上からグリコ 幸子のクリスマス

武者走走九郎or大橋むつお

『上からグリコ 幸子のクリスマス』

『上からグリコ 幸子のクリスマス』



 久々の休みだった。

 この日を逃せば正月まで休みは取れなかっただろう。


 就職して初めて有給休暇をとった。


 梅田でも有数の大型書店に勤めている幸子は公休日と指定されたシフト上の休み以外は休んだことがない。


 それにしてもクリスマス明けの戎橋が、こんなに冷えるとは思わなかった。


 ほんの十数メートル行けば心斎橋商店街のアーケード。あそこなら違っただろう。でも、この春に大洗から出てきた幸子は、大阪の地理には不案内で、ミナミと言えばここしか思い浮かばなかった。


 キタの梅田なら、いくらか知っている待ち合わせ場所はあったが、職場の近くでは誰の目につくか分からずミナミにした。



 戎橋。



 通称「ひっかけ橋」。ナンパ男が多いことで有名だけど、実際は橋の南に大型の交番もあり、見晴らしもいいので、アベックが待ち合わせにしていることも多い。しかし、それは冬という条件を外してのことだ。



 とにかく寒い……。



 他に何人もの人待ち顔はいるが、ざっと見て男の子が多い。高校生らしい一群が、さっきまで向かいにいたが、今は、その気配もない。みんな足早に橋の上を通り過ぎていく。


 それから幸子は人並みに背を向け、川の方を向いている。変な男たちに声を掛けられないようにするためだ。



 幸子は小林を待っている。



 小林雄貴……大洗の高校時代、三年間同じクラスだった。中学も同じで、中学生のころから呼び名は「小林」だった。君を付けたり、下の名前で呼べば一気に距離が縮まる。それを恐れて、ずっと「小林」で通してきた。大洗は人口二万に満たない小さな町だ。好きになっても振られてもすぐに噂になる。だから、ずっと「小林」で通してきた。それでも気持ちは通じていると思っていた。大学にいくまでは……。



 幸子も小林も、大学は東京だった。



「大学は、どこ受けんの?」


「東京の大学……サチは?」


「わたしも東京……」



 そう言えば、受験する大学の名前ぐらい教えてくれると思った……でも、小林はなにも言わなかった。だから自分が受ける大学も言いそびれた。


 東京に行ってからはバカみたいに思えたけど、幸子は小林の番号も知らなかった。


 ハンパに中学時代からの知り合いなので聞きそびれた。聞けば一歩踏み出してしまうようでできない。もう卒業なんだから聞けばよかった。でも聞いて一歩踏み出せば、当然答えが返ってくる。NOと言われるのが……そう言われて傷つくのが、傷ついた自分を見られるのが嫌で、聞くことができなかった。



 東京に行ってから、風の便りに小林が防衛大学に入ったことを知った。



 ああ、言えないはずだ……と思った。震災のあとは自衛隊に対する認識も少し変わったが、狭い町で、当時は、まだ完全な市民権を得た言葉ではなかった。現に高校の社会科の先生達は揃って、いわゆる市民派。中には正式な党員もいるというウワサだった。



 幸子はS大学の英文科に進んだ。ルイスキャロルに凝って、卒論もイギリス児童文学だった。在学中にアメリカにもイギリスへも行った。


 だけど根っからの人見知り……というほどでもなかったけど、人間関係がヘタクソで、東京で知り合った男も何人かいたけど、そのヘタクソが災いして、恋人はおろか友だちと呼べる相手にも恵まれなかった。それに、S大の英文科を出ていながら、第一希望の商社を落とされ、大型とはいえ書店の店員になったことを妹の沙也加などは正直にがっかりしていた。


