第6話

 みなとはひとまず中に身体をすべりこませ、後ろ手に勢いよく扉をしめた。そう動きながらも、頭の中は火にかけたポップコーンのように混乱していた。


「なんで……中……え? 合鍵……何? は?」


 部屋の中は、扉から短い廊下があり、左手の壁にそって下駄箱とクローゼットがあるというつくりになっている。それと真ん中の邪魔なところに本棚。そしてその奥が寝起きのためのスペースらしく、二段ベッドや机が置かれているのが見えた。


 洗足はみなとの目の前に立っている。その奥、ベッドのそばに、露香とはならしい人物が見えた。床の上にはごたごたとダンボールだの靴箱だの紙袋だのが置かれ、内部の混乱の様子を示している。あちこちにゴミかなにかも散乱しているし、とても整っているとは言いがたい状態だった。


「さて、どうやって僕は中から現れたでしょうか?」


 みなとはそう言う洗足の後ろ、窓の向こうに目をやった。窓は出窓になっていて、カーテンは引いてあり手前に一輪挿しと写真立てが置いてある。そして外には、大きな山とずっと広がる緑野をバックにして、白い布がひらひらとはためいていた。


「正解は、瞬間移動の能力を使って……」

「あの布……外の……シーツか何かですか?」

「あー、うん」

「もしかして……あれをロープみたいにして……?」

「……それも別解の一つではあるね」

「複数解あるわけないでしょ」

「でも、鍵かけてたのに!」


 奥の、髪が短めで、顔の肉が薄い子が言った。声から、そちらが露香だとわかった。


「そうそう、それ言おうと思ってたんだけど、窓の錠の下にロックがあるだろ? そっちもかけとかないと危ないよ。その錠だけだと針金あれば外から開けられるからね」


 そう言って、洗足はひらひら手を動かした。つまり洗足は、シーツをロープ代わりに上階からぶら下がり、外から鍵を開け、そして侵入したということになる。


「ミッション・インポッシブルみたいなことしますね」

「キングオブジインポッシブルだからね」

「クイーンなのでは?」

「そう、クイーンだよ」


 いまいち噛み合っていないような気がする。みなとは洗足の脇をすり抜け、奥に向かった。床に置いてあるいろいろを踏まないように注意する。


「あのう。改めて、雪谷みなとです。転入生の。……ずいぶんへんな状況だけど」

「ああ……戸越露香と、荏原はな」


 露香がそう言い、横のはなも会釈程度に頭を下げた。はなはすこしばかりくせっ毛で、茶色のふちの眼鏡をかけている。


 服装だけでいっても、たしかに二人は似ていなかった。露香はライトグレーのトップスにショートパンツ、はなは襟付きのシャツにふわりと広がったスカート。


「それで……どうする?」


 そうみなとが言うと、露香とはなは顔を見合わせた。それからはなが一歩踏み出し、口を開く。


「もう今さらだし、説明するよ。ただ先に言っておくけど、こういうことにするつもりはなかったの。ちゃんと準備して、雪谷さんを迎えるつもりだった。でも、なんていうんだろう……思いもしなかったことが起きて」

「それは、そこに置いてあるドライフルーツと関係あるのかい?」


 後ろから洗足の声がした。露香とはなの顔がぴしりと変わる。


「……そう……です」と露香が答えた。乱雑さに紛れていて今まで気づかなかったが、言われてみれば確かに、床の隅や机の上にティッシュがしかれ、その上に細かく刻まれたドライフルーツが置かれている。こぼしたとかではなく、作為的な置き方だ。


「あの、わかってるんですか? ぜんぶ?」


 露香が洗足にたずねる。その答えが返ってくる前に、はなが口を開いた。


「もう、さっくり言っちゃうね。私たちは……この部屋でずっと、ももちゃんと暮らしてたの」

「ももちゃん?」と、みなとは聞き返した。

「ハムスター。ジャンガリアンの。私が二年前に連れてきた」


 と、今度は露香が言った。


「でもペットは禁止だから、こっそりばれないように飼ってた。いつもはベッドの下にケージ入れてたし、においにも気をつけて、ペレットやなんかもうまく他の荷物に隠して持ち込んだ。それでうまくいってた。でも……」


「転入生が来るって言われて」後を露香が引き継ぐ。「はなが別の部屋に移るから、そっちにももちゃんも連れて行かなきゃいけなくなった。でもなかなか他の人にばれないようにケージを持ち出せなくて、ずるずる今日まで来ちゃった。だから、もうももちゃんを移動用の小さいキャリーに入れて新しい部屋のほうに連れて行こうとしたら、ももちゃんが逃げちゃった。それで今まで、ずっと探してたの」


