第42話止められないなら受け止めるまで

 ここにカエルが現れるとは思っていなかったのか、イクスの鋭い目が大きく見開かれる。それから訝しげに顔をしかめながらカエルを見下ろす。


「昼間から気になっていたが……お前は何者だ? 解呪のためにセレネーとともにいるようだが……」


「私はこの国の王子でアシュリーと申します。話すと少々長くなるのですが――」


 カエルは自分の事情を大まかに説明した後、セレネーにどれだけ支えられてきたのかを熱弁する。

 決して彼女は昼間にイクスが言っていたような、人の不幸を嘲笑うような人間ではない。本人以上にその者の幸せは何かを考えながら魔法を使う、賢く優しい人だ。少しでもそれが伝わるようにと願いながらカエルは口を動かしていくが、


「それは王子が近くにいると分かっているから、そう見せているだけだろう。セレネーは昔から賢くて要領がよかったからな。俺と違って……そのくせ鈍いんだ、アイツは……」


 話の途中でイクスが苦々しいものを吐き捨てるように呟く。語れば語るほど余計に恨みを煽るような気がして、カエルは言葉を止めてイクスを見上げる。


「……セレネーさんからお二人のこれまでの経緯を聞きました。ただ貴方を助けたくて必死だったんです、セレネーさんも、イクスさんのお父さんも……何をしてでも生かしたかったんです。決して貴方を不幸にするために力を使った訳では――」


「俺はっ、自分のせいで呪いをかけられたんだ! そのまま死んで当然だと思っていたし、その覚悟もしていた! ……親父の命を犠牲にしてまで生きたくなんかなかったんだ!」


 イクスは口元を歪めながら声を荒げた。苛立ちの中に滲む嘆きを、カエルはハッと息を引きながら耳を傾ける。


「呪いで苦しかったのが、いきなり楽になって……そうしたら親父が俺の身代わりになったように亡くなってた。セレネーに問い詰めたら、案の定俺の呪いを親父に移したって……俺の思いは無視して、勝手に命を押し付けやがって……」


 イクスの手が拳を作り、ブルブルと震える。込み上げる怒りを堪えようとするその姿に、未だ心が自分が命を救われたことを受け入れられていないことが伝わってくる。


(ああ、そうか。イクスさんは――だからセレネーさんはずっとイクスさんに付き合っているのか)


 ただ恨んでいるからというだけで挑んでいるのではないことが垣間見えて、カエルはわずかに頷く。


「イクスさん……私は部外者ですし、貴方がどれだけ苦しんでいるのかを正しく計ることなどできません。でもセレネーさんを困らせてしまうことを見過ごすこともできません」


「別に分かってもらわなくても構わないが、俺の邪魔をするというなら容赦しない。そんな体で俺をどうにかできる気でいるのか?」


 ザッ、とイクスが一歩踏み出し、圧をかけてくる。しかし怯むことなくカエルはイクスを見据え、円らな目に力を込める。


「私は未だに傷つき続けている貴方を、さらに傷をつけることはしたくありません。ですから――」


 細い両腕を広げて見せると、カエルは真顔で告げた。



「どうかイクスさんの気が済むまで、私にその憤りをぶつけて下さい」



 まったく予想していなかったらしく、イクスが一瞬固まった後にたじろぐ。


「……は? アンタ、今カエルなんだぞ? 俺が足を上げて踏んづけるだけで、潰れて死んじまうような体なんだぞ? それを分かった上で言っているのか?!」


「安心して下さい。元は人間ですから、ただのカエルではありません。全身に力を入れれば多少の打撃に耐えることはできますし、気を抜かなければ踏みつけられても潰れずには済むかと……」


 今度はカエルが一歩前に踏み出し、イクスへ迫る。


「剣で斬られるのは耐えられませんので、どうか蹴る殴るの打撃でお願いします。これで永久に気が晴れるまで、とは言いません。ほんのしばらくだけ……せめて今晩だけでも、どうか荒ぶる気持ちを治めて頂けませんか?」


 できるだけ穏やかに、けれど芯の通った声でカエルは請う。

 困惑の色ばかりだったイクスの顔が、次第に曇り、不快そうなしかめっ面へと変わっていく。


「……そこまでして魔女の力を借りたいのか?」


「違います。私はただ、人の幸せばかりを望むあの人を支えたいだけです。こんな非力な身で、支えにすらならないかもしれませんが……それでも、ほんの少しでも彼女の力になれるなら……」


 きっとセレネーにとって、これは絶対に忘れることも逃げ出すこともできない重り付きの枷なのだろう。

 明るく振る舞い、人々に幸せを与えるその裏で、ずっと重い気持ちが心のどこかにあったのだと思うだけで居たたまれなくなる。


 解呪に至る愛をいつまでも手に入れられない、こんなカエルを助けてくれるセレネーを自分が助けたいだなんておこがましいとは思うけれども――。


 覚悟を見せ続けるカエルへ、イクスが無言で足を上げ、力いっぱいに下ろしてくる。


 ――ダァンッ! と大きく足踏んだ音が地響きとなる。

 しかしカエルの体は何事もなく、間近にイクスの足が見えた。


「アシュリー王子……その身が元に戻るまではセレネーから手を引こう。呪いでそんな体になってしまった理不尽さは、俺が味わった理不尽さと少し似ているからな……早く戻ってくれ」


 願いが通じて思わずカエルは目に涙を浮かべ、コクコクと何度も頷く。


「イクスさん……ありがとうございます」


「神鳥のアミュレットが手元にあるからな、いつでも様子を見に来ることはできる。セレネーだけの時が来たら、その時は容赦しないからな」


 苛立たしげに呟くと、イクスは踵を返して立ち去ろうとする。が、数歩進んで立ち止まり、さらに小さな言葉を落としていった。


「……このままではいけないことぐらい、頭では分かってはいるんだ。だが気持ちが……アイツと比べて俺は未熟でしかないから……」


 そう言うとイクスは神鳥のアミュレットを懐から取り出し、胸元の前でギュッと握る。

 スゥゥゥッ、とその姿が薄くなり、完全に消えてしまったのを確かめた時。カエルはようやく安堵してその場へ座り込んだ。

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