「やっぱ、大洗じゃ、しかたないか……」


 病院のベッドで一年近く過ごしている妹に言われたのはコタエタ。それが表情に出たんだろう。


「せめて、カッコイイ恋人でもつくるんだよ!」


 生意気な顔で言われ、正直者のネガティブ幸子は、あいまいに苦笑するしかなかった。




 小林と再会したのは、彼が店の客として来たところだった。




「あ、ちょっとすみません」


 珍しい標準語が、在庫点検している背中にかけられた。


「あ、どうぞ……」


「どうも……あ、幸子じゃないか?」


「あ……こ、こばやし」



 閉店の時間が近く、時間を決めて、近くの喫茶店で待ち合わせた。



 さすがにスマホの番号交換なんかは簡単にできたが、会うことがなかなか出来なかった。


 幸子は基本的には土日の休みはほとんどない。逆に小林は土日が基本的に休みだったが、配属された部隊が防衛費の削減やら、人員不足などで、新品三尉はなかなか休みもとれなかった。


 小林は、幸子に本の注文というカタチで付き合ってくれた。月に一度注文をした本を受け取るということで会いにきてくれた。そして三度目になる先月小林は踏み込んできた。


「いっしょにメシでも食おうか?」


「え……あ、うん」


 で、この戎橋に二十分前から立っている。


 別に小林が遅刻しているわけではない。幸子が二十五分も早く着いてしまったのだ。だからスマホで「早く来い」とメールを打つこともできなかった。



 そんな幸子を、グリコが見下ろしている。



 陽気に両手を挙げている姿は、幸子を励ましているように見えた……最初は。二十分たった今は、なんだかオチャラケタ吉本のタレントにイジラレているような気になる。



――上からグリ~コ サディスティックなやつめ♪



 子どものころ妹と歌ったヒット曲が替え歌になって浮かんでくる。センスの悪さに、自分で苦笑する。実際テレビの取材で吉本のタレントが書店に来たことがあった。店のスタッフは陽気に調子をあわせて「そんなアホな」とかカマしていたが、とても幸子にはできなかった。


 ついさっきも、アメリカの東部訛りの英語が聞こえた。アメリカ人が道に迷ったようだ。どうやら上方芸能博物館に行きたがっているようだった。「What can I do for you?」と喉まで言葉が出たが、自分自身、上方芸能博物館を知らない。当然、そこらへんの日本人に声をかけなければならないが、その億劫さが先に立って声をかけられなかった。



 バンザイやなあ、ネエチャン



 グリコにそう言われたような気がした。



「What can I do for you?」



 いきなり真横で声がした。


 いつからいるんだろう。白ヒゲの外人のおじいさんが、幸子の横で同じように橋の欄干に手を置いて話しかけてきた。


「…………」


 幸子は固まってしまった。


「驚かしちゃったね。キミは英語のほうがフランクに話せるような気がしたんでね」


 幸子は、さらに驚いた。おじいさんの口は英語の発音のカタチをしているが、聞こえてくるのは日本語。まるで、映画の吹き替えを見ているようだ。

「鋭いね。キミは口の動きが分かるんだ。翻訳機能を使ってるんで、キミには日本語に聞こえている」

「失礼ですけど、あなたはいったい……」

「ついさっき、仕事が終わったところでね……あ、わたしはニコラス。よろしく」


 おじいさんは機嫌よく右手を差し出してきて、自然な握手になった。


「わたし幸子です。杉本幸子」

「幸子……いい名前だ。ハッピーキッドって意味だね」

「あんまりハッピーには縁がありませんけど」

「いいや、もうハッピーの入り口にいるよ……」

「……なんだか温かい」

「ね、そうだろう?」

「おじいさん……」

「そう、キミの頭に一瞬ひらめいた……それだよ、わたしは」

「サンタクロ-ス……!?」

「……の一人。わたしは西日本担当でね。東日本担当のサンタと待ち合わせてるんだよ」

「ほんとうに?」

「ああ、こうやって、わたしの姿が見える人間はそうはいない……おっと、川のほうを見て。他の人間には、わたしの姿は見えない。顔をつきあわせて話したら変な子だと思われるよ」