「なるほど、そういう……」

「新しい部屋に行っちゃいけないってのはどういう理由だったんだい?」と、洗足が口をはさむ。

「あの、あっちの部屋にもうペレットとかウッドチップとか移しちゃってて……見られるとまずいと思ったんです」


 はなが言い、しばらく部屋の中には沈黙が満ちた。それを破ったのは、みなとだった。


「じゃ、探そうか、ももちゃん」

「え?」

「えっ」


 露香とはなが同時に声を上げた。その表情は、両方ともなんだかハムスターに似ていた。食べようとしたひまわりの種を途中で取り上げられたときのハムスターだ。


「確かに、人数がいたほうが探しやすいな」と、洗足はそれに賛同した。

「いや、えーと……いいの?」

「うん。まず見つけないと進まないし。あ、別に誰かに言ったりしないよ、ももちゃんのこと。わかればいいしさ」

「よし、さっさと見つけ出そう。ももちゃん捜索隊だな」


 洗足が言う。その声には不思議に力があり、部屋の中の全員が動き出した。四人は机の奥にスマートフォンのライトを当て、ゴミ箱の中をさぐり、クローゼットのコートのポケットを確認した。


「いた! え、ちょっと、来て!」


 ももちゃんの灰色の背中を見つけたのは、みなとだった。クローゼットの下の物入れの奥で、ももちゃんはひまわりの種にペレットという豪華な正餐を楽しんでいたところだった。みなとの声に露香とはながダッシュでかけつけ、露香がキャリーを構え、はなが追い役をつとめ、ももちゃんを確保した。確保されたももちゃんはしばらくかりかりと食事を邪魔した無礼者たちへの抗議を示していたが、賠償として乾燥パイナップルが与えられるとそれの吟味に忙しくなった。


「あー……よかった」

「ほんと。外に出ちゃったかと思った」


 露香とはなは床に座り、キャリーを眺めながら安心しきった表情を浮かべていた。一件落着といった雰囲気だが、みなとのほうにはまだ一つ片付いていない問題がある。それを今言うべきか、立ったままみなとは迷っていた。


「さて、これでももちゃん問題は解決したけど、みなと君問題はまだ解決されていないんだよね」


 クローゼットの脇に立っている洗足が言う。露香とはなもそれに反応し、顔を上げた。


「ここで僕は思うんだが……みなと君、僕んとこ来ないか」

「え?」

「僕は思うんだけどね、ももちゃんは二人と一緒に暮らしてたほうが幸せだよ。というわけで、とにかくもう学校や家に帰りたくないなら別だけど、僕の部屋ちょうど一人分空いてるし、ちょうどいいんじゃないかな。それが一番落ち着きがいいと思うんだよね」

「えーと」みなとは少し考えた。そして露香とはなに向かって、「……そういうことで、いいかなあ」とたずねた。

「私たちは、うん、いいけど、……雪谷さんは?」


 露香にそう言われ、みなとはくるりと洗足に向き直った。


「いいのかい?」

「はい」

「じゃあ、改めまして……これからよろしく、みなと君」

「えーと……よろしくお願いします」


 みなとは、差し出された洗足の手を握り返した。


「よし。今後とも困ったことがあったら僕に相談して」

「ありがとうございます。そしたらとりあえず……部屋に案内してもらえますか?」

「りょーかーい。あ、でもごめん」


 洗足はぱたりと手を離すと、窓のほうに顔を向けた。


「しまった。すっかりあのシーツのことを忘れていた」


 洗足の視線の先を見ると、木にひっかかったシーツがはたはたと気持ちよさげに風に吹かれていた。もっとこの自由な気分を味わいたい、と思ったのかどうかは聞かないとわからないが、シーツはやがて木から離れ、風に乗って飛んでいく。


「ベッドにシーツなしでは、ちょっともてなしとして不完全だね。捕まえてくるから、少し待っててくれ」


 そこからはスムーズだった。洗足は部屋を横切ると窓を開け、ひょいと飛び降り、鹿のような素早さでシーツを追っていった。ここが二階だということは、洗足には関係ないようだった。物理的には大いに関係があるだろうに、どうもそこらへんを意図的に無視している。


 白いシーツは、新緑の季節の芝生や木々によく映えた。そしてそれを追う洗足の長い髪やロングスカートも、なんだか少女小説の中から切り取ってきたようだった。


「うーん……」


 みなとは洗足とシーツのおいかけっこを眺めながら、思わず腕を組んでいた。やべえところに来たなという印象は、深まるばかりだった。かりかりと、ももちゃんが床をひっかく音ばかりが響いていた。

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洗足先輩と私 鶴見トイ @mochimochi

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