鬼と花と

Gorgom13

第1話

 男の名は六郎太といった。元々は貴族に仕えていたが酒で身を持ち崩し、樵となって山に住むようになった。


 ある日のこと。山道を見上げる緩やかな斜面で、六郎太はいつものように斧を杉の木に打ち込んでいた。そこに女連れの一行が通り過ぎた。女三人の旅装束で、その内一人が馬に乗っていた。男は徒歩で手綱を引く下人のみである。その時、一陣の風が吹いた。思えばこれが運命の悪戯であった。風に吹かれ、馬上の女の被っていた市女笠のたれ衣きぬがめくれたのだ。何となしに女達を眺めていた六郎太は、女の相貌に思わずはっとして見入ってしまった。細面で陶磁のように白く艶やかな顔立ち、朱々とした唇、育ちの良さそうなおっとりした目元、何よりその微笑が六郎太の心を鷲掴みにした。


 しかしこのような女が己と夫婦になるなど叶わぬ夢であることは、六郎太には痛いほど分かっていた。この時を逃せば、あのような女が俺の手に入る事なぞ今生あるはずもない。普段気の小さい六郎太が、何故かこの時魔が差したかのように大胆な行動に出た。彼はこっそりと後をつけた。藪に紛れ、獣道を抜けて山道を先回りした。そして衝動に駆られるまま、隙を見て下人とお付きの女達を斧で殴り殺した。そして余りの出来事に失神した馬上の女を抱えて樵小屋に戻った。


 六郎太は夢中で女を犯した。その白い肌を暴き、ひたすらに貪った。途中で目を覚まして怯え泣き喚く女に手を焼きながら、六郎太は日が暮れるまで女を嬲った。事が済んだ時、六郎太には今後どうするという案は何も無かった。逃げようとする女を殴りつけた時、役人に訴えてやると女に責められた六郎太はかっとなってつい斧を振るってしまった。何の偶然か、斧はすぱっと女の首を切断した。


 女は何が起きたのか分からなかっただろう。転がった首を拾い上げた男は、今まで味わったことのない熱い衝動が胸の内から湧き上がってくることに気が付いた。六郎太は女の躰を崖から投げ捨てた後、首を小机の上に据えた。そして夜を通してその美しい顔を眺め続けた。月光に青白く浮かぶ白い生首のなんと艶めかしいことか。血の気の失せた唇、目はうっすらと光を湛えて今なお言葉を紡がんとするかのよう────。


 ここに至り、六郎太はようやくこの女を己だけのものにしたのだと深く感じ入った。あれほど激しく抗っていた女が、もはや大人しくなすがまま、その妖艶とした面を俺だけに曝しているのだ。しかし一日、二日と経つうちに生首は腐臭を発し始め、目は濁り、蛆が湧いた。失望した六郎太はその首を谷底に投げ捨てた。


 次の獲物が現れたのは七日程経ってのことだった。再び女ばかりの旅装束を目にした時、六郎太の脳裏にあの時の恍惚が蘇ってきた。衝動に駆られるまま、またも女達を拐かして犯した後、斧で殺して首を斬り落とし持ち帰った。再び女の首を小机に据えた六郎太は、首を眺めながら手淫に耽った。


 以後、手ごろな獲物は滅多に現れなくなった。山道を歩く女には護衛の武士が付くようになり、検非違使の探索までもが己に及びそうになったので姿を隠すこともあった。都で何やら噂が広まったのやも知れなかった。

 六郎太はわざわざ遠方の里や、都周辺に足を伸ばして夜間に女を攫うようになった。そうして何人もの女を手にかけた。


 そんなある日、いつものように女の首を投げ捨てに行った六郎太の目に、何かちらちらと白いものが映った。谷底に降りた六郎太を迎えたのは、高さ三十尺はあろうかという狂い咲きの枝垂桜であった。夜の闇にも鮮やかな薄紅色の花弁が、風に吹かれ螺旋を描いてくるくると舞い散っているのだった。

 ここは女達の首を、躰を投げ捨てた場所だ。恐らくはそれらが養分となり、ここまで見事な花を咲かせたのだ。一人合点した六郎太は、その桜の一枝をぽきりと手折った。その枝の切り口から、赤い液体が滴り落ち、六郎太はその生暖かい樹液を己の身に浴びた。直後、異変が六郎太を襲った。樹液を浴びた部分が熱く火照り、むらむらと抑えがたい性衝動が沸き起こってきたのだ。まさに生首を狩る時のように────。


 さらに六郎太は貪るように樹液をごくりごくりと飲み込んでいった。一口飲むごとに身体に力が湧いていく。体が一回りも、二回りとずんずん膨れ上がり、背丈十尺もあろうかという巨躯となった。その時には、己の身に起こった怪異を訝しむ冷静さも六郎太からは消え失せていた。六郎太は気の猛るまま里に降りた。近場の里は今まで手を出していなかったが、そのような用心も既にない。村人の粗末な小屋の板戸を張り倒し、鋤や鍬で応戦した男達を丸太で薙ぎ倒した。女を犯し、首を引き千切り、噴き出す血を飲み干した。縊り取った首を舐めまわし、ごりごりと噛み砕いて咀嚼する。その歯ごたえ、口内に浸み渡る味の何と甘味な事か。陶酔したように六郎太は次々と女達を手にかけていった。

 逃げ延びた誰かが都の役人に訴えたのだろう。一刻もすると、甲冑に身を包んだ数人の騎馬武者が現れ、馬上から六郎太に矢を射かけ始めた。しかし六郎太がその剛腕を振り回せば、矢は容易く弾かれてしまった。侍達はそれでも槍や薙刀、刀を振るって六郎太に斬りかかったが、六郎太は丸太を振り回して馬を薙ぎ倒し、落馬した侍達を丸太で殴り殺した。

「俺を斃すだと!! この俺を!!」


 怒号が六郎太の口から鳴り響いた。己は人を超えた力を手に入れたのだ。貴様らが束になっても俺には敵わぬ!! 本能でそう悟っていた六郎太は、畏れずに都に足を向けた。俺に追っ手を差し向けた侍大将をこの手で縊り殺してくれる!!