 たしかに、二三人が幸子のことを変な目で見ていった。



「あの……ほんとにプレゼントとか配ってまわるんですか?」


「こんな風にやるんだよ……」


 グリコの両手の上に大きなモニターが現れた。モニターには無数の名前が現れては、スクロールされていく。よく見ると、サンタのおじいさんがスマホの画面を操作するように指を動かしている。


「これで、管理しているんだ……いろんな条件を入力して、親やそれに代わる人間やNPO、そういうのにプレゼントを子どもにやりたい気持ちにさせるんだ」

「世界中ですか?」

「一応ね……でも、サンタも万能じゃない。行き届かないところがどうしても出てくる。ほら、あの薄いグレーで出てくる子は間に合わなかった……ほら、これなんかアジアのある国だけど、90%以上の子がグレーだ」

「あ、消えていく名前がある……」


「いま、命を終えた子たちだよ……」


 痛ましくて見ていられないのだろう、サンタは、すぐに日本にもどした。さすがに日本のはグレーは少ない、ほとんどの名前が青になっていた。ところどころ違う色がある。


「あの緑色はなんですか?」


「ああ、あれはモノじゃなくて、目には見えないプレゼントをもらった子たちだよ」


「目に見えない……?」


「ああ、家族そろっての団欒や旅行。進学なんてのもある」


「……わたしも、それもらったんじゃないかしら。親が東京の大学行くのを賛成してくれたのが、クリスマスの夜だったんです」

「ああ、多分、東のサンタの仕事だろうね……2008年……大洗、SACHIKO SUGIMOTO これだね」

「でも、大洗みたいな田舎にも、ちゃんと来てくれるんですね」

「やりかたは色々……ほう、東日本は、こんなことをやったんだ」


 大洗――GIRLS und PANZER モニターには、そんな見覚えのある文字がうかんでいた。


「あれって、コミックとかアニメとかですよね、略称『ガルパン』うちの店でも扱ってる……そうだ、大洗が舞台になってるんだ!」

「そう、アイデア賞だね。これで町おこしのイベントにもなったしね」

 幸子は、妹が送ってくれたメールを思い出した。サンタは、さらにスクロ-ルを続ける。

「すごい数ですね」

「ああ、取りこぼしがないようにチェックするのが大変でね……」

「でもガルパンなんかだったら、大人にもプレゼントになりますね」

「でも、結果的に子供たちが喜ぶことならね……」


 サンタは、自分の担当の西日本を出した。


「お、一つ取り残していた。わたしとしたことが!」

「あ、あのピンク色ですか?」

「うん、これは東西にまたがる特殊なケースで、モニターに出るのが遅れたんだな。この子をガッカリはさせられない」


 サンタは、クリックするように人差し指を動かした。名前を読もうとしたら消えてしまった。


「あ……」


 そう思ったら、サンタのおじいさんの姿も消えてしまった。そして、頭をコツンとされた。




 振り返ると小林が、右手をグーにしたまま立っていた。




「なにボンヤリしてんだ、赤い顔して」


 幸子は、両手で自分のホッペを隠した。


「そういう仕草は昔のまんまだよな」


「もう……」


「ごめんな、少し遅れた」


「そんなことないよ、時間ぴったり」


「俺たち自衛隊は五分前集合が当たり前。待ったか?」


「う、うん。ちょびっとだけ」


「じゃ、蟹でも食いに行くか」


「アンコウ鍋がいい」


「そうだな、古里の味だな」


 小林は、スマホでアンコウ鍋の食べられる店を検索した。


「目標発見。行くぞ!」


「うん、雄貴!」



「……初めて下の名前で呼んだな」


「え……あ、ほんと」



 わたしは一歩踏み出せた。あのサンタのおじいさんのピンクは、わたしの……つまり妹の沙也加のじゃないかと思ったのは、明くる年雄貴から指輪をもらったことを妹に伝えたときだった。



「お姉ちゃん、おめでとう!」


 沙也加の頬に何年かぶりの朱がさした。



 そういえば、あの時、二人を上からグリコが見送ってくれていたような気がした……。 


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