第3話 人間じゃ……ない?

 ガリ、とかすかな音を鳴らして文字が書きあがる。

 木陰の地面に並ぶ「正」の文字の列。その数、実に六つだ。


「……ギーロ、最近ずっとそれやってるが一体何なんだ?」


 書きあがった文字列に一人頷く俺の背中に、バンパ兄貴の声が飛んでくる。


 うん……そりゃあ兄貴にこれの意味がわかるはずがないわな。兄貴に、というか、群れの全員がわからないだろう。

 文字という概念がない、ということもあるが、そもそもこれ、日本語だし。この時代、日本という国はもちろん、日本列島すら出来上がっていないんじゃなかったか?


「これは日数を書いているんだ」

「日数?」

「ああ。線一本で一日。一つの塊は線が五本で五日分。それが六つで三十日だ」

「お、おう……なる、ほど……?」


 俺の回答に、兄貴は面食らった様子で小首をかしげている。ガチムチの兄貴がそれをやってもかわいくはないが、心境はわからんでもない。

 そんなことをして一体何になるのかと言いたいのだろう。


 これは今がいつなのかを忘れないようにしているのだ。いずれは暦として正式に形にしようと思っている。食料確保の一手段……農耕をやっていく上で、暦は必須と言っても過言ではないからな。

 農耕そのものをすぐに始められる状況ではないし、原始時代と言えど一年のサイクルは現代とほぼ変わらないだろうから、別に今から書き記していく必要はないとは思うが……。それでもせっかくだから、俺が原始時代に飛ばされた日を第一日にして考えていこうと思ってな。


 残念ながら、俺の意図を説明しても誰もわからないだろう。だから彼らには言わない。いつかは言う時は来るかもしれないけど……来るとしても、それはかなり先のことになるだろう。


「今はあまり気にしないでも大丈夫だよ。それより、どうだった?」

「お、おう……わかった。けども……」


 俺の言葉に兄貴は頷くと、次いで小さく首を振った。

 どうやら、今日は獲物が取れなかったようだ。


「そうか……」

「すまん……俺も早くみんなに服を行き渡らせたいんだが……」

「兄貴が悪いんじゃない。というか、誰かが悪いわけじゃないよ」

「すまん……」

「いいんだって。こればっかりはどうしようもないさ」


 俺がそう言っても、兄貴はバツが悪そうな顔を崩そうとしない。

 これは本当に、誰かに責任があるわけじゃないんだが……兄貴は根がいい人だからなぁ……。


「それでも女子供には行き渡ったじゃないか。あと長老たち」

「まあ、な……」

「俺たち大人の男は頑丈なんだ、一日二日くらい大丈夫さ」

「うむ……」


 ロシアの赤いサイクロンみたいな兄貴が、身体を小さくしている様はどこか微笑ましい。そんな兄貴の背中を軽く叩きながら、俺は踵を返す。


 振り返った先の群れは、俺がこの時代に来た時とは少し様変わりしていた。今も湧き続ける原油にいくつもの火を焚いて、そこを中心にして生活しているところは変わらないが、やはり多くの人間が服を着るようになったのは革新的な変化と言えるだろう。

 もちろん、服と言ってもはいで水洗いして乾かした毛皮を身体に巻きつけている程度で、二十一世紀のものと比べるのもおこがましい出来ではある。なめし処理をするだけの道具や時間もないから、結構なペースで新しいのと交換していかないとまずいだろうし。それでも今まで全裸だったのだから、これはやはり革新的な変化だ。


 ただ、兄貴との会話からもわかる通り、まだ全員に行き渡ったわけではない。中心から離れたところに立つ俺と兄貴はいまだに全裸だし、なんなら群れの男たちはほとんどがまだ全裸だ。

 羞恥心と言う概念がまだないからか、誰もそれについて気にしている様子はないのが不幸中の幸いだ。ガチムチどもの恥じらう姿なんぞ、誰も見たくないしな!


