第49話・本人の知らないところでいろいろ立場は危うくなる

 兄弟がそのように姉の「好い人候補」の面接をしていた頃、話題の中心である当の本人はというと。


 「……だからなんであんたがそんなに面白がってるのさ」


 学食で、次郎に足止めを頼まれた伊緒里に普段にない絡まれ方をされて辟易していたのだった。


 「だってあなたが男の子と一緒に歩いてた、なんてこの学園始まって以来の快挙じゃない。私でなくたって興味持つってものだわ」


 登校日は通常の授業こそないが、部活、夏期講習の生徒もいるから、学食には相応の賑わいがあり、そのうちの一席を占領している吾音と伊緒里には、校内の有名人に対する注目というものがそれなりに集まっていた。

 そんな中、誰もが気にして聞けないでいることを遠慮無く聞けるのは旧知の馴染みならではだ。


 「そんな理由で呼び止められるこっちの身にもなれっつーの。別にあんたが興味持つような話じゃないから。そゆことでっ」


 しゅたっ、と片手を掲げて立ち上がった吾音を、テーブルの上に両手を乗せて組んだ伊緒里が、眼鏡を怪しく光らせながら睨め上げ、言う。


 「……逃げるの?」

 「そーいう言い方すれば土俵に乗ると思われるほどこっちは安い女じゃねーわよ。大体さ、別に男子と話するくらい珍しいことでもなんでもないじゃん」


 安くない、と言いながら立ち止まる辺り、全く気にしてはいない、というわけでもないのだろう。

 釣れてるじゃない、と内心で可笑しく呟きながら伊緒里は表情を柔らかく改めて言葉を継ぐ。


 「それはそうでしょうけど。ただね、吾音。その…宮島くんだっけ?その様子が、なかなか見物だった、ということで噂になっているのよ」

 「伊緒里。あんたそーいう校内のアホらしい噂の類って嫌ってなかったっけ?」

 「私もそう思っていたんだけどね。吾音の話だと思うと…うん、やっぱり興味あるわね」

 「そんなくそ迷惑な興味は犬にでも食わせてしまえってのよ。んじゃね、学校来んのも久しぶりだからやることが山ほどたまってんの。あんたもさっさと自治会に行けば?」


 今度こそ話は終わり、と吾音は足取りも荒く去って行った。

 足止めを頼まれてはいた件は、ここに来るまで散々勿体ぶったおかげで短い話だった割には充分時間を稼げているので、大丈夫だろうと思う。


 (…それにしても、ね)


 吾音の去ったテーブルに置かれたプラのグラスを眺めつつ思う。

 確かに吾音が男子生徒と話し込んでいる、などという場面は珍しくも無い。口説かれているんじゃなかろうか、なんて勘違いを自身がしたこともある。

 ある、のだが…。


 (どうもね…今度のは結構本気っぽいというかなんというか…まあ、私だって自分の目で見なかったら信じられない話ではあるけれど…)


 次郎と連れだって歩いていった後、実は校門前で次郎と別れて吾音がやってくるのを待っていたのだ。何故そんな真似をしたのかといえば、吾音を一人きりにしてしまったことに気付いたからだ。

 後で考えれば、吾音がそんなことを気にするはずもなかったのだが、そこはそれ、気の迷いというか気まぐれというか。

 もっとも、だからこそ瞠目に値する光景を直視する機会を得た、とも言えるのだが。

 ともかく、そこにあったのは、一年生の男子…もちろん伊緒里は顔を見て名前も思い出せた…と仲良く?並んで歩いているところ、という場面であり、その時吾音がどんな顔をしていたのかといえば……伊緒里から見た限り、なんだか自分に懐いてくるわんこを表面上は鬱陶しく、内心は可愛く思っていた、というところなのだが、どうもその場にいた他の観衆も同じ感想だったらしい。


 (まあ、それにしたってね。あの一年の子、どうも、なあ…)


 吾音に興味を持つ男子となると、直接見聞きしたことがなくはない伊緒里である。というか、仲介を頼まれたことすらある。女子にそれを頼む男子など吾音に紹介する気にもなれなかったが。

 それに、ここ最近は鵜ノ澤家長男への想いを自覚もして、それに見合った行動をとっている自分だ。本気なのかそうでないのかくらいの判別は、なんとなくつく。きっと周囲もそれと察していたからこそ、こんな風に噂になっているのだろう。


 (ま、いっか。本気なら三郎太くんが黙ってないだろうし)


 自分の彼氏未満の少年が積極的に妨害行動に出るとは露程にも思ってない伊緒里である。ここしばらく親しく話をする機会に恵まれていたからこその理解なのだが、問題は、三郎太も次郎と同じ心境に至っている、とはまっっったく思っていないことだ。

 そのことが……吾音と伊緒里の周囲のみならず、事ほど左様に厄介なことを考えている大人にも少なからず影響を与えていると、神ならぬ身の伊緒里に想像せよ、というのも無理な話というものなのだろう。



