秘密の姫君はじゃじゃ馬につき

第2章 新米の試練

　──あれは六歳（さい）になったばかりの冬のことだった。

「遠い遠い昔。この地に、一（いつ）匹（ぴき）の邪（じや）悪（あく）な竜（ドラゴン）がやってきました」

　やわらかい声が部屋の中に広がる。セラフィーネは本を読んでもらうことが好きなオフィのために、時間を見つけてはこうしておはなし会を開いてくれていた。

　始まりは毎度同じ。レーヌグランの子供の憧（あこが）れ、救（きゆう）国（こく）の英（えい）雄（ゆう）シギスマンドの神話からだ。

「竜の吐（は）き出す炎（ほのお）によって、町や山は焼（や）き尽（つ）くされてしまいました。人々は武器を手に竜に挑（いど）みましたが、傷一つ付けることはできません。竜は『王の娘（むすめ）を生（いけ）贄（にえ）に差し出せ。さもなくば国を滅（ほろ）ぼす』と言いました。心優しき王女は国民を守るため、自（みずか）らの身を捧（ささ）げるべく、竜の住む湖へと向かいます」

　セラフィーネは手元の本をぱらりとめくる。

「しかし王女の前に一人の騎（き）士（し）が現れました。神の加護を受けし聖なる騎士の名はシギスマンド。王女から竜の話を聞いたシギスマンドは、黄（こ）金（がね）色（いろ）に輝（かがや）く十（じゆう）字（じ）架（か）の剣（けん）を手に、たった一人で巨（きよ）大（だい）な竜に立ち向かい、竜を倒（たお）しました。王国と王女を救ったシギスマンドは、やがて王女と結（けつ）婚（こん）し、困っている人を救い続けました」

　めでたしめでたしと、セラフィーネは読み終えた本を閉じる。

　寝（しん）台（だい）の上に身を起こして聞き入っていたオフィは、無（む）邪（じや）気（き）に訊（たず）ねた。

「おねえさま、竜ってほんとうにいるの？」

「竜は空を縦（じゆう）横（おう）無（む）尽（じん）に奔（はし）る翼（つばさ）に、天を突（つ）く巨大で強（きよう）靭（じん）な四（し）肢（し）、大地を裂（さ）く鉤（かぎ）爪（つめ）と鋭（するど）い牙（きば）を持つとか。人間なんて頭からぺろりと食べられちゃうのよ」

　ひゃあ！　オフィは身体（からだ）を伸（の）ばして、枕（まくら）元（もと）に腰（こし）かけるセラフィーネに抱（だ）きつく。

「シギスマンドが竜をやっつけてくれなかったら、たいへんだったのね！」

「そうね。……彼がいなければ国は滅んでいたかもしれないわ」

　オフィの背をさするセラフィーネが同調する。その表情がいやに神（しん）妙（みよう）なことに、抱きついているオフィはてんとして気づかない。

（おねえさまの手、あったかいな）

　優（やさ）しくて、ときどき厳しい家族の手──それ以外を自分は知らない。

「……ねえ、おねえさま。どうしてオフィはお外に出ちゃいけないのかしら？」

　記（き）憶（おく）にすらない幼い頃（ころ）のオフィは、それこそ噂（うわさ）に違（たが）わぬ類（たぐい）稀（まれ）な虚（きよ）弱（じやく）だったらしい。

　しかしそれもこの歳（とし）になると、離（り）宮（きゆう）の小庭園内を散歩するくらいなら問題ないまでに回復していた。だが女王である母は、オフィを頑（がん）として離宮から出そうとしなかったのだ。

　──フェルディナントおにいさまや、ハロルドおにいさまに会って、お話ししたいな。

　自分の想（おも）いと裏腹に、母は血（けつ）縁（えん）関係にある者にすら、オフィとの面会を謝絶していた。

　オフィは亡（な）き父を除けば母と姉、それから専任の医師に、離宮で従事する専属の使用人しか会うことができなかったのである。

「おかあさまはオフィが嫌（きら）いだから、お外に出してくれないの？」

　身体を離（はな）したセラフィーネは、涙（なみだ）ぐむオフィの頰（ほお）を木（き）綿（わた）で包むように優しく触（さわ）る。

「泣かないでオフィ。お母さまはね、あなたが大切だからこうしているのよ」

「ほんとう……？」

「本当よ。そうね、あなたも六歳になったことだし……〝秘密〟を教えてあげるわ」

　秘密。子供心をくすぐるその響（ひび）きに、オフィの憂（うれ）いを帯びていた瞳（ひとみ）が爛（らん）々（らん）と輝きだす。

「ひみつってなあに？」

「代々王位を継（つ）ぐ者にだけ口（く）伝（でん）されている秘密なの。当人に伝えるために、ね。今から話すことは、他の人には絶対に内（ない）緒（しよ）よ？」

「オフィはないしょにできます！」

　元気で良（い）い返事ね。セラフィーネは身をかがめて、オフィの耳に小さく声を吹き込む。

「それはね──」

　言葉の途（と）中（ちゆう）で、オフィの意識は何かに引っ張られるように遠のいた。

「おはようございます姫（ひめ）様（さま）。お目覚めの時間でございます」

　侍（じ）女（じよ）の声と、カーテンの開く音でオフィは目を覚ました。

　瞼（まぶた）を上げ下げしながら身を起こすと、そこに本を読んでくれていた、まだ幼さの残る姉の姿はない。どうやら自分は過去の夢を見ていたらしい。

「姫様、お身体の具合はいかがですか？」

　オフィ付きである妙（みよう）齢（れい）の侍女は毎朝こう訊ねてくる。十余年前から仕えている侍女も、今のオフィは健康そのものと理解しているが、それでも身体を案じてくれているのだ。

「すこぶる快調よ。着（き）替（が）えたらすぐ朝食にするから、先に準備してもらえる？」

「かしこまりました」

　侍女が部屋を後にすると、オフィは夜着から制服に着替える。シャツのボタンを閉めていると、左胸の生まれついての痣（あざ）──はっきりとわかる、金十字の紋（もん）様（よう）が目に映った。

（『秘密の姫（ひめ）君（ぎみ）』、か）

　始まりは虚弱になった理由を秘すため。それをまだ幼いオフィが、知らず知らずのうちに口外してしまわないよう、母は第二王女の情報を遮（しや）断（だん）し、外部との接（せつ）触（しよく）を一（いつ）切（さい）断（た）ったのだ。

　そしてある程度の思（し）慮（りよ）分（ふん）別（べつ）ができるようになった六歳の頃、〝秘密〟を打ち明けられた。

　これを機に晴れて秘される立場を返上するはずだったが、オフィは騎士になるために、『秘密の姫君』のままでいることを選んだ。

（長いレーヌグラン王家の歴史の中でも、王女で騎士になったのはわたしだけだし）

　ただでさえ前（ぜん）代（だい）未（み）聞（もん）。それもよりによって、一般人の五歩は後ろの立ち位置にいた自分が騎士を志（こころざ）したのだ。

　──すべては、弱い自分への決別と、守りたい者のため。

　そのために王女の身分を隠（かく）し、鍛（たん）錬（れん）を重ね、ようやく《セント・クロワ》の騎士への一歩を踏（ふ）み出した。後戻りも後（こう）悔（かい）もしている暇（ひま）はない。