 これは単に服にできる毛皮が足りていないのが原因なわけだが、それに加えて身体が弱い女子供、それから年寄りを優先していった結果だ。

 どうにかしてこの過酷な時代で生き残っていくしかない俺にとって、せっかくの服はまず自分が使いたかったんだが……兄貴が、なあ。まずは女たちに使わせてやりたいって言うからさあ。


「兄貴は優しいよなぁ」

「そ、そうか?」

「そう思うよ。自分より他人を優先するなんて、そうそうできることじゃない」


 いや、ガチでそう思うよ。心から。こんな厳しい時代にまず他人から、って発想に至れる人間がどれほどいることか。

 で、俺としても毛皮を確保できたのは兄貴が狩人仲間に口をきいてくれたからだし、俺が来る前から俺を何かと気にかけてくれていたみたいだから、ここは従うほうがいいと思って。


 とはいえ、今こうやって全体を眺めていると、兄貴の提案はもちろん俺の判断も正しかったと思える。


 なぜか? それはずばり、今の俺の種族が抱える問題が理由だ。


 たとえば……そうだな、今森の手前で石器の手入れをしている男と、背中越しにそいつに抱きついている女を見てくれ。

 一見すると、力士かレスラーかとしか思えないむくつけき大男と、父親にじゃれつく小さい幼女にしか見えないあの二人だ。


 あれ、実は夫婦なんだぜ……。


 いや、違うからな? 原始時代で法律がないのをいいことに、幼女を手籠めにしているなんていう話じゃないぞ! 彼の名誉に誓ってそれはないからな!

 もちろん女のほうも、マセガキというわけでは断じてない。二人ともれっきとした成人だ。


 そして群れ全体を眺めてみれば……ここにいるすべての女が、俺の……と言うよりは二十一世紀人の感覚では、幼女と言って差し支えない体格のやつしかないことがわかるだろう。

 逆にすべての男は、筋肉モリモリマッチョマンだ。変態ではないと思うが、そんななのだ。ヒョロガリ的な名前を持つ俺でさえ、体格はなかなかのものだしな。


 ここまで言えば薄々わかってくれると思うが、俺たち、どうも人間ではないらしいんだよ。

 いや、正確に言えば人間であることは間違いない。ただ、いわゆるホモ・サピエンスではない、ということだな。俺が転生させられたこの種族は、インドクジャクとかゾウアザラシみたく、男女の性差が極めて大きい種族だったのだ。


 どう違うかと言えば、今言った通り男と女で身体の差が大きい、ということが最大の違いだろう。二十一世紀人の感覚ではおかしいと思うくらいには大きい。


 改めて言うが、男はどいつもこいつもでかい。目測だが、平均で一メートル八十センチは余裕であると思う。兄貴みたいに大きい個体となると普通に二メートルを超えるが、そんな身長のやつが他にも結構いる。

 おまけに筋肉はムッキムキだ。つまり縦だけでなく、横にも大きいというわけで……おかげで男用の服に必要な毛皮が多すぎる。


 ところが女のほうは、平均で一メートル三十センチあるかどうかといったところだ。小さいやつになると、一メートルちょっとくらいのやつもいる。

 身体つきは当たり前のように華奢で、デコピンだけでも相当なダメージを負いそうである。


 いや、改めて説明するととんでもない体格差だ。これでどうやってこのクソバカデカイ男どもを妊娠出産するんだよ。生命の神秘か!

 どこかのソシャゲのエロ種族でもあるまいし、なんなんだ。角はないけども。胸も小さいけども。そこはせめて胸くらい大きくしとけよ、どこからどう見ても完全な合法ロリじゃねーか! 俺にそんな趣味ねーよ!


