第2話号泣ガエルは頼りなくて

「ケロロロロロォォォ……セ、セレネーさーん……ヒック……助けて下さいー……ゲコッ」


 ペタペタと足音を立てながら部屋へ現れたのは、ヒキガエルほどの大きさはありながらも、お腹がスリムな緑のカエルだった。

 しきりに涙を拭っているが間に合わず、体が涙に塗れて物悲しげな深緑になっている。


 ふう、と息をついてから、セレネーは立ち上がってカエルを見下ろした。


「一体どうしたのよ王子? 赤ん坊じゃあるまいし、そんなに泣いてもなんの解決にもならないでしょ? いい加減泣きやんで話を聞かせなさいよ」


 甘やかさないセレネーのひと言で、カエルは必死に涙を拭い、こみ上げる嗚咽をこらえる。


 セレネーが立ち上がっても肩に乗ったままのネズミは、カエルを物珍しそうに覗き見てから小声で訪ねてきた。


『え、コイツが王子様? こんなに泣き虫で、王子様っていう煌びやかなオーラもないのに? オイラの知ってるカエルの王様とその息子の王子様は、もっと堂々としていて威厳があったよ』


「言っとくけど、彼、一応人間の王子だから。悪い魔女に魔法をかけられて、カエルになっちゃたのよ」


『ふーん。魔法のせいで姿だけじゃなくて、王子様オーラもなくなっちゃったんだ。可哀想に』


「……アンタ、何気にひどいわね」


 カエルがネズミ語を分からないのを良いことに、ネズミは好き勝手に話す。それを呆れた目でみながら、セレネーはカエルが泣き止むのを待つ。


 数分後。

 嗚咽がようやく消えて、カエルは泣きすぎて真っ赤になった目でセレネーを仰いだ。


「ゲゴ……グス……お見苦しいところを見せてしまって申し訳ありません」


「気にしてないわ。……何があったの?」


「実は、その……カエルの呪いが解けないのです。せっかくセレネーさんに解呪の魔法をかけてもらって、それを発動させる条件も満たしたはずなのに……」


 言い終わらない内にカエルはうなだれた。


 かけられた呪いを解くためには、解呪の魔法が不可欠だ。

 ただ、魔法をかければいいという訳ではなく、それを発動させる鍵が必要なのだ。


 呪いの力が強ければ強いほど、解呪の条件は厳しさを増す。呪いに込められた恨みや悲しみや妬みなどの負の力を上回ることをやり遂げて、呪いを魔法で上塗りしなくてはいけない。


 以前、生まれて間もない姫に『十五歳で死ぬ』という呪いがかけられた時、セレネーが解呪の魔法を施したのだが――。

 その姫は百年の眠りと王子のキスでようやく目覚めるという条件だった。

 姫はまだ幼く、ひたひたと近づいてくる苦難を知らない。


 死に関わることはそれだけ大きな代償が必要となる。

 しかし、ただ姿を変えるだけの魔法は、あの姫の呪いに比べればまだ易しくて単純だ。あくまで比べればの話だが。


 セレネーは苦笑しながら首をかしげた。


「解呪に必要なのは、王子へ心からの愛を捧げる乙女のキス。カエルにキスできる娘を見つけるのは難しいとは思ってたけど……でも王子、話からするとキスしてもらえたって事よね?」


「はい……とても可憐で優しい姫で、何度も逢瀬を重ねて、楽しくお喋りして――ようやく将来を誓い合う仲になって口づけを交わしたのですが……結果は見ての通りです」


 こんな時に嘘をついても、なんの意味もないはず。そもそも嘘をつけるようなヤツじゃない。


 口元に手を当てて、セレネーは考え込む。

 色々と考えて出た結論は――。


「悪いけどそのお姫様、王子の事を愛していなかったんじゃない?」


 ポカン、とカエルの口が開きっぱなしになる。

 そして弾けたように首を激しく振った。


「そんなハズはありません! 姫は私が何者であっても好きだと言ってくれました。もし王子ではなく、ただの村人だったとしても構わないと……」


「言うは易し、ね。じゃあキスしたけど王子が元に戻れないって分かった時、お姫様はどうしたの?」


「……嘘つき! と言って、私を掴んで木に投げつけました。当然ですよね、結果として私が嘘をついてしまったようなものですから」


 話を聞いて、セレネーはネズミと見合わせる。

 どちらの口端もヒクヒクと引きつっていた。


『うわー、ネズミのオイラでさえ分かることなのに……世間知らずな王子だな』


 セレネーも同意見なので「そうね」と小声で相槌を打ってから、息を吸い込んだ。


「ひとつ聞くけど、王子は愛した人の姿が戻らないからって、突き飛ばしたり叩き潰したりするの?」


「まさか! なぜ元に戻らないのだろうと悲しむとは思いますが、他の方法を一緒に考えると……あ」


 ようやく鈍いカエルも気づいたようだ。

 セレネーは渋い顔をしてうなずく。


「つまりそういう事。本当に王子を愛していたなら、少なくとも木に投げつけるなんてマネはしないわよ。薄っぺらい口先だけの愛じゃあ、王子の呪いと釣り合いが取れないわ」


「そうだったのですね……分かりました。また最初からやり直します」


 そう言ってカエルは肩を落とし、セレネーたちに背を向けて立ち去ろうとした。

 哀愁が漂う小さな背中を見て、セレネーは顔をしかめた。


(これだけ世間知らずで鈍い王子に、ひとりで呪いを解いてくれる乙女を探すなんてできるかしら? また同じことの繰り返しになるような……でも、お節介でついていきたいけれど、今は大釜から目が離せないし――)


 あれこれ思案していると、耳元でネズミが『どうしたの?』と尋ねてくる。

 瞳だけを動かし、セレネーは横目でネズミを見つめた。


「王子、ちょっと待って! アタシも一緒に行くわ。今準備するから」


 言うなりバタバタと部屋の隅にあったホウキと、素人目には貧相な木の小枝にしか見えない魔法の杖を手に取ると、杖の先を肩のネズミに向けた。


「アンタ、ちょっと手伝ってもらうわよ」


『へ?』


 目を丸くしたネズミに構うことなく、セレネーは魔力を杖に送った。

 ボフッと煙に包まれ、驚いたネズミが床へ降りる。


 ――煙が消えると、そこには短い銀髪の見目良い少年が咳き込んでいた。

 少年は愛嬌のある丸い目で、うらめしそうにセレネーを見上げた。


「急になにするんだよ。オイラはこれでも繊細なんだから……あれ? ネズミ語が話せない?!」


 オロオロする様がネズミそのもので、セレネーは思わず吹き出す。


「あら、ごめんなさいね。意外とアンタ男前じゃない」


「当たり前だろ。ネズミ界じゃあ、ネズミの貴公子なんて言われてんだから」


「ふーん。貴公子なら、女性の頼みを断るなんてことはしないわね?」


「それは当然だけど……」


「アタシ今から家を空けるから、そこの大釜の中を混ぜててよ。底を焦がさないようにね。お留守番よろしく!」


 じゃあ、と手を挙げるとセレネーはネズミの返事を待たずに踵を返し、呆然となっていたカエルを手に乗せる。


「アタシが一緒に行くんだから、さっさと呪いなんて解けるわよ。だから元気出しなさい」


「セレネーさん……ありがとうございます」


 深々と頭を下げたカエルから、温かい雫がひとつ落ちてセレネーの肩を濡らした。

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