「上官に目の敵（かたき）にされたってかまうもんですか。行けるところまで突っ走ってやる」

　贈（おく）られたネックレスを首に引っかけ、オフィは静かな私室から明るい廊（ろう）下（か）へ飛び出した。

　出勤してみると、五番館の玄（げん）関（かん）前にハロルドが門番よろしく待ち構えていた。

「おっはよフローラ！　アレクが隊長会議に出席してる間に施（し）設（せつ）案内するぞ～」

　朝っぱらから明るく元気な副隊長の引（いん）率（そつ）で、オフィは館内を見学することになった。初日はというと、提出する大量の書類の記入に終始し、それどころではなかったのだ。

「──で、あっちの部屋が正装用の装（そう）具（ぐ）庫（こ）な。あとは事務所の奥（おく）にある渡り廊下と宿舎は繫（つな）がってるから」

「殿（との）方（がた）の巣（そう）窟（くつ）に自ら飛び込むなんて愚（ぐ）行（こう）は犯（おか）しません」

「よしっ賢（けん）明（めい）。ま、だいたいこんなとこかな。なんか質問ある？」

「大（だい）丈（じよう）夫（ぶ）です」

　じゃあ戻（もど）るかと踵（きびす）を返すハロルドのやや斜（なな）め後ろをオフィは歩く。

「フローラは入宿せずに通うんだっけ？」

「ええ、城下に住む知り合いが下宿させてくれるので」

　まさか離宮から出勤していますとは口が裂けても言えない。噓（うそ）も方便というやつだ。

「ここ野郎ばっかだし、その方が断然安全だよな」

　騎士団、特に君主の矢（や）弾（だま）に位置づけられる《セント・クロワ》は元々、女子が入団することを前提とせずに創設された。

　それゆえ入団が認められた昨今でも、女子宿舎などの設備はまだまだ整っていない。

「ずば抜けて美しいわたしが一つ屋根の下にいたら、殿方は心の平（へい）穏（おん）を保てませんからね」

「まじで清（すが）々（すが）しいなお前。昨日の啖（たん）呵（か）といい、その図太さは《セント・クロワ》で五指に入るぜ。オレが保証する」

「──そんな保証をするな阿（あ）呆（ほう）」

　割り込んできたのは唸（うな）るような低い声。後方に視線を移せば、相も変わらず眉（み）間（けん）に皺（しわ）を寄せたアレクの姿があった。その視線は昨日と同じくオフィからずれている。

「おはようございます隊長。ご機（き）嫌（げん）麗（うるわ）しく……はなさそうですね」

「誰（だれ）かさんのおかげでな」

　完（かん）璧（ぺき）な愛（あい）想（そ）笑（わら）いを浮かべるオフィと仏（ぶつ）頂（ちよう）面（づら）のアレク。

　二人を包む絶対零（れい）度（ど）の空気に耐（た）えられなくなったのは、間に挟（はさ）まれたハロルドだ。

「そこのお二人さ～ん、春うららの朝を底冷えさせんのやめて～」

「ハル、隊員を訓練場に集めろ。アレをやる」

「お、さっそくやっちゃう？」

「新人（こいつ）の手並みを見るのにちょうどいいだろ」

　アレクの言葉にオフィは目を丸くする。退団しろと圧（お）してきた男が、昨日の今日でどういった風の吹き回しだ。

「……まさかどこかに頭をぶつけて昨日の記憶が一部飛んだとか？」

「飛んでねえよ。──お前を部下にするのが心の底から不本意でも職務だからな、訓練はまっとうに受けさせる」

　オフィはアレクの弁に、なるほどとすんなり納（なつ）得（とく）する。

　アレクは職務に忠実だとセラフィーネは言っていたし、彼は仮にも隊長だ。

　私情だけで、総隊長（アレクの言ではジジバカ）の顔に泥（どろ）を塗（ぬ）る真（ま）似（ね）はしない。

「──と頭ではわかっているが、その顔を見ると吐き気がする。極力視界に入れたくない、できればその顔を晒（さら）してくれるな。なんなら辞（や）めてくれ」

「人が大人の対応に感心した数秒後に、本音をぶちまけないでください！」

「いや～アレクとまともに言い合える女を三番隊長以外で初めて見たわ。オレちょい感動」

　感動するところがおかしい！　とつっこみを入れる寸前にハロルドが走り出した。

「訓練場に行くぞフローラ！　五分で準備するからアレクも急いで来いよ～」

「ちょ、副隊長待ってください！」

　もうあんなに遠いっ、逃（とう）走（そう）するリスですかあなたは！　とにかく見失わないよう、オフィは急いでハロルドを追いかける。

　するとすれ違（ちが）いざまアレクが吐き捨てる。

「怪（け）我（が）をしないようせいぜい気をつけろ」

　何が始まるのかオフィの知るところではない。ただ、告げられた言葉がみくびっているがゆえのものであるのはわかる。

　オフィは広い背中に忠告してやった。

「王国最強の弟（で）子（し）を、あまり舐（な）めないでいただけますか？」

　詰（つめ）所（しよ）ごとに設置されている屋外の訓練場に、隊員が整列する。

　隊長・副隊長と向かい合う形態で、最前列を陣（じん）取（ど）るのは新人であるオフィ。

《セント・クロワ》は欠員が出ない限り入団できない。しかし毎年新人を迎（むか）える。

　理由は単純明快、精（せい）鋭（えい）を精鋭たらしめる訓練が厳しく、ついていけない脱（だつ）落（らく）者（しや）が出るからだ。新人全（ぜん）滅（めつ）もさして珍（めずら）しくはないという。

「集まったな。ハル」

　アレクに名指しされたハロルドが「はいよ～」と手を挙げる。

「《セント・クロワ》名物の〝一（ジ）騎（ユ）打（ツ）ち（ト）〟。フローラは聞いたことある？」

　その単語、オースティンから聞いた覚えが。脳みそのどの引き出しにしまったっけ!?

「……たしか、一対一の勝（か）ち抜（ぬ）き戦、でしたか？」

「当たり。それをおっぱじめるから、武器は公平を期すため、重さと形が同一の木（もつ）剣（けん）ね」

　これこれと、ハロルドが手にした木剣を左右に振（ふ）ってみせる。

「目つぶしと嚙（か）みつく以外は何でもありで、相手に参ったと言わせるか、膝（ひざ）もしくは身体の背面を地面につかせれば勝ち。十分で決着がつかない場合は引き分けな。ちなみに」

　名所の案内でもするように、ハロルドは指を揃（そろ）えた手で横を指す。

「隊長はくそ強いから不参加。でも横からじっくり観察してっから気い抜くなよ～」

　一（いつ）斉（せい）に後ろの騎士たちの空気が凍（こお）った。顔色が青くなっているのは想像に難（かた）くない。

　その威（い）圧（あつ）感（かん）で騎士たちを慄（おのの）かせたアレクは「ふざけてないで仕事をしろ」と、ハロルドを軽く睨（にら）む。

　睨まれたハロルドに反省の色は見られないが、彼の口は「はいはい」の形に動く。

「どんなもんか、まずは若手に実演してもらうかな。うし、二年目コンビ準備しろ」

「「はいっ！」」

　ハロルドから指名を受けた二人の少年従騎士が、前方に置かれた木剣を取りに向かう。

「じゃあ始めるか。オレが審（しん）判（ぱん）するから、他は場外に出ろ～」

　試合のない騎士たちがぞろぞろ移動し、試合会場には少年らだけが残った。

　木剣を構える二人を交（こう）互（ご）に見やったハロルドが、「始め！」と試合開始を合図する。

　直後、木剣が打ち交わされる鈍（にぶ）い音が響く。

　背（せ）丈（たけ）が変わらず力も拮（きつ）抗（こう）していたせいか、決着に時間がかかった。途中で互（たが）いの木剣が弾（はじ）かれたため、最後は殴（なぐ）り合（あ）いでの勝負になっていたが。

