだった」

 そんなふうに言って、シュナードは口の端を上げた。

「本気、だったんだろ? なのに」

 きゅっと唇を噛む。

「何で、こんなことになっちまったのか……」

 シュナードが剣を抜き、エレスタンはレイヴァスに蘇った。彼が魔術王の精神を復活させて、そして――殺した。

 守ると決めていた少年の命を奪った。

「こんなクソ忌々しい封印の場にこなければ、俺もお前も、お互いにむかつく奴だと思いながらも……生きていけたんかな?」

 つまらない夢想だと判っている。

 ミラッサがいた以上、そうしたことにはならなかった。彼女はエレスタンを目覚めさせるため、シュナードとレイヴァスをこの場に連れてこようとしていたのだから。

「――悪かった、な」

 彼はうなだれた。

「魔術王から、守って、やれなくて」

 レイヴァス少年だって、本当は、彼の「守らなきゃならん奴」の括りに入っていたのだ。

 だがどうしようもなかった。

 どうしようもなかったのだと、自分に言い聞かせるしかなかった。

 もっともひとつだけ、引っかかることもあった。

 少年はいったい何故、あんな簡単に――シュナードが一歩踏み込めば完全に斬られる位置で、無防備に立っていたのか?

 ただ、油断をしていたのか? 闇に囚われた彼が斬りかかってくるなど思いもしないで? あれだけスフェンディアには警戒をしていたのに?

(……よそう)

(エレスタンのなかのレイヴァスが、このまま魔術王として君臨することを拒んで、俺に斬られることを選んだ……なんてのは、俺の酷い感傷か、もっと酷い言い訳だ)

 少年を手にかけたことについて言い訳をするつもりはなかった。したくなかった。

「墓ぁ……どうしようかね。お前さん、本当に養父母を嫌ってたのか? それとも、ありゃあ魔術王が言わせた台詞で、レイヴァスとしちゃちったぁ感謝してたのか。まあ、だいたい、俺はお前さんの養父母の墓がどこにあるのかも知らんが」

 調べれば判るだろう。だが少年をそこに葬ってよいものかは決めかねた。

「レイヴァス・アルディルムって墓標を立てたら、激怒するか? でも許せよ、墓なんてのは、生き残った者のためのもんだから、な」

 ぽん、と上下しない胸を叩く。

「おい……何とか言えよ」

 言うはずがない。判っている。

「『ふざけるな』とか『いい加減にしろ』とか……この際だ、『殺してやる』だの『死ね』だのだって、聞いてやるよ」

 答えのあるはずはない。

 判っているのだ。

 レイヴァスはもう、どんな憎まれ口も叩かない。

 シュナードが、殺したから。

「すまなかった、な」

 謝ってどうなることでもないし、謝ることでもない。殺さなければ殺された。戦士の理屈で言えば当たり前のことで、それを悔やんだり気に病んだりする者は戦士たる資格はない。

 判っている。

 ただ、痛い。

 セリアナを失ったときとはまた違う、この苦しさ。

「――さて」

 気分を変えるようにわざと明るい声を出し、彼はぽんと手を叩いた。

「いいところにいいものを持ってきてくれたもんだな、カチエ。お前に聖水を持ってくるように言った慧眼の賢者は誰だ?」

「彼だ」

 とカチエはあごをしゃくり、シュナードは「へ?」と間の抜けた声を出した。示されたライノンは居心地悪そうにもぞもぞとした。

「手に入る限りの上等な聖水を持てるだけ持ってきてくれと。そして、どれだけ疑問に思う状況であっても、シュナードと敵対する人物にそれを投げつけてくれ、とね」

「ライノン、あんた……」

「いえ、僕はただ」

 もごもごと青年は言った。

「英雄の剣を奪われることを阻止しようとする魔物がいるんじゃないかって思ったんです。普通の聖水では、それこそ不浄の者にこそ効き目がありますが、魔族というのは厳密な意味では神殿と相対する存在ではなく、かなり高位の神官が作るとされる最高級の、『異なるモノ』を見分ける力を持つ聖水でないと無理だと思いまして」

「物知りだな」

 純粋に感心してシュナードは言った。

「いえ、大したことじゃ」

 顔を真っ赤にしてライノンはもごもごと返した。

「だがどうして『俺と敵対する人物』と?」

「それは」

 青年は顔を上げ、眼鏡の位置を直した。

「あなただけは、何があっても魔術王の側にはつかないと思ったんです。レイヴァスさんのことは、その、まさかエレスタンだとは思いませんでしたが、まだ子供ですし、戦うような段になったらシュナードさんが下がらせると思いまして」

「ああ、まあ、そうだな。俺が言っても下がるような奴じゃなかったが」

 彼は町での出来事を思い出して苦笑した。

「だが結果的に、あんたのおかげだな。そう言や、あの火の壁は大丈夫だったのか? 火傷なんかは」

「あ、ほんの少しだけです」

「何? したのか。見せてみろ」

 顔をしかめて彼はライノンの手を取った。

「あいたっ」

「おっと。手か。すまん」

 よりによって火傷をした手に触れてしまったらしい。

「じっとしてれば大丈夫だとか、あいつは言ってたが」

「そうだったかもしれません。でも本当にじっとしていることもできなくて、火に触ろうとしてこのざまです」

 ライノンはしょんぼりした。

「これじゃしばらく、文も書けません」

「そう悲観したものでもない」

 カチエが言った。

「幸い、ここにはまだ最高級の聖水がある」

「うん?」

 シュナードは首を傾げた。彼の知識では、聖水は治療薬にはならないはずだった。

「言っただろう、最高級だとな。一般的なものは祈祷を受けているだけだが、これには癒やしの力も込められているんだ」

 疑問の視線に気づいて、カチエが説明をする。

「へえ、大したもんだ」

 理屈は知らないが、神殿関係者のカチエがそう言うのならそうなのだろう、とシュナードは適当に納得した。

「えっ。で、でも」

 青年は慌てた。

「僕には、そんなものを買えるお金はありません……」

 その言葉に戦士と女剣士は苦笑した。

「馬鹿なことを気にするなよ。こいつは神殿からの提供品だ。そうだろ?」

「もちろんだ」

 カチエはうなずいた。

「それに、あなたは十二分に功労者だ。ミラッサと言ったか。あの少女の姿をした魔物を足止めできなければ、シュナードは敗れたかもしれない」

「そうは思いませんよ。シュナードさんなら」

「買ってもらえるのは有難いが、いま俺もお前さんたちも無事でいるのはスフェンディアがあったからで、俺の実力って訳じゃない」

「実力がなければ、どんなに素晴らしい武器を手にしたところで無駄だ」

 さらりとカチエが言った。

「たとえば私がその剣を手にしたところでシュナードのように戦えたとは思えない」

「そりゃ、俺が少々、実戦慣れしてるだけで……」

 もぞもぞと言い返して彼はええいと首を振った。

「俺を褒め殺してどうする! いまは聖水だ、聖水!」

「ああ、そうだったな」

 笑ってカチエは瓶を取り出した。

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