 都の手前には既に多くの武者が六郎太を待ち構えていた。雨あられの如く射かけられた矢を薙ぎ払い、斬りかかってきた男達を捕まえ、投げ飛ばす。怒声と悲鳴に満ちたその場所に、六郎太は豪快な笑い声を響かせて武士達を嘲った。一方的な嬲り殺しの最中に四人の武者が現れたのはその時だった。彼らの一人が先陣の武士たちに退却を命ずると、侍たちは潮が引くように六郎太から距離を取った。怪我をして動けない者達は、仲間が担ぐようにして退避させた。配下が下がったことを確認した後、退却を命じた武者が太刀を抜き放ち、一人で六郎太に向かってきた。


 細身の刀だ。そんなもので俺を殺せるものか。六郎太は嘲りの表情を浮かべるが、武者は恐れもなくずんずんと近づいて来る。小癪な…………。良かろう。死にたいなら殺してやる。この俺を侮ったことをあの世で後悔するがいい。六郎太は侍を殴り飛ばそうと、木の幹のように太い腕を振り払った。直後、その剛腕がごろんと転がった。切り口から血が噴き出していることを悟るのに数瞬の時を要した。

「ウゴオオオォオ!!」

六郎太の口から絶叫が迸った。腕の痛みより、絶対の自信に溢れていたこの頑丈な体があっさりと敗れたことに衝撃を受けていた。

「渡辺綱、成敗仕る」

腕を切り落とした侍が冷静に告げる。その言葉に意識を向ける余裕は、六郎太には残っていなかった。くるりと背を向け、ひたすら駆ける。背後から馬の嘶きと蹄の音が聞こえたが、それを振りきらんと必死だった。都を離れ、山里を越えどこをどう走ったか、あの枝垂桜まで辿り着く。

 

 これさえあれば……この桜の樹液があれば…………六郎太は枝を引き千切り、噴き上がる血のように赤い樹液を飲み干していく。六郎太の身体を、再び焼けるような熱が駆け巡った。これでいい。これでまた俺は強くなれる。奴らと戦える。六郎太は己の身体に再び力が漲るのを待った。だが…………。


 ブクッ、ブクッ、ブクブクッ!!


 身体の中で何かが蠢き、暴れ始めたのはすぐだった。

「痛や、痛や!!」

大声で喚く六郎太の四肢が、その胴体が随所で盛り上がる。その盛り上がった部分から、ぐちゃり、ぐちゃりという奇妙な音が聞こえた。

「おお、痛や!!痛や!!」

 何かが、内側から俺の身体を食い破っている。六郎太は悶え足掻きながら、盛り上がった部分を抑えようとした。だが抵抗虚しく、それらは六郎太の皮膚を内部から食い破っていった。そして外に現れたのは────黒く乱れた長い髪、血塗れの白い顔、恨みがましく六郎太を睨む般若の目。それはかつて殺めた女達の首であった。女達はその口でくちゃり、ぐちゃりと六郎太の肉を噛み砕き、臓腑を食い千切りながらにやりと笑い掛けて来る。

「ウガアアアァ!!!」

必死に残った腕で女達の首を薙ぎ払わんとする六郎太をあざ笑うように、幾つもの女の首が涼やかな笑い声を上げながら宙を舞った。


 綱たちが辿り着いた時、桜の根元には力無く横たわる鬼の姿があった。その肉体にはそこかしこを食い破られた跡があった。肉が周辺に散乱し、臓腑が原型を留めないほどに千切れ、噛み砕かれ体外に引き出されていた。

「面妖なことよ。一体何故ここまで……狼か熊の仕業か……」

余りの惨状に眉を顰めた綱は、太刀を引き抜いて鬼の首を斬り落とした。それを布に包み馬の首に吊るす。馬上で手綱を握った綱は、女の笑い声が聞こえたような気がして背後を振り返った。ほんの瞬きをするほどの間、桜の下に霞の如く女達の姿が浮かぶ。艶のある漆黒の髪を波打たせ、肌はぞっとする程生白く、その眼は異様なまでの喜悦に満ちて、その声は鳥の囀りの如く────。

「いかがなされました」

坂田金時に問われ、我に返る。既に女達の姿は無く、薄紅色の無数の花びらが舞い踊るばかり。

「いや、なんでもござらぬ」

馬首を返した綱は、小声で呟いた。

「散る花の心惑わす深山かな」

その言葉は風に紛れ、誰の耳にも届かなかった。


 彼らが去った後も、枝垂桜は何も無かったかの如く花びらを降らせ続け、首無し鬼の無残な骸を覆い尽くしていった。女達がその後再び姿を現したのか、定かではない。

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