「そこまで。こんな感じで肉（にく）弾（だん）戦（せん）に移行することもままあるから」

「了（りよう）解（かい）です。なら次はわたしが行きます」

「潔（いさぎよ）いな。よっしゃ行ってこい」

　木剣を手にオフィは試合会場に入る。

　先ほどハロルドは二年目コンビと言っていた。

　王立騎士学院を卒業して、入団するのは十三歳。計算すると自分より年下だが、勝者は身体こそまだ細いものの、背はオフィより断然高い。

「頼（たの）むから怪我をさせるなよ！」

「当然です！　同じ従騎士とはいえ、レディを傷つけるなんて騎士の名折れですから！」

　舐めてるわね。腹の中でオフィは腐（くさ）った。

　とはいえ騎士たちの反応もやむなし。周りから見た自分はうら若き乙女（おとめ）でしかなく、守るべき対象ではあっても、戦う対象には見られていない。

　────上等よ。

「一つ言っておくけど」

「えっ、な、なにっ!?」

　何を期待したのか頰を染める相手に、オフィは構えながら抑（よく）揚（よう）のない声で言う。

「人を見かけで判断すると痛い目に遭（あ）うわよ」

　開始の合図と同時にオフィは動いた。

　咄（とつ）嗟（さ）、過去の教訓が脳内をよぎる。

『剣が接触したら、相手の武器より伝わる圧力からその意図を読み取るのです』

（わかってるわよオースティン。相手が剛（ごう）で押し込んできたら抵（てい）抗（こう）せず柔（じゆう）で受け流す。やわらかいときはそのまま一気に押し込んで防（ぼう）御（ぎよ）をこじ開ける、でしょ）

　しかし今回必要なのは安全な勝利ではなく、意識を変えさせるための圧（あつ）倒（とう）的（てき）勝利。

（そのためには瞬（しゆん）時（じ）に仕留める！）

　風を切るような速度で間合いを詰（つ）めたオフィは、柄（つか）を狙（ねら）って木剣を閃（ひらめ）かせる。

　相手が木剣を手放し、無防備となったところで、ガラ空きのみぞおちを柄（つか）頭（がしら）で思い切り突く。

　急所への攻（こう）撃（げき）をもろに喰（く）らった少年は、腹を抱（かか）えて崩（くず）れ落（お）ちた。

「勝者、フローラ・アシュレイ！」

　ハロルドの高らかな勝利宣言に外野がどよめいた。「なんだあの動き」「太（た）刀（ち）筋（すじ）が見えなかった」──隊員たちの声に表れていたのは、予想だにしていなかった衝（しよう）撃（げき）。

「ったく、でたらめなスピードしてんな」

　参ったと肩（かた）を上下させるハロルド。オフィは応じる。「褒（ほ）め言葉として頂（ちよう）戴（だい）します」

「〝判断〟を知ることにより〝距（きよ）離（り）〟を保ち、距離が〝時間〟を決定する。時間を知ることにより、確実に敵の〝位置〟を取ることができる」

「騎士学院で教わる勝利の四原則？　そっか、フローラはじいさん仕（じ）込（こ）みだっけ」

　同じ教えであれば、女の自分は男には到（とう）底（てい）かなわない。身体のつくりや筋肉の質が違う。

「どうすれば力で勝（まさ）る男と渡り合えるのか考えました。──相手が仕（し）掛（か）ける前に仕留めれば、力もへったくれもないんじゃないかって」

　答えが出たならあとは進むだけ。オフィは徹（てつ）底（てい）的（てき）に速度と技術を磨（みが）いた。

「騎士学院の教練がどんなものかは知りませんが、少なくともわたしは、総隊長との鍛錬で何度も死にかけました」

　そう言い残してオフィは次の相手と対（たい）峙（じ）する。

　後ろからは、「さらっと言うことか～？」と、ハロルドののんびりした声が追いかけてきた。

「なるほど、そのスピードはたいしたもんだ」

　二戦目。熟練隊員はオフィの斬（ざん）撃（げき）を危（あや）うげなくかわしながら告げる。

「だが、まだまだ甘（あま）いぜお嬢（じよう）ちゃん!!」

　様子見とばかりにオフィの攻撃を避（よ）け続けていた相手は、守りから攻（せ）めに転じた。

　その右手から振り上げられた鋭い一（いつ）閃（せん）は鉛（なまり）のように重く、オフィの木剣は雲一つない青い空へと放物線を描いて吹っ飛んだ。

「──────っ、参り、ました」

　息も切れ切れに敗北を宣（せん）するオフィに、三十代前半とおぼしき隊員はろくに息も乱さず木剣を肩に担（かつ）ぐ。

「戦（せん）闘（とう）において速度は大事だ。けどな、最後にモノを言うのは基（き）礎（そ）体（たい）力（りよく）と経験なんだぜ」

　まあ相手が悪かったながっはっは、と軽口を叩（たた）く余（よ）裕（ゆう）までかます熟練隊員。彼は外野に向かって挑（ちよう）戦（せん）者（しや）を募（つの）り、オフィの視界から消えた。

　次戦の妨（さまた）げにならないよう、オフィは肩で息をしながら場外に腰を下ろす。

（……負けた。たったの、二戦目で……）

　一戦目は上出来だった。それで気がゆるんだ？　違う、それはただの言い訳だ。

　オフィの稽（けい）古（こ）の相手は王国最強のオースティン。彼が本気の百分の一も出していなくても、負けて当然。それが当たり前で、勝とうなどという考えがそもそもなかった。

　けれど今は違う。オフィは相手を負かすつもりで挑んだ。

　油断も手加減もしていない。それでも熟練隊員に、自分の全力を軽くあしらわれたのだ。

（手も足も出ないだなんてっ……！）

　一（いつ）瞬（しゆん）で間合いに踏み込む瞬（しゆん）発（ぱつ）力（りよく）、正確かつ素（す）早（ばや）い剣技。加えて柔（じゆう）軟（なん）性（せい）のある身軽な身体。それが力で劣（おと）るオフィの強み。

　その長所を生かして少年従騎士にうまいこと勝てた。──だからなんだ。

　相手は年下で、体格差もそれほどなかった。それもこれから第二次性（せい）徴（ちよう）で、上にも横にも伸びしろのある男子には、あと二、三年と経（た）たぬ間に形勢をひっくり返されるだろう。

（基礎体力作りを疎（おろそ）かにしていたつもりはないけど……）

　超（ちよう）絶（ぜつ）虚弱体質を克（こく）服（ふく）し、女子の平均以上の体力をつけた。それからは剣技や瞬発力など、自（じ）己（こ）研（けん）鑽（さん）を積むことに多くの時間を割（さ）いていたのは事実。