   ・・・・・



 「少し拙いことになりましてな」


 そうですか、それはおめでとうございます、と本気で言いかけて、辛うじて堪えた。

 毎度お馴染み、嘉木之原学園経営研究所研究二課。そのオフィスで、仁藤亜利は職制上は部下である佐方同徳のわざとらしく作った沈痛な表情に、報告を受けている。


 「あなたの口から拙いこと、などと聞くと耳を塞ぎたくなるのですが」

 「それはいけませんな。悪い知らせ程早く上司の耳に入れねばならない。物事を最悪の事態から救い上げる秘訣です。覚えておくといい」

 「皮肉も通じないその能天気さに免じて差し出がましい進言は聞かなかったことにしましょう。それで?」


 自席のチェアの背もたれをギシリと鳴らし、ウンザリとした内心を隠せない姿勢で先を促す。

 ちなみに亜利の機嫌が上々ではないのは、近頃自分の研究が滞っているためだった。

 神納未来理という少女に見出した才覚と可能性は、潰えたわけではない。だが、亜利がかくあれかしと思った方向とは微妙に道を違えている気がする。

 その切っ掛けは、同徳の関わっている鵜ノ澤姉弟の、次男だ。

 同い年の少年たちの中からは明らかに異種に見える鵜ノ澤三郎太は、この夏の間に神納未来理と親しい間柄になったらしい。一見して犯罪とも捉えかねない関係ではなく、未来理の方からかなり親しみを見せる、理解してしまえば微笑ましい交際を重ねているとのことだ。

 けれどそのために、亜利が思い描いていた研究の道筋にやや狂いが生じているようにも思える。

 思った通りにいかない事態に自覚のない苛立ちを得ていたところに、そのように仕向けたとも言える部下から、「上手くいっていない」などという報告だ。面に出さずに「ざまーみなさい」くらいのことは思っても無理の無いことだろう。


 「『燃える赤』に言い寄る生徒がいるようでしてな」


 だが、自分の方の事情とも重なるところのありそうな話ともなればそうも言ってはおれない。

 眼鏡の位置を直し、チェアに腰掛ける姿勢も正しくして、「それで?」と先を促した。


 「宮島浩平。先年、かの鵜ノ澤三郎太に襲撃を行ったグループのリーダーのようで。ま、どんな経緯があるのかは知りませんがね、その姉に興味を持ったらしく、高等部の間でなかなかの噂になっているらしい」

 「…別に高校生の男女が接近しようがしまいがどうでもいいことでしょうに」

 「良いわけはありますまい。こちらの『女帝計画』に狂いが生じることは確実でしょうが。課長の研究も幾何か惚れた腫れたで影響を受けたと聞き及んでおりますが?」


 それはテメーの差し金のせいだろーがっ、と怒鳴りつけたい衝動はあるが、そもそも許可をしたというか申し出られた協力に乗っかったのは自分の判断だ。それを忘れて叱責し、却ってこの中年男のニヤニヤしたイヤらしい笑みに晒されるなど、到底承服出来る話ではない。

 いやそれよりも。


 「『女帝計画』?なんですかその少年向けの小説の内容みたいな言葉は」

 「ああ、この間思いついたもので。なに、ただ研究だとか呼ぶのも色気が無いと思いまして。かの少女の行く末としては実に相応しいネーミングというものでありましょう」

 「……仕事のレベルが下がったようにしか思えませんけれどね」


 上司の賛同などいつもなら気にはするまいが、鼻白んだ様子の亜利の反応にいくらか残念な顔をするところを見ると、本気で良い思いつきだとでも考えていたのだろうか。


 「…とにかくです。その宮島某かという生徒、私の計画には邪魔でしかありません。排除するつもりですので、課長にもご協力を」

 「それは課の方針で定まった研究を進めるためなら吝かではありませんけれどね。でも…」


 計画、ときたか。既に研究ですらないのか。この男、仕事を何だと思っているのか…仕事ではなく趣味とかライフワークだとか言い出しかねないわね、との内心を抑えて、いや仮に言葉にしたところで同徳は気にもかけなかっただろう。自分の思いつきに酔ったように、大げさな身振りでその宮島という生徒をどう処するかを説明していたのだから。


 「…ということで。課長の手練手管をお見せ頂くまたとない機会になるかと」

 「おだてに乗ってとんでもないことをさせられそうですね…まあそれにしても、あなたのその反応。少々大人げないと思えるのですが」

 「はて?私は一途に研究に身を捧げる所存なだけですが」

 「いえ、そういうことではなく。年下の少女に懸想して、そのお似合いの少年に嫉妬してる中年男性にも見えますよ、ということです」


 思ったことをそのまま告げたら、流石に嫌そうな顔をしていた。

 そういえばこの男、この歳で独身だった。自分で言っておいてなんだが、少し洒落にならない例えだったかもしれない。

 気分を害しただろうことを謝するのではなく、大人としてあまり形にしてはならない発想のような気がしたので、亜利は「言い過ぎました。済みません」と軽く頭を下げておく。

 そのことが意外だったのか、怯んだような顔になっていたことでつまらない話を長々と聞かされたことについての溜飲は下げておいた。


 「ま、ともかくですな。そのように進めますが構いませんかな」

 「ええ、どうぞ。ただ、『女帝計画』などというくだらない物言いは外部に吹聴しないように。それだけです」

 「はは、心がけましょう」


 絶対に言いふらす気だ、と思ったが諦めた。この男の性格的に上司には積極的に逆らうだろうけれど、確かにやっていることを現すのに『女帝計画』とは言い得て妙だ、とは思ったからだ。そのガキっぽいセンスはともかくとして。


 ともあれ、鵜ノ澤吾音は自分が知らないところで「女帝」などと呼び慣わされているらしい。

 当人が知ったらどんな顔をするのか。一度だけ対面した少女の顔を思い浮かべながら、亜利はその反応を想像する楽しみで、残り少ない昼休みの時間を過ごしたのだった。

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