 ……いかんいかん、話がずれた。つい熱くなった。ここ一ヶ月ほど、合法ロリしか目にしていないから欲求不満で……。どこかにおっぱいの大きいサピエンスの女、転がってないかな……。


 おほん。


 そんな俺たちの種族。金髪碧眼とか、耳が長いとか、やたら美形が多いとか、めちゃくちゃ肌が白いという共通点もある。

 あと、二十一世紀レベルの手入れがされているんじゃないかと思うくらい、ムダ毛がないということも共通しているか。

 ヒゲとか、概念として存在しないくらいの勢いだ。手入れをする手段がないから、こういうのを気にしなくていいのは正直ありがたいが……それでいいのかこの種族。なんだか生命としてのエネルギーを外見に注いでいる気がしないでもないが……まあ、見た目はいいに越したことはない。


 この辺りの特徴を踏まえて、俺は今のこの身体の種族をホモ・アルブスと呼んでいる。名前がないと呼ぶときに不便だし、サピエンスと区別する意味でな。

 ちなみに、アルブスはラテン語で「白い」と言う意味だ。ホモは大雑把に「人」という意味なので、単純に「白い人」となる。


 で、このホモ・アルブス。とんでもない体格差があることは何回も言ったから今さらだが、この体格差こそが先に言った「種族が抱える問題」だ。

 というのもだ。アルブスは、体格だけでなく男女の能力にも大きな差がある。男はどいつもこいつも人間ブルドーザーみたいなのに、女はそれこそ箸より重いものなんて持てそうにないくらい非力なのだ。


 体格差があるなら当たり前だろうと言われそうだが、この力の差は原始時代では生死に関わる。腕力や体力に大差があるせいで、外敵に狙われた時にはまず間違いなく女が先に犠牲になるからだ。

 そういう時は男も死にもの狂いで女を守るが、現実が非情というのは世の中の真理で……。

 さらに言えば、病気や寒さ暑さ、飢えに対する抵抗力も、女のほうが低いと思われる。医学的な検査ができないからはっきりとは言えないが、この三十日間で出た死者は全員女(お年寄りではあったけれども)だったから、さほど間違ってはいないと思う。


 だからこそ、兄貴はまず服を女たちに使わせようと提案したのだ。近くに頼れる同族がいない俺たちアルブスにとって、女は貴重な存在だから。

 何せ女がいなければ、種としての生命を繋ぐことはできない。のちのちのことを考えるなら、全力で女を守らなければならないのだ。


 ここから先は俺の推測になるが、アルブスは恐らく近い将来絶滅する。これだけの能力差が男女であるとなると、きっと女が先に息絶えてしまい、子孫を残せなくなると思うのだ。

 何せ、俺の知る二十一世紀にこんな種族は存在しない。化石すら見つかっていないのは、単に発掘されていないか完全に風化してしまったか、細かいところはわからないが……ともあれそういうわけで、俺は兄貴の提案とそれに追随した自分の判断は正しかったと思うのだ。


 しかし、これだけでは足りないとも思う。ただ防寒対策をするだけで種が存続できるほど、原始時代は甘くないはずだ。

 俺は何よりまず自分が死にたくないが、かといってこの原始時代に一人で取り残されて寂しく死ぬのはもっと嫌だ。だから、種の存続にも少しは気を配って行こうと思う。そのためにできることは、できるかぎりやっていこう。この三十日間で、そんな心境に至った。


 俺のやることが後々どういうことを引き起こすか、それはわからないが……最初にも言った通り、歴史の改変がどうのということを気にしていられるような状況ではない。

 むしろそんなことはどうでもいいから、俺は生き抜く。生き抜いて見せる。こんな時代に転生させた神め、今に見ていろよ!


 ……というわけで、俺だけでなく種としてアルブスが生き残るために、他に何が必要だろうか?

 求め出したらきりがないが……やはり重要なのは衣食住の三つだ。衣服についてはかろうじて確保できたから、次に求めるべきものは食事だろう。

 腹が減っては戦はできぬとはよく言ったもので、空腹はありとあらゆる不具合に繋がる。そして弱ればこの原始時代、即とは言わないが死に直結する。


 だから次は食事を改善していこう。俺はそう思いながら、昨日まで作っていたものを取り出した。

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