　その結果がこれだ。

　序盤で決めさせてもらえなかったオフィは消（しよう）耗（もう）し、対して相手はこちらを試（ため）すほどの余力があった。

　アレクに舐めるなと大（おお）見（み）得（え）を切っておきながら、なんとみっともないザマであることか。

『まだまだ甘いぜお嬢ちゃん』

　熟練隊員の言葉が、研（と）いだ刃（は）のようにオフィの胸に深く突（つ）き刺（さ）さる。

　甘い、の一言に、いったいどれだけの事案が含まれているのか。戦場に立ったことのない経験不足？　あらゆる相手に対しての臨機応変さ？　挙げだしたらキリがない。

（……意識を変えさせるなんて、甘かった）

　ほんの少しは変わったかもしれないが、ここは街の子供たちが通う稽古場とは訳が違う。

（忘れちゃいけない。わたしがいるのは……国民が羨（せん）望（ぼう）する《セント・クロワ》）

　その精鋭部隊の洗礼は齢（よわい）十六の、多少腕（うで）に覚えのある小（こ）娘（むすめ）の鼻をへし折るには十分すぎた。

　悔（くや）しさや情けなさで気持ちはぐちゃぐちゃだ。

　心情のままに行動していいのなら、オフィは大声で泣（な）き叫（さけ）ぶことを選ぶ。

　だが公衆の面前、騎士の端（はし）くれとしての意地と、仮にも王女としての矜（きよう）持（じ）がそれを許さない。

「っ、何が、王国最強の弟子よ……」

　この場で許される自（じ）嘲（ちよう）を吐いたオフィは、暗い気持ちを潰（つぶ）すように拳（こぶし）を強く握（にぎ）りしめた。

　──一方、試合の一部始終を捉（とら）え、オフィの独白も耳に挟んでいたアレクはぽつりと。

「……始まりの壁（かべ）、いかに挑む？」

　しかしその呟（つぶや）きはオフィに届くことなく、騎士のかまびすしいヤジに攫（さら）われた。

　仮入団から六日目の、詰所が宵（よい）闇（やみ）に沈（しず）んだ頃のこと。

「フローラ、お前しんどいんじゃねえの？」

　オフィが書類を整理していると、ハロルドがふいに訊（き）いてきた。

「顔が青いっつーか白いし、目の下にクマがうっすら浮かんでるぜ」

「顔が白いのは元々なのと、ちょっと寝（ね）不（ぶ）足（そく）なだけでたいしたことありません」

　オフィは明るい笑（え）顔（がお）を作る。気（き）遣（づか）いへの感謝と並（へい）行（こう）して、追及を牽（けん）制（せい）する狙いもあった。

「大丈夫ならいいけど……」

「ご心配いただきありがとうございます。わたしなら大丈夫ですから」

　言ってオフィは残りの書類を仕（し）舞（ま）い、執（しつ）務（む）机（づくえ）に鎮（ちん）座（ざ）するアレクの前で威（い）儀（ぎ）を正す。

「書類の整理、完了しました」

「そうか。今日はもう上がっていいぞ」

「はい、お先に失礼します」

　視線をわずかに上向かせながらも、やはりアレクは一（いつ）貫（かん）してオフィを正視しない。目くらい合わせなさいよと腹の中で吐きつつ、オフィは執務室を辞した。

　もう終業時刻を過ぎているので、隊員たちは宿舎に引き上げている。オフィは人（ひと）気（け）のなくなった館内を抜け、訓練場の隅（すみ）に植わった大木の後ろに身を潜（ひそ）めた。

（誰もいないわね……）

　小動物が巣穴から出るときのように、オフィはきょろきょろと周囲を注意深く窺（うかが）う。

　人の気配はなく、あいつコソコソ何やってんだと訝（いぶか）られる心配はなさそうだ。

（さて、今日も始めますか）

　身体をほぐし、一つ大きく呼吸をしたオフィは地を蹴（け）った。初めはゆっくりと風が頰を撫（な）でる程度で。そして徐（じよ）々（じよ）に速度を上げていく。

　終業後にオフィはこうして、人目を忍（しの）んで走り込みを行っている。

　先日の一騎打ちで、自分の立ち回りがいかに脆（ぜい）弱（じやく）であったかを思い知らされた。

　その夜は気落ちしたし、枕（まくら）で声を殺して泣きもしたが──

（……めそめそしたって、時間は待ってくれないもの）

　仮入団期間はふた月。たとえ脱落せずに期間を満（まん）了（りよう）しようとも、《セント・クロワ》の名を背負うに値（あたい）すると判断されなければ、正式入団できないのだ。

　猶（ゆう）予（よ）は短い。オフィが今成すべきは打ちひしがれることではなく、地（じ）力（りき）を上げること。

『騎士を騎士たらしめるものは日々の努力に、わずかな素養を磨き上げる忍（にん）耐（たい）ですぞ』

　鍛錬中のふとした瞬（しゆん）間（かん）に、師の言葉を思い出す。

　元虚弱体質には、残念なことに素養はない。だからって諦（あきら）めてなんかいられない。

　諦めて、逃（に）げるくらいなら。初めからオフィは騎（こ）士（こ）を目指したりしていない。

　目の前の課題、ずばり基礎体力の向上を目標に掲（かか）げて今日で五日目。

　──正直、ハロルドが「しんどいんじゃねえの」と言ったことは当たっていた。

　ただでさえ訓練で酷（こく）使（し）した身体を、更（さら）に持久走でいじめ抜いている。筋肉痛と疲（ひ）労（ろう）で身体の内側は満（まん）身（しん）創（そう）痍（い）状態だ。

　おまけに睡（すい）眠（みん）時間を削（けず）っている上に疲（つか）れすぎているためか、目をつむった次の瞬間に朝を迎えるような感覚で、寝（ね）たのだか寝ないのだかわからない夜が続いていた。

（走り込みが終わったら、帰って素（す）振（ぶ）りでしょ、あと剣の手入れもしてそれから……）

　このあとの予定を頭に並べていたら、くらっと眩暈（めまい）がした。ここ何日かで、何度か同じような現象が起こっている。

　それも目を閉じればすぐに治まっていたのに。今日は、視界が絵具（えのぐ）を混ぜるように歪（ゆが）む。

　奇（き）妙（みよう）な感覚に、オフィはたまらずその場にうずくまった。

「なにっ、これ、気持ち悪い……」

　臓（ぞう）腑（ふ）を直（じか）に揺（ゆ）すられるような、不快な感覚がせり上がってきた刹（せつ）那（な）。

　一気に天地がわからなくなり──オフィの世界は真っ黒に染まった。

（…………あれ？）

　なぜか、目線の先に、ぼんやりとした灯（あか）りの浮かぶ天（てん）井（じよう）がある。

　外にいたはずなのに。まどろみに片足をつっこんだままの頭で考えるオフィの頭上が陰（かげ）った。──人が上から覗（のぞ）き込んでいる。

「あ、目ぇ覚めた？」

「ふく、たいちょう？　…………えっ、なんで副隊長!?」

　状（じよう）況（きよう）は理解できないままだが、意識は覚（かく）醒（せい）する。

　そこで初めて、オフィは自分が長（なが）椅（い）子（す）の上で寝ていることを知った。上（うわ）掛（が）けと、ご丁（てい）寧（ねい）に頭の下には折りたたんだ布まで。

（ちょっと待って。ということは、ここはもしかしなくても!?）

　飛び起きると、そこは案の定、見慣れた執務室だった。

「三時間くらい寝てたぜ。喉（のど）渇（かわ）いたろ、なんか飲みモン取ってくるな」

「そんなに……？　ありがとうございます、副隊長」

「いきなり飛び出してって、意識のないお前をここに運んだのはアレクだかんな。礼はあいつに言っとけ」

　────え、隊長が？

　そしてハロルドとは別に、もう一つ感じる気配。

　気配を辿（たど）って視線を動かすと、執務机にはアレクがいた。安定の仏頂面を晒しているが、その眉間の皺がみるみるうちに深くなっていく。

「ハルっ、お前なあ！」

「あ～悪ぃ、つい口からぽろっと」

　いきり立つアレクに、ハロルドは空気のように軽い謝罪を放（はな）った。そして逃げるが勝ちとばかりにそそくさ扉（とびら）を閉める。あの様子だと、どうやら口止めされていたようだ。

「……この五日間、訓練のあとに走り込んでいたようだな」

　突（つ）き放（はな）すような冷たさはないが厳しいその声（こわ）音（ね）に、オフィはごくりと息を吞（の）む。

「は、い。自主練を……」

「その自主練によって疲労が極限に達し、睡眠不足もたたって倒れたわけか」

　嵐（あらし）の前のような嫌（いや）な静けさが下りた三（さん）拍（ぱく）後、オフィめがけて特大の雷（かみなり）が落とされた。

「身体が資本の騎士にとって、健康管理も仕事のうちだろうが！　己（おのれ）の体調をないがしろにし、無理を重ねてぶっ倒れるなんて本（ほん）末（まつ）転（てん）倒（とう）もいいところだこのド阿（あ）呆（ほう）！」

　ガラスが割れるのではないかと思われるほどの怒（ど）号（ごう）が室内に響（ひび）き渡る。アレクにはこれまで何度も叱（しか）られたが、ここまで怒（ど）気（き）のこもった声を浴びせられたことはなかった。

　加減されていないその迫（はく）力（りよく）に気（け）圧（お）されてしまい、オフィは亀（かめ）のように首を竦（すく）める。

「も、申し訳ありません！　……でもどうして、隊長がそのことをご存じなんですか？」

「一昨々日（さきおととい）にたまたま窓の外を見たら、ちょうどお前が走っていたんだ。それからはたまに目を向けるようにしていた」

　そういえば終業後にオフィが走っている最中も、引き上げる際も、執務室の窓からは明かりが漏（も）れていた。その執務室、窓（まど）際（ぎわ）のアレクの席からは、訓練場を一望できる。

（隊長が陰で気にしてくれてたから、寒空の下に放置されずに済んだのね）

　拒（きよ）絶（ぜつ）反応をおして運んでくれたことへの感謝と同時に、健康管理を怠（おこた）ったせいで迷（めい）惑（わく）をかけたことを猛（もう）省（せい）する。

「俺が知っていたから運よく発見できたものの、下手をすれば危険だったかもしれん。走り込みはもうやめておけ」

「それはだめです！　わたしは努力して、力をつけないといけないのに」

「努力ってのをはき違えるな」

　ぴしゃりと言いきられてしまい、オフィは押し黙る。

「しゃにむにがんばりぶっ倒れて、得られるものがあると思うのか」

「っ、だって同じことしてちゃ追いつけないもの！」

　自分の瞳がにわかに潤（うる）んでいくのがわかる。オフィは咄嗟に顔を伏（ふ）せた。

　絶対に泣くもんか。溢（あふ）れたが最後、堰（せき）を切ったようにいろんなものが止まらなくなる。

「わかってますよ己の性能くらい！　けど二カ月の間に認められなきゃいけないから！」

　騎士学院を出ていなくても、戦場に立っていなくても、自分はオースティンに教授された身。そこそこやれるという自負はあった。

　なのに──

　熟練隊員にはまるで歯が立たなかった。少年従騎士は倒せたが、消耗戦になったらおそらくもたないだろう。瞬発力や技術では競（せ）れても、女子であるオフィは体力や耐（たい）久（きゆう）性（せい）で劣る。

　わたしはやれるだなんてとんだ勘（かん）違（ちが）いだ。いざ現場に立ったら、経験も強度も足りない自分は薄（うす）っぺらくて脆（もろ）かった。

　身も心も、嵐の去った大地のようにズタズタだ。

　それでも折れない。心に突き立てた誓（ちか）いを、折るわけにはいかない。

「──なるの、わたしは。《セント・クロワ》の騎士に、絶対」

　上掛けをぎゅっと握りしめると、頭に何かがコツンと当たった。淡（たん）黄（おう）色（しよく）のキャンディだ。

　顔を上げると、アレクが同じものを口に放り込んでいた。

（投げてよこしたってことは、くれたのよね？　……あの隊長が、わたしに？）

「自らの弱点を克服しようともがく向上心を否定はしない。むしろ壁を前に、挫（くじ）けて前進を諦めるような奴（やつ）はいらんからな」

　キャンディの食べ方としては間（ま）違（ちが）いの典型、がりがりと嚙（か）み砕（くだ）くアレクが言葉を継ぐ。

「だが忘れるな、お前はまだ記章すらないひよっこだ。追いつく以前の問題で、同じ場所に立っていると考える時点で図（ずう）々（ずう）しいわ馬（ば）鹿（か）め」

「あのっ、さっきから阿呆とか馬鹿とか、少し失礼じゃありませんか!?」

「ここは血気盛（さか）んな武（ぶ）闘（とう）派の集まるところだぞ。罵（ば）詈（り）雑（ぞう）言（ごん）は挨（あい）拶（さつ）、自主規制用語も平然と飛び交う。阿呆や馬鹿なんて序の口も序の口、お綺（き）麗（れい）な部類だ」

　罵詈雑言はまだわかるけど、自主規制用語ってなんなの!?

「今日は帰ってすぐ寝ろ、隊長命令だ。もし逆らったらクビにしてやる」

「それって職権濫（らん）用（よう）じゃない！　最ッ低！」

「てめぇこの小娘、隊長への口のきき方がなってねーなこら」

「なんか口悪くなったわねこの暴君っ、最低馬鹿仏頂面!!」

　感情の高ぶりに任せて、罵詈雑言の語（ご）彙（い）を使い果たしたオフィが立ち上がると、ふいにアレクと視線が交わる。

　鋭く厳しいそのまなざしには嫌（けん）悪（お）より、見定めんとする真（しん）摯（し）さがあった。

「今は訓練に一点集中しろ。慣れたら走り込みでも武（む）者（しや）修（しゆ）行（ぎよう）でも勝手にやれ」

「──わかりました。この屈（くつ）辱（じよく）は必ず晴らしてみせますので」

　捨（す）て台詞（ぜりふ）とも宣戦布告ともつかない言葉をアレクめがけて投げた。そのときだ。

「おまちどぉ～。《セント・クロワ》の裏名物、味は『苦い』『辛（から）い』『すっぱい』の三重苦、でも疲労回復に効果てきめんの特製ジュース持ってきたぜ～」

　能天気な声を差し込ませ、雰（ふん）囲（い）気（き）も何もおかまいなしとばかりに押し入ってきたハロルドに、オフィはこけかけた。

「なんだぁ、このなんとも言えない空気？　二人ともどした？」

「……副隊長ってたまに最強ですよね。主に精神面で」

　それどういう意味？　首を傾（かし）げるハロルドからオフィはゴブレットを受け取る。

　中身は食べ物で出来ているというが、やけにとろみがある上に色は完璧に泥（どろ）水（みず）。味の三重苦に、『不快』を付け足したくなる見た目の特製ジュースを、オフィは潔く呷（あお）った。

「苦ッ、辛ッ、すっぱ！　ものすッッッごく不（ま）味（ず）いけど、ごちそうさまでした！　あと介（かい）抱（ほう）してくれてありがとうございました！　失礼します！」

　まくしたてるように言って、オフィは執務室を飛び出した。慌（あわ）ただしく走り去りながら、もらったキャンディを口に放り込む。

（……キャンディを食べるのは、初めてじゃないのに）

　すぐに食べてしまうのはなぜかもったいない気がして、オフィは沁（し）み込むような甘さをゆっくりと時間をかけて味わった。

　従騎士（まだ仮入団中）となって、二度目の公休日。

　人（ひと）払（ばら）いした私室で、オフィは清（せい）楚（そ）な紺（こん）色（いろ）のワンピースに着替える。髪（かみ）はレースのリボンで結び、足元は動きやすいブーツ。

　王女としては地味でも、いつもの男装まがいの制服姿を考えれば女の子らしい装（よそお）いだ。

（よし行こう、やっぱり疲れたときの特効薬はアレよね）

　町娘風の姿を取ったオフィは窓から木に飛び移った。そのまま枝を伝って難なく着地。少し離れた城（じよう）壁（へき）まで歩き、人（ひと）気（け）がないことを確認しまた木に登って城壁を越（こ）える。

　子供の頃から使っている脱（だつ）出（しゆつ）経路。彼女は供も連れずこうして忍ぶのが趣（しゆ）味（み）なのだ。

「誰もいない……と」

　城下に下りたオフィは、慣れた足取りで賑（にぎ）やかな市場へと向かう。

　声をかけてくる男どもをいなしつつ、オフィはこの辺りでは珍しい、深い緑の木骨と白い壁がおとぎの国の家のように可愛（かわい）らしい店に堂々と入る。名前と虚弱体質しか知られていないからこそ可能なことだ。

「おや、フローラちゃんいらっしゃい」

　中にいたのは店主の奥さんだ。今日も今日とて肌（はだ）艶（つや）と恰（かつ）幅（ぷく）が良い。

「こんにちは。女将（おかみ）さん、今日のおすすめはなんですか？」

「レーズンとナッツのフルーツケーキかね。甘く味付けしてあっておいしいよー」

　パンと焼き菓（が）子（し）を売っているこの店は、オフィの今一番のお気に入りの店だ。

　初めての公休日でこの辺りを歩いていたとき、オフィはごろつき同士の喧（けん）嘩（か）に遭（そう）遇（ぐう）した。

『喧嘩ならよそでやんな！　商売の邪（じや）魔（ま）だよ！』

　店から出てきた女将が、ごろつきの頭をめん棒で力いっぱい殴ったかと思えば、

『おう若（わけ）えの、イラつくのは糖分不足だ。オレの菓子食ってみな、ほっぺが落ちるぞ』

　と、店主は焼き菓子をごろつきの口にめいっぱいつっこんだという。

　そのあと夫（ふう）婦（ふ）は通りがかった王立騎士にごろつきを突き出し、事を自力で解決。お菓子の味は無論のこと、オフィは店主夫妻の肝（きも）っ玉（たま）と人（ひと）柄（がら）がすっかり気に入ってしまったのだ。

「じゃあそれをください」

「はいよ。あとこれは店主の自信作なんだけどね」

　オフィが甘いものに目がないことを承知している女将は、他にも数種類のお菓子をすすめてくれた。しかし今日は棚（たな）に並んでいるパンとお菓子がいつもより少ない。

　オフィの考えを察したのか、女将は申し訳なさそうに眉（まゆ）尻（じり）を下げる。

「ごめんよ、今は材料が手に入りにくいせいで数も種類も少なくて」

「えっ何かあったの？」

「ここのところ盗（とう）賊（ぞく）が商人の馬車を襲（おそ）っているせいで、材料不足気味でね。早く討（とう）伐（ばつ）してもらいたいもんさ」

「……そっか」

　盗賊シメる。女将に自分が従騎士であることを伝えていないオフィは、心の中で固く誓った。

　宮（きゆう）殿（でん）の料理人が作るお菓子はもちろん絶品だが、おしどり夫婦の素（そ）朴（ぼく）で優しい味わいのお菓子はオフィの元気の素。食べられなくなっては困る。

「それとついさっき、チーズケーキが全部売れちゃったんだよ」

「えぇぇぇぇぇぇ!?」

「いつも大量に買ってく子が来てね。ぱっと見恐（こわ）いけど男前で礼（れい）儀（ぎ）正（ただ）しくてさ。フローラちゃんといい、うちのお客さんは美男美女率が高い気がするねぇ」

　男前はどうでもいい、色気より目先の食い気！　楽しみにしていた目当ての品がないとわかったオフィはその場にへたり込む。

　オフィがこの店で何より好きなのがチーズケーキだ。ほのかなレモンの香（かお）りが爽（さわ）やかで、濃（のう）厚（こう）なのにくどくなくそのなめらかな舌（した）触（ざわ）りときたら！

（ああ食べたかったなチーズケーキ……独（ひと）り占（じ）めしていった奴、腹でも下してしまえ）

　どこの誰とも知れない人物を理（り）不（ふ）尽（じん）な理由で呪（のろ）ったとき。扉に付いたベルが鳴った。

「すまない、さっきのフルーツケーキをあと三つ追加で──」

「た、隊長っ!?」

「……アシュレイ？」

　入店したのは、大きな紙（かみ）袋（ぶくろ）を抱えた仏頂面の上官だった。

（……なんでこんなことに？）

　店の軒（のき）先（さき）に設（もう）けられたテラス席。

　日よけのパラソルの下で、心（ここ）地（ち）よい風を感じながら憩（いこ）いのひとときを過ごすための場所だが、なぜか向かいには先ほど店内で遭遇したアレクがいる。

　彼は仕立ての良い白シャツにグレーのベスト、黒いズボンといったシンプルな格好をしていた。

　顔とスタイルは無（む）駄（だ）に良いので、これがまたなんとも決まっている。

「おやまあ知り合いかい？　さあ座った座った」と、この状況を強（ごう）引（いん）に作り出した女将はお茶を運び終えるなりそう言い残して、店内へいそいそ引っ込んだ。

　気をきかせたつもりのようだが、女将さーん、この人ただの上官なんですけどー。

　耳が痛い沈（ちん）黙（もく）が落ちる中、アレクはガサガサと紙袋を漁（あさ）り始めた。そして。

「やる」

「…………え？」

　差し出されたのは膨（ふく）らんでいる紙袋。開けてみると、中には売り切れたはずのチーズケーキが二つ入っていた。

「扉を開ける前に『チーズケーキが売り切れた』って声が聞こえた。まさか床（ゆか）にしゃがんでうなだれるほど猛（もう）烈（れつ）に落ち込んでいるのがお前とは思わなかったが」

「わたしもお菓子を大量に購入していったのが隊長とは……」

　オフィが疲労で倒れた折にキャンディを食べてはいたが。この仏頂面がケーキを頰（ほお）張（ば）る姿……いかに想像力を搔（か）き集めても、脳内キャンバスには描けそうもない。

「今日はまだ少ない方だ。これだと二日分ってとこか」

「その量で二日っ!?　どれだけ甘（あま）党（とう）なんですか!?」

「三度の飯より甘いものが好きなだけだ」

　言うが早いか、アレクはお茶にどばどばと尋（じん）常（じよう）ではない蜂（はち）蜜（みつ）を落とす。

　そのままスプーンで何度かかき混ぜ、赤い激（げき）甘（あま）水（すい）と化した液体を何食わぬ顔、もとい仏頂面のまま飲みきった。

「……威圧感満点の風（ふう）貌（ぼう）に似合わない嗜（し）好（こう）をしているのはわかりましたけど。それなら、わたしにケーキをくれるのはどうしてですか？」

「食べたかったんじゃないのか？」

「そうですけど、自分のぶんがなくなりますよ」

「まだ残ってるからいい」

「何より隊長、わたしのこと嫌いでしょう？　そんな相手に譲（ゆず）っていいんですか？」

「お前の顔は天敵でも、別にお前自身を敵視してはいない」

「………………へ？」

　頓（とん）狂（きよう）な声が出た。毎日のように『胃の破（は）壊（かい）者（しや）』だの『視界の暴力』だのと暴言を吐いてくる人が、何を言っているの？

　懐（かい）疑（ぎ）を剝（む）き出すオフィに、アレクは仏頂面のまま淡（たん）々（たん）と話す。

「俺はお前に騎士の厳しさを教えて、《セント・クロワ》から叩き出す気満々だった」

「満々って、どれだけわたしを追い出したかったんですか!?」

「ところがお前は口先だけの根（こん）性（じよう）なしでも、生半可な気持ちでもなかった」

　こんちくしょうめ。用意していたお年（とし）頃（ごろ）の娘らしからぬ罵（ば）倒（とう）の言葉は、アレクの不意打ちによる高評のせいで、喉の奥にうずくまったまま出てこなくなってしまった。

「だから最近俺はお前に対して、退団しろとは口にしてないだろうが」

「い、言われてみればそうですけど。わたしの顔に対する暴言は相変わらずですよね」

「俺は拒絶反応を堪（こら）えて、その冗（じよう）談（だん）みたいに綺麗な顔を拝むよう努めているんだ。暴言の一つや二つ大目に見ろ」

　たしかにここ二週間の間、アレクと目が合うことが度（たび）々（たび）あった。

（偶（ぐう）然（ぜん）じゃなかったのね。隊長なりに、歩み寄ろうと行動に移してくれたんだ）

　仏頂面の下に隠れた努力を思うと、感（かん）慨（がい）深（ぶか）いものはあるのだが。

「……上官の八つ当たりを受けることには、どうにも納得がいきません」

「なら無理やり納得しろ」

　こうも悪びれずに一（いつ）蹴（しゆう）されると、反（はん）撃（げき）する気が削（そ）がれること甚（はなは）だしい。

「隊長くらいですよ、こんな美人を前にそんな悪態つくのは」

「残念だったな、自（じ）慢（まん）の顔によろめかない上官で」

「うわ嫌（いや）味（み）っ。言っときますけどこの顔にもそれなりの苦労はあるんですぅ」

「腹立つ語（ご）尾（び）やめろ。苦労ってのはどうせ男受けがいいとかだろ」

「簡単に言ってくれますが、これが結構大変なんですからね」

　オフィも純度満点の女子だ、異性からちやほやされて嬉（うれ）しくないわけじゃない。

　ただ、

「昼夜を問わず、日常的に言い寄られたらどう思います？」

　自分の立場に置（お）き換（か）えているらしく、アレクが腕を組んで黙（もつ）考（こう）する。そのうちに、

「……地味に煩（わずら）わしいなそれ」

「ね？」

　それに輪をかけて煩わしいこともある。

「女は美人に対して厳しいんですよ。口では『お綺麗ですね』って褒めといて、こっちが『いえいえそんな』って謙（けん）遜（そん）すると、お腹の中ではそんなこと思ってないでしょうが、って敵認定する寸法なわけです」

　これが女（め）神（がみ）級（きゆう）のセラフィーネだと、人は妬（ねた）みや僻（ひが）みを抱（いだ）こうとすらしない。

　美を追求して造られた石（せつ）膏（こう）像（ぞう）に嫉（しつ）妬（と）しないのと同じで、相手との間に絶望的な差がある場合は比（ひ）較（かく）対（たい）象（しよう）とみなさないからだ。

（わたしくらいの美人は、攻撃対象になっちゃうのよね）

　王女であることを秘密にしている以上、オフィは身分という武器で相手を退けられない。

　したがって女の世界──特に社交界では、レディたちから妬みの視線の一（いつ）斉（せい）掃（そう）射（しや）を浴びせられ、散々嫌味ったらしい言葉と態度をぶつけられてきた。

　そんな楽しいとはいえない実体験のおかげで、己の美（び）貌（ぼう）（変装時込み）が異性・同性にどの程度の影（えい）響（きよう）力（りよく）を及（およ）ぼすのか認（にん）識（しき）するに至ったわけだが。

「男はそういうのはあまりなさそうですよね」

「まあ女みたいに陰（いん）湿（しつ）なものはないな」

　顔のことをねちねち言う男なんて、器（うつわ）が小さいと思われるだけだしね。

「かくいう隊長も、仏頂面でもれっきとした美形ですし。あ、もしかしてしつこく女性に言い寄られたせいで美女嫌いになったとかですか？」

「ほとんどの女は、俺と目が合うと身を竦めるか後退する」

　言外に否定された。アレクの美女嫌いは女性のつきまといなどが発（ほつ）端（たん）ではないようだ。

（でも理由をはっきり言わなかったのは、言いたくないからよねきっと）

　ならば追及すべきではない。人間誰しも、触（ふ）れられたくない私的な部分はある。

　オフィはアレクが口にしていたクッキーを指さして、話を変えた。

「隊長、仏頂面のせいでせっかくのクッキーが、砂を嚙んでいるみたいに見えますよ」

「ちゃんとうまいぞ。お前も食うか？」

「えっ、と。じゃあ、いただきます」

　おすそわけは想定外だったがせっかくだ。オフィはクッキーに手を伸ばした。

　──うわっこれおいしい！

　鼻に抜ける粗（あら）めに砕いたアーモンドの香（こう）ばしさ、バターのちょうど良い甘（あま）味（み）。

　口の中においしい幸せが広がればおのずと手が進み、気づいたときにはクッキーの袋（ふくろ）はカラ。やってしまった。

「……すみません、おいしくてつい」

「菓子と酒、どっちが好きだ？」

　怒（ど）声（せい）か罵（ば）声（せい）が飛んでくると思いきや、アレクが発したのはどちらでもない質問。

「？　わたしは甘いものが好物なので、断然お菓子ですけど……」

「お前を評価できる点ができた。《セント・クロワ》は酒派が過半数を占（し）めるからな」

「そんな騎士の本分とまったく関係ないところで評価されても嬉しくないです！」

　テーブルを叩いて哮（たけ）るオフィに、アレクは腹が立つほど尊大に言い放つ。

「騎士として評価して欲しいなら、俺にそうさせるだけのものを見せてみろ。言うまでもないが俺は嗜好以外甘くないぞ」

「仏頂面スイーツ将軍には、今に目にモノ見せて差し上げますから！」

「その意気やよし。……いや待て、その仏頂面スイーツ将軍ってのはなんだ」

「隊長の渾（あだ）名（な）に決まっていますっ」

「ふざけるな！　どうせならもっとうまそうな呼び名にしろ！」

　つっこむトコそこなの!?

　ぎゃいぎゃいと内容に重みのない舌（ぜつ）戦（せん）でやり合っていると。

　騒（さわ）ぎを聞きつけたのか、店内に引っ込んでいた女将がひょっこり顔を出す。

「盛り上がってるようだねぇご両人。今日はもう店を閉めちまおうか」

　この生ぬるい視線。十中八九、あらぬ誤解をされている。

　弁明したところで肝っ玉女将にはそうかいそうかい、と相手にされないのがセキノヤマ。『撤（てつ）退（たい）あるのみ』、二人の意見は珍しく一（いつ）致（ち）した。

　オフィとアレクが暇（いとま）を告げると、女将は「毎度～、二人でまたどうぞ！」と全力で誤解した見送りをしてくれた。次に訪ねた際になれそめは、と訊かれること必至だ。

「隊長が《セント・クロワ》の現（げん）役（えき）隊長だって、女将さんは知ってるんですか？」

「いや、下手に恐（きよう）縮（しゆく）されたくないからな。よほどの馴（な）染（じ）みの店にしか言ってない」

「……ですよね」

　いかに肝っ玉女将とは言え、泣く子も黙る大騎士様と知りながらあの態度は取れまい。

「──あれ？　隊長、眼（め）悪かったでしたっけ？」

　隣（となり）を歩くアレクは、店を出るなり懐（ふところ）から取り出した、縁（ふち）がほとんどない眼鏡をかけた。

　品の良いそれを人差し指で持ち上げつつ、アレクは「違う」と。

「視力に問題はない。これはただのガラスだ」

「じゃあなんでわざわざ？」

「俺に免（めん）疫（えき）のある人間の他は俺を直視すると恐がるからな。私生活でまで不必要に一般市民を怯（おび）えさせるのは本意じゃない」

「ならその仏頂面に、愛想をしつらえたらいいのでは？」

「……無理やり笑うとよけい恐がられる」

　これは過去にやって失敗したな。

「なんかすみません。……でも眼鏡は正解ですね」

　眼鏡で隔（へだ）てることで、騎士をも怯（ひる）ませる眼光の鋭い角が取れたように感じる。独特の威圧感は健在だが、普（ふ）段（だん）の三割ほどは軽減されているようだ。

「隊長って上（うわ）背（ぜい）はありますけど、あからさまに筋（きん）骨（こつ）隆（りゆう）々（りゆう）な大男ではないので。顔立ちも整ってますし、その姿だととても《セント・クロワ》の隊長格には見えません」

「喜んでいいものか微（び）妙（みよう）だな」

「美人を連れて歩く男前かぁ、野郎のやっかみを買う典型的図式ですね」

「不本意にも程（ほど）がある」

　アレクが、にべもしゃしゃりもない言いようで斬（き）り捨（す）てた直後。彼の肩の下に、違う肩がぶつかる。

　肩の持ち主は男四人組みのうちの一人。全員、素行に難がありそうだ。

「ってえなぁ、どこ見て歩いてんだてめえ！」

「別（べつ）嬪（ぴん）連れ歩いて浮かれちゃってんじゃねえのー、なあ色男？」

　アレクが低くぼやく。

「言ったそばからか。お前いっそ仮面でもつけて生活したらどうだ？」

「そんな覆（ふく）面（めん）生活、まっぴらごめんです」

　顎（あご）を上げてそっぽを向くオフィに、アレクは無言で自らの荷物を押しつける。

「持ってろ、すぐ終わる」

「肩書きひけらかして追い払う方が手っ取り早いんじゃ？」

「それだと他に被（ひ）害（がい）が及ぶだろ。血の気が多い若（わか）僧（ぞう）には教育的指導をしておく」

　非番でも悪漢を放っておかないあたり、アレクはなかなかどうして仕事熱心である。

（向こうの男たちと隊長、たいして歳は違わないと思うんだけど）

　若僧呼ばわりの男四人組は、「女の前で恥（はじ）をかかせてやるぜ」と意（い）気（き）込（ご）んでいる様子だ。

　ちんぴらが数人がかりだろうと、後（おく）れを取るようなアレクではない。帯刀はしていないが、懐にナイフかダガーは忍ばせているはずだ。出番があるかは怪（あや）しいが。

　黙（もく）視（し）を決め込んだオフィは邪魔にならないよう、アレクから距離を取る。

「あとはご自由に。行き過ぎた指導で、仮にも一般人の命を攫わないでくださいね」

「ぬかせ、俺がそんな下手を打つわけあるか」

　アレクの悠（ゆう）揚（よう）迫（せま）らぬ態度が癇（かん）に障（さわ）ったらしく、息巻いた男たちが襲いかかる。

「自らのバランスを保つための筋力がまずなってない。手と足の間合いも悪い、次」

　一歩たりとも動くことなく、アレクは二人を地面に転がす。

「親指を拳の中に入れたまま殴るやつがあるか。打った衝撃で折れるぞ」

（……なんかもう、指導というより……）

　癇（かん）癪（しやく）を起こした子供とそれを躾（しつ）ける親の様相を呈（てい）している。要は喧嘩にすらなっていない。

「戦場じゃないんだ、突っかかる前に相手の力量を計れ。命を粗（そ）末（まつ）にするな」

　最後は説教まで垂れたアレクは男らを片腕、それも手首から先だけで完（かん）封（ぷう）した。

　約束されたも同然の結末。しかしこうも一方的だと、のされた四人が不（ふ）憫（びん）でならない。

　汗（あせ）の一筋も流さず事を収めたアレクは男らを悠（ゆう）然（ぜん）と担ぎ、通行の妨げにならないよう路（みち）の端に移動させる。後始末も抜かりない男だ。

「あとは王立騎士にきつく絞（しぼ）ってもらえば、素行も矯（きよう）正（せい）されるだろう」

「それってほぼ止（とど）めですよね……」

「俺はこいつらを引き渡すまで戻らんが、お前はどうする？」

「帰って大人しく戦利品を堪（たん）能（のう）します」

　オフィの返答にアレクは「大丈夫か？」と聞いてくる。一人になったオフィが、男に言い寄られることを気にしたゆえに出た質問だろう。

　思いがけず心配されて面（めん）喰（く）らったが、遅（おく）れてふんわりとした温かさが胸を満たす。

「大丈夫です。まとわりつく男を捌（さば）くのは慣れてますから」

「…………まあ、道中気をつけろ」

　了解ですと敬礼し、オフィはその場を後にする。

（初めて隊長とこんなに話したわ。……隊長、人のことをしっかり見てるのね）

　──大の苦手である顔のわたしでさえ、ちゃんと。

　上官との関係に好転の兆（きざ）しが見えたことを喜ぶ一方で、少し面（おも）映（は）ゆいと感じたオフィであった。